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1-1 出逢い 樹海の中の大聖堂

見渡す限り真っ白な部屋でラン・エイミアードは目覚めた。

ギシリ、小さなこの部屋にたったひとつ置かれているソファが軋む。


ああ、いつの間にか眠ってしまっていたのか。


まだ夜明け前だろうか、それとももう昼間なのだろうか、この部屋には窓がないから時間の感覚が掴めない。

いや、正しくは塞いだのだ、窓を。



衿元のリボンタイを結び直してから、上着を手に取り手早く着る。フードで長い銀髪を隠す。

この世界で銀色の髪はひどく珍しいらしい。珍しいというより、忌み嫌われているのだ。

ソファに立てかけておいた細長い槍状の棒を掴む。

細かな装飾の付いたそれは自身を守る唯一の武器、棒剣。


明かりを消して部屋を出ようとした時、壁の細かな傷を見た。

爪痕、へこんだ壁、赤黒い小さな染み。

いつか白くなるだろうか。ランは得体の知れない不安感に襲われながら、部屋の扉を乱暴に閉めた。


「来ていたのか、ラン」

白い部屋を出た先にあるリビングルームにその声の主はいた。

リーアン・ハルコート。ここの家主であるその男は鋭い漆黒の瞳を眠そうに細めている。

ちょうど帰宅した頃だったらしい、軍人であるハルコートはその仕事着である軍服の上着を脱ぎながらランに近寄る。

「ごめん大佐、勝手に入ったよ」

「構わないさ。どうせあの部屋はお前の部屋のままだ」


「帰るのか?少し待ってくれれば誰かに送らせられるが」

「いいよ。そろそろ汽車も出るし、自動車より速いから」

ハルコートの申し出を断ってランは歩を進めた。

この国の首都に位置するこの街の中心街にほど近いこの屋敷は、家主が不在がちではあるが先ほどまでランが眠っていた白い部屋よりは屋敷全体に生活感はある。

目覚めてからずっとしている胸騒ぎは何なのだろうか、もしかしたらずっと前から胸騒ぎはしていたのだろうか。

「大佐、魔族の動きとか何か変化があったら…」

「ああ、すぐに知らせよう。それと少佐から薬を預かっていたが、見つけたか?」

「テーブルの上にあったやつでしょ。ありがとうって伝えといて」


ランはひらひらと手を振ってこの小さな2階建ての屋敷の外に出た。

まだ日は昇っていない、薄暗い空に浮かんだふたつの光を見た。

十数年前から続く世界の混沌、根源なら分かっている。

空に浮かぶ白銀の月、寄り添うように浮かぶ紅の月。それはあってはならない光。

私が普通の人間と違うというのなら、いつも見上げているあの仰々しい絵画の中の天使のような翼を与えてくれないか。

そうしたら哀しみとか憎しみとか何もない世界の果てに飛んでいけるというのに。

ランはそんな都合のいいことを思いながら街の中央ターミナルへ足を向けた。

しばらくしたら太陽が顔を出し始めて、ランの濃紺の瞳を射した。



**********



一晩明けても戻らないトラブルメーカーに憤りを覚えるシスター、ラキア・アグネスは大聖堂3階の廊下を靴音を響かせて歩いていた。

向かうはトラブルメーカーの彼女の私室だ。もしかしたら帰ってきているかもしれない、そんな淡い期待を抱きながら。


「ラン?帰ってきてる?」

ラキアは扉をノックしながら所在を確かめる。ラン・エイミアードの名を呼びながら。

「ラン様ならまだ帰ってきてないかと思いますよ、シスター・アグネス」

「…そうですか、もう日は昇っているってのに。今日は用があるって言っておいたはずなんですけど…」

ちょうど廊下を通りかかった年長のシスターに改めて不在を突き付けられたラキアは軽く不満を呟いた。

するとその年長のシスターがラキアの後ろ側、廊下の向こうを細めた眼で見据えた。あら、と小さく声を漏らして。


