1-2 忘れがたき夢の形見
もうずっと、思い出すことはなかったはずだ。
これは鍵をかけて沈めたはず、暗い暗い底の方に。
6年前の、緋い、記憶。
『サラ、アリア。そろそろ村に帰るぞ』
俺は山あいのとある村に生まれ育った。
あの日、2人の妹と幼馴染のラキアを村から少し離れた場所にある花畑へ連れて行ったんだ。
『ちょっとジル!あたしも帰る、こんなところにか弱い女の子をひとりにしないでよ!』
『ラキア、か弱いって…痛っ!』
ラキアの脚が真っ直ぐに上にあがって、前を歩く俺の背中にその爪先が綺麗に突き刺さった。
俺とラキアは同い年で、生まれた時からずっと一緒に育ってきた。
それは15歳になったこの時も同じで、俺達と、俺の弟妹はいつも一緒だった。
村の外は危ないから、と教えられて育った。
俺の家は古臭い剣術道場で、村の若い奴らのほとんどが親父の弟子だった。
もちろん俺もそのひとりだったし、同じ年代の連中と比べたら俺はそこそこ強い方だったけど、それでもまだまだ子供だったのだ。
それを嫌というほど味わうとは思ってもみなかった。
『お父さんったらどこへ行くのにもジルと行きなさいって言うのよ。あたしだってもう子供じゃないんだから、ジル以外に守ってくれる人だっているかも知れないじゃない』
『ああ、酒屋のフォズとか?』
『嫌よフォズなんて!ジルに一回も勝てたことないじゃない。あたしはね、もっと頼り甲斐があって、知的で…そうね、背の高い人がいいわ』
『うわ、そんなに理想高いといつまでも結婚できねえな。親父さん泣くぞ』
『うるさいわね!』
ラキアは村長の一人娘で、大切に育てられていたのだが、どうしてこんなに夢見がちに育ったのかはわからない。
この頃は俺もラキアも同じくらいの背で、きっと世の中で起きているであろう事柄を同じような目線で見ていたんだろう。
こっちの世界は平和で、聞かされる危険な話は違う世界、だと。
俺の生まれ育った村、サリヤスは土地こそあれど、技術の発展は遅く、歴史や慣習を重んじる民族的な面が強く、軍事国家ネイディアに属するものの、国軍とは睨み合いが続いている。
サリヤスは旧王族派だと、親父が言っていた。
ネイディアは150年前に王制が廃止され、現在の軍事政権となったらしい。
歴史を重んじるサリヤスは要するに全てが古臭いわけで、いまだその体制に溶け込めないでいるわけだ。
だからこそ余計に世界の混沌にも気付けないでいたのだ。
『ジルお兄ちゃん、これね、ラキアお姉ちゃんが作ってくれたのっ』
末の妹のサラは6歳。
俺と同じ金髪を揺らしながら、同じ金の瞳を輝かせて、頭の上に乗っている花冠を嬉しそうに見せてくる。
『おう、よかったなサラ。よく似合ってる、可愛い可愛い』
『えへへ。アリアお姉ちゃんも作ってもらったんだよ』
11歳のアリアは瞳は同じ金色だが、髪の毛は母親譲りで赤み掛かった黒だ。
アリアは同じような花輪を首にかけていて、俺が頭を撫でてやると嬉しそうにくしゃっと笑った。
4人で並んで村までの道を歩く。
もう日が暮れ始めていて、太陽が今日に終わりを告げるため、空を紅く染めながら沈んでいく。
この日の夕焼けがやけに変に奇妙な色を帯びていたのは、今でもよく覚えている。
『あれ?』
『どうした、アリア』
『シュウが走ってくるよ?どうしたのかな』
シュウはアリアの双子の兄だ。だから俺の弟ということになる。
そのシュウが村へと続く道の向こうから走ってくる。
俺はアリアに言われて遠くを見据えたが、シュウの表情は焦って歪んでいるように見えた。
『兄ちゃん!大変だ!!村が…村が…!』
『…村がどうした?』
その後シュウの口から出た言葉に、俺は走り出した。
――――――魔族に襲われた!!
