#18、師匠
2年前、ある夏の日、ラスコフ村にて。
私が帝都からラスコフ村に送られてから、まだ間もない頃だった。
慣れない環境に戸惑いつつも、衣食住は保障されていたので、特に不自由はしなかった。
だけど、私の心は虚空そのもので、毎日をひたすら無為に過ごし、心ここにあらずといった状態だった。
カリュウちゃんへの告白。家族の逮捕。辺境への島流し。
押し寄せる理不尽に流れ流され、力の無い私は只々何も出来なかった。
その日、私は気紛れに、街のカフェへと足を運んだ。
当時は無職で、何もする事がなく、家に居るだけというのも退屈なので、カフェでよくコーヒーやジュースを飲みながら時間を潰していた。
「…隣り、いいか?」
「あ、はい。」
いつも通り一番端のカウンター席で、微糖コーヒーを飲みながら窓の外を眺めていたら、背後から声を掛けられた。
低い男の人の声だなぁと思い、返事しながら振り返ると、そこには想像を絶する人物が立っていた。
「……ッ!?」
「……?何だ?」
その男は、パンツ一丁だった。
純白の、ブリーフ一丁だった。
非常にガタイが良く、筋骨隆々。髪は短く、数々の修羅場を潜り抜けた証なのか、全身に多くの傷痕が刻まれている。
しかめっ面で気難しそうだけど、その瞳からは何故か恐ろしさは感じない。
そして、ブリーフ一丁だった。
「…通報します。」
「やめておけ。」
「マスター、電話貸して下さい。」
「はいよ。」
「おい、やめろ。」
私が受話器に手を伸ばすと、ブリーフ男がその手を掴んできた。
「触らないで下さい、この変態。私にはもう通報するしか選択肢が無いんです。」
「他にも選択肢はあるだろう。ここは文明人らしく、話し合いをしようじゃないか。」
「文明人というのは、貴方が最も発してはいけない単語ベスト3です。
他の二つは、〝無実〟と〝誤解〟です。」
「落ち着け、アディーナ・ユア。俺はお前に話があってここに来たのだ。」
「貴方と話す事など何もありません。ていうか何で私の名前知ってるんですか!凄まじくキモいんですけどッ!」
あくまでも冷静に対処しようと思ってたけど、ついキモ過ぎて声を荒げてしまった。
完全に危ない奴だし、私の名前を知っている以上、ますます通報しなければと思い、再度受話器を握る。
「だから待て。いいか、俺の話を聞かないとお前、後悔する事になるぞ。」
「外出して貴方に会ってしまったのが、今日一番の後悔です。
もう通報はしませんから、お願いだから今すぐ服着てここから出てって下さい!」
私はもう、頭を下げて懇願していた。
何で私がこんな事しなきゃならないんだ。おかしいでしょう。
「くそッ、取り付く島がないな。
いいか、よく聞け。お前、あのカリュウ姫皇帝に会いたいんだろう?
俺ならお前に、その〝きっかけ〟を作ってやる事が出来る。どうだ?」
その言葉を聞いて、私の心が揺れ動いた。
何でそんな事情を知ってるのか、それを考え出したら更にキモさが増すけど、一応話だけは聞く事にした。
「もういいですよ、話を聞きます。
でもその前に、ちゃんと着替えて来て下さい。」
「それは無理だ。俺はブリーフ以外の衣類を持っていない。」
「はあ?」
……なんかもういいや。若干見慣れてきたし。
ブリーフ男が当たり前のように隣に座ろうとしたのを拒否し、一席分間を空けて座らせた。
「まあ、ブリーフ一丁位大目に見てくれ。何か奢ってやるから。」
「分かりました。このお店名物の特製牛丼をお願いします。」
奢るという言葉に弱い、それが私。
「……一瞬も遠慮しないのだな。というより、この店はカフェなのに牛丼が名物なのか。」
「マスターの大好物らしく、相当拘ってる逸品です。」
私がマスターを呼び、牛丼とコーヒー2杯の注文をお願いする。
それにしても流石はマスターと言うべきか、このブリーフ男が入店してから今の今まで、一切動揺したような素振りを見せていない。
…これこそが、年季と人生経験により裏打ちされた貫禄なのだろうか。
「さて、さっき言ってたきっかけというのは、何なんですか?」
「うむ、分かった教えよう。
率直に言うと、お前にそれだけの〝力〟を与えようと思う。」
「…力、ですか…?」
いきなりそんな事を言われても、いまいちピンと来ない。
それに、この変質者の目的も素性も一切不明だし、怪しさしかない。
…新手の宗教勧誘かな?
