1-4 旅立ち 運命の歯車で踊れ
薄暗い部屋でランは目を覚ました。
ベッドの横のサイドテーブルの上にあるランプの明かりを点ける。そこはランの自室だった。
起き上ろうとしたら体中がズキズキと痛んだ。
「痛っ…」
そうだった、魔族に…。
簡単に退けられると思った相手は何らかの力を得ていたようで、地面に叩きつけられ、髪を掴まれ、蹴られ、踏まれた。
身体も痛いし、頭がくらくらしている。
ランが奴の襲来に気付けなかったせいで見習い神父が2人負傷していた。
そして、自分もまたこの有り様だ。
あのラキアの幼馴染という男がもしもいなかったら、大聖堂は壊滅していたかもしれない。
(私が…能力を封印しているから…)
ランはしばらく天井を見つめながらぼーっと考え事をしていたが、すぐに眠りの中へ落ちて行った。
時刻は、午前3時だった。
再びランが目覚めた時にはもう空は紅く染まり、太陽は沈んでいく最中だった。
ようやく起き上った彼女は、夢見が悪いせいで酷く汗をかいていた。そんな日は、決まって左腕が軋むように痛む。
いまだに打撲で痛む身体を引きずり、汗を流そうと備え付けのシャワールームに入る。
知らないうちに手当てがされていたようで、顔には絆創膏、腕や足には包帯が巻いてあったが、どれももう血は止まっていたし酷いものはないので全て取ってしまった。
白いロングワンピースを着せられていたが、左腕の手袋はそのままだった。
それを外し、その下にあるものが視界に入った瞬間に、昨日の魔族の襲来での己の無力さを思い出した。
まるで発作の様にフラッシュバックする。昨日だけではない、今までの記憶。
ランは慌ててシャワールームを出て、サイドテーブルに置いてある小さな袋の中から錠剤を取り出す。
それを口に含み、水で流しこむ。目を瞑り、深呼吸を繰り返す。2回、3回…。
ようやく落ち着いたところで再びシャワールームに入り、蛇口を捻って熱いお湯を出した。
(このままじゃ駄目なことくらい…一番わかってる)
軋むような痛みの左腕を、右腕で強く掴んだ。
ランの髪が乾いた頃、もう外は暗くなっていて、ランは自分がどれだけ長い間寝ていたかを考えないことにした。
どうせまたシスター・ジェーンに仕事をしろ、なんてお小言を言われるに違いない。
今日はもう出掛けるつもりもないので、少し長めの丈の白いシャツに、ショートパンツだけを履いてランは部屋を出た。
棒剣は部屋に置いて、その代わり大きめの肩掛けを羽織って。
ラキアと、その客人のことが気になったのだ。
「よう、お目覚めか?」
部屋の前に立っていたのはその客人、ジルだった。
彼は相変わらず黒いロングコートを着ていたが、昨日と違って前は留めていない。
首元に、何か黒い模様が見えた気もしたが、気のせいかもしれない。
「何、ずっとそこにいたの?」
「いや、昼くらいからだ。暇だからな」
そう言ってジルの髪が少し揺れる。少し長い襟足は、開いてる窓から入ってくる風に吹かれている。
ランが少し笑った時、廊下の向こうからコツコツと踵を鳴らす靴音が聞こえてきた。
少し大柄な体、初老のシスター・ジェーンだ。やっぱり来たか、とランは一瞬思う。
「ラン、教母さまがお呼びですよ。それと…ジルさん、貴方もです」
「俺も?」
「ええ、教母さまの執務室で待っているとのことですよ。いいですね、ラン?」
「…めんどくさいなあ」
ランのその一言にジェーンはキッと眉毛を上げる。シスターらしくない、鬼の形相だ。
「ラン、仮にもお客様の前ですよ!貴女はこの大聖堂の聖母なのですから…」
「あーあー、わかったよ。行きます行きます」
ランは耳に手をあて、ジルを顎でしゃくり、足早に歩き出した。身体はいまだに痛い。
「なあ、聖母って…」
「え、言ってなかったっけ?私、この大聖堂聖母。立派な聖職者」
「はあ!?」
盛大に驚いてくれたジルは、その後、ある意味シスターよりも衝撃が強い、と言っていた。
**********
"教母さま"の執務室は、大聖堂の2階にある、突きあたりの大きな部屋だ。