**********
魔族。
人間と同型の姿形をしていながらも、殺戮や破壊行動を好み、まるで獣のように命を貪る種族。
彼らは遥か昔に戦争が終結した時に突如姿を現し、人々を恐怖に陥れた。
浅黒い肌や尖った耳、鋭く伸びた爪が特徴的で、有する戦闘能力に至っては一般人など比ではない。
俺がようやく村に到着したとき、既に戦況は散々だった。
血を流し倒れる者、息絶えた者、負けじと魔族に立ち向う者もいた。
この時世だ、今までも何度か魔族の襲来はあってもどれも弱い者たちで、村の屈強な若者が相手になれば簡単に退いた。
なのに、なぜ。
今、村を制圧する魔族はかなりの数だ。まるで、軍隊の様。
この村は国軍の統治下に入っていないから支部も駐屯所もない。
近くの街まで行けば国軍の支部があるが、それでも山を越えるか、相当な距離を歩かなくてはいけない。
まさか、軍に援軍を期待できる状態ではないのだ。
『嘘…だろ…』
しばらく俺は呆然としていたのか、それともそれは一瞬だったのか。
目の前の惨劇を照らすのは、青空と夕焼けが混ざった奇妙な紫色の光。
『ジルお兄ちゃん…?』
名前を呼ばれてはっとした。気付いたら傍らにサラがいた。
俺を追いかけて一緒に走ってきたのだろうか。近くにラキアもアリアもシュウも見当たらない。
サラの大きな金色の瞳は涙を溜めて揺れていた。
(そうだよ、俺はこいつらを守らなくちゃいけないんだ)
俺はそう思って、力が抜けてぐったりとしていた身体をぴんと張り、右腕に持っていた剣を握り直す。
護身用に、いつも持っている普通の剣だ。
『サラ、大丈夫だ。悪い奴は兄ちゃんが追い払って、すぐにいつも通りになるからな』
『誰が追い払うって?』
『!』
サラの方を向いていたから、村の中に背を向けていた。
溢れかえる血の匂いと騒音や悲鳴で近付いてきた魔族に気付けなかった。
『なめるなよ、小僧!』
そいつの鋭く伸びた長い爪が振り下ろされたとき、俺は剣を鞘から抜くわけでもなく、構えるわけでもなく、ただサラを抱きしめた。
『…ぐあっ!』
赤黒い血が飛び散る、痛みはない。俺は刺されも切られもしなかったし、サラも無事だった。
『大丈夫か、ジル!』
崩れ落ちた魔族の向こう側にいたのは金髪金眼の男。
柄に装飾が施された大剣を楽々と片手で振りかざす、親父だ。
『父さん!無事だったんだな、母さんは…』
『母さんはもう避難したはずだ。ジルよ、妹たち…それにラキアちゃんはどうした?』
親父は俺たちを守るように背を向けて、そう尋ねた。
腕にも顔にも、そこらじゅうに傷があって、血を流している。
『ああ、サラならここにいる。アリアとラキアはシュウが付いてるはずだ』
『そうか…ならば、これからはお前が皆を守ってやれ』
『…父さん?何を…』
『ジル、母さんを、妹と弟を頼んだぞ』
『待てよ、父さん…!』
親父は剣の柄を握り直し、一瞬だけ俺たちを見て何か言うように口を動かした。
そしてそのまま、争いの中心へ飛び込んで行った。
俺は親父を追おうとしたが、服の裾を掴まれ、動けなかった。
裾を掴んだ張本人のサラは駄目、とでも言うように首をぶんぶんと横に振り、涙を流していた。
俺は、何が起きていたのか、どうすればいいのか、わからなかった。
親父の口は"生きろ"と動いていたように見えた。
見えるもの全てが赤く染まっていた。
それは、数時間前までいつも通り動いていた見知った顔から流れるものなのか。
ただの、夢か。
甲高い声が近付いてくるのにも気付かなかった。
俺が、もう少しだけしっかりしていれば。
俺が、もう少しだけ強かったら。
俺が、もう少しだけ…大人だったら。
甲高い声、耳障りな笑い声。視界を埋め尽くすのは、見慣れた赤み掛かった黒く長い髪。
見えるもの全てが赤く染まっていた、はずだった。
もっと、緋くなった。
『ジル…、サラ…無事ね』
俺達ふたりを抱きしめるように魔族から庇ったのは、避難したはずの母だった。
