過酷な旅路
「それにしても、お前にしちゃずいぶんと思い切った事を言ったもんだな。らしくないと言えばそれまでだけどよ」
リチャードはそう言って腕を組んだ。
「アディとトーマはともかく、エルフリーデまで動いて体を張ろうってんだ。親父たちおっさん連中も、いよいよ本気にならざるを得ないってことか」
穿った指摘にフェリックスはあえて返答しなかった。無言がなによりの肯定であることを、この聡明な幼なじみは知っているのだから。
物憂げな視線を談話室の外、光降り注ぐ中庭へとやった。
地下聖堂での会合から半日が過ぎている。ローゼンクロイツ学院は明日から夏季休暇に入り、寮生も一人残らず帰省していた。いつもは姦しい談話室も廊下も、がらんとした静けさに包まれている。
談話室にいるのはフェリックスとリチャード、エルフリーデとトーマ、クラリスの五人。この場所をフェリックスが選んだのは、魔法による盗聴を避けるためだ。
答えないフェリックスのかわりに、エルフリーデが口を開いた。
「実際、これまでは地道な情報収集と、人脈作りが主な活動内容だったものね。《協会》に対して、具体的な行動を起こしたわけじゃない。
でもそれらが無駄だった訳じゃないわ。まいた種がいよいよ芽吹くときが来た――ということね」
「しかし、本当に彼らが言ったことを信用していいのでしょうか」
遠慮がちにクラリスが尋ねた。
「ゲルド族の記憶にあった《秘密の抜け道》。それが本当なら、たしかに軍の監視には引っかからずに城に入れますが」
「だけどよ、今はその情報に頼るしか手はないしな。セトとアディが《協会》に与する理由も見当たらねーし」
リチャードの返答を聞きながら、トーマはこの旅の経路について考えていた。
グダニスク城は王都より北端、人里離れた崖上にそびえ立つ。すぐ北側は冷たい海、東は断崖絶壁であり、城に行く道は南側につくられた隧道のみ。この堅牢さから、古くは東を守る要とされていた。
しかしゲルド族の記憶によれば、北の海から入れる秘密の抜け穴があるのだという。波が荒く、普段は船で近づくことなどとうてい叶わぬが、潮がひいたときは嘘のように穏やかになる。そして引き潮の時だけ現れる入口があり、それは魔法で封じられているのだと。
かつては敵の目をかいくぐって兵糧を運び込むための抜け穴だったらしい。ところが、国境がより東にうつり城の役目が終わると、代々の城主による密貿易に使われた。
北の海は荒いが船が速い。そのため、東から運んだ高級品の輸送船が行き交っていた。それを狙う海賊が現れるのは必然なのだが、驚くべきはグダニスク城主が海賊を雇い、輸送船を襲わせ、それらをゲルド族の商人に高値で売りさばかせていたという事実だ。
グダニスク城の城主は代々錬金術師で、研究にかかる莫大な資金が必要だった。それ故の蛮行であったが、家系が途絶え、城がべドガーによって閉ざされた今となっては、その事実を知るのはゲルド族でも一部の人間である。
その盗品を運び込ませた秘密の入口から侵入を図る――それがセトとアディからもたらされた情報を吟味し、フェリックスが考えた秘策であった。
危険な任務には間違いないが、正面切って軍と対峙するよりははるかに安全だ。もっとも、そこにたどり着くまでが難儀であったが。
秘密の入口は潮が引いた時だけ現れる。そこにたどり着くには、どこかの港で船を用意しなくてはいけない。
幸いにも、グダニスク城からはるか東のニダという小さな港町に、ゲルド族がよく使う船宿がある。漁師である主人に頼めば、引き受けてくれるとセトは言っていた。
問題はそのニダに行くまでの経路だ。
グダニスク城の東側には草木もまばらな山岳地帯が広がり、さらに東へ行くと砂漠が広がっている。荒地を南へ下るとクラリスの故郷、シルヴァ族が住むナオト自治区、そこから東の荒地を越えれば大きな街へたどり着くが、国境戦のあとも軍隊が常駐して、近くを通ることはできれば避けたかった。
ならば経路はひとつしかない。
砂漠の東端、南北にわたって伸びる干河を北上し、そこから険しい岩山を東へと抜けて、ニダへと続く街道へ出る。
干河は雨季には水を湛えているが、乾季は細い流れがかろうじて砂の河底を這うように流れている。一見歩くのに問題なさそうだが、注意深く見なければ分からぬ穴があちこちに空いていた。
足を取られ、運が悪いとそのまま穴に引きずり込まれることも度々で、その穴がいったいどこに続いているのか誰も知らない。
旅慣れたゲルド族すら干河を渡るときは、必ずシルヴァ族の案内人を複数名つけるという。
「シルヴァ族の協力がないと干河は無事に渡れないんだよな」
トーマが言うと、クラリスは仏頂面で答えた。
「それならば問題はない。父は皇国とギュンターさまに大恩がある。協力は惜しまないだろう。叔父も長である父の命には逆らえないはずだ」