「先に言っておくが、怪しい宗教の勧誘とか、押し売りなんかの類ではないぞ。」
「そうですか。」
余計怪しい。
「そうだな、まず一つ言えるのは、お前には達人としての才能が眠っている。その可能性が限りなく高いのだ。」
「…達人…ですか?」
「ああ、そうだ。」
聞き馴染みのある単語だ。
一つの事に特化し過ぎた所為で、超常的な力を手に入れた超人。
帝国軍の幹部メンバーは、全員がその達人と呼ばれる人間達だという。
帝都に生きる民衆達にとって、帝国軍の達人はいわばヒーローみたいなものだ。
「…で、でも、私が達人なんて、にわかには信じられません。」
「よく考えてみろ。心当たりはないか?」
「急に言われても、何も思いつきません。」
私が正直に答えると、ブリーフ男は腕を組み、眉間に皺を寄せながら口を開く。
「実は、ここ数日お前の行動をつきっきりで観察していてな。
そこで、お前の才能がどういった類のものか、見極めていたのだ。」
「へえ、そうだったんですか。
………え?」
一箇所、信じ難い言葉が混じってたように聞こえる。
「どうした?」
「…数日間つきっきり…?いや、今日が初対面ですよね?」
「ああ、お前にとってはな。
俺はこの村に来た数日前から、俺が寝てる時以外はずっとお前の事を監視していた。」
悪びれる様子など微塵も見せずに、堂々と言い切る目の前の変質者オブ変質者。
全身から嫌な汗がどっと流れるような恐怖を感じた。
「な、ななな何なんですか本当にッ!大体何でこんな不審者がうろついてて、誰も通報しないのッ!?」
「誰にも見つからないように監視していたからな。当然だ。」
何その無駄に高いステルス性能。
「まあ、そんな事は今はどうでもいい。重要なのは、お前の才能についてだ。」
何か本当に重要な事を有耶無耶にされたんですけど。
そうこうしている間に注文していた品が出来上がったようで、物静かなマスターが私達の前に置いていく。
私が注文した牛丼とコーヒー、ブリーフ男にはコーヒー一杯のみがカウンターに置かれる。
「よし、取り敢えずその牛丼を食ってみろ。そこの割り箸でな。」
ブリーフ男が指差したのは、割り箸が沢山入った入れ物だった。
カウンター席には等間隔に、テーブル席には一席ずつに設置してある物だ。
「はぁ…、分かりました。」
謎な指示に一応従い、私は割り箸を手に取り、割った。
「それだッ!」
「ぅえッ!?」
急に大声を出され、反射的に驚く。
何?何なの?心臓に悪い。
「お前はやはり、見込んだ通りの女だ。
その割り箸の割り方、角度、タイミング、力の入れ具合、どれをとっても完璧。非の打ち所がない!」
「…それ、褒めてるんですか?」
私のツッコミを聞いているのかいないのか、ブリーフ男はより一層表情を引き締め、厳つさが倍化する。
「お前の中に眠るその才能は、今はまだ矮小な児戯に過ぎん。
だが、これから多くの修羅場を潜り抜け、その力を磨き上げる事さえ出来れば、或いは…」
ブリーフ男は、一息置いて再度口を開く。
「この俺さえも超えお前は、最強の達人になれるやもしれん。
お前の持つ『割り箸の達人』という才能には、それだけのポテンシャルが秘められているのだ!」
割り箸の達人…?
それが、私の持つ〝力〟だと、初めて認識した瞬間だった。
正直、くそショボい能力だなぁと、当時は落胆した。
割り箸を綺麗に割る才能なんか、何の役にも立たないじゃないか、と。
ところが、そんな思いは全て、修行を開始して僅か3日程で霧散した。
割り箸を割って衝撃波を出せるようになった時点で、これヤバいヤツだと、ようやく気付く事が出来た。
ブリーフ男は、自らの名前をブルースと明かし、私は一週間のお試し期間を経て、晴れて正式に彼の弟子となった。
それからというもの、私は修行の為、連日師匠の元へ向かった。
師匠は仙人のような人で、ラスコフ村から少し離れた岩山の山頂にいつもいるので、毎回切り立った岩壁を素手で登り切る必要があった。
道具は勿論、命綱も無しの、非常に危険なロッククライミングの要領で登る訳だけども、これも修行の一環らしく、達人としての身体能力を得た私にとっては造作も無い事だった。
師匠の修行はとても厳しく、少女である私にも容赦が無かった。
毎日生傷が絶えず、コロちゃんにも心配掛けてたけど、私は諦めなかった。
修行の内容は多岐に渡り、割り箸で小豆を摘み素早く別の容器へ移し替える修行、視界を塞いだまま数種類の割り箸の中から、特定のメーカーを当てる利き割り箸の修行、割り箸を使った一発芸の模索など、実に色々な事をした。
中には、割り箸をパンツと尻の間に挟み、尻の筋肉に力を込めて割り箸を割るという修行内容もあったけど、これは流石に女子の尊厳を優先して拒否した。
