06.裸の王子さま Ⅱ
それから何時間経ったかは分からない。あたしは何のきっかけもなく、ふいに目を覚ました。
辺りはまだ暗い。霞がかった視界を開いたまま、ぼんやりとしていると、しばらくして視界が暗闇に慣れ始める。
すぐ近くに温もりを感じ、体を起こしてそちらに目を向けてみると、そこにはレデヤ君が体を丸めて眠っていた。昨晩の喧嘩に敗れたのか、それとも既に見張りを交代してしまったのかは定かではない。
それからもう一つの気配を木の幹を挟んだ背後に感じ取り、そちらに声を掛けてみる。
「マゾ男、見張り交代」
「一人で見張れるか?」
「何かあったら起こすし……まあ、気配があったら、あんたなら起こすより前に目覚ますでしょ」
規則的な吐息が聞こえてきた。この一瞬で寝てしまったとは考えにくいが、少なくとも警戒状態は解いたようだった。
この隙に逃げる、という選択肢が、再び頭を過る。だけど今はそんな時ではない。いずれは折を見て逃げることにはなるだろうけど……
一度その選択肢を頭から消して、この隙に今日のスケジュールを考えることにした。
可能な限り早朝にここを発ちたいところだけど、二人が回復するまで、もう少し寝かせていても良いかもしれない。騎士団支部であれだけ暴れたのだから、きっと消耗しているはずだ。カステリアで食事を取れれば良いんだけど……
そんなことを考えていると、空はすぐに白み始めた。
―――そしてその頃だった。かすかな風切り音が、葉擦れの音に混じって耳に届いたのは。
自然には発生しないような、文字通りの風を切る鋭い音だった。こんな音を出す野生動物は、少なくともあたしは知らない。
この音が聴こえ始めてから、マゾ男の呼吸音が再び途絶えた。彼もこの音に気付いたのだろう。
「……マゾ男、ちょっと見てくる」
少しの間を置いて返ってきた「ああ」という端的な応えを聞いてから、「ちゃんと休んでよね」と言い置き、その場を立ち上がる。
わずかに朝日が差し、視界も明瞭になってきた。近場であれば多少移動しても問題はないだろう。
かすかな音を辿り、あらゆる気配と音を消して近寄っていく。
音は徐々に大きくなっていったが、ある地点でふっと途絶えてしまった。向こうにいる音を発していた何かが、こちらに気付いたらしい。
「誰だ?」
音が途切れてからほどなくして、森の影の中から声がこちらに飛んできた。
……男の声だ。
音の主が野生動物ではなく人間であることが分かり、そして同時に新たな緊張が走る。
こんな朝早くから森に居る人間……追手かどうかはともかく、騎士団である可能性がある。もしくは以前のような、森や山を拠点とする盗賊か。
どう出ようかと思案していると、向こうが自らその姿を露にしてくれた。
木々の隙間から顔を覗かせたのは、若い青年だった。
それも、透き通った碧眼と短く切り揃えられた金髪が特徴的な、典型的なイケメン。口調の柔らかさからも育ちが良さが伺える。
ただ一つ気になったのは―――片手に鈍く光る何かを携えていること。
目を凝らして見ると、それはレイピアに似た細い剣のようだった。競技用のものではない真剣に見える。護身用のものだろうか?
それを持つ手は肩まで露出しており、鎧は着ていない。恐らく騎士団ではないだろう。
先程から彼の背後と周囲にも警戒を割いているが、人の気配はない。少なくともこの場には彼一人。
仮に遠方から狙われていたとしても、こんな木々の中では狙撃は難しいだろうし、彼さえ警戒していれば問題ないだろう。
「こんな朝から、何でこんな森奥に……何かあったのかい?」
青年は不思議そうにこちらを見て、そんな質問をしてきた。その質問、そっくりそのままお返ししたいところだ。
ひとまずこちらに敵意がないことを伝えようと思い、口を開く。
「いえ、大丈夫で―――」
そう言いかけた時、ちょうど彼が木陰から抜け出してきて、彼の体を覆う影と遮蔽物が無くなった。
そして、彼の真の姿が日の下に晒される。
レイピアを握る細身ながら引き締まった腕。綺麗に六つに割れた腹筋。くっきりとラインが入った鼠径部。そしてその下には、一糸まとわぬ男の象徴が―――
そう。青年は、全裸だったのだ。
「へっ……変態だ―――!!!!」
他の通行人に見つかる危険性も忘れて叫んだ。
ハプニングの連続で、今まで片時も忘れたことのなかったことを、すっかり失念していた。
あたしは変態男を引き寄せる体質の持ち主―――それなのに、逃亡期間中、新たな変態に遭遇する可能性を一切考えていなかった。
当の変態本人は「なにっ、不届き者か!?」と驚いた様子で周囲を見回している。この人まさか、全裸がデフォルトなのか? 露出狂というより裸族……!?
人は予期せぬ事態に遭遇すると、硬直して動けなくなってしまうものである。変態慣れしているあたしでも、それは例外ではない。
その隙に……とは思っていないだろうけど、彼は「大丈夫かい、お嬢さん?」と、こちらへ歩み寄ってきた。
視界を占める健康的な肌色の面積が、ゆっくりとゆっくりと広がってゆく。ここであたしは初めて視線を逸らした。
「ギャ―――ッ!!!! あんただあんた!!」
「―――エナ! 大丈夫か!?」
今さっきの叫び声で飛び起きたらしいレデヤ君が、すぐさまあたしと露出狂の変態の間に割って入ってきた。すぐに蹴りを繰り出すが、露出狂はひらりと身を躱し、こちらに体を向けたまま後退する。
「おい! エナに汚らわしいものを見せるな…!!」
「汚らわしい……? まさかこのボクの体が?」
レデヤ君の発言に気を害したらしく、露出狂は気味悪く体をくねらせながら再び迫ってくる。
「うわっ……来るなって!」
「レデヤ君! こういうやつは反応した方が駄目だから! 多分」
「……動きは良いな」
いつの間にか背後にいたマゾ男が、露出狂を見ながら一言感想を述べる。
あの動きのどこの何が良いんだ……と思ったけど、マゾ男が指しているのは今の気持ち悪い動きではなく、直前にレデヤ君の蹴りを凌いだ動きのことを言っているのだとすぐに気付いた。確かに、それなりに戦闘慣れしているような動きをしていた。
「少し、手合わせをしてみるか?」
そう言ってあたしの前に躍り出たのは、マゾ男だった。
こいつ…また戦えそうな相手だと思って出てきて……と呆れかけたが、今のマゾ男は、普段強敵を目前にした時よりも、妙に落ち着いていた。いつもより楽しそうではない。流石のマゾ男も露出狂には耐性がないのかもしれない。
「ああ。剣を振るうボクは更に美しいよ……」
うざったいセリフと共に奇妙なポーズを取りながら、ナルディストはレイピアのような剣を構える。
そうしてその次に放ったセリフは、驚くべきものだった。
「綺羅騎士団団長―――ナルディスト、参る」




