2章 1話 魔力装甲
「ねえ、レオン」
「はい?」
「この道で合ってるんだよね?」
「はい。山を下りれば、人族の街に出られるはずです」
私たちは、エルフの山を下っていた。
隣を歩くレオンは、いつもより少しだけ楽しそうだった。時折、周囲の景色を眺めては、私に話しかけてくる。
「こうして二人で歩いていると、不思議な感じがしますね」
「そう?」
「はい。少し前までは、こんなふうに一緒に旅をするなんて考えもしませんでしたから」
「私もだよ。でも、楽しみだね!」
「そうですね」
そんな会話をしながら歩いていると。
ぐぅぅぅ。
「……」
「……」
私のお腹が鳴った。
私は思わず足を止めた。
「リリア、お腹減ったんですか?」
「ご、ごめん。恥ずかしながら……」
お腹を押さえて俯くと、レオンがふふふと笑った。
「とりあえず、人の街に出ますし、食事でもしながらお話ししましょうか」
「うん!」
私は勢いよく頷いた。
そういえば、朝からほとんど何も食べていなかった。
健康な身体になってからというもの、お腹が空くのも早い気がする。
これは、早く何か食べなければ。
そんなことを考えながら、私たちは山道を下っていった。
やがて、私たちは人族の街へとたどり着いた。
石造りの建物が並び、道には多くの人々が行き交っている。エルフの城下町とはまた違った雰囲気だった。
私たちは適当な食事処を見つけ、中へと入った。
「いらっしゃい……って、あぁ」
店主らしき女性が、私たちの耳を見て目を細めた。
「エルフか」
「?」
「安心しな。私の店は毒盛ったりしないから」
「……え?」
私はレオンと顔を見合わせた。
毒を盛る?
どういう意味だろう。
店主は私たちの反応を見て、肩をすくめた。
「ま、座りな。飯くらい普通に食わせてやるよ」
「は、はい。ありがとうございます」
私たちは案内された席に座った。
注文した料理が運ばれてくると、私はさっそく口をつけた。
うん、おいしい!
温かいスープに、焼きたてのパン。それに、肉料理まである。
思わず夢中になって食べてしまった。
「リリア、そんなに急いで食べなくても大丈夫ですよ」
「だって、おいしいんだもん!」
「確かに、すっごい美味しいですね」
レオンも楽しそうに笑った。
ひと通り食べ終えたところで、私たちはこれからのことについて話し始めた。
「それで、これからどうする?」
「まずは、活動する場所を決めたいですね」
「活動する場所?」
「はい。エルフの地位を高めるには、僕たちが何かしらの功績を残す必要があります」
レオンはテーブルに置いた手を見つめた。
「どれだけ強くても、どれだけ人を助けても、それを知っている人がいなければ意味がありません。人がたくさんいる場所で、僕たちの存在を知ってもらう必要があります」
「なるほど……」
「人を助けるにしても、魔物を倒すにしても、まずは人の目に触れなければいけません。だから、人族の国に入るのが一番手っ取り早いと思います」
私は頷いた。
確かに、エルフの国の中だけで活動していても、他の種族に私たちの功績が伝わることは少ないだろう。
「そういえば、レオン」
「はい?」
「出発する前にお父さんについて思ってること私に言ってくれたでしょ?あれ、すごかったね」
「……え?」
「ほら、私を巻き添いにしようとした父上が嫌いですって。あんなにはっきり言えるなんて、すごいなって思った」
思い出すと、少し笑ってしまう。
あの時のレオンは、いつもの穏やかな雰囲気とはまるで違っていた。
「べ、別にすごくなんてありませんよ。出発前のあの時は、本当に腹が立っていましたし。直接言わずに、リリアに言っただけだし……」
「ふふっ。そうなんだ」
「リリアが危険な目に遭ったんですから、当然です」
レオンは少しだけ頬を膨らませた。
そんな様子を見て、私はまた笑った。
「でも、ありがとう」
「……どういたしまして」
少し照れくさそうに笑うレオン。
やっぱり、こうして話していると楽しい。
私は改めて、彼と一緒に旅に出られたことを嬉しく思った。
「こほん。話を戻しましょう。兄上と話して行き先を決めてみたんですが、聞いてくれますか?」
「うん。もちろん。どこ目指すの?」
レオンは顔を上げた。
「人族三大国家の一つ。その中にある学園都市に行こうと思っています」
「学園都市?」
「はい。学びと殺しが混在する場所。多くの人々が集まり、魔術や剣術を学び、冒険者たちも行き交う街です」
レオンは、はっきりとした声で告げた。
「学園都市アルカディア。そこへ行きましょう」
私は、その名前を口の中で繰り返した。
アルカディア。
どんな場所なんだろう。
どんな人たちがいて、どんな生活をしているんだろう。
考えるだけで、胸が弾んだ。
「うん! 行こう!」
「はい!」
その時、店の外。
通りの向こうから、こちらを見つめている男がいた。
男は二人の姿をしばらく眺めた後、静かに視線を逸らした。
「さて、と!」