どうでもいい事だけど、師匠の十八番らしい。
まあ、そんなこんなで修行にも慣れ、傍らで賞金稼ぎギルドの仕事もこなし、師匠と出会ってから一年が過ぎた頃だった。
いつも通り修行内容をクリアし、師匠に別れを告げて帰路に付こうと思ったその時だった。
「アディーナ。」
「…師匠?」
呼ばれて振り返ると、普段以上に真剣な表情の師匠が立っている。
勿論、ブリーフ一丁で。
「いいか、お前は一頻り強くなった。ここから先は、自らの手で強くなれ。」
「え?それってどういう意味…」
「言葉通りの意味だ。もう俺が鍛える必要もあるまい。さらばだ。」
それだけ言い残し、唐突に師匠は消えた。
一応翌日に修行の場に来てみたけど、師匠は居なかった。
もう師匠には二度と会う事はないと思っていたけど、まさかこんな形で再び関わる事になるとは。
私の他にも弟子はいると言っていたけど、まさかのアロジム兄弟だったとは。
驚きと喜びの感情を胸に秘め、私はコロちゃんの元へと急いだ。
◆◆
「コロちゃん、お待たせしました。」
「アディーナ、お疲れ。」
コロちゃんは、約束通り炎鬼鯉と戦った湖で、マックス君と共に待ってくれていた。
場所も以前来た時にお弁当を食べていた、岩の側だ。
帰って来た私を見るなり、コロちゃんはまず優しく微笑んできて、その後全身の怪我を心配してくれる。
「あーもう、こんなにボロボロになって。ローブはどうしちゃったの?」
「いやぁ、ちょっと空蝉っちゃって。」
「はあ?意味不明。」
呆れながらも、コロちゃんは馬車の荷台から予備のローブを取り出し、着せてくれる。
それから馬車に揺られている間も、コロちゃんは私の服のほつれた箇所を手持ちのソーイングセットで修復してくれたり、色々世話を焼いてくれた。
完全に嫁だ、この子。
「完全に嫁だ、この子。」
「…は、はあぁッ!?」
「あ、声に出ちゃいました。」
顔を真っ赤に火照らせて、照れるコロちゃん。
うん、この反応が見たくてわざと口を滑らせました。
「全く、お馬鹿な事言ってないで、これからどうするかとか考えなさいよ。」
「はぁい。」
「で、考えは?」
「取り敢えず、帝都はずっと東の果てなので、ひたすら東に進もうかと。」
「…待ってる間に地図を見てたんだけどさ、こっから東にしばらく進むと小さな村がある筈だから、まずはそこを目的地にしてみたら?」
「いいですね、その案イタダキです。」
という訳で、ガイラの街を出た私達の次の目的地が決まった。
マックス君もやる気なのか、ブルルンと嘶いている。
ガイラの街からの追手は心配しなくてよさそうだけど、私達にはまだ当面の懸念事項がある。
私達を尾行する、謎のストーカーの存在。
もしそいつが帝国軍の手の者なら、私達の動向は筒抜けという事になる。
さて、どうしたものか…
◆◆
「皆さん、本日もおはようございます!」
帝都グラドポリスの至る所に設置された、大小様々な無数のテレビモニター。
それら全てに、帝国の主たる姫皇帝、カリュウ・ラヒメのバストアップ映像が生放送で映される。
帝国では毎朝決まった時間に、このように皇帝自らが民衆に向かって挨拶をするのだ。
この時間、殆どの帝都民が麗しの姫皇帝を画面越しに拝もうと、モニターを注視する。
或る者は今日一日の元気を得る為、また或る者は帝国への忠心を示す為、そして或る者は「カリュウたんカワユスはぁはぁオゥフッ」と興奮する者。
綺麗にセットされ、宝石のような神々しい輝きを放つ縹色の長髪。
髪の色と同じ色の、フリルの付いたロングスカートドレス。黄金の王冠。
まだ若干の幼さが残る端正な顔立ちは、世の汚れを一切知らない深窓の令嬢を想起させる。
「今日は特に皆さんにお知らせするニュースは無いのですが、それは今日も帝都が平和な証ですね。
皆さんもお仕事や学校等で忙しいかもしれませんが、一日笑顔で頑張りましょう。
わたくしも、お城から応援してます!
そう言えば先程、部屋の窓を開けたら、可愛らしい鳥さんがわたくしに挨拶しに来てくれたんですよ。フフッ、これも平和の証ですね。
それでは皆さん、ごきげんよう。」
姫皇帝の太陽のような満面の笑顔と共に、モニターは何かの企業のCMへと移り変わった。
⚪︎コロちゃんのメモ帳
ゲルゲイザー
害悪指数1025KC。
緑色のスライム状の不定形な体に、無数の目玉が生えてる、兎に角気持ち悪い風貌の魔害獣。
見た目以外にも、分裂したり、再生したり、地味に強かったりと、ひたすらにキモい魔害獣として有名ね。
だけど、一部のコアなマニアの間では、〝キモ可愛い〟っていうジャンルに入れられてて、密かに人気だったりするわ。
確かに、よ〜く見てみると……