クラリスはそう言って口元を引き締めた。ようやく独立を果たしたというのに、内輪で揉めている故郷を考えると気が重い。 とくに叔父はシルヴァ族の完全独立を父に要求し、カルタリア皇国を快く思っていなかった。
叔父いわく、
――飼い主が紅蘭民から皇国になっただけ
らしい。だからギュンターと個人的な交友のある父のことも、クラリスのことも嫌っている。
しかしそんな身内のゴタゴタに周囲を巻き込みたくない。特にエルフリーデを危険に晒すことだけは許されないし、どんな手間を踏んでも、彼女が安全にグダニスク城までたどり着くことが最優先だった。
「よし、じゃあひとまず整理と確認だ」
リチャードが懐から出した地図を床に広げる。
「出発は一週間後。エルフリーデたちはクラリスの故郷へ旅行するという名目で、ナオト自治区に向けて出発する。ミッテまではカートが運転する車で、ミッテでセトとアディに合流し、そこから東へは馬で」
全員の視線がリチャードの指先へと集中した。
ミッテは王都ロマネスクよりはるか南東にあり、東は峻険な山々が連なる山岳地帯へと続く。この山岳地帯が三年前までは紅蘭民との国境で、国境戦ではクラリスたちによるゲリラ戦の舞台となり、ふもとには正規軍の前線基地があった。
ミッテは市街戦は免れたものの、死傷者たちで病院が溢れかえり、戦後は行き場をなくした東からの難民で治安が悪化している。
山と山の間を縫うように続く道を東に進めば、ナオト自治区へと入る。ここからは馬は使えないから徒歩で進むしかない。クラリスの先導で自治区最大の集落・ナザレへと向かい、彼女の父親に会う。
セトの話では着くには早くても一週間はかかるとのことだ。
「こう見ると、けっこう遠いんですね」
「あらトーマ、出発前からもう弱気? そんなに馬に乗るのが怖いのかしら」
「それだけじゃないですけど」
トーマは内心ため息をついた。この旅に関しては懸念ばかりなのだ。
まずミッテの治安がすこぶる良くない。フェリックスからは、皇国内で一二を争う悪さと聞いている。
一年前、食料を求めた市民たちが基地に押しかけ、軍と一触即発の状態となった。倉庫を解放し、備蓄を分け与えたことで騒ぎは収まったが、戦争が終わって役目を終えた基地に、軍はなんの未練もなかったらしい。
基地はまもなく放棄され、もぬけの殻となった建物には、住処のない難民が住みついた。
それでも人口問題の解決にはほど遠い。警察が目を光らせても治安の悪さは回復せず、お嬢さま育ちのエルフリーデが行くような場所ではない。
セトの知人が営む旅宿に泊まることになっているが、急激な人口増加で地下水が枯れかかり、風呂に入るのもままならないという。
おまけに山中では慣れない馬に乗り、夜は野営をしなくてはならず、当然ながらトイレもない。この季節だから虫だっていっぱい出るだろう。
もともとアウトドアが好きではないトーマにとって、気が重くなるようなことばかりだった。
一方、そんな状況にもかかわらず、エルフリーデのほうはずいぶんとやる気である。山中の野営に関してもまったく嫌ではないらしい。
「お嬢さまは平気なんですか、その、虫とか」
「当たり前じゃない。お前が繊細すぎるのよ。剣を振りまわしているくせに虫が嫌いなんて」
「まあまあフリーデ。トーマは記憶をなくしてるんだろ。案外ものすげー箱入り息子かもしれねえよな」
「ふん、お前は私を守るのが仕事なんだから、虫ごときで怖気づかれても困るのよ。しっかりしてよね」
「はい」
首をすくめたトーマに、フェリックスが笑みを浮かべた。
「君は本当に不思議な人だな。あれだけ強いのに虫が嫌いとは意外だよ。そうだ、餞別として良く効く虫除けの膏薬を贈るよ。秘伝の調合で、虫が全く寄ってこない。山に入る前に塗るといい」
「本当ですか、ありがとうございます。助かります」
「そのかわり、エルフリーデを頼む。なにがあっても彼女を守ってくれ。パシャから守ってくれた君に言うのも、厚かましいと分かっているが」
フェリックスの瞳がどこか悲しげな色を帯びていた。
立場が許されるなら、危険をかえりみず、率先して旅に同行しただろう。しかし彼は皇太子という身分で、なにより《協会》の目を王都に引き付ける役目があった。
ミッテの治安の悪さも、干河を北上する過酷さも、フェリックスは充分に承知していた。三人が無事に王都に戻れる保証もない。
それでも彼らに、勅令を必ず持ち帰れと命じなければならなかった。生きて帰るのは一人でいいと。心優しい皇太子には辛い役目だろう。
「大丈夫ですよ。俺に任せてください」
トーマは拳で己の胸を叩いてみせた。
「それに俺だけじゃない。莫耶にクラリス、セトとアディもいます。大舟に乗ったつもりで……」
「言っておくけど、この旅でいちばん頼りにならないのはお前なんだから」
呆れた表情でエルフリーデが腕を組んだ。
「まずは乗馬ね。馬に乗れないなんて話にならないわ。一週間で乗りこなせるよう、私がみっちりと仕込んであげる。覚悟することね」




