2話 強さ
「あんた、名前は?」
ヴィオラさんが私に尋ねた。
「私はリリアです」
「リリアね。そっちの男の子は?」
「レオンです。僕はレオンといいます」
レオンが警戒した様子で答える。
「ふーん。リリアにレオンね」
ヴィオラさんは私たちを交互に見つめた。
「いいもの持ってるじゃん」
「いいもの?」
思わず聞き返す。
「ほほほ。なんでもないよ」
ヴィオラさんは楽しそうに笑った。
「そんなことより、私と来なよ。リリアのその、とんでもない破壊力を秘めた打突でも、あの程度の男を貫けなかった理由を教えてあげる」
「それって、魔力装甲ってやつ?」
「ご名答」
やっぱりそうなんだ。
以前戦った人族の剣士も、今回の男も、私の拳がまともに通じなかった。身体を鍛えて、技術を磨いて、それでも届かないものがある。
それが魔力装甲。
私は自分の拳を見つめた。
強くなりたい。
このままじゃ駄目だ。
エルフの地位を高めることも、レオンを守ることもできない。さっきだって、彼に助けてもらった。もしヴィオラさんが現れなかったら、私たちはどうなっていたか分からない。
だから、教えてもらいたい。
そう思って一歩踏み出そうとした時だった。
「助けてくれてありがとうございます」
隣からレオンの声が聞こえた。
「でも、僕は人族を信じることはできないです」
「レオン……」
「行きましょう、リリア」
レオンは私の手を取ると、そのまま歩き出した。
「まぁ、信じられないのも当然か」
背後からヴィオラさんの声が聞こえる。
けれど、レオンは振り返らなかった。
その背中を見て、私は何も言えなかった。
「でも、一つ言ってあげる」
ヴィオラさんが声を上げた。
「アンタら、掃除の報酬は本来の三分の一しかもらえないよ」
「……え?」
レオンの足が一瞬だけ止まった。
「アンタら二人じゃ、絶対に生きていけない」
その言葉に、レオンは何も答えなかった。
ただ、再び歩き始める。
私もその後を追った。
向かった先は、冒険者ギルドだった。
中に入ると、大勢の人で賑わっていた。酒を飲んでいる人、仲間と談笑している人、依頼書を眺めている人。そこには、私たちが今まで見たことのない光景が広がっていた。
人が多い。
それだけで、少し息苦しくなる。
私は無意識にレオンの服を掴んでいた。
さっきのことを思い出す。
後ろから身体を押さえつけられた感覚。耳元に近づく息。頬に触れた、あの気持ち悪い感触。
身体が小さく震えた。
「リリア……」
レオンがこちらを見た。
私は大丈夫だと伝えるように、笑って小さく頷いた。
けれど、レオンは何も言わなかった。
ただ、強く歯を食いしばっていた。
私たちは受付へ向かい、清掃依頼の報酬を受け取ることにした。
「こちらが報酬になります」
受付の人から渡された袋を受け取る。
中を確認したレオンの表情が固まった。
「……え?」
袋の中には、わずかな硬貨しか入っていなかった。
「すみません。これ、金額が違うと思うんですが」
「え? ああ、エルフのお二人ですね」
受付の人は帳簿を確認する。
「間違っていませんよ。こちらが今回の報酬です」
「ですが、依頼書に書かれていた金額の五分の一程度しかありませんよね?」
レオンの声が少しずつ強くなる。
「どうしてですか!?」
その声に、奥にいたギルドマスターらしき男がこちらを向いた。
「どうしたんだ?」
事情を聞いた男は、私たちの姿を眺めた。
そして、何でもないことのように言った。
「……え? 今、君たちのこと奴隷にしてないじゃん」
「……は?」
レオンが目を見開いた。
「だから、奴隷にしてないだろ? それに飯も食わせてもらったんだろう? 十分じゃないか」
男の顔には、怒りも悪意もなかった。
本当に、何がおかしいのか分からない。
そんな顔だった。
「それは……」
レオンが何かを言いかける。
けれど、言葉が続かなかった。
奴隷にされていないことが、報酬の代わり。
