#16、ネバネバさせちゃった
「殺しちゃ駄目って言ったでしょ、全く。」
気怠そうな女性の声が聞こえた。
それと同時に、私に直撃する筈だったカジオさんの攻撃が、寸前で止められた。
助けられたのかそうじゃないのか、今はまだ分からない。
少なくとも理解出来るのは、ガムのような粘性の物体がカジオさんの体に覆い被さり、彼の体の自由を奪っている事。
そして、今度こそ完全に気を失ったカジオさんの後ろに、只者ではない雰囲気を纏った女性が立っているという事実だ。
薄い水色のフード付きレインコートを着ていて、ピンク色の長靴を履いている、緑色の短髪の若い女性。
欠伸しながら眠そうにこちらを見ているその女性は、雨など降っていないにも関わらず蜘蛛の巣柄の傘を差し、クルクルと回している。
「あー、ダルぅ…」
「貴女は…?」
「んー?あぁ、何?自己紹介しなきゃいけない流れなの?これ。」
「マナーなので、お願いします。」
「…マナーなんだ。
えっと、ゆーりはユウリっていう名前でね、グラットン帝国所属の達人で、このガイラの街の監督官やらされてるの。
本当はこんな監督官なんて面倒な仕事、これっぽっちもしたくないんだけど、上からの辞令で無理矢理やらされてさー。
本音言うと、そも働きたくもないしずっと家に引き篭もってたいんだけど、親が就職しろ働け我が家の恥だってうるさくてさー。
ハァ…もう嫌になっちゃうよねー。」
何か、初対面にも関わらず無駄に愚痴りだした。
カジオさんも厄介な個性の持ち主だったけど、この人も色々と面倒臭そうな人だ。
しかし、監督官に抜擢されてる位だから、見た目や言動に惑わされてはいけない。
実際、あの凶暴なカジオさんを謎の技で一瞬にして行動不能にしている訳だから。
ここは、自然な流れで上手いこと退散しよう。
「あの、さっきは危うい所を助けて頂き、ありがとうございます。
それでは、私は急ぐので、これにて!」
私は、お辞儀だけしてそのまま背を向け、急ぎ足で立ち去る。
「うん、じゃあねー。」
意外と、あっさり逃して
「いや、そんな上手くいく訳ないでしょ。」
くれる筈がなかった。
背後から、カジオさんの動きを止めたのと同じ、謎のネバネバした泥めいた物体が飛んできて、私は咄嗟に横に跳んで回避する。
しかも、今の衝撃で付け髭がとれてしまった。
「あ、やっぱり手配書と同じ顔。君、例のアディーナちゃんって子でしょー。
ま、ゆーり的には正直別にどうでもいいんだけどね。一応、お仕事ってやつで。
本当ダルいんだけどさ、君を捕まえなきゃいけないらしいの。」
ユウリさんが傘を閉じて、戦闘態勢に入る。
カジオさんとの戦いによる疲労も癒えぬままの連戦、しかも相手はカジオさんよりも格上。
結局カジオさんから情報を聞き出す事も出来なかったし、果たしてどこまでやれるのか。
「そんなに面倒なら、見て見ぬ振りして見逃して下さいよ。」
「ゆーり一人だったら、間違いなくそうしてるよ。
でも、副監督官のカジオ君やられちゃってるし、今もゆーりの部下達が周りにいるからねー。サボりたくてもサボれないから。」
ユウリさんの言う通り、付け髭がとれて完全に正体がバレてしまったので、私の正体に気付いたクローン兵達が、どんどん仲間を呼んでいる。
取り囲まれるのも、時間の問題だろう。
またもや欠伸をしているユウリさん。彼女が何の達人なのか、一刻も早く見極める必要がある。
「『割り箸殺法・梛筏』」
一点収束された割り箸衝撃波が、ユウリさんを襲う。
命中する直前、ユウリさんは流れるようなステップでこれを回避。
そのまま持っている傘の先端部を、こちらに向けてくる。
「『貼鼠』」
傘の先端から、機関銃のように次々と弾丸が発射される。
いや、弾丸ではない。
私が躱し、着弾した街路樹を一瞥すると、カジオさんを捕らえているのと同じネバネバのスライムみたいなのが貼り付いている。
つまりは、あの傘から射出されているのは、小さく圧縮され弾丸化された、あのネバネバなのだ。
当たれば、一発で体の自由が奪われる。
「とっとと当たって楽になりなよー。ゆーり的にも早く仕事終わらせて、定時ピッタリに帰りたいからさー。」
ユウリさんが、傘型機関銃を掃射してくる。
私が左に回避し、走って逃げると、ユウリさんはそれを追うように扇状に掃射を旋回する。
「残念ですが、今日は残業になると思いますよ。」
「イヤだッ!残業だけは絶対にするもんか!死んでも残業だけはしないッ!」