母から噴き出す緋が、視界を染める。黒から、緋へ。
俺の髪も、服も、顔も、記憶すらも、緋く。
母は微笑み、眼を閉じ、崩れた。
緋く染まった花冠が、傍らに落ちた。
『うわああああああ――――――!!!』
**********
それからのことはあまり覚えていない。
気付いたら村の半分近くが黒く灰になっていた。
生き残ったのも僅か、村人も…魔族も。
どうやら魔族は撤退し、騒ぎは治まり、村は静まり返っていた。
血と、焼け焦げた匂いが充満していて、この世の終わりかとも思った。
いつの間にか村に戻ってきていたラキアたちの元にサラを預け、俺は村の中心にある広場に歩いた。
正確にいえば、広場の跡、だ。
その広場の更に中心には鉄でできた祠があり、長年このサリヤスを支えてきたものだ。鉄でできていたので燃えてはいない。
祠の傍らに、体格のいい男が倒れていた。周囲同様に焼け焦げていて、顔は判別できない。
ただ、右腕に掴んでいるその大剣には見覚えがあった。黒い柄に玉虫色に鈍く光る蛇の装飾。
『…親父…?』
俺は呆然と立っていた。
母の遺体は血だらけであったが綺麗に眼を閉じたままでさっきいた場所に崩れていた。
『…人殺しっ!!』
誰かが言った。
周囲を見渡すと、生き残った村人たちが俺を見ている。
それは恐怖の目であり、憎悪でもあり…狂気にも思えた。
『人殺し、お前が殺したんだ!』
数時間前まで一緒に剣術の鍛錬をしていた友人が、俺を睨んでそう告げる。
『何なんだい、あれは…?ジル、あんたの身体からは炎が出るっていうのかい…?』
炎?
知らない、俺はそんなの知らない。
『村は、めちゃくちゃだ。お前があんな炎さえ出したりしなければ助かった者たちだっていたっていうのに…』
『この、化け物っ!』
『人殺しっ!』
俺が…殺した?
この身体から、炎を出して?
村を、皆を、魔族を…親父を、焼き尽くした?
身体が熱かった。
確かに自分の身体なのに、どこか感覚が違うような。
思わず両手を見つめると何か生き物のうごめくような感覚すらした。
『腕を天に掲げて、念じなさい』
どこかから声がした。
『は?』
『いいから。そうね…"起きろ"とでも』
その謎の声に導かれるまま、右腕を天に掲げた。
(…起きろ)
瞬間、腕に衝撃が走ったかと思えば、燃えるように緋い蛇の姿をした何かが右腕から飛び出た。
燃えている、緋い。炎の蛇。
『ひっ』
『化け物!』
周囲の村人たちがまた声をあげる。
その蛇は天高く昇ったかと思えば、急降下してきて俺の右腕に再び納まった。熱いかと思ったら何も感じない。まるで身体の一部かのように俺の腕に消えた。
『それが、貴方の力…』
謎の声のする方を見たが、そこにはもう誰もいなかった。
(俺の…力?)
信じられない。なぜ、炎が出た?
そんな人間、見たこともない。聞いたことすらない。
俺は再び呆然と両手を見つめていたら、石が頭に投げ付けられた。
こめかみから血が流れる。顔中すすだらけだったから、血はすすを巻き込み赤黒くなって地面に落ちた。
『…出ていけ!化け物!!』
数時間前までは仲間だった村人たちが、皆敵に見えた。
俺は親父の遺体から剣と鞘を取り、こびりついた血とすすを払い、鞘に納めた。
『ジル…』
ラキアが村人たちから離れて寄ってきた。後ろにはサラ、アリア、シュウもいる。
『ジルの、せいじゃ…ないよ』
ラキアは瞳に涙を溜め、ゆっくりとそう告げた。
その眼には恐怖も、憎悪も、狂気も見えない。
『どこ…行くの?お兄ちゃん』
『どこか、遠く。ここにはいられない』
『そんな…!兄ちゃん!』
『ジル!』
アリアとシュウの泣き叫ぶ声が聞こえた。俺は親父の剣だけを持って、村を去った。
親父との約束を守れないまま。
泣き叫ぶ声と、罵倒する声が、いつまでも耳にこびり付いていた。
夢に見る、緋い記憶。
忘れたい、忘れられない。
憎むならばどこまでも憎んでくれ。
――――――もう、許してくれとは言わないから。