食事を与えられたことが、感謝すべきこと。
そんなものが、この人たちにとっては当たり前なのだろうか。
「レオン」
私は彼の袖を引っ張った。
「もういいよ」
「でも、リリア……」
「もういいから」
自分でも驚くくらい、小さな声だった。
さっきまでなら、きっと怒っていたと思う。
おかしいよ、と。
そんなの間違ってるよ、と。
けれど、今は何も言いたくなかった。
レオンは私の顔を見つめた後、ゆっくりと視線を落とした。
「……分かりました」
彼は報酬の入った袋を握りしめた。
私たちは、それ以上何も言わずにギルドを後にした。
外に出ると、眩しい日差しが目に入った。
街は相変わらず賑やかだった。
笑い声が聞こえる。
人々が楽しそうに歩いている。
なのに、私たちの周りだけ、まるで別の世界にいるようだった。
「分かったでしょ?」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、ヴィオラさんが壁にもたれかかっていた。
「エルフにとって、この世界は狂ってるんだよ」
彼女は笑っていた。
けれど、その目は笑っていなかった。
「私ね、昔エルフと冒険者パーティーを組んでたんだ」
「エルフと……?」
「ああ。そいつはね、最強だった」
ヴィオラさんは空を見上げた。
「私なんか比べ物にならないくらい強くてさ。どんな相手にも怯まないし、どんな依頼でもこなしてた。そいつは自分の力だけで、どんどん上に駆け上がっていったんだ」
そこで、彼女は私たちに視線を戻した。
「だから、分かるんだよ。アンタらが今のままじゃ駄目だってこともね」
「僕たちに、何をしろと言うんですか」
レオンが尋ねた。
ヴィオラさんは口元を緩めた。
「アンタらがやることは、依頼なんかじゃない」
「え?」
「せこせこ稼ぐことじゃない。誰かを助けて、少しずつ信用を積み上げることでもない」
彼女は指を一本立てた。
「人族をぶっ倒すことだよ」
「……!」
「指名手配犯狩り。あんたたちがやるのは、それさ」
ヴィオラさんの口から、聞き慣れない言葉が飛び出した。
「学園都市アルカディア。元四強の一角で、今じゃ極悪指名手配犯として名が知れ渡っているミレイユ・ヴァレンティア。アンタらが向かう先は、その女だ。」
彼女は、ゆっくりと笑った。
「そいつを倒しな」
「元四強……?」
「そう。とびきり強い奴さ」
私は思わず息を呑んだ。
「指名手配犯を倒せば、普通の依頼とは比べ物にならない報酬が手に入る。名前も広まる。実力を示すには、これ以上ない相手だよ」
「でも、そんな相手に僕たちが勝てるとは思えません」
レオンの言う通りだった。
私たちは、ついさっきまで一人の男に追い詰められていたのだ。
「その通り。今のアンタらじゃ無理だね」
ヴィオラさんはあっさりと言った。
「攻撃も防御も、まだまだ足りない。そんな状態で指名手配犯に挑んだら、あっという間に殺されるよ」
「じゃあ、どうすれば……」
「まずは魔力装甲を覚えること。それから、そいつの情報を集める。相手がどんな奴なのか、どれくらい強いのか。全部調べて、そいつより強くなればいい」
簡単そうに言う。
けれど、実際はそんなに簡単じゃないはずだ。
それでも。
私は自分の拳を見下ろした。
包帯の隙間から、赤く腫れた皮膚が見える。
さっきの男に殴りかかった時の痛みが、まだ残っていた。
それでも、拳を握る。
今度は、逃げるためじゃない。
守るために。
隣にいるレオンを見た。
彼は俯いていた。
私が守らなきゃいけないと思っていたのに、実際には何度も助けられている。
これじゃ駄目だ。
私は顔を上げた。
「分かりました」
ヴィオラさんの目を見る。
「私、魔力装甲を覚えます」
「ほう?」
「もっと強くなる。誰かに助けてもらうだけじゃなくて、私自身がレオンを守れるように」
拳を握りしめる。
もう、目は逸らさなかった。
