1-3 伏して止まれ 緋く沈め
「…ル、…ジル!」
ジルは自分の名を呼ぶ懐かしい声で意識を戻した。
「あ…れ?」
「意識、とんでたよ?」
目の前には銀色の十字架をさげ、白い修道着を着たシスター。
肩までの茶色い髪だけは、何年経っても変わらない。
―――ラキア。
「…え?ラキア、俺さっき…お前に…?あれ?」
「出来る限りは治したよ。さすがに完全には治せなかったけど」
困惑するジルに声をかけたのは樹に寄りかかって座るラン。グレイの聖服を脱ぎ、ノースリーブのシャツから伸びる青白い腕にはさっきよりも傷が目立つ。
腕だけではない、顔にも多少の傷がある。
(手加減したとはいえ、俺の炎の蛇が直撃したラキアはそんな軽傷ですまないはず…)
ラキアにはほんの少し火傷の跡が見える。ただし、蛇が噛みついたであろう左肩部分の修道着は黒く焦げている。
ジルは記憶がおかしくなったのかと首をかしげた。
「よくわからない、って顔してる」
ランがニヤリと笑ってそう言った。彼女は先ほどまでの眠そうな顔ではなく、今は少し疲れたような顔をしている。
「確かにあんたの炎でラキアは左肩に重傷を負ったよ。さすが、炎の能力者なだけある」
「じゃあなんでその火傷が消えているんだ?」
「そこからは私の能力。患部の細胞を急速に活性化させて治癒能力を高めたんだ、力を借りるための代償として火傷の一部を傷として私に移し替える必要があったけどね」
「…は?」
「私も"訳あり"だって言ったでしょ?」
ランはそう言うと立ち上がり、グレイの聖服を再び羽織った。
「ラン?どこに行くの?」
「大聖堂に戻るんだよ。ラキアの言ってた客人って、そいつでしょ?」
「…ばれてた?」
「まさか、能力者とはね」
ランはため息をつき、棒剣を担いで歩きだした。
すかさず立ち上がったラキアは、ジルを手招きする。
「突然呼びだしてごめんね。まさかこんなことになってるとは思わなくて…」
「…」
「顔色、さっきから悪いよ?どうしたの?」
「意識とんでる間、思い出してたんだ…6年前の…」
「…そう」
俯いたラキアから、一筋の涙がこぼれた。
「そう…だよね、あたしに会うと、思い出しちゃうよね…ごめん、ジル…」
「いや、いいよ。それよりもお前がシスターになってる方が驚いたよ、それに、あんな聖職者もいるんだな」
立ち上がったジルはラキアと共にランの後を歩く。
ラキアは変わらない。6年前から何一つ。それがジルを安堵させた。
「ランのこと?あたしも最初は驚いたわ、聖職者には見えないわよね、あの目付きの悪さ!」
「ラキア!聞こえてるよ」
「何よ、本当のことじゃない!」
その目付きの悪い聖職者は迷わず入り組んだ樹海を進んでいく。
そういえば何時間も迷ってたんだっけ、とジルは遠い昔のように思い出した。
太陽はもう傾いている。あと数十分も経てばこの樹海も夕暮れに染まるだろう。
夕暮れの空には良い思い出がない、ジルのそんな気持ちを余所に太陽は今日の仕事を終えようとしている。
湖から10分ほど歩いたところで、樹々の茂る向こう側に石造りの古い建物が見えてきた。
その時、ランは歩みを止めた。
樹の匂いにまぎれて、かすかに血の匂いがする。
まさか、だ。
「私、先に行ってる」
「え、ちょっと、ラン!」
ランは走り出した。そのスピードは眼を疑うほどで、ますます聖職者には見えない。
「待て待て、この匂い…」
「…え?」
ジルも気付いたようだ。彼は咥えていた煙草の灰を落とし、煙を吐いた。その顔は少し青ざめているように見える。
「こういうの、なんて言うんだったか。…デジャヴ?」
それでも彼には冗談を言う余裕があったらしい。
**********
ランはすぐに大聖堂の正面広場に到着した。
やはり、そこには思った通りの光景が広がっていた。
「ラン…さん!」
地面に血を流し倒れている二人の男。彼らは大聖堂の見習い神父だ。
しゃがんで彼らの顔を覗いているのは、赤黒い肌の…魔族。
気付かなかった、すぐ近くの湖にいたってのに。
自分以外の能力者に出会ったのは初めてだったからか、全く気配を感じられなかった。
「おお、やぁーっと来たか。待ちくたびれたぜ、エイミアード!相変わらず変な色の髪してんな!」
「あんたは今日も酷い面だね。とっとと消えてくれないか、そろそろくたばってよ」