食事を終えた私は、拳を軽く握りしめた。
「まずはお金を稼がないとね!」
「そうですね。旅をするにも、食事をするにも、お金は必要ですから」
「よし! それなら魔物討伐の依頼を受けよう!」
勢いよく立ち上がった私を、レオンが慌てて止めた。
「待ってください!」
「え?」
「リリアの手が治るまでは、簡単な依頼にしましょう」
私は自分の拳を見下ろした。
包帯とテーピングで覆われた両手。隙間から見える皮膚は赤く腫れ、ところどころ皮が剥がれている。
あの戦いで負った傷だ。
確かに、拳を握るたびにじくじくと痛む。
「うーん……でも、魔物討伐くらいなら」
「駄目です」
「うっ」
レオンにきっぱりと言われてしまった。
「無理をして、もっと悪化したらどうするんですか」
「それは……」
「今は身体を大事にしてください。僕たちは、まだ旅を始めたばかりなんですから」
正論だった。
私は渋々、拳を下ろした。
「じゃあ、簡単な依頼って?」
「例えば、そうですね。うーん……」
レオンは顎に手を当てて考え始めた。
しばらくして、何かを思いついたように顔を上げた。
「そうだ!決めました!」
レオンの言葉に、私の胸は弾んでいった。
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「さささー!」
私はほうきを動かしていた。
街の中央にある、小さな噴水広場。
私たちが受けた依頼は、広場の清掃だった。
「さささー! こっちも綺麗にしなくちゃ!」
「リリア、楽しそうですね」
隣では、レオンもほうきを動かしている。
「だって、こういうのも悪くないよ!」
「そうですか?」
「うん! それに、お金を稼いだらお菓子も食べたいし!」
「そんな余裕ありますかね?」
「えー! 少しくらいならいいでしょ!」
「ふふっ。そうですね。少しくらいなら。僕、前リリアに食べてもらいたいお菓子があったんですよ」
「え!そうなの!?食べたい!」
私は鼻歌交じりに掃除を続けた。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思えるくらいには、穏やかな時間だった。
その時。
「ん?」
背後で、何かが動いた気がした。
振り返ろうとした瞬間、突然、身体に腕が回された。
「っ!?」
後ろから強く抱え込まれ、両腕を身体に押さえつけられる。
耳元に、生温かい息がかかった。
「暴れちゃダメだーよ」
男の声だった。
荒い呼吸が、耳のすぐそばで聞こえる。
(な、何……!?)
身体を捻ろうとしたが、男の腕はびくともしなかった。
「奴隷みーつけたぁ」
ぞわりと、背筋が凍った。
気持ち悪い。
何、この人。
「オラ、こんな良い匂いするエルフ初めてだ」
男の顔が、私の耳元へ近づいてくる。
「や、やめて……!」
逃げようと身体を揺らす。
けれど、男の腕がさらに強く締まった。
ボクシングの構えを取ろうにも、両腕を押さえられていてはどうしようもない。
まずい。
まずいまずい。
どうすればいい?
その時。
「誰か! 助けてください!」
レオンの声が響いた。
「襲われてます!! 誰か助けてください!」
必死に叫んでいる。
広場には、たくさんの人がいた。
噴水のそばで談笑する人。店先で商品を並べる人。道を歩く人。
なのに。
誰も、こちらを見ようとしなかった。
一瞬だけ視線を向けた者も、すぐに目を逸らしてしまう。
まるで、私たちなど最初から存在していないかのように。
「助けてください! お願いします!」
レオンは何度も叫んだ。
それでも、誰も動かなかった。
その光景を見て、レオンの表情が変わった。
「あぁ……そうか」
小さく呟く。
僕たちは、助ける価値すらない存在なんだ。
生きている人間として、扱われていない。
そう理解した瞬間、レオンの瞳から迷いが消えた。
「リリアから、離れろ」
低い声だった。
レオンが片手を前に突き出す。
その先は、男の腕。
「おめぇ、何する気だぁ?」
レオンの腕をちらりと見る。しかし、男は気にしない。
その顔が、私の頬へと近づく。
そして。
ぬるり。
「っ!?」
頬に、何かが触れた。
生温かく、湿った感触。
男の舌だった。
「ひっ……!」
全身が粟立った。
嫌だ。
気持ち悪い。
今すぐ離れたい。
その瞬間。
「燃えろ!」
レオンの手から、小さな火球が放たれた。
火は男の腕部分の袖に直撃し、瞬く間に燃え広がった。
「熱っ! あっちぃど!」
男が慌てて腕を離す。
私はその場でよろめきながらも、すぐに体勢を立て直した。
男は燃える服を気にして、こちらへの注意を失っている。
今しかない。
私は身体を捻り、男の正面へと向き直った。
距離は拳一個分。
近すぎる。
けれど、私にとっては、インファイターにとっては、これだけ距離があれば十分。
「はぁっ!」
腰を回し、全身の力を右拳へと伝える。
ボディーブロー。
男の腹部へ、拳を叩き込んだ。
ドゴッ!!