残業というワードを聞いて、急に人が変わったかのように大声を張り上げるユウリさん。
何という強固な意志でしょうか。
「でも、あれ。」
「え?」
「うぐゥゥ、ユウリさん!酷いですよぅ!」
私が指差す先では、ネバネバ物体に絡めとられ、浜辺に打ち上げられた魚のようにもがいている複数人のクローン兵達がいた。
周りを取り囲んでいるのに、あんなにバカスカ撃ちまくってたら、当然の如くフレンドリーファイアーは起こり得る。
監督官たる者が、そこまで気が回らなかったのだろうか。
「…ご、ごめん皆。早く帰る事で頭がいっぱいで、つい…」
ユウリさんが、申し訳なさそうに謝罪する。
そんなにも早く帰りたいのか、この人は。
「部下の安全を顧みずに自らのエゴを優先して、結果部下に危害を加えてしまうとは。
上司として、どうかと思いますけど。」
そうなるよう仕向けた私が言える立場じゃないけど、ユウリさんは苦虫を噛み潰したような表情で眉間にシワを寄せている。
「うぅ、上司になんて1ミリもなりたくなかったけど、皆をネバネバさせちゃったのはゆーりが悪かった。
ガイラの街を預かる監督官、そして『貼り付けの達人』としてもあるまじき行為だったね。」
「その通りです。お詫びとして、私をこの街から出させて下さい。」
「それは無理。」
「……。」
一瞬で真顔になるユウリさん。
どさくさに紛れて逃して貰う作戦、失敗。
こうなってしまったら、もう正面から戦うしかない。
「皆は、一旦ここから離れて街の出入り口の守りを強化して。
ゆーりちょっと、本気出すから。」
ユウリさんの指示を受け、周囲のクローン兵達は散開していった。
ネバネバに捕らえられてた人は、担架で運ばれていく。
あっという間に、通りには私とユウリさん以外の人間が見当たらなくなった。
私としても、邪魔者がいない方がやりやすい。
「『貼雨』」
早速、ユウリさんが仕掛けてくる。
彼女が傘を頭上に掲げると、先端から大きめのネバネバ弾が発射される。
ヒュルヒュルと天高く舞い上がり、そのまま花火のように爆発。
微小なネバネバ液が、空から雨のように、広範囲に渡って降り注ぐ。
確かにこんな技、味方が近くにいたら確実に巻き込んでしまう、危険な技だ。
「これはマズいですね。」
私は咄嗟に、すぐ側のレストランのオープンテラスに駆け込み、テーブル席のパラソルに身を隠す事で粘着雨を凌ぐ。
ユウリさんは平然と立ち尽くし、自身の持つ蜘蛛の巣柄の傘を広げて、雨から身を守っている。
粘性の雨は一瞬で終わり凌ぐ事は出来たけど、この技は恐らくここからが真骨頂だ。
周囲の地面が殆ど降り注いだ粘着雨に侵食され、これではマトモに立てる足場が一気に限られてくる。
「恐ろしい技ですねぇ。
でもこれじゃあ、貴女も移動出来ないのでは?」
「そうでもないよ。」
その言葉通り、ユウリさんはぬちゃぬちゃと嫌な音を立てながら、何事も無く粘着液の上を歩いて来る。
「んな反則な。」
多分これ、あの人が履いてる長靴が特殊なやつなんだろうな。
まあ、こんな諸刃な技を使う位だから、きちんと対策もしてて当然か。
でも、流石に走る事は出来ないのか、速度を上げる気配はない。
ユウリさんはこっちに近付きながら、ネバネバ弾を何発も撃ってくる。
私は身を守るべく、テーブルを横倒しにして、パラソルを盾にこれを防ぐ。
貫通力は無いのでパラソルでも防げているけど、近付かれたらマズいのは自明の理。
私は後ろを振り向き、レストランの窓を割り箸で木っ端微塵に割り砕き、中へ飛び込む。
「逃げるなもー、面倒臭い。」
外からユウリさんがボヤく声が聞こえるけど、気にしない方向で。
レストラン店内は、避難が済んでるのか人は居ないけど、慌てて飛び出したのか多くの料理が食べかけで放置されている。
こんなのを見てしまうと、何だか申し訳ない気持ちになる。
「美味しそう…」
無論、お腹も空いてくる。
でも、誰が食べたか分からない食べかけ料理をつまみ食いするのは流石に憚られるので、ここは我慢。
しかし、勿体無い。
「『貼斬』」
裏口を探そうと思ったら、ユウリさんの声が聞こえた。
それと同時に、私が入ってきた窓周辺の壁が斬り刻まれ、ガラガラと崩れ去り大穴が空いた。
そこから、見たことも無い刀身だけが半透明の剣を携えたユウリさんが、姿を現し侵入して来た。
傘は閉じて背中に背負い、両手で謎の剣を構えている。
「お店、壊しちゃ駄目でしょう。」
「後で帝国が弁償するから大丈夫。」
「いやいや。ていうか、その剣は一体?」
「ん?ああ、これ?
