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2-2 階上の偏屈な隣人

その老人…ラキアの祖父であるアグネス卿の家は村の外れにある大きな屋敷だった。

3階建ての屋敷の上の方からなんだか不気味な音や、奇妙な色の煙が見えた気がしたが、ランもジルも気付かないふりをした。

玄関の扉を開けたら、奥の部屋から10歳前後ほどの少女が顔を出した。

その少女は金色の髪と金色の瞳をしていて、予想外の訪問者に目を丸くしている。

しかしすぐに駆け寄ってきてジルの腕にくっつき、その大きな金の瞳でジルを見つめている。

「おお。サラ、ただいま」

アグネス卿は少女に微笑み、そう言った。

「サラ…?」

ジルに名前を呼ばれたその少女…サラはにこりと微笑み、こくりと頷く。

「…ただいま、サラ」

ジルは強張っていた頬を少し緩めて笑う。サラの髪を撫でながら。

そしてそのジルの言葉にサラはおかえり、と口を動かした。

声は、聞こえなかった。


「しばらく見ないうちに立派になったのう、ジル」

居間に通されたランとジルは勧められるがままにソファに座った。

サラはジルにぴったりとくっついて離れようとしない。

どうやらご機嫌の様で、ずっとにこにことジルの方を見ている。

「センが、すまなかったのう。いまだに心の中での整理が出来ていないようじゃ。あの時のことはお前だけの所為ではないのにな」

ジルは先ほどの広場での出来事を思い出し、唇を噛み締めた。

「お嬢さんは大聖堂の聖母さまじゃろう?ラキアから聞いているよ、綺麗な銀色の髪をしている方だと」

そう言われ、ランはかぶっていたフードを外した。

銀色の長い髪が滑り落ち、キラキラと流れる。

「ラキアの姿もここ2年ほど見ておらんのう。ジルが村を離れた後にラキアも大聖堂へ身を委ねたのじゃよ」

「ラキアは元気でやっています。心配ありません」

ランは微笑んでアグネス卿に告げる。

口髭を伸ばしたその顔は穏やかに微笑む。

「なあ爺さん、なんでラキアはシスターになったんだ?」

「うむ…」

ジルの問いにアグネス卿が言いにくそうに言葉を濁した時、上の階からガシャン!と音がした。


「爺さん…?何か飼ってるのか…?」

ガシャン、という音の後にも異様な音が続いているのでジルは少しうろたえている。

「ほっほっ、賑やかじゃろう。ちょいと面白い奴が上に居候していての」

その途端、石造りの天井に穴が開いた。

ランもジルも唖然として見ていたが、アグネス卿はただただ笑うだけだった。

「あー、あー、すみません!またやっちゃいましたお爺さん!」

居間にある階段を降りてきたのは、白衣を着て黒縁の眼鏡をかけた深紅の髪に同じ色の瞳をした青年だった。

よく見ると白衣は汚れていて、中に着ているシャツはよれよれだ。細身のパンツもところどころに汚れが目立ち、足元はサンダルである。

肩まである髪は伸びっぱなしのようでぼさぼさであるし、目元には隈が目立つ。それでいて背はひょろりと高く、無駄な肉の一切付いていない痩せた身体つきをしている。

病的だ、そんな印象がある。

「あれ?」

青年はランとジルを見て一瞬驚いた後、また声を発した。今度は2階に向けて。

「エリィ、エリィー。降りてきてくださーい」