ヴィオラさんは一瞬だけ目を細めた。
「いい目になったじゃないか」
そして、口元に薄い笑みを浮かべた。
「それじゃあ、行こうか」
「どこへ?」
「隣町さ。ちょっと会いたい奴がいるんだよ」
「会いたい人?」
「そう。そこに、指名手配犯の手がかりがある」
ヴィオラさんは歩き出した。
私たちも、その後を追う。
こうして、私たちの旅は新しい方向へと進み始めた。
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「そういえば、リリア、レオン」
街を出てしばらく歩いた頃、ヴィオラさんが振り返った。
「その耳、隠しておきな」
「耳?」
私は自分の耳に触れた。
尖ったエルフの耳。
ヴィオラさんは持っていたタオルを私に差し出した。
「これで耳を隠しな」
「分かりました」
私はタオルを受け取り、両耳に巻きつけた。
少し窮屈だけど、これなら目立たないだろう。
「よし。じゃあ、ここからは修行も始めるよ」
「もうですか?」
「当たり前だろ。時間は有限なんだからね」
ヴィオラさんは楽しそうに笑った。
「まずは魔力装甲について教えてあげる」
私とレオンは顔を見合わせた。
「魔力装甲っていうのは、簡単に言えば魔力を身体に纏う技術さ」
「身体に纏う……?」
「そう。魔力っていうのは、血液と同じように誰の身体にも巡っているものなんだ。それを身体の表面に広げる。そうすることで、攻撃力も防御力も、身体能力だって上がる」
「身体能力もですか?」
レオンが興味深そうに尋ねた。
「もちろん。ただし、誰でも同じように使えるわけじゃない」
ヴィオラさんは指を二本立てた。
「この世界には、大きく分けて魔術師タイプと剣士タイプがいる。魔術師タイプは魔術を使うのが得意で、剣士タイプは身体を使った戦闘が得意なんだ」
「それが魔力装甲とどう関係するんですか?」
「魔力の使い方が違うのさ」
ヴィオラさんは、自分の手のひらをこちらに向けた。
「例えば、魔力が十あるとする。魔術師タイプが魔力装甲を使おうとしても、効率が悪い。十の魔力を使っても、身体に纏えるのは五割程度だったりする」
「五割……」
「逆に剣士タイプなら、十の魔力を十のまま身体に纏えることもある。その代わり、魔術を使う時の効率は悪いんだけどね」
なるほど。
つまり、得意なことが違うというわけだ。
「まあ、稀にどっちも上手く使える化け物もいるけどね」
「化け物……」
「魔術を魔術で消したりもできるんだけど……。まあ、それは今度教えたげるよ」
ヴィオラさんは軽く手を振った。
「まずは自分の魔力を認識するところからだね」
「認識する?」
「そう。自分の身体の中にある魔力を感じ取るんだ。見えもしないものをいきなり身体に纏えって言われても無理だろ?」
私とレオンは頷いた。
「じゃあ、早速やってみようか」
「はい!」
私は両手を胸の前に持ってきた。
魔力を感じ取る。
身体の中に流れているもの。
目を閉じて、意識を集中させた。
……。
「うーん」
何も分からない。
「ヴィオラさん。どうやったら感じ取れるんですか?」
「まずは魔術を使ってみな。魔術を使う時、自分の魔力がどこから出て、どう動いているのかを意識するんだ」
「魔術ですか?」
「そう。基本的に魔術は、詠唱さえすれば魔力が動いて、自動的に放たれる。もちろん、狙いを定めたり、効率よく使ったりするには技術が必要だけどね」
「な、なるほど……」
「よし、詠唱の言葉は私が教えてあげるから、撃ってみな!」
私は頷き、両手を前に突き出した。
「えっと……」
教わった通りに詠唱を始める。
すると、身体の奥から何かが動くような感覚があった。
「火の精よ、我が呼びかけに応えよ。小さき炎よ、我が手に集い、燃え盛る力を宿せ。炎の塊となりて、我が前に立ちはだかるものを穿て!」
手のひらに小さな火球が生まれる。
