7-3話 物語部の歴史の、長いけれどわかりやすい説明
というわけで、私たち物語部員は、過去ざっと60年分ほどの卒業記念アルバムと、何冊かのわが高校の創立○周年記念アルバムを整理してみることになった。
樋浦清と一緒にドラッグストア兼DIYショップの店へ行った年野夜見は消臭剤および大量の軍手とマスクと雑巾を手に入れ、私はとなりの図書室の担当者から、あとで洗って返すという条件で蔵書整理に使う、なんか司書か書店員みたいなエプロンを3枚だけ借り、部室の中は人工のバラの香りで何週間も満たされることになった。その香りはアルバムに染みこみ、また何年後かに、卒業アルバムがしまってある本棚を見るような人物が現れたとしたら、過去の私たちの偉業に驚異することだろう。
整理がはじまって3日目、ようやく私たち物語部員はだいたい10年ごとにわけられた山(立花備だけ少し担当分が多いのだった)に目を通すことができた。創立○周年記念アルバムは15周年、33周年、55周年の3冊があった。
「なんで35周年じゃないんだよ。部活その他の記録としてはこちらのほうが充実してるか。甲子園出場した年もあるんだけど、それはまだ記念アルバムにはなってないんだな。各種インターハイ、個人の部は名前載ってるし、今は旧校舎になってる建物が新校舎として作られた年もわかるな」と、樋浦遊久は先輩の特権でそちらをまず見はじめた。
卒業アルバムでの、物語部とおぼしきデータは、市川醍醐が個人所蔵として持ち込んだタブレットの表計算アプリに各人が入力し、ついでに物語部とおぼしき人たちの写真の画像も取り込んだ。
「どんどんやっちゃいけないことやってませんか、樋浦姉さん」と、一年生で真面目な立花くんは心配した。
データと画像、それに部室に常備してある食い散らかされた乾き物の包装紙をしおりがわりに挟んだ何冊かの卒業アルバムを見て、この物語の作者が誰なのか知りたくて仕方がない立花備は言った。
「物語部らしいものがある年とない年とがある。ある年には必ずヤマダらしい人物と、千鳥紋先輩らしい人がいて、部員は6人。何なんですかこれは」
部がある年は、昭和29年の次が31年で、その次が37年。そのときの名称は創作文芸&視覚文化研究会。
「テレビが一般家庭にだいぶ普及し、映画だけじゃなくてテレビドラマとかも扱うことにしたのね」
その次は昭和41年と43年。ここでまた名称が変わる。
「高度成長期と学生運動の時代ね。このあたりでうちの高校の制服は廃止になりました。「革命的創作文芸集団」って、いかにも昭和43年っぽいわ」
昭和47年と53年。
「そのときの名称は創作文芸&マンガ研究会ね。漫画じゃなくてマンガって表記は手塚治虫由来よね。1970年代から、漫画の社会的影響力が強くなって、普通の高校でも70年代後半に漫画研究会が作られた時代よね」
ここまで来ればだいたい読者の皆さんもわかってきたんじゃないかと思う。
「次が昭和59と61年、創作文芸&SF&アニメ研究会って…わかりました、千鳥先輩!」と、普段はバカのふりをしているが、一年生の中では一番頭がいい樋浦清が言った。
「これは素数ですね!」
「そうなの。物語部は素数の年だけ存在するのよ。物語部って名前になったのは平成5年。そのときの部員をもう一度見てみて」
「この…ヤマダと千鳥のほかのメンバーって…小さいのは俺で、ショートカットのは年野か?」と、樋浦姉さんは驚いた。
「ほかの3人はともかく、2年生と3年生はそうよね。それは西暦で言うと1993年。西暦・和暦のどちらも素数のときにはそうなるの」
「…なるほど、昭和の時代にはどちらも素数の年はなかったんで、年野夜見さんと樋浦姉さんは出てこなかったんですね」と、醍醐くんは納得した。
「その次は平成11年、西暦1999年。それから平成23年、西暦2011年です」
「そんなばかな話があるもんか」と、樋浦姉さんは怒った。
「じゃあ、去年俺たちの物語部はなかったっての?」
「うん、そうみたいだね、おねーちゃん。去年の卒業アルバムには…物語部はなかったよ」
「要するに、樋浦姉さんの記憶は偽の記憶で、この学校の歴史は偽の歴史なの」と、私は言った。
「ファンタジー作家のトールキンは、自分の物語のために1200年の王国の歴史を作り、SF作家のコードウェイナー・スミスは人類補完機構という架空の組織のために1万4千年の人類の歴史を作ったのよ。たかが数十年の高校の歴史なんて、物語部員になれるぐらいのメンバーなら、誰だって作れるわ」




