#55、スラム街
あれはそう、確か8年前だったか。
私がまだ8歳の時で、学園の初等部に通っていた頃だ。
確かまだ私は眼鏡を掛けていなくて、現在よりももっと活発で、よく動き回る元気な子供の模範みたいな子だった。
「ただいまー!」
「あら、おかえりアディーナ。今日はいつもより学校終わるの早かったわね。」
「うん!だから走って帰ってきたの!」
「こら、危ないから外で無闇に走っちゃ駄目よ!」
玄関に飛び込むように帰宅した私は、リビングで掃除をしていたお母さんに怒られた。
「えへへ、ごめんなさい。」
「全く、アディーナは昔っから危なっかしい子なんだから。」
「あ、お姉ちゃん、おかえり。」
続けてソファからひょっこり顔を出したのは、私より3つ年下の妹の、リーファ。
私の通っている学園の付属の幼稚園に通っている、ピッカピカの幼稚園児だ。
活発過ぎる私を反面教師にしているのか、姉である私よりも落ち着いていて、物静かな子である。
「ただいまー!大好きなお姉ちゃんの帰りを健気に待っててくれたんだねー!
リーちゃんは可愛いなー!おーよしよし!」
私はすぐさま愛する妹に飛び付き、抱き締めながら頬擦りをする。
…いやまあ、この頃はまだ私も若かったんですよ。こういう密なスキンシップについてはあんまりツッコまないでやって下さい。
「あーもう、お姉ちゃんウザい!ウザいから離れて!はーなーれーてー!もー!」
全く、まだ5歳なのにこんなに姉を拒絶するなんて、けしからん妹だ。
周りより大人びてる分、反抗期が早めにやって来たのでしょうか。
それとも、当時の私が単にウザ過ぎただけなのでしょうか。
「ウフフ、2人ともいっつも仲良いわね。」
お母さんは微笑ましくその光景を眺めている。
これが、私の家のいつもの風景だ。
ちなみに、お父さんは会社員で昼間は仕事なので、夜にならないと帰って来ない。
「あ、そうだ!今日はルルちゃんの家に遊びに行くんだ!早くしないと!」
ルルちゃんというのは、当時仲が良かったクラスメイトの子です。
あの頃はしょっちゅう一緒に遊んでいました。
「気を付けなさいよ。あの辺は悪い人も少なくないからね。」
「うん!行ってくるー!」
私は再び、突進する猪みたいに家を飛び出して行った。
元気が有り余り過ぎている私を、お母さんは心配そうに見送っていたと思う。
家を出てからしばらく走ったり歩いたりを繰り返して、進む事十数分。
所謂、貧民街やスラム街と呼ばれている、帝都の6番街へとやって来た。
ここで説明すると、帝都グラドポリスは大きく分けて1番街から6番街までの6つの区画で分けられていて、私の家があるのは5番街で、ごく普通の中流家庭。
立地としては6番街にかなり近く、こうして子供の足でもすぐに着いてしまう程の距離だ。
6番街は帝都の闇の部分とも称されていて、様々な事情で生活に困窮した帝都民が、最後に行き着く場所でもある。
ただ、帝都は学校も病院も全て無料で利用出来る程に福祉が充実しているので、貧富の差に関係無く学校には通えるのだ。
スラム街の入り口は、とてもゴチャゴチャしている。
廃材なんかで無理矢理増築に増築を重ねたような、背の高い歪な形状の住宅が絶妙なバランスで幾つも立ち並び、その間の狭い路地を人々が行き交っている。
確かにお母さんの言う通り、他の街区と比べて6番街は治安が悪いのかもしれない。
でも、最近のスラム街は年々犯罪発生率が減少していて、今となっては滅多にそういう話は聞かなくなった。こういう人通りの多い場所なら尚更だ。
その理由は勿論あって、実のところ大きな部分はカリュウちゃんが関わっていたりする。
「あ、アディーナちゃん!こっちこっちー!」
ルルちゃんの家の正面にある小さな公園で、ルルちゃんが一人でブランコに乗って遊んでいた。
短めの金髪で元気そうな印象の女の子だ。
彼女に声を掛けられた私は、元気に手を振りながら返事をした。
「うん!ちょっと待っててー!」
老朽化で錆の目立ってきたブランコに、滑り台、砂場があるだけのちっぽけな公園だけど、まだ幼い私達にとっては充分過ぎる遊び場だ。
