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悪の剣  作者: Dai
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木の刃

朝。

橋の下には静かな風が流れていた。

侍は一人で座っている。

昨夜の男の言葉が頭から離れない。

――誰を斬る?

侍は目を閉じる。

戦乱の時代なら答えは簡単だった。

悪人を斬る。

それで終わりだった。

だが今は違う。

一人を倒しても、また現れる。

斬っても終わらない。

答えはまだ見つからない。

そのときだった。

「おーい!」

聞き慣れた声が響く。

ユウキが橋の下へ駆けてきた。

手には長い布に包まれたものを抱えている。

「持ってきたぞ!」

侍は視線を向ける。

ユウキが布を外した。

現れたのは一本の木刀だった。

侍はそれを見ると、少し目を細めた。

「木刀か」

ユウキは少し驚く。

「知ってるんだな」

侍は木刀を手に取った。

軽く振る。

風を切る音が橋の下に響く。

その動きは自然だった。

長年使い慣れた者の動き。

「剣術の鍛錬で使うものだ」

ユウキは少し安心したように笑う。

「なら話が早い」

だが侍は木刀を見つめたまま言った。

「使えぬ」

「なんで?」

「斬れぬからだ」

ユウキは首を振る。

「だからだよ」

侍が顔を上げる。

ユウキは真っ直ぐ言った。

「斬らなくていい」

沈黙。

橋の下を風が吹き抜ける。

「悪人でもさ」

ユウキは続けた。

「死んだら終わりじゃん」

侍は黙る。

「でも生きてれば捕まるかもしれない」

「反省するかもしれない」

侍は空を見る。

「甘いな」

ユウキは苦笑した。

「そうかもな」

少し間を置く。

「でも試すくらいはいいだろ」

侍は木刀を見る。

昨夜の問いが頭をよぎる。

――誰を斬る?

そして静かに木刀を受け取った。

「……一度だけだ」

ユウキの顔が明るくなる。

「よし!」

その日の夕方。

商店街の外れ。

人だかりができていた。

怒鳴り声が聞こえる。

若い男たちが老人を囲んでいた。

財布を奪おうとしているのは明らかだった。

ユウキが顔をしかめる。

「またかよ……」

侍は何も言わず歩き出す。

男の一人が振り返った。

「あ?」

もう一人が笑う。

「なんだよ、その棒」

侍は木刀を構える。

男たちは大笑いした。

「時代劇かよ!」

次の瞬間だった。

乾いた音が響く。

一人目の手首。

二人目の脇腹。

三人目の足。

流れるような動き。

男たちは次々と地面へ崩れ落ちる。

誰も死んでいない。

誰も大怪我をしていない。

だが立ち上がれない。

完全に制圧されていた。

静寂。

老人が震える声で言う。

「た、助かった……」

侍は何も答えない。

ただ木刀を見つめていた。

血はついていない。

それでも戦いは終わっている。

ユウキも木刀を見ていた。

「やれたじゃん」

侍は答えなかった。

夜。

橋の下。

いつもの場所。

ユウキは缶ジュースを飲みながら空を見上げていた。

侍は少し離れた場所に座っている。

その横には刀。

そして木刀。

二つが並んでいた。

しばらく沈黙が続く。

やがてユウキが口を開く。

「結局どうだった?」

侍は木刀を見る。

昼間の光景が頭をよぎる。

倒れた男たち。

怯えていた老人。

そして血の流れていない地面。

長い沈黙。

やがて静かに言った。

「止めることはできた」

ユウキが少し笑う。

「だろ?」

侍は刀を見る。

長い年月を共にしてきた刃。

数え切れない命を奪ってきた剣。

そして木刀を見る。

人を斬ることのできない刃。

風が吹く。

木刀が小さく揺れた。

ユウキが言う。

「じゃあこれからも木刀?」

侍はしばらく答えなかった。

月明かりが木刀を照らしている。

やがて静かに立ち上がった。

刀を手に取る。

そして布で丁寧に包む。

ユウキが首を傾げる。

「どうした?」

侍は短く答えた。

「決めた」

木刀を手に取る。

そして静かに言った。

「約束しよう」

ユウキが目を丸くする。

侍は前を向いたまま続けた。

「少年、お前がいる限り」

「俺は木刀で戦う」

ユウキは少し照れくさそうに笑った。

「それ、約束だからな」

侍は何も言わない。

だが否定もしなかった。

そして続ける。

「斬るべきか迷うなら」

「まず止める」

「それで足りぬ時だけ考える」

その言葉は誰かへの宣言ではなかった。

侍自身への誓いだった。

橋の上を車が走り抜ける。

夜風が吹く。

侍は木刀を横に置いた。

その隣には、布に包まれた刀。

かつての自分。

そして今の自分。

月明かりが二つを照らしていた。

答えはまだ見つからない。

だが――

進むべき道は、確かに見え始めていた。

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