青年に名前を呼ばれ、降りてきたのは短く黒い髪をした幼い少女だった。

少女は前下がりの短髪で、大きな瞳は黒目がちで可愛らしい顔つきをしているが、右側の額から瞼を通って頬にかけてまでの切り傷の跡が見える。

青年とは対照的に小奇麗な格好をしており、フリルのたくさん付いたクラシックなドレスワンピースを着ている。

「お爺さんすみません、すぐに直しますねー」

青年はにこやかに笑ってそう言った。

「カナン、土」

「あ、そうだそうだ。ありがとうございます、エリィ」

エリィと呼ばれたその少女はいつの間にか土の入ったバケツを持っていて、それを青年に手渡す。

青年はバケツを受け取って自分の傍らに置き、右手の人差指を立て、くいっと天井に向けた。

途端、床に散らばった石造りの天井の破片とバケツの土が宙に浮き、みるみるうちに穴が塞がった。

元々の石壁と土の混ざった天井が完成した。

「はい、元通り」

「うむ、いつ見てもおもしろいのう」

青年は両手をパンパンと合わせ、一仕事終えた、といった素振りを見せた。

アグネス卿も満足げに笑みを浮かべている。


ランとジルはいまだ唖然としていて、状況がうまく掴めないでいた。

「今のは…?」

思わずジルは声を漏らした。

彼が言わなくても、おそらくランが呟いていたことだろう。

「驚くことないはずですよ」

青年はまるで呼吸するかのように、流暢に言葉を続けた。



「僕も、能力者なんですから」



**********



―――――直に能力者同士が互いに惹かれ合うように出逢うでしょう。

大聖堂を出る前夜、ユヅキの部屋でそう言われたことをランは思い出した。

その赤髪の青年はランとジルを交互に見てはっきりとした声色で言う。

「…あなたは、光の能力者ですね。現在はリオン大聖堂の聖母さまと聞いています。そして…あなたは炎の能力者、この村のご出身ですね」

ランの目は見開き、ジルは怪訝な顔をした。

初めて会ったこの青年は、なぜ自分たちのことを知っているのだろうか。

青年は両手を上げて、困ったように笑った。笑うと余計に疲れて見える。

「そんな疑うような眼で見ないでください。あなた方のことも、500年前の伝説のことも…僕自身のこの能力のことだって、とある人に聞いたんですよ」

「とある人?」

「旅の神父さまですよ。ああ、ちょうどあなたの瞳と同じ色の…濃紺の髪と瞳をしている方でしたね。それに、同じ黒いロザリオを提げていました」

青年はランの方を向いてそう告げた。

ランの中で鮮明に蘇る、彼の人の姿。

「まさか…アレン…」

微かに呟くその声は、ジルにはうまく聞き取れなかった。

「その人は、どこにいる!?どこで出会った!?…いつ!?」

「ラン!?どうした、落ち着け!」

糸が切れたように取り乱したランは、ジルが抑えつけなければ青年に掴みかかっていたのでは、というほどの剣幕だった。

ランは肩で息をしている。

出会ってからまだ間もないが、ランが取り乱したところは初めて見た。

魔族によって散々な目に遭わされたときだって彼女は悪態をつく余裕を見せていた。

「落ち着いてください。その神父さまに会ったのはもう半年ほど前のことです。その時僕はメルシャーナの中心街の路地裏で薬屋を営んで日銭を稼いでいまして…といってもあの頃は街から街へと流れていたので、出会ったのも本当に偶然です」