「よし!それを前に飛ばしてみな」
「はい!」
私は火球を見つめ、前方に放とうとした。
ところが。
ぽんっ。
火球は、私の狙いとはまったく違う方向へ飛んでいった。
「……あれ?」
少し離れた木の根元で、小さな火が弾けた。
「ぷっ」
ヴィオラさんが吹き出した。
「リリア、どこ狙ってんのさ」
「ちゃんと前を狙ったんですけど!」
「ふふっ。まあ、最初はそんなもんだよ」
私は頬を膨らませた。
けれど、その時。
「あ」
自分の身体の中に、何かがあるのを感じた。
血管のように、身体の内側を流れる淡い光。
それは胸の奥から腕へと流れ、指先に向かって伸びている。
「感じた……」
「おっ、もう見えたのかい?」
ヴィオラさんが少し驚いたように声を上げた。
「はい。身体の中に、光みたいなものが流れてます」
「それが魔力だよ。よし、そこまでは合格だね」
私は自分の腕を見つめた。
「次は、その魔力を身体の表面に持ってくるんだ。身体の内側を流れている魔力を、外側に広げるイメージだよ」
「分かりました!」
私は再び目を閉じた。
魔力を感じる。
身体の内側を流れる光。
それを外側へ。
……。
できない。
少しだけ動いた気がするけれど、すぐに元の場所へ戻ってしまう。
「む、難しい……」
「そりゃそうさ。すぐにできるもんじゃないよ。何度も繰り返すんだ」
何度も。
反復。
私は、その言葉を聞いて少しだけ懐かしい気持ちになった。
前世でもそうだった。
ボクシングを始めた頃、私は何度も同じ動きを繰り返した。ジャブ、ストレート、フットワーク。地味で、退屈で、何度も嫌になった。
それでも、繰り返したから強くなれた。
だったら、今回も同じだ。
私は再び魔力に意識を集中させた。
一度。
二度。
三度。
何度失敗しても、繰り返す。
そんな時だった。
「……あ」
隣から声が聞こえた。
見ると、レオンが自分の身体を見つめていた。
「おお!レオン、できたっぽいね」
「これが……魔力装甲?」
レオンは自分の腕を眺めた。
「身体が、すごく軽いです。なんだか、鎧を着ているような感覚があります」
「はぁ!?」
私は思わず声を上げた。
「もうできたの!?」
「え、ええ。なんとなくですけど……」
レオンは困ったように笑った。
うそでしょ。
私なんて、まだ身体の表面に魔力を持ってくることすらできていないのに。
「ははは! まあ、無理もないね」
ヴィオラさんが笑った。
「無詠唱魔術が使える奴は、魔力の扱いが上手いからね。レオンは元々、魔力の操作が得意なんだろうさ」
「そうなんですか?」
「そういうこと。リリアも焦らなくていいよ。得意なことは人それぞれだからね」
「むぅ……」
私は頬を膨らませた。
悔しい。
でも、レオンができたことは嬉しい。
複雑な気持ちだった。
「そうだ。せっかくだし、魔力装甲を使って試してみてよ!」
私は声をあげる。
「レオン、私のこと殴ってみて!」
「えっ?」
レオンが目を見開いた。
その様子を見て、私はニヤつく。
「ふふふ。大丈夫!殴られるの、わたし得意だから!」
「いやです」
即答だった。
「えー! なんで!?」
「リリアのことは殴りたくないです」
「むぅ……」
私は頬を膨らませた。
せっかく試せると思ったのに。
すると、ヴィオラさんが何かを思いついたように手を叩いた。
「じゃあ、別の方法にしようか」
「別の方法?」
「レオン。リリアを抱えて、百メートル走してみな」
「……え?」
レオンの顔から笑顔が消えた。
「いや、ちょっと待ってください。それは……」
「ほらほら、やってみな!」
「ですが……」
「なんだい? できないのかい?」
「いえ、そういうわけでは……」
レオンは困ったように私を見た。
「まさか、私のこと重いと思ってるでしょ!」
「違います! そういうことじゃなくて!」
「じゃあ、何!?」
「昔から、僕は運動系が苦手なんです。特に走るのは兄上によく笑われていましたし……」