「なにやってんの、人の部屋の前で。シスター・ラキア・アグネス」

廊下の向こうから歩いてくる長身の女。銀髪を揺らし眠そうな眼を更に細めている。

ああ、ご帰還だ。そう心の中で皮肉を呟いてラキアはいわゆる上司であり友人でもあるその人に笑顔を向ける。

「あら、とんだご挨拶ね、ラン。あなたがなかなか姿を見せないから様子を見に来たっていうのに」

語気を強めて言葉を交わす二人の間に火花が散るように刺すような空気が流れ、お互いに睨み合うラキアとラン。

さして背の高くないラキアは長身のランを見上げる形になり、大きくて鋭いその眼に見下ろされると圧倒されそうになるが負けじと睨み返す。

そもそもランは目付きが悪すぎるのだ、聖職者だというのに。


ラキアのはあ、というため息を合図に睨み合いもほんの数秒で終わった。

「ずいぶん遅かったわね。これでも心配したんだから」

「ちょっと気分が悪くなったから大佐のところにいたんだよ、何か急ぎの用でもあったっけ?」

「もう!今日はランに逢わせたい人が来るって言ってあったじゃない」

「…あ」

眠そうな顔のままランは間抜けな声をあげた。この少女がやる気を出しているところをラキアはいまだに見たことがない。

もう5年の付き合いになるがいつだって仕事内容の把握はしてないし、大聖堂に一日中いることすら珍しい。

大抵外の樹海にふらっと出ていくか、列車に乗ってこの国の首都の方に出掛けているのだ。

「あー…眠いから寝かせて。客だってまだ来てないでしょ」

「ちょっとラン…!」

止めるラキアを余所にランは早々に自室に入って行った。

が、それも束の間。大きな音が部屋の中から聞こえてきたかと思えば青ざめた顔をしたランが再び部屋から出てきた。

「駄目、寝れない。礼拝堂にいるよ」

「それならまずシャワーを浴びてきてちょうだい。すごい汗よ」

待っていたかのように放ったラキアの一言に、ランは一瞬嫌な顔をして再び部屋に戻った。

しばらくすると部屋の中から勢いよく水が流れる音がした。ランの自室は備え付けのシャワーがあるのだ。



その後客人が来るまで自分の仕事をしていたラキアは、ちょうど大聖堂の真ん中に位置する礼拝堂を通りがかった。

ずらりと並んだ長椅子の壁寄りの端に座って天井のステンドグラスを眺めるランがいた。ロングスカートに包まれた脚と脚の間に棒剣を抱えて。

彼女の腰まで伸びた長い銀髪は少し濡れてはいるが、本人はさして気にしていない様子でぼーっとしている。

ノースリーブのドレスシャツの衿元にはいつも通りリボンタイが結ばれていて、すらりと伸びた細長い腕は青白いほど。

左腕にはこれまたいつも通り、黒い手袋。

そろそろ礼拝者が増えてくる時間だ、ラキアはランの元へ行こうとしたが歩みを止めた。その時ランの頭に分厚い本が落ちたからだ。

「痛っ!」

「ラン、そろそろ其処をお退きになるかせめてしゃんとなさっていてください。礼拝にいらっしゃった方々に貴女のそんな姿は見せたくありません」

「シスター・ジェーンかあ。せっかくそろそろ寝れそうだったのに、痛いよ」

ランの真後ろには初老のシスター、ジェーンが立っていた。どうやら頭に落ちたのは教えを説いた教書だ。

「そんなに寝たいのなら外に出たらどうです、今日は良い天気ですよ」

「そっか。そうするよ」

「ただし、後でちゃんと仕事をするんですよ」

「…うげ」

ランは長椅子から腰を上げて軽く伸び、傍らに置いていた神父服と同型の聖服を羽織る。

それが通常の神父服と違うところは、色がグレイであることと、彼女のその銀髪を隠すために衿周りにフードが付いていること。

ランが棒剣を肩に担いだら、ちょうどラキアが近くに来たところだった。シスター・ジェーンはゆっくりとした足取りで懺悔室の方へ向かっている。


「あ、ラキア。ちょっと外で寝てくるよ」

「えっ、ちょっと、大聖堂にいてって言ったじゃない!」