「ぐっ!?」
男の身体がくの字に折れ曲がる。
同時に、右拳に鋭い痛みが走った。
「っ……!」
拳が痛い。
手首も痛い。
けれど、そんなことを気にしている場合じゃない。
男の身体は確かに曲がった。
それなのに。
倒れない。
「……え?」
効き目が悪い?
怪我をしているから?
いや、違う。
この感覚は、以前、あの人族の男を殴った時と同じだ。
歯を食いしばる。
すると、男がゆっくりと顔を上げた。
「ふへへ……」
口元が歪む。
「正面で見ると、もっといいなぁ」
男の目が、私を舐めるように見つめた。
「犯す。犯す。めちゃくちゃにする。お前、奴隷にする」
「っ!」
思わず身体が強張った。
その瞬間。
「リリアから離れろって言ってるんです!」
レオンの声が響いた。
彼が、手のひらに石を生成する。
そして、次の瞬間、石は男の股間へと勢いよく飛んでいった。
「ぐおっ!?」
男が身体を折り、後ずさる。
「リリア!」
レオンが私の手を掴んだ。
「逃げます!」
「う、うん!」
私たちは、その場から駆け出した。
「はぁっ、はぁっ……!」
走る。
とにかく走る。
後ろから、男の鈍い声が聞こえてくる。
「待てよぉ」
まずい。
追いつかれる。
私は痛む手を押さえながら、必死に足を動かした。
レオンも息を切らしている。
やがて、細い路地へと入り込んだ。
「こっち!」
いつのまにか前に出ていた私は、レオンの腕を引っ張り角を曲がる。
しかし。
そこは、行き止まりだった。
「うそ……」
背後から足音が近づいてくる。
もう、逃げ場がない。
その時、レオンが私の前に立った。
その背中が、小さく震えている。
「リリア、僕が時間を稼ぎます」
「逃げるのはレオンでしょ!私の方が強いんだから!」
「それは、ダメです」
「……分かった。それがダメなら、私と一緒に戦って」
私は痛む拳を握った。
もう一度、戦うしかない。
手はボロボロだ。
さっきの一撃だって、ほとんど効かなかった。
それでも。
レオンを守らなきゃ。
そう思った時だった。
「うーん、さっきの見てたよ。パンチ、凄かったね」
背後から、女性の声が聞こえた。
私たちは同時に振り返った。
そこには、一人の女性が立っていた。
腰には一本の剣。
長い髪を揺らしながら、こちらを眺めている。
「追いついたべ。エルフ、今日の昼から、早速……だれだべ、おまえ」
私たちに追いついた男が、首を傾げた。
女性は、その言葉を聞いて小さく笑った。
「誰って?」
彼女はゆっくりと歩き出した。
「私の名前はね……」
次の瞬間。
女性の姿が消えた。
「え?」
気づいた時には、彼女は男の目の前に立っていた。
男が目を見開く。
女性は片手を上げ、人差し指を親指に添えた。
デコピンの構え。
「ヴィオラ・グランフェルト」
彼女は笑った。
「Sランク冒険者だよ」
パチンッ!
軽い音が響いた。
その瞬間、男の身体が宙へと浮かび上がった。
一回転。
二回転。
「ぐぼぁっ!?」
男はそのまま地面へと叩きつけられた。
ドサッ。
静寂が訪れる。
私は、目の前の光景を呆然と見つめていた。
……え?
今の、デコピン?
あの男を?
たった一発で?
女性は何事もなかったかのように指を振った。
「ふぅ。こんなところで騒ぎを起こすなんて、物騒だねぇ」
そして、私に視線を向けた。
「アンタ、魔力装甲使えないのかい?」
(また、魔力装甲)
私は思わず息を呑んだ。
先ほどの一撃。あの男をデコピン一発で吹き飛ばした。
それがどれほど異常なことなのか、私にも分かった。
隣を見ると、レオンもまだ警戒した様子で女性を見つめていた。
私は改めて、目の前の女性を見上げた。
魔力装甲ってなんなのだろう。
それに、この人は一体どれほど強いんだろう。
Sランク冒険者。
その肩書きが、今はとても大きなものに思えた。




