古都ミッテ(一)
ミッテに到着したのは、王都ロマネスクを出発してから六日後であった。
合理したセトが案内した宿は、旧市街の小高い場所にある。宿の主人は名をウサーマといい、彼の古い知己であった。
宿はもともと貴族の邸宅で、広さこそアッシェンバッハ邸に劣るが、豪華さでは全く見劣りしない。
エルフリーデが通された部屋は、寝室が三つついた、四人家族なら余裕で住める広さだ。ここにクラリスとアディも泊まることになる。
その隣にあるより狭い従者部屋を、トーマとカートはあてがわれた。それでも二人なら十分過ぎるほどで、簡素ながら掃除が行き届いた、気持ちの良い空間であった。
「いい部屋じゃないか。何にしても、少しばかり腰を落ち着けられるのはいいよな。お前も疲れたろ」
荷を解きながらカートが言った。さすがになれない道の運転が疲れたのだろう。口は軽いが、顔に疲労が見て取れた。
王都を離れたあとは、貴族や領主の屋敷に泊まらせてもらい、大層なもてなしを受けた。エルフリーデはどこへ行っても人気で、美しさと聡明さを賞賛される。
特に都会的なドレスは女性たちの羨望の的で、娘たちは母親に、同じものを仕立てて欲しいとねだるのだった。
「しかしこの街は色んな人間がいるよな。道でお前と同じ、東方人を何人も見たぜ。つまり、ここじゃ、誰もお前さんのことを気にしない。気楽にしろってことだ」
「そうですね。ありがとうございます」
「俺は明日にはここを出るしな。このベッドは空くから好きに使っていいぞ。なんならお嬢さまを引っ張り込んで――」
「もう、からかわないで下さいよ」
いまはカートの軽口が有難かった。珍しい動物を見るような視線には、正直なところうんざりしていたのだ。
王都を出てわかったのは、都会はともかく、田舎へ行けば行くほど東方人への風当たりが強いということだ。
いや東方人だけではない。クラリスにも同様で、二人とも表面上は慇懃な態度を取られるが、彼らの視線には、あからさまな侮蔑の色が浮かんでいた。
クラリスによれば、田舎に行くほど、貴族たちは有色人種を嫌う傾向にあるという。だから、王都の貴族や富裕層に流行っているような、東方人の奴隷をこっそり買うということもない。
――王都の連中にとって、東方人は珍しい嗜好品だが、ここらの貴族にとっては、石の裏に住む虫みたいなものだ。お前だけでなく、私もな。
戸惑うトーマに、そう呟いたクラリスからは表情が消えていた。
おそらく、彼女はこうした状況に慣れているのだ。いや、仕方なく受け入れざるを得ない。
エルフリーデは予め、来訪先に従者たちにも同じ敬意を払って欲しいと釘を指している。だから決して失礼な態度を取られる訳ではない。
しかし、人を人とも思わぬようなあの視線には、受け入れ難いものがあった。
「治安が悪いと聞いていましたが、この辺りはとてもそうは見えませんね」
「金持ちが住む区画だからな。近くに駐在している軍のお偉いさんに金を渡して、警護を頼んでいるんだ。
しかしそうは言っても、夜のひとり歩きはするなよ。夜市は賑やかだが、物騒な連中が歩いてる。くれぐれも、目立つ行動は――」
カートの話を遮るようにノックが聞こえた。入ってきたのはクラリスで、エルフリーデがトーマを呼んでいるらしい。
「俺だけ?」
カートの方を振り返ると向こうはしかめっ面で、シッシッと犬でも追い払うような手つきになった。
「俺は晩飯まで寝てるわ。お気遣いなく」
クラリスに続いて、隣室へ繋がる扉をくぐった。こちらは色とりどりの装飾が目に眩しく、それでいて調和が取れて、どこか気品がある。
壁と床に飾られたのは赤と緑が鮮やかな毛織物で、これは南の特産品だ。
使われているのは、シルヴァ族が育てた毛長山羊の毛である。クラリスの話では、昔は最高級品とされ、紅蘭民王族への献上品にしか使うことを許されなかった。
「どう? この部屋、素敵でしよ」