ランは目の前の魔族に向かって遠心力に乗せて棒剣を叩きつける。
その衝撃で棒剣はしなり、魔族は吹っ飛んだ。砂埃があがる。
「そろそろ懲りてよ、いくらやっても無駄…っ!」
砂埃の中に佇む影。いつもなら、もうこの一撃で終わっているのだが。
その魔族は手を首にあて、ゴキゴキと首を鳴らしている。そしてランを見て、不敵に笑う。
「あー、効かねえなあ。あんたのそれはもう効かねえよ」
そう言ったやいなや、ランに跳びかかりその大きな掌を首にかけ、そのまま彼女を地面に叩きつけた。
「かはっ…」
ランは衝撃で血を吐いた。そういえば、今日は叩きつけられてばかりだ、そうぼんやりと思った。
「…今日は厄日か…」
そう呟いたランの髪を掴んで顔を覗き込む魔族はニヤリと嘲笑う。
「無様だなーぁ、エイミアード。今までのお返しだぜ?」
「貴…様、いつもと…随分違う、な」
魔族の尖った耳がぴくっと動いた。そしてまたニヤニヤと笑う。
「はっ!ある御方から力を頂いたんだよ。これで俺はお前よりスピードも力も上だ!まさかこんなに簡単にくたばるとは思わなかったけどなーぁ」
ランは魔族を睨みつけ、棒剣で振り払おうとしたが、それも阻まれた。
視界の隅に見える見習い神父の2人が心配そうに見ている。
「お前の棒剣は効かねえっつったろ?そろそろ"力"を使ったらどうだ?」
「力は…使わ…な、い」
「ああ!?これでもまだ言うのかよ!」
魔族はランの髪を掴んだまま、彼女の身体を蹴り上げ、踏みつける。その度、ランは血を吐く。
見習い神父の二人は、ランのまさかの光景に息を止めるほど驚いているが、自分たちも負傷しているため助けることはおろか動くことすらままならない。
ちょうどその時、大聖堂の正面広場にラキアとジルが到着した。
「…ラン!」
ラキアは驚いて声を上げ、ランの元に駆け寄ろうとしたところをジルに止められた。
「ばか、今行ったらお前の方が危ない」
「でも…っ」
「それにあいつ、俺みたいな"力"があるって言ってただろ」
その言葉を聞いた途端、ラキアはジルに掴まれている手を振り払って、そのままジルの頬をパチン、と叩いた。
「ランは、力を封印しているのよ!さっきジルと闘ってたときだって使わなかったでしょう!?あの子は治癒の力しか使わないのよ…」
「…」
「あ…、ジル…ごめん、あたし…」
ジルはラキアを見下ろす。この6年でジルは随分と背が伸びたようだ。高い位置にあるジルの顔は、さっきラキアが叩いたせいで頬が赤い。
彼はラキアの髪をクシャっと撫でると、煙草に火を点けながらランに近付いて行った。
「よお、おねーさん。さっきの威勢はどこに行ったんだ?血だらけじゃねえか」
「…たまたまだよ、あんたこそ、見物?」
ジルはランのその受け答えに対してけらけらと笑う。
そして背中の大剣を鞘から抜く。煙草は咥えたままだ。
「さて、魔族さん。俺が相手だ」
「はっ!てめえみたいな人間に何ができるって言うんだ」
「俺は強えぞ」
ジルはにやりと笑って魔族に向かって切りかかった。棒剣とは違う、鈍く光る刀身は魔族の皮膚を切り裂いた、と誰もが思った。
(硬いっ…)
すぐさま体勢を整えたジルは今度は標的に向かって剣を突き刺した。
が、刀身はその衝撃に耐えられず、折れてしまった。
「やべっ…」
「弱いな、お前も!」
先ほどと同じだ。ジルもまた、ランと同じように地面に叩きつけられた。
優位に立った所為か、ニヤリと笑う魔族が視界に広がる。不快だ、そうジルは思った。
「どうってことねえなあ。剣が折れちまったらお終いじゃねえか」
「ジル!」
ラキアの声がする。
咥えたままの煙草はいつの間にか火が消えていた。
「あんまり、使いたくなかったんだけどな」
右腕を天に掲げる。
6年前の、あの日の様に。
目の前でニヤニヤと嘲笑うこの魔族と、故郷を襲った奴らが重なる。
「しょうがねえよな、もう」
「何を、ぼそぼそ言ってやがる…!」
鋭い爪が喉元に突き刺さりそうになった時、魔族の身体を上空から急降下してきた炎の蛇が貫いた。
「てめえ…、能力者かっ…」
「じゃあな」
その身体はそのまま炎上し、蛇はジルの右腕に戻った。
そこには、黒い灰だけが残った。
ジルは座りこみ、咥えてた煙草に再び火を点けた。
空はもう、夕暮れを通り越し、暗くなりかけていた。




