乗馬訓練(上)
乗馬訓練初日。エルフリーデは厳しい面持ちで、手にした鞭を弄びながらトーマに告げた。
「言っておくけど、訓練内容に文句をつけるのは許さないから。お前が泣こうが喚こうが、私の好きにやらせてもらうからね」
そんな彼女のいでたちといえば。
タイトなシルエットのジャケットに、これまたピッタリと体の線が分かる乗馬パンツ。長い髪は後ろで束ね、頭上に羽飾りのついた帽子を載せている。
いつものレースとフリルたっぷりのお嬢さまスタイルとは違い、エルフリーデのスタイルの良さが一層際立って見える。
おまけに手にした鞭がなんとも刺激的で、うっかりすると新たな扉が開いてしまいそうだ。
顔を赤らめ、無言でうなずくトーマにエルフリーデは鞭を振り上げてみせた。
「そこは黙ってないで、『分かりました、お嬢さま』でしょ?」
「分かりました、お嬢さま」
「ふん、やる気が見られないようなら容赦しないから。特別に私の《ララア》に乗せてあげるのよ、感謝なさい」
鞭が示した先に、立派な体格の牝馬がいる。栗色の体毛が日差しに輝いて、よく手入れされているのがひと目で分かった。
エルフリーデが幼少の頃から可愛がっているそうで、誘拐事件が起こる前は、よく敷地内の端から端を彼女とともに散策していたらしい。
ララアの手網を引いているのはクラリスだ。二人に近づくと
「ララアの方は大丈夫です。いつでも乗れます」
と告げた。
トーマが見上げると、ララアは物珍しそうに見つめ返す。それから黒い瞳を細め、そっと鼻先をトーマの頭に擦り寄せた。
「あら、初対面の相手なのに、珍しいわね」
エルフリーデが優しく頭を撫でた。
「これなら心配ないわね。じゃあ訓練を始めるわよ」
* * *
「えーと、あのお嬢さま……」
「なによ、特訓中なんだから無駄話しないの」
「ですが、えーと、その……」
「なにか不満でも?」
「不満ではないんですが。まさかお嬢さまと二人乗りだと思っていなかったので」
ララアの手網を取るのはエルフリーデ、その背後から両手をまわし、しがみついているのがトーマ。
涼しい表情で馬を歩かせるエルフリーデとは対照的に、トーマの方は下を見てはおののき、エルフリーデにしがみついては顔を赤らめ、なんとも忙しいことである。
トーマにとっては初めての乗馬であったが、思った以上の高さと揺れである。怖いのでエルフリーデにしがみついたものの、どうも困ったことになってしまった。
「当たり前じゃない。大切なララアの手綱を、お前みたいな素人に預けられるわけないでしょ。
初めはこうやって、馬の高さと揺れになれることが大切なの。私も初めは、お父さまにこうして二人乗りしてもらったわ」
「はあ……けっこう揺れるんですね。えーと……」
「ちょっと、ちゃんとつかまらないと危ないわよ。だいたい、なんで後ろの方に下がるのよ」
「いや……その……」
トーマが言い淀んだのにはもちろん理由がある。これだけぴったりと密着しているのだ。
そこはやはりトーマも一人の健康的な男子であり、己の正直な肉体的反応に困り果てているのであった。
「今は常歩だからいいけど、そんなんじゃ、少しスピードを上げたら直ぐに振り落とされちゃうんだから。こんなふうに」
エルフリーデが駆け足を速める。とっさにしがみついたトーマの身体がきつくエルフリーデに密着した。背後の感触に違和感を覚えたのか
「ちょっとトーマ……なにか……」
馬の速度を落とし、左手で《それ》を探り当てると、慌てて引っ込めた。
「トーマ……もしかして……」
エルフリーデのかわいた声が訊ねる。
「お、お前、これって……まさか……」
「いえ、その……えーと……」
「いやあああああああ!!! トーマの変態!」
叫び声に驚いたララアが全速力で走り出す。
「ちょちょちょっ! は、は、速い、速すぎますよ!」
「トーマのバカバカバカバカ! くっつかないで! あとそれ、今すぐに捨てて!」