メルシャーナとは、この国の首都の名である。

ランはジルに抱えられ、俯き、深呼吸を繰り返している。

彼女の首に提がる黒い十字架が呼吸と共に深く揺れる。

その姿を一瞥し、青年は話し続ける。

「その神父さまは旅をしている、とだけ言っていました。名前は聞いていません。あなたのことと、僕らの能力について教えてもらったんです」

「その神父…私の兄だと、思う。2年前、何も言わずに大聖堂から出て行ったんだけど…そんなことをしてたんだね」

ランは落ち着いた様子でジルの腕を解いた。

ごめん、と呟いたランに対してジルは何も言わず、青年の方を見る。

ソファに座っていたサラがランに近付いてその手を握った。ランは少し困ったように笑う。

「お兄さんも能力者ですか?」

「いや、兄さんは違うよ。でもまあ、1人で旅ができるくらいの体術は身につけてるはず」


「なあ、なんで俺が能力者だって知ってんだ?」

「あなたのことは友人の情報屋に聞きましてね。…知っているでしょう?レンティルという男です」

「…ああ、あの人か。それなら納得だ」

ジルと青年が勝手に納得するのをランはぼんやりと見ていた。

「さて、あなた方に話したいことがあるのですがね…少し暗い話になりそうなので…」

青年はちらりとソファに座るアグネス卿を見る。

その老爺は口髭を撫でながら上品に笑う。

「ほっほっ、ここまで巻き込んでおいて何を言っておる。わしは黙って聞いておるよ。それにジルに話すことだってある」

「そうですか、じゃあ…エリィ!」

先ほどの土の入ったバケツを片付けていた少女に青年は声をかける。

少女は駆け寄ってきて、首をかしげる。

「エリィ、サラと一緒に庭で遊んできてくれませんか?」

「あたしはのけ者?」

「違いますよ、重要な役目です」

「…わかった。サラー!」

少し頬を膨らませた少女はその任務を遂行しようと、サラを連れて庭に出て行った。

今の大きな窓からは庭がよく見える。

青年は庭が見える位置のソファに腰を下ろし、ランは窓際の壁にもたれかかる。

ジルは相変わらずソファにいる。

アグネス卿が4人分のお茶を入れる音が居間に響いている。



**********



「さてと、自己紹介がまだでしたね。僕はカナン・シルフォード、地の能力者です。普段はがらくた集めとかいろんな研究をしたりしています」

青年、カナンは伸びっぱなしの真紅の髪を少し揺らしてそう言った。

続けてランとジルも名乗った。

そしてランは窓の外をちらりと見て聞く。

「あの子は妹か何か?」

「ん?サラは俺の妹だぞ?」

「違うよ、あっちの黒い髪の子。それにジルじゃない」


「ああ、あの子も能力者ですよ」

カナンはさらりと言ってのけた。

窓の外、庭で遊ぶ2人の少女。金の髪のサラは黒髪の少女に付いて回り、2人とも無邪気に笑っている。

まだ幼く、無垢な少女が背負っているその運命にランもジルも少し表情を歪めた。

「あの子はエルリア・セルジオ。僕はエリィと呼んでいますが、彼女が持つのは次元を操る力…無の能力です」

カナンは庭にいるエリィを見つめながら遠い目でそう呟く。

「まさか、こんなに近くに能力者が2人もいたなんて…」

「これで4人か」

そう呟くランとジルを横目に、カナンから驚きの一言が零れた。

「僕らはまだ、此処を離れません」


「あなた方にはあの子…エリィはいくつくらいに見えますか?」

カナンは窓の方に寄って行って、庭ではしゃぐ2人の少女を見つめた。

ランは近くに来たカナンの顔を見る。黒縁の眼鏡の奥、真紅の瞳が少し揺れたのを見た。

「いくつって…サラと同じくらいか?」

サラは確か今12歳のはずだ。黒髪のエリィは見る限りではサラよりも少し幼く見える、そうジルは思って答える。

「あの子は、もう15歳になるんですよ」

「普通の子より小柄なだけだろう?」

「いやジル、それにしてもあの子は…」

ジルのごく一般的な意見をランはやんわりと否定した。

「ええ。あの子は世間的には"普通"ではありません…能力者という事実を差し引いてもです。そのことをちゃんと知っておいていただきたいのです」

アグネス卿の淹れたお茶は湯気とともに芳しい香りをたてている。

それを飲んでいるのはお茶を淹れた張本人だけだったが、その香りは居間に充満しており、これから話される事柄をいくらか穏やかにしてくれそうだ。

「エリィの身体の半分近くは、ナノマシンとその他の機械で形成されています」

「…ナノマシン?」

「細胞よりも小さな…機械ですね。それと、神経を結合させた機械の義手と義足を持つのがエリィです」

カナンは相変わらず遠い目で庭を眺めている。

視線の先は、話題の中心の少女。

「どうして、あの子が…?」

「能力の暴走です。あの子は生まれた時にはもう力が覚醒していました。それが祟ったのでしょうね、忌み子として親に捨てられたあの子は全てを憎み、世界を呪い…無意識のうちに自分自身をその能力によって無に返そうとしたんですよ」

カナンはただ淡々としていて、落ち着きすぎているその姿は、逆に恐怖すら感じる。

「僕らが気付いて駆け付けた時には…左半身は重傷、左腕と左脚はもう原形を留めていませんでした。医術の長けた街でしたのですぐに治療を施しました。命を繋ぐため、失った細胞の代わりに僕は研究中のナノマシンを…彼女の身体に移植しました」

酷く残酷なことをしました、そうカナンは呟いて困ったように笑いながら眼鏡をくいっと上げた。

ジルもランもよくわからない顔をする。2人とも機械や科学は苦手である。

「そのナノマシンってのを身体に入れたらどうなるんだ?」

「エリィの体内のナノマシンは先ほど言った通り失った細胞の代わり。神経や筋肉、臓器や皮膚になり彼女を形成する一部となっています。結果的にエリィは助かりました。機械の義手義足は彼女の希望で取り付けました、自己修復能力があると言えども研究中のナノマシンでは失った手足を完全に復元ができませんでしたので…」