「もし私が戻らなかったら呼びに来てよ、西の湖にいるから」

ランはそう言ってひらひらと手を振りながら外と直結している礼拝堂の通用口へ歩いて行った。

聖服の長い裾を揺らし、身の丈以上の長い棒剣を肩に担いで。



**********



樹々の間から射す陽の光に眼を細めながら、樹海の中をジル・リンプスは目的地に向かって歩いていた。

一体ここは何処だろうか。昼前にリオンの街の駅に着いたが、目指す場所は街の中ではなく隣接する樹海の奥地だと言うじゃないか。

別に方向音痴ではないはずだが、こんなに入り組んだ樹海を誰が迷わずに通れるというのだ。

もう太陽は頂点から下りはじめている。

顔にかかる鬱陶しい金の髪をかきあげて、ジルはその端整な顔を歪めた。


「一体何処にあるんだよ、大聖堂ってのは」

そもそもジルがこんなに縁のない場所に来ているのは、6年振りに連絡をしてきた幼馴染に呼ばれたからだ。

逢わせたい人がいる、と手紙には書かれていた。

それより何故ジルのいる場所がわかったのだろうか、故郷を出てから一度も逢っていないし、実際見つかるはずもないと思っていた。

背負っている剣のずっしりとした重みは慣れてはいるが、休みなく歩き続けているとさすがに堪えてきた。

不機嫌極まりないジルはそのまましばらく歩みを進めていると、視界の先に開けた空間が見えた。違う景色だ。

「大聖堂!じゃねえじゃん…」

とうとう辿り着いたかと思ったら、そこは湖だった。ジルは久々に見る開けた景色に安堵した。

「もういい、少し休も…」

背中の剣を下ろし、ジルは湖のほとりに寝転んだ。

良い天気だ、このまま少し寝てしまおうか。ジルはそんなことを思い始めていた。


グサリ、突然ジルの頭の真横に装飾のされた棒が突き刺さった。鋭利ではないものの、驚いたジルは閉じかけていた瞼を見開いて真上を見た。驚いた、女じゃないか。

「…誰?」

寝転がるジルの真上に立っていたのは眠そうな顔をしている女。突き刺したのは彼女の棒剣だった。

棒剣、刃を持たない槍のような武器であり、護身用に使われると聞くが実際に持っているのを見たのは初めてだった。

「ジル。おねーさんは?」

「ラン」

おどけたように問いかけるジルに名を名乗るラン。

この女…気配がなかった、そうジルは思いを巡らせながらもランを見上げるその表情に焦りはない。

「あんた、人間?」

「人間じゃなかったら何に見えるんだよ」

「そっか、悪かったね。最近は物騒な奴らがうろついてて、間違えたんだ。何か、少し違う感じがしたから」

ランは謝罪とはあまりにも結び付かない横柄な態度でジルの真横から棒剣を抜く。

神父のような丈の長い上着を羽織ったランは銀色の長い髪をかきあげてジルから遠ざかっていく。

少し違う感じ、そうランは言った。まさか知っているのか。

ジルは起き上ってポケットから煙草を取り出す。火を点け、ゆっくりと煙を吐き出した。

それから、戯れにも似た気持ちでジルは己の持つ特異な能力の片鱗をその身から放出させた。

それは赤い殺気をまとった炎でできた蛇。



瞬間、その殺気に反応してか遠くへ行きかけていたランが血相を変えてジルの方へ向かった。

キインッ、二つの物体がはじき合った音。振り下ろした棒剣を剣が防いだのだ。

「おねーさん、穏やかじゃないね」

「穏やかじゃないのはあんたでしょ。ただの人間じゃないね」

笑みを絶やさないジルにランは冷たい視線で対峙する。

「少し訳ありのただの便利屋だよ。まさかおねーさんがそんなに反応するとは思わなかったけど」

「あんたみたいなのがこんな処に何の用?ここには樹海と古めかしい大聖堂しかないよ」

「その大聖堂に行きたいんだって。呼ばれてんの、そこのシスターに」

「え、もしかしてあんたラキアの客人…?」

「お?なんで知ってんだ?」