他に子供は居なかったので、私とルルちゃんは思う存分貸し切り状態の公園で、伸び伸びと遊び尽くした。
ブランコで靴の飛ばし勝負をしたり、滑り台を何度もループしながら滑ったり、砂場でやたらとクオリティの高いお城を作ったり。
あの頃は無邪気で楽しかったなぁ。
あ、いや、今も凄く楽しいですよ。
でも、子供の頃って、成長した今とは違って、どんなものでも楽しく遊べてしまう、独特の楽しさがありますよねぇ。
まあ、重要なのはそういう事ではなく、この後の出来事です。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうもので、気が付いたら日が暮れ始めていて、辺りは夕陽の紅に彩られ始めていた。
「あら、もうこんな時間だね。」
「うん、ルルちゃんといっぱい遊んだから、お腹空いちゃった。」
ひたすら動き回った私の体は、エネルギーの消耗を知らせる為のサインを腹を鳴らす事で知らせてきた。
要は、お腹空いた。
「ルルちゃん!アディーナちゃん!二人ともお腹空いてない?」
目の前のルルちゃんの家の玄関が開いて、ルルちゃんのお母さんが歩きながら聞いてくる。
いつもニコニコしていて、ふくよかな体型の優しそうなおばさんだ。実際優しい。
「ママ、ルルもうお腹ペコペコー!」
「ペコペコー!」
「はいはい、じゃあ今日はもう〝レストラン〟に行ってお夕飯にしましょうか。
良かったら、アディーナちゃんも一緒に来る?」
「え?でもお母さんが待って…」
「アディーナちゃんのおウチには、おばさんが連絡しといてあげるわよ。」
「本当?やったー!ルルちゃんと晩御飯!」
「イエーイ!」
夕食に誘われただけで、飛び跳ねながら歓喜する私とルルちゃん。
子供の頃って、友達とご飯食べに行くだけでも、やたらテンション上がりますよね。
そして私達が向かったのは、ルルちゃんの家…
ではなく、近くのレストラン!外食!
雑多なスラム街の中で、小綺麗な雰囲気のこのレストランは、結構目立つ。
ついでに言うとこのレストランは国営のレストランで、帝都の至る所に点在している。
普通、国営のレストランと言うと、企業努力などが無い分、味や質には期待出来ないケースが殆どだけど、ここ帝都グラドポリスの国営レストランに限っては話が違ってくる。
店側の徹底されたサービスに、高品質、高栄養、そして何より味が抜群に美味しい料理の数々!
そんな上級料理が、スラム街の住人でも毎日気軽に食べれる程、激安の価格設定で頂けるのだ。しかも、10歳以下の子供は更に半額という親切さ!
それもこれも全て、〝食〟という概念に強いこだわりを持つカリュウちゃんの政策で、貧しい人達にもお腹いっぱい美味しい物を食べて欲しいという、彼女の思いの現れである。
レストランだけじゃなく普通のお店で売っている食材も、どれも信じられない位安いので、個人経営の飲食店も同じくらいの低価格で、国営レストランにも負けず劣らずに商売している。
まだ姫皇帝と呼ばれる以前から、カリュウちゃんは裏から帝国の政策に関わっていたのだろう。
今思えば、カリュウちゃんが自身の達人の能力で、無尽蔵に食料を生み出せるからこそ成せる事なのだと思う。
でなければ、不毛の地である帝都周辺であんなに大量の食料を確保出来る筈がない。
ま、当時の私は当然、そんな細かい事は考えもしなかった訳だけども。
「おぉー、凄いバイキングッ!」
「食べ放題!食べ放題ッ!」
本日訪れたレストランは、世界中の様々な名物料理がズラリと並べられた、バイキング形式のお店。
定番の麺料理や肉料理から、初めて見るような謎の海鮮料理など、子供である私達の興味を惹き寄せるには充分過ぎる程の役者が勢揃いだ。
これだけの豪華な顔触れを、あんな低価格で堪能出来るなんて、帝都はなんて素晴らしい街なんだ!と、つくづく思う。
ビバ!愛国心!
「さあ、好きなだけ食べて良いのよ。」
「わ〜い!」
私達は、他のお客さんに混じってどんどんお皿に料理を盛り付ける。
美味しそうだと思うものを次から次へと取っていき、席に戻っては成長期特有の食欲を発揮してムシャコラ食べていく。
うん、どの料理も凄く美味しい!