次々にわけのわからない言葉を耳にして、ランもジルもほとんど黙って聞いている。

「しかし、元々の身体に存在しないものが入り込んでずっと無事でいられる保証はありません。ここ数年でエリィにはナノマシンの拒否反応が起きるようになってしまいました。そして機械の手足のせいなのか、もしくは能力の比重ででしょうか…あの子は身体の成長が極端に遅くなってしまったんです」

ランは壁にもたれたまま、窓の外で遊ぶエリィを見た。

スカートから覗く足は黒いタイツに包まれていて、素肌は見えない。袖も長袖のため腕は見えず、左手は手袋に包まれている。

そしてランは自分の左腕に視線を落とし、その腕にはまっている長く黒い手袋をまじまじと見た。

(まるで、同類だな)

ランは誰も気付かないくらい密かに、自嘲的な笑みを浮かべた。


カナンの声はまるで懺悔のように居間中に響いていた。

時々その真紅の瞳が揺れるのをランは見ていた。

「だから、ここで研究を続けているんですよ。エリィの拒否反応ができるだけ抑えられるように」

「ここじゃないと駄目なのか?」

「僕らはずっと根なし草で、街から街を転々としてたんです。何せこの能力に、研究者と機械の身体の少女。何処へ行ったって奇人変人呼ばわりですよ。

 ですが、此処は…この屋敷のお爺さんやサラ達は僕らを受け入れてくれたんです。

 研究場所をくれた、寝屋をくれた…ぬくもりをくれた。だから、僕はそれ相応のものをこちらに返すつもりです」

そう言ってカナンはジルの方を見た。

眼鏡の奥の真紅の瞳は真っ直ぐにジルに向けられている。


「サラの、声です」



「サラの…声?」

ジルはカナンに聞き返した。

確かにさっき、サラは口を動かしてはいたものの、声は一切発さなかった。

それをランも確かに見た。

カナンが口を開こうとしたが、代わりに聞こえたのは年老いてはいるが、凛とした声。

「サラは、あの事件が起きた日から声が出なくなったんじゃよ。目の前であのようなことが起きてはな…しょうがないことだ」

「お兄さんが帰ってくれば、と思っていたのですが。やはり駄目でしたね。地道に治療を続けましょう」

アグネス卿とカナンのやり取りがいまいちわからない、といった風にジルは首をかしげる。

「どういうことだ?」

「だから、カナン君がサラの声を取り戻そうとしてくれているのじゃよ」

「…精神的なものだと思いますから、慎重にやらないといけないので今すぐにとはいきませんけどね」

そう言ってカナンはジルを安心させるように微笑んだ。

「そっか、あの日からサラは…俺は妹にまで傷を負わせたんだな」

ジルはうなだれて、金の瞳を伏せている。

それを見たカナンは困ったような顔をして、アグネス卿は何かを言おうとしたが言葉にはならなかった。


「でも、笑ってたよ?ジルのこと見て嬉しそうに」

響く、ランの声。

壁にもたれ、窓の外を見ながらぶっきらぼうに呟くその声。

「だから、あの子は大丈夫」

そしてジルの方を見て少し微笑んだ。

その右手は首から提がる黒く大きな十字架を握りしめて、まるで祈りを捧げるかのように。



**********



アグネス卿の淹れてくれたお茶が冷めてきた頃、エリィとサラは遊び疲れて屋敷の中へ戻ってきた。

ジルはサラの頭を撫でて、くしゃりと笑う妹をそっと抱きしめた。

エリィはランの左腕の手袋を「お揃いだね」と言って喜んでいて、少し拍子抜けをしたようにランは驚いていた。

目の前にいるこの幼い少女は、己の宿命をもう受け入れているのか、と。

「爺さん、そういえばシュウとアリアは?ここにいるのか?」

アグネス卿の片眉がぴくっと微かに動き、先ほどよりも少し強張った声を発した。

「シュウは、そろそろ帰ってくるじゃろう。アリアは…」

その言葉を遮って、バン、と大きな音を鳴らして玄関の扉が開く音がした。

ほどなくして、居間の扉が開き、赤みがかった黒髪の少年が勢いよく飛び込んできた。


「爺ちゃんどうしよう!軍人がうちに向かってるよ!!」


その声は、懐かしさと共にジルの響いた。

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