その言葉を聞いてランはジルから間合いを取った。今度は正面を向いていたので彼女の首から下がる長いチェーンの大きな黒い十字架のネックレスが見えた。

「まさかラキアの客人が能力者だったなんて…」

ランは構えた棒剣を下ろし、ため息交じりに呟いた。

能力者?なんだそれは。

その時空高く昇っていた炎の蛇がジルの右腕に落ち、火傷するわけでもなくその腕に形を留めた。

「あんたの能力、試させてもらうよ」

「ちょっと待て。驚かないのか、これに」

「別に。私も同じ"訳あり"だから」

再び構えたランにジルは炎をまとう右腕ではなく鞘から抜いた剣を向ける。ランの言った言葉の意味をうまく掴めない。

訳あり?俺と同じ特異な能力を持っているとでもいうのか、そうジルの頭を考えがよぎった。



**********



軍事国家ネイディアの北西部に位置する港町リオン。

その町並から外れた樹海の中にはるか昔から大聖堂は建っている。

ランは、この大聖堂で育った。

(痛いな…左腕)

棒剣を握る右腕とは逆の腕にはいつも黒い手袋がはめられている。

それは手の甲から二の腕までの長いもので、他人の前で外されることはほぼない。

先ほどランが自室で眠ろうとした時も異常なほど左腕が痛んだのだ。原因なんて、わかっているようで、わかっていない。


目の前に飄々とした態度で佇むその金髪金眼の男は、立ち上がると見上げるほどの長身だった。

例えばこの男が、長い間待ち望んだ能力者だとしたら、力を試してみてもいいかと思った。

というよりも、ただ暇だったのだが。


「いきなり何なんだ。だいたいあんたシスターだろう?」

ジルはランの首から下げられている鈍く光る黒い十字架のネックレスを顎でしゃくって言う。

「まあ、聖職者には変わりはないね」

「とんだ聖職者もいたもんだ」

「褒めてくれてありがとう」

表情一つ変えずにランは構えた棒剣を振り下ろした。ジルは咄嗟のところで避けたが、咥えている煙草の灰が落ちた。

「あっぶね、煙草落とすとこだった」


この男からは、あの人と同じ匂いがする、ランはそう思った。

(血と、煙の匂いだ)

その所為かはわからないが、どうにも真剣になれない。

心の奥底の方にある恐怖心か、やっと見つけた"同類"への仲間意識か。

この男だって本気で闘っているわけではないだろう。

ジルの黒い細身のロングコートは前留めの金具が全部留めてあり、首から太ももまで全て隠されている。細いパンツもふくらはぎまでのゴツゴツした革のブーツも全て黒く、ひょろりとした黒い蛇みたいだ。

右腕に絡みついた炎もまた、蛇の形状をしている。よく見たら、彼の構える剣の柄にも蛇のような装飾が見える。

そういえばこの男はラキアの知り合いだと言っていた。

…ラキアは蛇を祀る民族の出身だ。


「あんた、その炎…もしかして、6年前のサリヤスの…」

ランがそう言いかけた時、初めてジルの金色の瞳が鋭く光った。

その瞬間、剣が振りかざされ、ランは棒剣で受け止めたが衝撃に耐えきれずに背後の樹に叩きつけられた。

「…っ、馬鹿力っ…」

一瞬ひるんだランは衝撃でびりびりとする全身を起こし前を見据えたが、もうそこにジルはいない。

間合いを取り、右腕を構えるジルが見える。

「ちょっ…!」

炎の蛇が、渦になって向かってきた。

無駄だと思いながらも棒剣を構えたが、ランの視界を埋めたのは、白。


緋ではない。


その白は、ゆっくりとスローモーションで地面に崩れた。

ランの視界が開ける。

歪んだ顔をしたジルが見えた。

スローモーションは続く。


「ラキア!!!」


ジルの声が響く。

もう、彼の瞳には鋭い狂気は消えていた。

彼の足元には短くなった煙草が落ち、煙が細く燻っていた。

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