古都ミッテ(二)
驚いたトーマに、エルフリーデは平然と答えた。
「そうよ。その方が何かと安全でしょ? ここに滞在する三日間は、お客は私たちだけなの」
「はあ……」
金持ちってすげーな。
トーマは心の底から感心した。元いた世界で例えるなら、ディズニーランドを貸し切るようなものだ。それも一日ならず三日も。改めてアッシェンバッハ公爵家の財力を思い知らされる。
「それより。お前とクラリスの服装も、どうにかしなくちゃね。お前、そんな格好で暑くないの?」
ピアスの金具を直しながら、エルフリーデが尋ねた。
問われたトーマといえば、屋敷そのままの黒いジャケットにパンツという下僕のスタイルだ。夏も過ごしやすい王都と違い、ここでは身体に熱がこもりやすい。
ジャケットの下では、シャツが汗で湿り気を帯びていた。
「まあ……たしかに……」
「ばか、なんで黙ってるのよ。ここはお屋敷と違って、メイソンはいないのよ。これからお前のことは、自分で考えて決めなさい。いいわね」
「はい。それなら……下僕としての品を失わない、もう少し涼しい服に着替えようと思います」
「そうね……そうだわ。明日、朝食の後で市場に行きましょ。お前とクラリスの服を私が選んであげる。それを着て、シルヴァ族の自治区まで行けばいいのよ」
「それは」
「どうせアディも一緒なのだし、アディにも相談にのってもらいましょ。涼しくて軽くて、旅に向いている服に詳しいはずだもの」
エルフリーデが目を輝かせていると、使用人にワゴンを引かせ、宿の主人がこちらへ歩いてくる。薄荷の涼やかな香りがこちらまで漂ってきた。
「お待たせしました。当宿自慢の薄荷茶ですよ。これほどよいものは、ミッテでもなかなか手に入らないでしょう。トーマだったね」
主人がワゴンに載せられたティーポットを指さした。
「これは普通の紅茶と少しいれ方が違う。彼のやり方をよく見ておきなさい」
若い使用人がティーポットを肩の高さまで持ち上げ、そこから一気にカップへと注いだ。
「こうして高い場所から注ぐことで、お茶を適温にするのです。香りも楽しめますしね」
「本当にいい香りだわ」
「どうぞひとくちお飲みください」
主人に促され、カップに口をつけたエルフリーデが目を輝かせた。
「王都で飲んだことがあるものと、全くちがう」
「タキミ産のものはくせがなく、それでいて香りがとても良いのですよ。あとはそちらの従者にお任せします。では良い午後を」
一礼したあと、宿の主人が、ふと思い出した表情になる。
「そうだ、大変不躾なお願いなのですが、よろしいでしょうか」
「なんでしょう」
「実は妻たちが、是非ともエルフリーデさまと話がしたいそうで。お時間がある時でよろしければ、彼女たちのハレムを、訪ねてやってもらえませんか」
「構いませんわ。ご招待を是非お受けいたしましょう」
「ありがとうございます。妻たちも喜ぶでしょう」
満足気に中庭を後にした主人を見送り、エルフリーデが言った。
「あの方はね、奥さまが三人いらっしゃるそうよ」
「さ、三人?」
「アディから聞いたでしょ、拝火教徒は一夫多妻制なの。裕福な殿方は、たいてい奥さまが複数いるのですって。あの方も例に漏れず……ってこと。ねえトーマ」
エルフリーデは薄荷茶をひとくち含んで、トーマを見つめた。
「男の人って、複数の女性を同時に、同じくらい愛せるものなのかしら」
これは……。
トーマは危険を察知した。答え方を間違えると大事になる。
「そういう人もいるでしょうね。でも」
「でも?」
「俺はそこまで器用じゃないです。一番好きな人が……その……ずっとそばにいてくれるだけで、充分幸せですから」
エルフリーデがふいと横をむいた。そして
「もう、ちっとも上手いこと言えないのに、こんな時ばっかり……本当に……」
トーマに聞こえない小声でつぶやく。そして手を伸ばし、ジャケットにそっと触れた。
「でも、あなたとここに来られて良かった。ずっと前から来たいと思ってた場所だったから。ねえトーマ、私は――」
「お嬢さま、お話のところ、大変失礼します」
二人が気がついた時には、目の前にクラリスとアディが立っていた。いったい、いつ中庭に入ってきたのか。
