三人の鍵
さざ波のように動揺が広がった。
彼らの精神的支柱であるベドガーの名を出されては、さすがに無視は出来ない。このアディという娘が口からでまかせを言っているのでなければ、たしかにこれは重大な情報であった。
「では聞こう、そもそもベドガーからの情報はいかにしてもたらされたのかね。アディ・ローゼンクロイツ」
誰もが思った疑問をぶつけたのはフルブライト氏だ。大商会の会長で、両親から受け継いだ小さな店を才覚ひとつで大きくした。
「それには私から補足の説明があります」
挙手をしたのはエルフリーデだ。そして片手に抱えた古びたノートを掲げ、彼らに説明を始める。
この古びたノートが、封印された北塔で見つかったこと。おそらく《大厄災》当時の当主であった、ヴィルヘルムのものであろうこと。
ノートにはなにも書かれておらず、白紙であったこと。
しかし一週間前、突如として魔導術式と見られる円陣がページに浮かび上がったこと。
「それがこちらです」
エルフリーデがノートを開いて見せた。
ページの片面いっぱいを埋めているのは、たしかに魔導術式円陣である。魔法文字と記号が、複雑に絡み合いながら描き込まれていた。素人がみてもかなり高度な魔導円陣であることが分かる。
皆が席をたち、ノートをよく見ようと前方へ詰め寄った。そのとき、アディと呼ばれた少女が右手をノートへかざす。
「な?」
彼らが訝しんだのと、かざした右手がまばゆい光を放ったのが同時だった。魔導円陣が手の甲に光の刻印となって浮かび上がり、部屋をまばゆさで満たしていく。
強い光に耐えられず目を閉じる。
そして彼らは見た。
目の前に男が二人。一人はまだ若く、一人は老人だ。
老人の顔に誰もが我が目を疑う。皇国の人間なら、小さい時から絵本で彼の顔は見慣れている。大賢者、ヨハン・フリードリヒ・ヴォルフガング・ベドガーその人を。
若い方は身なりとギュンターに似た面差しから、おそらくヴィルヘルムだろう。手にした丸めた羊皮紙を差し出し、告げた。
――これを先生に。貴方しか預けられる人はいません。
――しかし、思い切ったことをしたものよ。下手をすれば国家的犯罪だが。
ベドガーの言葉にヴィルヘルムは苦笑を浮かべた。
――《大厄災》の混乱が収まらぬ今しか、チャンスはありませんでした。貴方はまもなくグダニスク城へと送られる。表向きは北の地で静養という名目ですが、実際は《協会》からの追放で、おそらく二度とお目にはかかれないでしょう。
今度はベドガーが苦笑を浮かべる番だった。
――ふん、隠居はわしから申し出たことだ。追放と呼ばれるのはいささか心外だな。
――ケンペレンが裏切らなければ、あなたが隠居を申し出る必要もなかった。そうでしょう。《協会》はこれからますます力を増して、政治に介入してくる。先生の意に反して。残念です。
――で、この隠居にこれを託すというわけか。《カルタゴの勅令》、よくあの厳重な封印をとけたものよ。
――私が盗まなければ、いずれ《協会》によって破棄されるものです。なんとしても守らなければ。幸いなことに、封印はかなり弱っていました。私でも解除できたくらいに。おそらく彼女のせいではないかと。
二人の間に気まずい沈黙が流れた。
互いに喉元まで出かかった言葉をせき止め、言葉にならない感情が複雑に絡み合っている。
――そうであろうな。ではこれは、いずれ必要になる時までわしが預かることにしよう。そんな時が来なければ良いのだが。
沈黙を破ったのはベドガーの方だった。ヴィルヘルムは師の言葉に、暗い表情で顔を横に振る。
――このまま《協会》が発言力を増していけば、いずれ魔術の軍事利用も考えられますよ。そうなれば……。
幻が消え、一同が我に返った。
「なんとも、これは……」
首元のタイをゆるめながら、ウィンター伯爵が呆然とつぶやいた。
「夢ではない。はっきりとこの目で見た」
「私もだ。間違いなくそこにベドガーが」
「しかしいったいどういうことだ。これがあの魔導円陣の力なのか」
興奮収まらぬ表情の一同に、アディが告げた。
「仰るとおりです。この魔導円陣は私のなかに眠る記憶を呼び起こし、それをここに居る皆さまに見せるためのもの。魔法としてはとても高度な術式で、よほどの知識と実力がなければ記すことは出来ないでしょう。
この記憶はおそらく、わが祖にしてベドガーの弟子、エミリア・ローゼンクロイツのもの。それをベドガーは鍵として、この魔導術式を組み立てた」
