影の裁き
「悪は斬る」
それしか知らない侍が、現代のいじめを目にしたら――。
第2話です。
第2話
朝。
学校近くの路地は、まだ冷たい空気に包まれていた。
夜の熱が完全に抜けきらないまま、薄く濁った静けさだけが残っている。
ユウキは一人で歩いている。
靴音がやけに響く。
昨日の夜のことが、頭から離れない。
あの男。
包帯だらけの顔。
橋の下の暗い空気。
(あの人……まだいるのかな)
そんなことを考えながら歩いていた、そのときだった。
「おい」
背後から声が飛ぶ。
ユウキは足を止める。
「おい、昨日どこ行ってた?」
いじめっ子Aの声。
少し遅れて、笑い混じりの声。
「変なホームレスと一緒にいたろ」
「ホームレスなんか助けてんじゃねーよ」
「お前もああなりたいのか?」
いじめっ子B。
ユウキは振り向かない。
一瞬、間が空く。
「……関係ない」
その声は小さいが、はっきりしていた。
だが次の瞬間、肩を押される。
体が揺れる。
靴がずれる。
笑い声。
軽い。
だからこそ、重かった。
同時刻 ― 橋の下
侍は目を開けていた。
ほとんど眠れていない。
いや、眠るという感覚そのものが薄れている。
ただ、刀を見つめている。
布に包まれたそれは、静かすぎるほど静かだった。
(この世は……おかしなものだ)
遠くから、かすかな騒がしさ。
風に乗ったような、人の荒い気配。
侍の目がわずかに動く。
路地
ユウキは壁に押し付けられていた。
「金出せよ」
「昨日のやつ誰だよ。言え」
息が詰まる。
「知らない」
声は出るが、弱い。
その直後。
頬に衝撃。
視界が揺れる。
一瞬だけ世界が傾く。
倒れる。
笑い声。
その音が、妙に遠い。
(またか)
そんな思考が、どこか冷めたところで浮かぶ。
その瞬間だった。
路地の入口
“影”が落ちる。
朝の光が届かない場所に、さらに濃い影が差す。
そこに立っていた。
侍。
誰も気づいていない。
足音はほとんどしない。
存在だけが空気を押し分けている。
包帯だらけの顔。
焼けた皮膚。
ゆっくりと歩き出す。
「……そこまでだ」
声は低い。
だが、不思議とよく通る。
いじめっ子たちが振り向く。
「なんだよおっさん」
侍は止まらない。
距離を詰める。
一歩ごとに、空気がわずかに重くなる。
「その手を離せ」
「やる気か?」
男たちは笑う。
だが、その笑いは少しだけ揺れている。
侍は一度だけ周囲を見る。
逃げ道。
人数。
距離。
そして短く言う。
「三人か」
「は?」
次の瞬間。
空気が変わる。
“戦い”ではない。
“制圧”だった。
一撃。
鈍い音。
いじめっ子Aの体が壁に叩きつけられる。
息が詰まる音。
続けてもう一人。
動きは速いが、暴力的ではない。
ただ確実に“動けなくしている”。
最後の一人が固まる。
そして、逃げた。
足音が遠ざかる。
侍は追わない。
ただ、その背中を見ている。
「弱き者を寄ってたかって食う者は……」
言葉が落ちる。
目が冷える。
「生かしておく価値はない」
「やめて……!」
ユウキの声が遅れて届く。
侍の動きが止まる。
静寂。
ユウキは息を荒くしながら立ち上がる。
「やりすぎだよ」
侍はわずかに首を傾ける。
「やりすぎ?」
「では、殴られるだけでよいのか」
ユウキは言葉に詰まる。
「そういう話じゃなくて……!」
侍の目が細くなる。
「この町は……甘いな」
夕方 ― 橋の下
空は少しだけ色を変えていた。
侍とユウキは並んで座っている。
沈黙は重くも軽くもない。
ただ“考えるための間”のようだった。
ユウキは新しい包帯を取り出す。
「ほら、交換」
「まだ使える」
「ダメ」
即答だった。
「汚いから」
侍は少しだけ黙る。
「戦場なら問題ない」
「ここ戦場じゃない!」
ユウキは少し強く言う。
侍はしぶしぶ包帯を外す。
ユウキが巻き直す。
その手つきは意外と丁寧だ。
「じっとしてて」
侍は珍しく従う。
「ねえ」
ユウキが言う。
「何だ」
「ほんとに昔からそんな強いの?」
「身体が丈夫だからな」
「それ説明になってない」
侍は淡々と続ける。
「それで十分だ」
ユウキは小さく息を吐く。
やがて包帯が終わる。
「はい、終了」
「礼を言う」
「珍しいじゃん」
「これが作法だ」
侍は立ち上がる。
「弱き者を守るのは当然だ」
「やりすぎなんだって」
「では、殴られるだけでよいのか」
「だからそういう話じゃない!」
気まずい沈黙。
風が橋の下を抜ける。
どこか遠くで車の音。
日常の音だけが、異様に普通だった。
侍は空を見たまま続ける。
「昔なら、あの者たちは即刻斬っていた」
ユウキは少し黙る。
「だからやりすぎなんだって」
侍は理解できない顔をする。
「ならば、この時代では悪が生き残るのか」
「そういうもんだよ」
その言葉が、少しだけ重く落ちる。
遠くでパトカーの音。
侍が顔を上げる。
「また鉄の獣か」
「警察……来たらまずい」
侍は刀を見る。
布に包まれたままのそれ。
(この時代には……正しさがないのか)
手が柄に触れる。
ユウキが気づく。
「それ、絶対使うなよ」
侍は答えない。
少し間を置いて。
「……考えておく」