クラリスは相変わらずの仏頂面で、アディの方は笑いをかみ殺した表情だ。
エルフリーデは涼しい顔でジャケットに触れていた手を引っ込め、トーマは一歩、エルフリーデから離れた。
「いやー、お取り込み中のところごめんごめん。だけどさ、ボクはあとでもいいって言ったんだけど、クラリスがどうしてもって」
「アディ、余計なこと言わない」
クラリスに睨まれ、アディは苦笑する。
「ところでいい宿だろ、ここ。気に入ってもらえて嬉しいよ。そういえば、フリーデ、はじめ誰か分からなかったよ。そのドレス、すごく似合ってる。本当に素敵だ」
「ありがとうアディ。どれくらい素敵かしら」
「そうだね。普段の君が、太陽の下で輝く赤いバラだとしたら、今日の君は月の光に照らされた白い芍薬かな。なんだかとても大人っぽくて、どこか神秘的だな」
エルフリーデは満足気な表情でトーマを見上げた。
「アディは人を褒める天才ね。トーマ、お前も見習いなさいな」
「いやあ、さすがにレベルが高すぎます」
* * *
カルタリア皇国の南東に位置する古都ミッテ。
以前は王が統治する小国として栄えたが、百年前の大厄災の際、王族が我先にと逃げ出してしまい、長らく空位が続いた。
王の不在は混乱をもたらし、それを憂えた民の願いにより、カルタリア領に併合されたという経緯がある。
古くから東と南の交易ルートが交差する街であり、市場と宿の多さはほかの比ではない。
異教の寺院が多いのもこの街の特徴で、財を成した商人たちが、資金を出し合って豪華な寺院を建てた。
摩尼寺や拝火教の礼拝所、太陽神を祀る祠。《大厄災》のときに破壊されたものもあったが、今では元の姿を取り戻し、訪れる旅人たちの安らぎの場となっている。
そして中央市場は大陸有数の賑わいを誇り、ここに来れば、世界中のものが手に入るとまで言われていた。
例えば、シギリヤの粒の揃った真珠や紅蘭民の絹織物。
南の王国《赭岸》の戦士がつけるという象牙の仮面。
海の向こうの貴重な香木や香辛料。珍しい動物の毛皮に、古い墓から失敬したらしい副葬品まで。
それらが真贋の区別なく店先に並んでいる様は、王都ではなかなかお目にかかれない光景だ。
ただし。
治安の悪さも有名で、掏摸やひったくりは日常茶飯事。市場でも雑多な区画には、必ず縄張りを束ねる元締がいる。
いまのミッテは二大勢力が裏の世界を束ねており、ひとつは老ラーイドが長を務める《鷹》。もうひとつはまだ若いカガンが率いる《蠍》。
「こういった手合いには、関わらないのが一番だ。最近、この二つの仲はかなり険悪らしいからね。ずっとお互いの勢力には不干渉の不文律があって、まあ比較的平和ではあったんだけど」
「なにかあったの?」
「去年、《蠍》の長だったサダムが急死してね。若頭を務めていたカガンがあと目を継いだんだけど、彼はなかなかの強硬派らしい。少しでも勢力を広げたくて、あわよくば全てを手中に収めようとしている」
「それは随分と強欲なこと――だ」
クラリスが嫌悪を露わにして言った。
「ラーイドは古い仁義を重んじる、ならず者とはいえ、なかなかの人物と聞いている」
「そうだよクラリス。でもカガンにはそこが目の上のたんこぶ、古臭い老人の繰り言らしい」
「とりあえず、お嬢さま」
クラリスがエルフリーデに向き合った。
「治安もこの通りですし、なるべく目立つ行動はお控えください。明日の買い物もかならずこの四人で行動して、予定外の行動はアディに判断を仰ぐのが賢明かと」
「分かったわクラリス、心配しないで。そうだわ、二人ともお茶をどうぞ。トーマ、そのカップを」
「おっいいね。タキミ産の薄荷茶、なかなか飲めないから嬉しいなあ」
* * *
情報通のアディにも、取りこぼしたものは当然ある。例えばひと月ほど前、ミッテに現れた二人連れのこと。
明らかに東方人と分かる容貌で、一人は三十くらいの男、もう一人は二十代なかごろの女。
共に眼光鋭く、男の背には槍、女は腰に剣を佩いていた。荒事を生業としているのが明白で、その二人が老ラーイドを訪ねたのには訳がある。
男の名は嘉殷。女の名を珠璃といった。