「つまり、ベドガーがいずれあんたがこれを使う日を想定して、そのノートに魔導円陣を仕込んでおいたと」
「その通りだ」
フェリックスが口を開いた。
「これはベドガーとヴィルヘルムから我々への伝言だ。《カルタゴの勅令》はベドガーの幽閉先グダニスク城にある。なんとしてもこれを手に入れなければ。我々の大義を皆に知らしめるために」
「しかし、グダニスク城は《協会》によって厳重な警備体勢がしかれ、誰も中に入ることはできないのでは?」
「《協会》が血眼になって探して、もうとっくに見つけている可能性は?」
至極もっともな疑問だった。口を開いたのはそれまで無言だったセム・ローゼンクロイツである。穏やかだが鋭さを孕んだ口調で
「皆さんは疑問に思ったことはありませんかね。なぜ《協会》がこれほどまでグダニスク城の周囲を厳重に警備させているか」
と皆に尋ねた。
「それは……彼の残した研究の成果を盗もうとする、ならず者が多いと聞いていますが」
小説家のユージンがそう言ってから、何かに気づいた表情になる。
「いや、たしかにおかしいですね。それなら盗賊避けの魔法を城のあちこちにかけておけば良いだけのこと。《協会》の魔法使いならお手のものでしょう。なのに、なぜ……」
「それに、重大な研究成果を奴らがそのままにしておくとも思えん。使えるものは全て持ち去っているはずだ」
ロベルト・フランク医師がうなずいてセトを見つめる。
「もしかして、《協会》は城に入れないのではないかね。彼らは城を魔法で封じてベドガーを幽閉した。しかし、彼の死後、その魔法が解除出来ずにいる。解除出来なくなったのは、もちろんベドガーの仕業だ。どうだろう、私の考えは当たっているかね」
「慧眼恐れ入ります」
セトが口元に薄い笑みを浮かべた。
「つまり《協会》が城の周囲を固めているのは、その事実をごまかすため――《カルタゴの勅令》がそこに隠されているのなら、私たちにまだ勝機はある」
そう言ってエルフリーデはトーマの方を垣間見た。
――そうよねトーマ。
無言のうちに問われ、トーマはうなずく。先ほどから彼女が右手のひらを握りしめているのが分かっていた。出来ればその手を両手で優しく包んでやりたいが、さすがにクラリスに怒られるに決まってる。
「しかし、城の警備が固いという事実には変わりない。それに《協会》ですら破れない城の封じ魔法を、どうやって解除するつもりかね」
「いえ、おそらく道筋はすでに示されています。私たちがいま見た幻のなかに」
ユージンに視線が集中すると、彼は顔を赤らめた。
「ベドガーの墓を封じていた魔法も、トーマ君によって解除された。城もそれと同じことではないでしょうか。鍵となる人間がいる。
つまり、ベドガーからの伝言はもうひとつあるということです。幻にでていた人間は三人。ヴィルヘルム、ベドガー、そしてローゼンクロイツ。これが封じ魔法を解く鍵と、私には思えたのです。正確には、彼らの後継者の三人が。その……私の考えすぎかもしれないのですが」
「だとすると……」
「ユージンさまの考えるとおりです」
エルフリーデが一歩前へと進んだ。
「ヴィルヘルムの後継である私、そしてローゼンクロイツはアディ、ベドガーは《継承者》であるトーマ。私たちがグダニスク城へとおもむき、《カルタゴの勅令》を王都へ持ち帰ります」
「そんな、無謀すぎる! アディとトーマはともかく、エルフリーデ、あなたまで」
「三人が鍵だという確証はないのだろう。もし無駄足なら」
「なんでも城には常時、二機の魔導装甲が周囲の警戒にあたっているということです。エルフリーデ、もし貴方の身になにかあったら、アッシェンバッハ公爵家は」
「エルフリーデに言っても無駄だ。なぜなら私が彼女に命じた」
水を打ったような静けさがあたりに落ちた。
悲痛な覚悟を決めたものの表情で、フェリックスは淡々と言葉を継ぐ。
「昨日、アディとエルフリーデに同じ光景を見せられた。そしてユージンと同じ結論を導き出した。だから三人に命じたのだ。グダニスク城に行き、封印を解いて勅令を探し出して持ち帰れと。
これは皇太子、王位継承者としての絶対命令だ。逃げることは許されぬ。三人のうち、誰かが勅令を持ち帰ればそれでいい。一人が生きて帰れば目的は達成される。あとの二人の生死は問わない」