「そんな、むりむりむりむりっ!!!」
「触っちゃったのよ! もうお嫁に行けないっ! どうするのよ、明日目が覚めたら、私がその形に……」
「んなわけないだろーっ! っていうか前見ろ! まえーっ!」
* * *
「なんじゃあやつら、ずいぶん張り切っておるのお」
馬場を眺める小高い草むら。待機するのはクラリスと莫耶だ。
ララアの瞬足ぶりに感心した莫耶が、ワイングラスを傾け、にしんとオリーブのつまみを口にする。形の良い切れ長の目を細め、満足げにうなずいた。
「なんとも、このオリーブとやらは実に酒に合う。ところでお主は食さぬのか、クラリス」
「こっちは仕事中なんだ」
問われたクラリスは視線を動かさずに答える。手には連射式のクロスボウ、万が一、エルフリーデを狙う刺客が現れた時のためだった。
「ところで莫耶、セトとアディをどう思った?」
「ふむ。あの二人、巧みに隠しておったが相当高い魔力の持ち主じゃな。ローゼンクロイツの末裔とのことだが、《協会》はそれを知っておるのか」
「分からない。ローゼンクロイツ家は絶えたことになっていて、家柄自体《前世紀の遺物》の扱いをされている。学院は唯一名前が残されたものの、いつ消されてもおかしくない」
「ふうむ。《協会》から逃れるため、ゲルド族に紛れ込んで血筋を存続させたのか。皇国の理から自由な彼らなら、たしかに格好の隠れ蓑かもしれん」
「んー、それはちょっと違うかな」
背後を振り返った莫耶とクラリスに、アディは小さく手を振った。黒い麻地のローブをまとっていたが、左手にはめた革製の篭手が二人の目をひいた。
籠手の裏側には小さな金属製の鞘がはめ込まれ、鋭い切っ先が端から覗いている。異国の傭兵が使う武器で、行刺剣と呼ばれていた。
「あれれ? あんまり驚かないね、気配は消したつもりだったんだけどな」
「ふん、さっきから妙な気を感じておったわ」
「そうなんだ。気がつくなんて、さすが伝説の剣《莫耶》だね。いまから一緒に旅をするのが楽しみだよ」
莫耶のつまみにすばやく手を伸ばし、ニシンを口にほうり込む。
「うん、やっぱり、ここのお屋敷はなにを食べても美味しいな。ボクの数少ない人生の楽しみさ」
「は、そのような禁欲的な性格には見えんがの」
「誤解されやすいんだボク。クラリスなんか、まだ信用してくれなくてさ。そこそこ付き合いも長いのに、正直悲しいよ」
大げさにため息をつき、顔を横に振って見せる。
「長くはない。まだ一年とちょっと。それに、私が信じるのは、ギュンターさまとお嬢さまだけ。あなたとも莫耶とも、馴れ合うつもりはない」
クラリスの突き放すような口調に、今度は莫耶が苦笑を浮かべる番だった。
「そういうことじゃ、お互い苦労するな」
「そうだね、どうやらキミとは気が合いそうだ。それにキミの主、トーマとも親交を深めたいな。それにしてもララアは速いね。ボクもあれくらいいい馬が欲しいんだけど」
「それより用はなに? その左手のものを自慢しに来たとか?」
「うん、その通り。王都の地下工房に修理に出していたのが、ようやく出来上がってね。王都はいい職人がいて助かるよ」
アディが左手を握ると同時に、鋭利な刃が篭手の鞘から飛び出した。長さもクラリスが使う短剣ほどはあり、それなりの遣い手であれば充分に戦える。
「前より出方がずっと速くなった。なかの部品も交換してもらって、軽くなったしね」
「ほう、行刺剣か。それにしても旅商にしてはいささか物騒な代物じゃな」
「道中なにがあるか分からないからね。自分の身は自分で守るんだ。護衛を雇う必要も無いから、節約にもなる。
吝嗇なゲルド族らしいだろ? もっとも、こっちはいざという時のためで、いつもは別の剣を使ってるけど」
鞘の付け根にある円形の金属板を押すと、刃が瞬時に引っ込んだ。莫耶にもクラリスにも仕組みが分からぬが、かなり精巧な造りであるのは間違いない。