ランはノックもせずにドアを開け、ずかずかと入って行く。
「マザー!一体何…って」
「あら、ラン。お目覚めね、もう身体は大丈夫なの?」
そこにいたのはラキア1人だった。彼女は左肩の焦げていない、替えの修道着を身にまとい、壁際に立っていた。
ランに続いてジルも怪訝な顔をして部屋に入る。
その部屋の奥には大きな仕事机が置いてあり、その向こうには大きな窓がある。
中心には二人掛けのソファが向かい合っていて、その間には同じ色のテーブルがあり、応接間のような雰囲気だ。
ただ、両側の壁には天井に届くほどの本棚が並んでおり、古い本から新しい本に隙間なく埋め尽くされている。
ラキアはテーブルに近寄り、何処からか持ってきたティーポットでカップに茶色の液体を注ぐ。
どうやら紅茶の様だ。芳しい香りが部屋に満ちる。
「ああ、良い香りですね。ありがとう、ラキア」
再び扉が開き、声が聞こえた。ラキアは扉の方に身体を向けて綺麗にお辞儀をした。
「マザー、いったい何の用?」
「そう急がないで、お掛けなさいラン。…貴方も、こちらに」
その人はよく通る澄んだ声で3人をソファに促した。
黒い神父服のような聖服を着ていて、短く黒い髪、小柄な女性だ。見た目では20代後半くらいだろう。
ラキアとジルは並んで座り、その女性はランの隣に腰を下ろした。
「酷いやられ様だったみたいですね、ラン。少しは反省しましたか」
「…そんなこと言うために呼んだの?」
その女性はにこにこと微笑みながら厳しい言葉を並べ、その言葉をランはソファの背もたれに身体を預けて聞き、答える。目線は天井を向いている。
そして黒髪の彼女はジルの方を向いて微笑む。
「初めまして。この大聖堂の教母、ユヅキ・エイミアードと申します。貴方が炎の能力者ですね、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ジル…、ジル・リンプスです。あの…"能力者"って一体…?」
「あら、ラキア。お話してなかったの?」
「すみません。慌ただしくて…」
「そうね、しょうがないわ。ジルさん…貴方には知らなくてはいけないことがたくさんあるんです」
ユヅキは手元の紅茶を一口飲んでまた話を続ける。相変わらずランは天井を見上げている。
「ジルさん、500年前の伝説を知ってますか?」
「さわり程度なら…。月の話ですよね」
「そう、この世には大きな白い月と、それに寄り添う小さな赤い月が存在しています。それは500年前にも空に浮かんでいたのです。
あの赤い月には生物と同じように意識があり、破壊や争いを繰り返す人類に絶望し、世界を壊そうとした…自らを神にし、世界を創り直そうとしました。
しかしそれは実現されなかった。どこからか現れた7人の戦士によって赤い月の化身は封印され、空には白い月だけが残った…。
そして世界は崩れることもなく、今日まで続いている…といったものですね」
ユヅキはそこまで一気に話した。ゆっくりと、言葉を噛みしめるように。
その時、ランは天井を見上げていた顔を前に向き直し、ユヅキの代わりの様に言葉を発した。
「その7人の戦士たちはね、人間が持つはずのない人外の力を持っていたんだ。光、闇、炎、水、風、地…そして無。自然界の力をそれぞれがひとつずつ。…わかった?」
「まさか、それって…!」
「そのまさかだよ。あんたのその炎の力がそれなんだ」
「ちなみにこの子は光の力を司っています、もう拝見しましたでしょう?」
ジルは驚き、取り乱している。突然伝説の中の戦士と同じ力が自分にあると言われたら驚くに決まっている。
「その力は赤い月と非常に密接な関係にあります。赤い月が活動を広げる時、必ずどこかで能力者が覚醒してきました。500年前は7つの力の能力者が全員。
150年前に赤い月が再び現れた時は1人だけ能力者が覚醒したと聞きます。その時月による被害はほとんどありませんでした。