ネバネバ液を固形化したやつ。」
雑な説明だけど、一応理解出来た。
斬り裂いた壁の破片が、そのネバネバ剣に貼り付いている。
そもそも、そんな物体でよくあんな斬れ味が出せるなと感心する。
「ほいッ!」
ユウリさんがネバネバ剣を力強く一振りすると、張り付いてた破片が振り払われ、高速の凶器と化して私に襲い掛かってくる。
「とうッ!」
この程度の攻撃、見切って割り箸で打ち落とすのは造作も無い。
そして当然、この程度の攻撃はただの目眩しでしかない。
本命は、接近してくるユウリさんからの直接攻撃。
ネバネバ剣を巧みに振るう姿は、まさに歴戦の剣士そのもの。
ネバネバ頼りではなく、その高い身体能力に圧倒されかけるも、私だって接近戦には自信がある。
集中して剣の軌跡を見極め、斬撃を回避し続ける。
「だからもう、とっとと当たって捕まって楽になりなよー。」
「嫌ですよそんなの!」
流石に全ての斬撃を回避しきれず、私の脳天目掛けて振り下ろされた縦一閃を、割り箸で受け止めて鍔迫り合いへと発展させる。
お互いの距離が近い。
「いやー、しかしやるねー、アディーナちゃん。
さっすが、アカシのおじさん倒しただけある。」
「へぇ、アカシさんと知り合いなんですか?」
「そりゃねー。こっからラスコフ村は近所だし。あの人よく買い物に来たりするよ。」
「そうだったんですか。まあ、別にどうでもいい事ですけど。」
「確かにね。」
鍔迫り合いしながら、何故か無駄話をしている。
側から見たら真面目に戦ってないように見えるかもしれないけど、実際には二人共必死だ。
必死に互いの獲物を押し合い、互角の力比べをしている。
ユウリさんは余裕そうな顔を保ってはいるけど、よく見るとその額には脂汗が滲んでいる。
「うん、本当に強いよアディーナちゃん。
でも、ゆーりの武器に触れちゃったのは悪手だねー。」
「えっ?」
言うや否や、ユウリさんは今まで奥に押し込んでいた力の方向を、途端に逆である手前に引いた。
まるで、綱引きで両軍必死に引っ張っていたのを、片方が急に力を抜いたみたいだ。
私の割り箸はネバネバ剣に引っ付いて奪われてしまい、完全に素手になってしまった。
僅かな隙を見せてしまったその瞬間、ユウリさんの殺気が膨れ上がるのを感じる。
防御は、間に合わなかった。
ユウリさんの鋭い回し蹴りが私の脇腹を捉え、痛みと共に壁を突き破り、大通りのど真ん中へ吹き飛ばされる。
反撃に転じようと起き上がろうとするけど、大通りを満たすネバネバが体に張り付き、地面に縫いつけられて動けない。
そしてその時には既に、ユウリさんは追撃の準備を済ませていた。
彼女は、仰向けになって倒れている私の顔の横に立っていた。
「しま…ッ!?」
「『貼鉄』」
ユウリさんの両手には、長さ30センチはありそうな、細長い鉄の針が大量に握られていた。
彼女はそれを、動けない私目掛けて一斉に投げる。
私は痛みに備えて反射的に目を瞑るも、何故か痛覚が反応する気配が一切無い。
もしかして、痛みすら感じずに即死してしまったのかとも思ったけど、目を開いたらそれは杞憂だった。
ユウリさんが投げた鉄針は、一本も私の肉体を傷付ける事無く、着ている衣服にのみ突き刺さり、地面へ器用に縫い付けていたのだ。
正直、死の恐怖を一瞬でも感じてしまい、体が小刻みに震えていた。
「これだけやっとけば、流石に動けないでしょ。
あとは、クローン兵ちゃん達に頼んどくから、大人しく手錠掛けて貰っといてねー。」
…私は、負けたのか。
ラスコフ村を出て間も無いというのに、もう敗北を喫してしまうとは。
所詮、ここまでだったのかと絶望し、目の前が真っ暗になった。
⚪︎コロちゃんのメモ帳
炎鬼鯉
害悪指数910の、鯉の姿をした魔害獣ね。
その名の通り体内に炎を精製する器官が存在して、口から勢い良く吐き出す事が可能よ。
でも、当たり前だけど生息域の水中ではそれを活かす事が出来ないから、水を飲みにやって来た動物を主に狙って襲ってるみたい。
魔害獣だから食べる事は出来ないけど、一体どんな味がするのかしら…。




