第8話 人生初の豪速球は古賀の顔面にクリティカルヒット
「私、2年A組の桐谷ユリカですけど。
古賀五十鈴くんはいらっしゃいますか」
目の前の、ユリカより頭ひとつ分背の高い短髪の男子は、垂れ目がちな瞳を不思議そうに瞬く。
「……古賀?古賀って……古賀?」
「その古賀ですね」
教室のドアに右手をついたまま、えーまじで?と苦笑する。
古賀と同じような制服の着こなしとから察するに、彼はきっと古賀の友達だろう。だからユリカはこの男子に声をかけたのだ。
異なるのはせいぜいピアスの数と、髪を染めていないところ、女子ウケの良さそうな柔らかめな表情、くらいか。
「五十鈴になんか用?
良かったら俺がお嬢様のパシリでも務めましょうか?」
「じゃあ本人を呼んできてください」
「なんで本人?」
「直接渡したいものがあるので」
昨日色々馬鹿にされた件もあるし、直接顔を見てやりたい気持ちがあった。
目の前の男は、まるで面白いものを見つけた子供のような笑みを浮かべた。
どうやら彼は、笑うと眉尻が下がるタチらしい。
「告白?」
「借りたものを返すだけですっ」
「じゃ、俺が渡しとこっか?」
「だーかーらぁ!」
ふはははっ、と男が乾いた笑い声を上げる。
「五十鈴なら多分、駐輪場にいるよ。
あ、友達も一緒にいるかもだけど、それでも良ければ」
「どうも」
くるりと踵を返すと、ユリカはいつものお手本のような姿勢で駐輪場へと向かった。
見る人が見ても、これから不良たちの元へ単騎で突入する人の様子には見えないだろう。
昼休みにわざわざ駐輪場なんていう無機質なところでたむろっているヤツなんて多分古賀くらいだろう。案の定、階段の踊り場の窓から古賀と2人の友達の姿が確認できた。
何を話しているのかは、もちろん聞こえない。自分のものらしいバイクの前にしゃがんで、目の前の地面にいろんなお菓子やら飲み物やらを広げている。
────なんだお菓子パーティか?やってることはJKと変わらないな、オイ。
隣の、前髪をヘアピンで止めた背の低い茶髪の友達と、お互いの肩をぶっ叩きながら何かの動画を見て爆笑している。その馬鹿でかい笑い声は、数メートルの距離と窓ガラスを挟んでもしっかりとこちらの耳へ届く。
2人が馬鹿騒ぎしている隣で、学ランの下にパーカーを着たもう1人の友達らしき男子は、プリッツかトッポ(どっちかはこの距離ではわからない)を咥えたままスマホゲームに夢中のようだった。
ユリカはそのまま階段を降り、外に出た。
彼らの声がすぐ聞こえる距離まで来ると、足を止める。
────ホラ見なさい。案外普通の男子高校生じゃない。
そりゃ授業を抜け出したりサボったりすることはあるかもしれないけど、それは別に誰かに迷惑をかけている行為ではない。
あんなに年相応に笑っているのだ。
根はきっといいヤツ────……
「てかさ、やっぱ正義感バカ強いね。ガチお嬢様は心の広さ?も違うってカンジ」
その声に、ぴたりと足を止める。
駐輪場の角の室外機の陰から、古賀たちの様子を覗いてみる。
先ほど彼と肩を叩き合っていた茶髪の、前髪を上げた童顔の男子は地面に広げたポテチを一つつまんだ。
古賀がわざとらしいため息をつく。
「律儀にハンカチ洗って返すとか言われたんだけど。別にもう関わりたくねえし」
ゲーム男子は、目も上げない。
彼は半笑いで続ける。
「つーか、なんだよユリカ様って。
バカじゃねえの、くだらね」
……は。
「アレでしょ、何だっけ、ナントカ財閥のお家の娘さんらしーよ」
コンソメ味のポテチを大量に口に含んだまま、茶髪男がそう喋った。
「てか、人助けとか余裕あるよな。
偽善ぶってるだけなんじゃねーの。自分のイメージ守るために」
古賀が、最後に吐き捨てるように、
「ああいうヤツ、イライラすんだよ」
……そう呟いた横顔は、悔しいことに文句のつけどころがないくらいに整っていて。
急に、悲しい気持ちと、恥ずかしいような気持ちが同時にユリカを襲う。
────『バカじゃねえの』 『くだらね』 『偽善』。
古賀の、無機質な低い声で淡々と投げられた鋭い言葉の数々。
手に持っていたハンカチを、込み上げてきたチカラのまま握りしめる。
「古賀五十鈴っ!」
腹の底から声が出るとは、まさにこのことだと思った。
古賀がユリカの姿を捉えてギョッと目を見開いた瞬間、全体重をかけてハンカチを古賀の顔面に投げつけた。
柔らかいタオル地のハンカチが、豪速球のようなパワーを纏って、古賀の額に命中する。
ハンカチは、チカラを失ったように地面に静かに落ちた。
「何すんだテメ────」
古賀が言葉を切った。
ユリカの瞳が、静かに揺れている。
形のいい眉は怒りの形相に吊り上がったまま、唇を震わせ、本人も無意識のうちに固く拳が握られていた。
──── ちょっとでも信じてたのに。
男の子に、あんなに優しそうに笑いかけてたんだから実はいい人なんじゃないかって思ったのに。
「バカみたいね私!
勝手に濡れ衣着せられて、嘘かホントかもわからない噂を流されて、勝手に怖がられて。
悔しくないのとか腹立たないのとか勝手に思ってた私がバカだった!」
もういい、もう嫌われてるならこの際全部言ってやる。
ひとつ息を吸ってから、ユリカは彼女なりの精一杯の声量で吐き出した。
「あなたの代わりにちょっとでも悔しがってたさっきまでの私を、ブン殴ってやりたい気分だわ!」
不機嫌さに歪んでいた古賀の眉が、一瞬だけ緩んだ。
茶髪のチビが「うおユリカ様コエエ」とか言うから、「黙りなさい!!」と言ってとりあえず黙らせておく。
はぁ、と息を吐いて整える。
「もう全部忘れます。
ハンカチどうもありがとう」
最後に睨みを飛ばした後、彼女は踵を返した。
「ユリカ様ー!俺、姫山修斗!五十鈴と同じクラスー!」
「知るか!!」
……ああ、ほんっとうに、やっぱり碌な奴じゃなかった。
ゴメン、メグ。やっぱりあんたの言ってたこと、本当だったみたい。
別に感謝してほしくて助けたわけじゃない。
あの場で彼を庇ったのは、人として当然のことをしたまでだと当たり前のように思っていた。
だけど、とユリカは思う。
恩を仇で返された?違う、そんな恩着せがましい感情じゃない。
ただ勝手に、一方的に裏切られたような、そんな身勝手な気持ち。
自分でも整理しきれない謎の感情によって、なぜか無性に泣きたい気持ちに駆られながら彼女は昼休みの教室へと駆けて行った。