どうやら覚醒する能力者が多ければ多いほど、赤い月も力を増すようなんです。
そして、最近判明したことでは…魔族を率いているのはあの赤い月のようなんですね。」
"魔族"という言葉にジルの眼がぴくっと反応する。その眼には一瞬憎悪のようなものがチラついたのをランは見逃さなかった。
「昨日の魔族は、よく大聖堂を襲いに来る者だったのですが…どうしてか昨日は格段に強さが増していました。おそらく月の力が強まっているのでしょうね。
このままでは世界は今度こそ滅びてしまうかもしれません。いくら各国の軍隊が対抗しても、あの月を封印できるのは能力者だけでしょう」
「で、俺に何をしろと言うんです?」
「そうですね…能力者を、探していただきたいのです。そのつもりで貴方をこちらに呼びました、ラキアを通じてね」
ジルがラキアを横目で見ると、彼女は少しばつの悪そうな顔をしている。
少しの間、沈黙が流れた。
ティーカップの中の紅茶はもうすっかり冷めている。
ランが再び顔を天井の方に向けた時、ジルは口を開いた。
「…いいですよ」
「ジル!ほんと?」
「ただし、世界のためとかそんなんじゃないです、俺は魔族が許せないだけっすから…」
「それでも構いません。それから、この子も連れて行っていただけませんか?」
「…は!?マザー、何を…」
にっこりと微笑んでランに片手を向けたユヅキにランは仰天する。
思わずソファから滑り落ちそうになるほどである。
「私がいなくなったら大聖堂は…っ」
「あの有り様で何を言っているんです。先ほど国軍の方に連絡を入れました、明日にでも臨時の方を数人寄越してくれるそうですよ。貴女もそろそろ覚悟を決めないといけない時が来たんです」
「…わかったよ」
右腕で左腕を強く握りながらランはそう微かに答えた。
それを見てユヅキはにっこりとする。そして再びジルの方を見る。
「貴方の実力は見てましたよ。随分と炎を操れるようになったんですね…6年前とは大違いです」
「…え?」
「サリヤスで一度貴方を拝見しています。私はただ使い方を導いただけですけどね」
「もしかして…あの時の…」
「さて、どうでしょうね」
ユヅキはそう呟いて冷めた紅茶を飲み干した。
窓の外には2つの月がゆらゆらと浮かんで、夜空を頼りなく照らしていた。
ユヅキの部屋を後にしたジルは、用意された客間に向かう途中でラキアに呼びとめられた。
「ジル、あの…ごめんね。いろいろと…」
ジルは頭をガシガシと掻きながら、俯く幼馴染を見下ろしていた。
何て言ったらいいのかわからないのだ。洒落た言葉を使えば、こうなることは運命だった、だろうから。
能力者の宿命なのだ、とユヅキが暗い目をして呟いていた。
「それでね、ジルのあの剣、昨日折れちゃったでしょ?お父さんの剣…」
「ああ、そういえば…」
「あれの対の剣が、確かサリヤスのあたしの家にあるはずなの。お爺ちゃんに聞けばわかると思う。あれを使えるのはたぶんジルだけだから…」
「いいのか?」
「うん。いずれ渡そうと思ってたから」
「そっか、ありがとな」
ジルはラキアを見て笑った。ジルは随分と大人っぽくなったが、その笑顔は変わらず無邪気なままだ、そうラキアは思った。
いつまでも変わらないでいてほしいと、ラキアは願った。
**********
翌日、空は相変わらず晴天で、世界が異変に脅かされているなんて忘れそうなほどだった。
「そろそろ、行こうか」
正面広場のベンチに腰掛けて煙草を吸っていたジルに、大聖堂中央の礼拝堂の重い扉を開けて中から出てきたランが声をかけた。
彼女は相変わらずの白いドレスシャツにリボンタイを結び、ショートパンツからはすらりと青白い細い脚が伸びている。
グレイの聖服を羽織っているが、前は留めていないし、今はフードもかぶっていなくて長い銀髪が風に揺れている。
棒剣と、小さなトランクを持っている。
「もう、いいのか?」
「はは。だってまた戻ってこれるから。最後の別れとかじゃないんだから」
その言葉にジルは少し笑い、煙草の煙を吐いた。