「へえ。じゃあ、ちょうどいいじゃないか」
ヴィオラさんは楽しそうに笑った。
「今の身体能力を確かめるには、もってこいだよ」
結局、レオンは渋々といった様子で私に背を向けた。
「リリア、失礼します」
そう言って、膝を曲げる。
私はその背中にしがみついた。
「よし! 準備できたよ!」
「それじゃあ、いくよー」
ヴィオラさんが少し離れた場所に立つ。
「よーい、どん!」
レオンが地面を蹴った。
その瞬間。
「えっ!?」
景色が流れた。
身体が大きく揺れる。
風が頬を撫で、足元の地面があっという間に遠ざかっていく。
「は、はやっ」
私が驚いている間にも、レオンは走り続けた。
そして、あっという間に百メートルを走り切った。
「はぁっ……はぁっ……」
レオンが息を整える。
「え、嘘ですよね……?」
本人も驚いているようだった。
「僕、こんなに速く走れたんですか?」
「ははは! なるほどねぇ」
ヴィオラさんが腕を組んだ。
「典型的な魔術師タイプだね。魔力装甲の効率は二割ってところかな」
「二割……?」
「そう。魔力の大部分を身体に纏えられない体質。やっぱり前衛は厳しいかな」
私はレオンを見上げた。
この速さで、まだ二割。
「すごい……」
思わず呟いていた。
「魔術師タイプだから限界はあるけどね。魔術が上手い奴は魔力装甲も上手くなる。だから、レオンはもっと伸びる可能性があるね」
「本当ですか?」
「もちろん。まだまだこんなもんじゃないよ」
私は拳を握った。
まだまだだ。
レオンが先に魔力装甲を覚えたからって、ここで諦めるわけにはいかない。
私はもう一度、自分の身体の内側に意識を向けた。
魔力を感じる。
そして、それを身体の外側へ。
何度でも繰り返す。
そんな私を、ヴィオラさんはじっと見つめていた。
「魔力装甲、リリア、拳……ふふっ。私には、未来が見える」
小さく笑う声が聞こえた。
「何か言いました?」
「いいや。なんでもないよ」
ヴィオラさんは前を向いた。
その先には、街並みが見え始めていた。
石造りの建物が立ち並ぶ、大きな街。
私はその街を見つめた。
隣町。
ここから、何が始まるんだろう。
胸の奥が、不安と興奮で高鳴っていく。
私たちの新しい旅が、今まさに動き始めようとしていた。
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街に入った私たちは、ヴィオラさんの案内で一軒の建物へと向かった。
冒険者ギルドや商店が立ち並ぶ大通りから少し離れた場所にある、静かな建物だった。
「ここにね、ちょっと会わなきゃいけない奴がいるんだ」
「ここって……」
ヴィオラさんはそう言うと、迷いなく建物の中へ入っていった。
私とレオンも、その後を追う。
中に入ると、独特な匂いが鼻をついた。
白い壁に、整然と並んだ扉。廊下には何人かの人が行き交っている。
どこか、見覚えのある光景だった。
ヴィオラさんは廊下の奥へと進み、一つの扉の前で立ち止まった。
「ここだよ」
そう言って、ゆっくりと扉を開ける。
その瞬間だった。
「ゴホッ、ゴホッ……」
部屋の中から、苦しそうな咳が聞こえてきた。
ベッドの上には、一人の男の子が座っていた。
顔色は悪く、身体も随分と細い。口元を押さえながら、何度も咳き込んでいる。
その姿を見た瞬間、私は思わず足を止めた。
白いベッド。
消毒液のような匂い。
そして、咳の音。
ここは、病室。
頭の中に、懐かしいはずのない光景が蘇ってくる。
白い天井。何度も通った廊下。そして、ベッドの上で過ごした長い時間。
前世の記憶だった。
私は、そっと自分の胸元に手を当てた。
もう、あの頃の身体じゃない。
息をするだけで苦しくなることもない。
少し走ったくらいで、胸が痛くなることもない。
それなのに。
目の前の男の子を見ていると、まるで自分を見ているような気がした。