1組90分の時間制限があるけれど、その頃にはすっかり私達の胃袋は満たされていた。
帝都の住民は、上流階級からスラム街の住人まで全ての民が美味しい料理をお腹いっぱい食べる事が出来る。
こうしてカリュウちゃんが効果的に胃袋を掴んでいるからこそ、帝都での犯罪発生率は極端に低いのだ。
なんだかんだ言っても、人間は胃袋さえ支配されたら、悪い事をしなくなるのかな。
あと、帝都中で帝国兵や飼い慣らされた魔害獣が目を光らせているのもある。
それ故に、子供一人でスラム街に立ち入る事が出来るのだ。
「あー、美味しかったー!」
満腹中枢が大変満足していらっしゃるらしく、若干苦しい位に食べてしまった。
明らかに腹八分を超えていて、いくら成長期とはいえ、こんな生活を続けていては太ってしまうだろう。
実際、帝都の肥満率は他の街に比べて高く、ランカーシス技研が最新のダイエット器具を次々に開発していたりと、割と社会問題になっている。
当時の私は痩せていたけど、将来どうなってしまうのか不安で、なんとか食事量を減らそうと涙ぐましい努力もしてました。
なのについつい食べ過ぎてしまうのは、ひとえに飯が美味いからでしょう。
カリュウちゃんの所為だ。
お店を出た後、私達はルルちゃんのお兄さんに連れられて、自宅まで帰りました。
もうすっかり夜になっていて、いくら犯罪発生率が低いとはいえ、夜のスラム街を少女一人で出歩くのは流石に危険という事で、武芸の心得があるルルちゃんのお兄さんが家まで護衛してくれたのです。
自宅の近くまで辿り着き、ルルちゃんのお兄さんと別れ、家までの残り数十メートルを歩いていた、その時でした。
「……ん?」
私の目に飛び込んできたのは、夜の住宅街を照らすガス灯の薄明かりの中、一人歩いている少女だった。
周囲の景色とは明らかにミスマッチな、美しくも寝癖だらけな縹色の長髪。
年齢は、童顔だけど私よりも一回りは年上に見える外見。
胸に〝産廃〟と書かれた謎のダサいTシャツを着ていて、なんとも言えない異様な存在感を放っている。
そんな謎の美少女が、私の家の前を歩いていたのだ。
「ほぇ〜…」
「ん?」
私が無意識に見惚れていたら、視線が合って気付かれてしまった。
どうしよう、近づいて来る。
「ニヒヒ、お嬢ちゃんこんな時間に一人で出歩いてちゃ危ないよ〜。
怪しい人に攫われちゃうかもしれないんだからねぇ。
良かったら、お姉さんがおウチまで送って行ってあげようかぁ?クヒヒヒ。」
うわ、怪しい人だ。
それが、私の第一印象だった。
なんか気持ち悪い笑い方してるし、ニヤニヤしてて猫背だし。
無邪気な当時の私でも、流石に警戒した。
「あ、いえ、結構です。家はすぐそこなので。」
「クヒヒヒ、そうなのぉ?残念。」
なにが残念なのか。
あまりの怪しさに警戒心を強めるも、別の感情として目の前のお姉さんに対する妙な既視感も感じていた。
「んん〜?」
「ニヒヒ、どうしたのぉ?まさか見惚れちゃったぁ?」
私が違和感の正体を探る為にお姉さんの顔を凝視していたら、さっきより爽やかな笑顔でそう返された。
ああ、この笑顔、見覚えがある。
テレビで見た事ある、あの人の笑顔だ。
「…か、カリュウ姫様…?」
「あれ、もしかしてバレちゃった?凄いね。ウェヒヒヒ。」
当時はまだ姫皇帝ではなく、アオギリ皇帝の娘という〝設定〟で世に知られていた、カリュウ・ラヒメ姫だった。
でも、そんな人がこんな帝都の外れの住宅街に、日が暮れてから一人で徘徊してるなんて、俄には信じられないというのが、一般的な反応だろう。
かく言う私も、その例に漏れなかった。
「…い、いや、本物のカリュウ姫がこんなとこにいる訳ないし…!
そっくりさんですよね!?そうですよね!?」
「ところがどっこい、本物なんだよねぇ。
あたしさぁ、夜のお散歩が趣味だからぁ。」
「え、えぇ…?そうなんですか。」
普通ならもっと疑うべきところなんだろうけど、まだ幼い私はそれ以上疑う事もなく、カリュウ姫らしき人物の話を信じてしまった。
「そうだ、ここで会ったのも何かの縁だし、ほら。」
カリュウ姫がその辺に落ちていた石ころを拾い上げたと思ったら、それが一瞬にして別の物質に変わっていた。
紙の包装で包まれてる、ビー玉サイズの小さな球体に。
「ニヒヒ、はい飴ちゃんあげる。」
「いや、いらないです。」
「うぇッ!?なんで?」
「親と先生から、知らない人にお菓子は貰うなって言われてるので。」
「クヒヒ、ちゃんと教育が行き届いてるようで、感心感心。」
なんか、テレビで見た時とは別人みたいだ。
この時は素直にそう思った。
⚪︎コロちゃんのメモ帳
ククノチ
ベリオーンの町を拠点にしている、反乱軍の副長にして、園芸の達人ね。
常に冷静沈着で頭もキレて、反乱軍の参謀的な存在でもあり、戦闘力も非常に高いスーパー人間ね。
でも、好きな魔法少女アニメを馬鹿にされると頭に血が昇っちゃう事もあるみたい。
ボスのトドマツさんとは長い付き合いらしくて、戦う時は息もピッタリよ。