立ち上がり、大聖堂を見上げる。折れた剣はラキアに預けた。
ロングコートの前は全て留めてある。
「そろそろ軍人が来るらしいからね。鉢合わせても面倒」
「…軍人?来るのか、ここに?」
「うん。私がいなくなるからね、用心棒がいなくなるんだよ。だからマザー…ユヅキが軍に要請したの」
「…それは俺も会いたくねえな」
ジルは軍という単語に苦笑いをする。
ランはわけがわからなくて少し首をかしげるが、あまり興味がないようですぐに歩き出そうとした。
「ラン」
再び開いた扉から出てきたのはラキアとユヅキ。
「くれぐれも、気を付けて。貴女は…貴女ですから」
「大丈夫、わかってるよ」
ランは左腕をまた握りしめながらユヅキにそう答える。
ユヅキはそれを確認してからジルに向き合う。
「ランを頼みますね、ジルさん。聖母の職務にあってもこの子はまだまだ子供ですので…」
「マザー!」
「ふふふ、本当のことでしょう」
その光景にジルは口を挟む隙が見つからず、ただお辞儀を返しただけだった。
「ラン、あの…」
「うん。兄さんでしょ。探しとくよ、大丈夫連れて帰るよ」
そう言って微笑んだランにラキアはありがとう、と呟いた。
「ジルも、元気で帰ってきてね」
そうして、2人の能力者は歩き出した。運命を、背負って。
「なあ」
「何?」
「なんで、マザーなんだ?」
とりあえずリオンの街に出ようと、樹海を歩く途中でジルはランにそう尋ねた。
あの女性は母と呼ぶにはまだまだ若すぎる、そう思ったからだ。
「ユヅキは私の育ての親だから」
「は?あの人どう見たって20代だろ」
「訳あって不老と延命処置が施されてる。実はあの人もう520歳越えてる」
ジルはその言葉に声が出なかった。
そして振り払うようにして違う話題を出した。
「そういえばお前いくつ?」
「19歳」
ランは即答する。
「…ジルは?」
「は?」
突然名前を呼ばれたジルは間抜けな声をあげた。
「だからジルは?いくつ?」
名前を呼ばれただけなのに、柄にもなく驚いてしまっている。
「21だよ、ラン」
今度はランが驚いた。
空には真昼の月が浮かぶ。
白と赤、寄り添いながら漂う姿には恐怖すら忘れるほど。
動き出した歯車は、もう止まらない。
**********
その頃、大聖堂には濃紺の軍服に身を包んだ2人の男女が訪れていた。
女の方は白い髪で前髪が長く片目が隠れている。露出している方の眼は紅く、いかにも陽に弱そうな外見をした美人である。
もうひとりの男はおそらく部下だろう。彼女の一歩後ろを歩いている。
「ウィール少佐、貴女ほどの方に来ていただけるなんて思ってもいませんでしたよ」
ユヅキが女の隣を歩きながらそう言う。
「いえ、この大聖堂は国にとってもとても重要な場所ですから。それにランの故郷ですしね。正式な駐在担当が決まるまでは私がいる予定です」
「中央の方は大丈夫なんですか?」
「まあ、大佐がちゃんと仕事さえしてくれれば問題はないでしょうね」
少佐と呼ばれているその女は礼拝堂の中を見回して呟く。
「この様子では、ランはもう旅立ったみたいですね」
「ええ。やはり親心は痛みます。兄妹ふたりともいなくなってしまいましたからね」
そう言って少し微笑むユヅキに対して少佐はある一枚の紙を取り出し、渡した。
「それと、現在捜索中の賞金首がおりまして…。拠点としているらしいメルシャーナからここ数日姿を消しているらしいです」
「あら、お若い方ですね」
「ええ、ここ数年で盗賊団を結成し頭領を張っていた男の様です。軍が付けた賞金ではないのであまり詳しくは知らないのですが…、なかなか危険な男と聞いていますので一応警戒はしていてください」
少佐はそう言ってユヅキに一礼し、再び礼拝堂の外へ出て行った。
「あらあら…」
ユヅキは口に手を当て、少し困惑する。
(どう見ても、本人ね)
金の髪に金の瞳、射るような視線をした男が写真に写っている。
首筋には肩まで及んだ黒い刺青が。
それは、かの炎を纏った彼にそっくりであった。