上機嫌なエルフリーデの姿を見て、息が止まるくらい驚いた。
薄い絹地で仕立てられた上着は、ぴったりと身体の線が出ている。下半身はふんわりと膨らんだパンツで、いくつもの絹地を重ねることで、見る角度で色の濃淡が変わった。
頭には刺繍が宝石のように輝くベールを被り、耳には大ぶりの耳飾りが下がっている。
「どう? 似合ってるかしら」
すまし顔でくるりと回ってみせた。まさにアラビアン・ナイトに出てくるお姫さまだ。いつものドレス姿とは違い、普段は見せない甘やかな色香が漂っている。
顔を赤らめ、言葉に詰まったトーマに、エルフリーデは不服そうな顔をした。
「なによ、褒め言葉のひとつも言えないわけ? お前はなんのために呼ばれたのか分かっているのかしら」
「いえ……その……」
自分の口下手がとことん恨めしい。リチャードならさらりと嫌味なく、歯の浮くような美辞麗句を言ってのけるだろうに。
「まあいいわ。お前にそこまで期待していないもの。それより中庭にいくからお供をしなさい。クラリス、アディが到着したら一緒に中庭へ来て」
「かしこまりました」
そう答えてクラリスは退室したが、去り際の一瞥には、間違いなくトーマへの殺意がこもっていた。
「ほら、なにぼーとっとしてるのよ。ちゃんといつものようにエスコートなさいな」
「は、はい」
扉を開け、厚い絨毯が敷かれた廊下へエルフリーデを通した。一緒に階下へ行くと、宿の主人がにこやかに近づいて、
「中庭はあちらです。ご案内いたしましょう」
先だって歩き始める。主人のいでたちは上下ともに白くゆったりした服装で、頭には白いターバンを巻いていた。拝火教徒が客人をもてなす折りの正装である。
歳はギュンターと同じくらいだろうか。浅黒い肌に豊かな髭を蓄えているが、にこやかながらもどこか鋭い視線が、いかにもやり手の商人らしい。
中庭へ続く大きな扉を下僕に開かせる。背の高い棕櫚の木が噴水を囲むように植えられ、濃い影を作っていた。
庭には他には誰にもおらず、貸切状態だ。
中央には四方を睨む獅子が鎮座し、口から水を勢いよく吹き出させている。
エルフリーデは目を細めた。
「とても涼しいですわ。私の屋敷にも噴水はありますけど、ここだといっそうありがたいですわね」
「この噴水は、ここがまだ王国の首都であったころ、国王より賜りしものだそうです。使われた大理石は、はるか南から運ばせたとか」
「彫刻が素晴らしいですね。やはりここに来て良かったですわ。何もかもが王都とは、全然違うのですもの」
「どうぞこちらの席にお座り下さい。ここが一番風の抜けが良いのですよ。いまお茶をお持ちいたしましょう。薄荷茶を召し上がったことは? 極上のタキミ産のものをご用意しましょう」
「ありがとうございます。でも……」
エルフリーデはいかにも申し訳なさそうな表情をつくり、頭上の葉叢を仰ぎ見た。
「少し一人になって、この涼しさをゆっくり楽しみたいのですが、よろしいかしら。運んでいただいたお茶は、こちらの下僕に給仕させますので」
にっこり。
満月も恥じ入るような極上の笑顔を浮かべた。
「たしかに。ここは一人を楽しむには最適な場所です」
宿の主人は上機嫌な笑みを浮かべる。エルフリーデに微笑みは効果てきめんだったようだ。
「いまお茶を運ばせましょう。では」
二人きりになるとエルフリーデは嬉しそうにトーマを見た。おじゃま虫を追い払えて満足そうである。
「素敵よね。花も緑も王都とは全然違う。フェリックスが見たら、目を輝かせるにちがいないわ。
そうそう、今夜ここで音楽会があるのですって。もちろんお前も一緒に。護衛なんだから当然でしょ。クラリスやアディもいるんだから」
「はあ、でもその、他のお客さんが見たら、辺に思われませんかね。護衛ならクラリスとアディで充分なわけですし」
「そんなの気にしなくていいわよ。今日からしばらく、この宿は貸切なんだから」
「え? か、貸切……!?」




