第9話 脅威のエンカウント率
狭いアパートの一室に、経年で調子外れなドライヤーの音が響く。
「姉ちゃーん、宿題一緒にやってー」
……別に感謝しろなんて言わない。
だとしてもあの言い方はないんじゃないの?
私、なんにもしてないじゃない。あの人を怒らせるようなこと。あんなふうに言われる筋合いなんて……
「姉ちゃん?」
髪を乾かし終え、タオルを肩に掛けたままユリカはドライヤーを止めた。
若干くすんだ鏡に映る己の顔を見ると、右頬にいつの間にかニキビができている。
「あっ!っ、もう、サイアク……」
「姉ちゃん!」
ハッとして振り向くと、下から2番目の弟が計算ドリルを手に立ち尽くしていた。
口を尖らせて、「宿題!」と言う。
「隼人、アンタもう6年生なんだから宿題くらい1人でやりなさい!」
コードを巻いて棚に片付ける。
「俺バカだから分かんないの〜!」
「もー……」
私だって課題やらなくちゃいけないのに……
「葵!ちょっと、葵!」
仕方なく、ソファでゲームをしていた1番上の中学生の弟を呼ぶ。
どうでもいいが、彼が1番ユリカに顔が似ているらしい。昔親戚によく言われた。本人たちはお互いに不服そうな顔をしているが。
「なにー!?」
「隼人の宿題見てあげて!」
「俺今忙しいの!」
「どーせゲームでしょ!?没収するわよ!」
家族での生活というものは、どうしても時には誰かが我慢しないと成り立たない。
母含め5人家族である桐谷家なら尚更だ。
3年前、父が出て行った。
それからというもの、母はパートを掛け持ちしてなんとか家計を支えてくれている。
私も平日は時間がある時にはバイトを入れた。
休みの日は、ひたすら勉強しないと成績なんてとても維持できない。
まあ要するに、余裕がない生活をしていた。
────お金がないのだ。
下に弟は3人いる。
高校や大学は、好きなところに行かせてやりたい。
苦労人とか、お姉ちゃんは偉いねぇとか言われるけど、それもこれも全部私がやりたくて勝手にやってることだ。
私は奨学金で大学に行くつもりだから、勉強をサボって成績を下げるわけにはいかない。
だから────……
「はぁあぁあぁ……」
歯磨きしながら、馬鹿でかいため息がこぼれた。
────────
翌日。
放課のチャイムが鳴る。
部活動の生徒は各々の活動場所へ、部活のない生徒は友達を待ったり早々に帰ったり、それぞれの時間を過ごしていた。
人が足りているからと店長は今日シフトを入れてくれなったので、さっさと帰って近づいてきたテストの勉強でもしようと思う。
まだ4月の終わりだというのに、無性に暑い。温暖化に嫌気がさしながら、駐輪場を抜けて校門を出ようとする。
……すると。
「ねー!ユリカ様ー!」
エンジンを吹かす音。一台のバイクが後ろからやってきて、ユリカの目の前を横切るように止まった。
この茶髪の男は、古賀の友だちの1人……
せっかく一晩眠って薄れてきたはずの、まだ新しい忌まわしき記憶が強制的に呼び起こされて、ユリカはスクバの持ち手を握りしめた。
語気を強めて答える。
「何ですか?もう関わらないって言いましたよね」
「え、そんなん言ってたっけ?」
本当になにも覚えていないと言ったようなアホ面を後ろに向ける。
もう1人、バイクに乗った生徒が後ろにいた。
「知らねーよ。俺いなかったし」
と彼は苦笑して答える。
────この妙に人の良さそうな短髪の男子……
D組を訪ねた時にいた人か。
茶髪の方が口を開く。
「この後、ヒマ?」
「えっ、ハァ?」
ハンドルのところに顔を埋めるような姿勢で、上目遣いで聞いてくる。
「なんて?」
聞き間違いという説を考え、一応聞き返す。
「だからぁ!この後ヒマですかーって」
……そんなことはなかったようだ。
まあ確かに今日は丁度バイトがない日ではあるが……正直、早く帰って勉強したい。
私が答えを渋っていると、彼は沈黙を肯定と取ったのだろう。
「よーし決定!ハイ、乗って乗って!」
「はぁ!?え、ちょっと!」
彼の言葉とこの場の雰囲気により、ユリカはバイクの後ろに乗る……というか、乗せられた。
「んじゃ、出発しまーす!」
「勝手に話を進めないでよっ」
破裂するような、バイク特有の低いエンジン音ともに、うるさすぎない大きな音で発進した。
「ちょっ……降ろせーーー!!」
抵抗するユリカの声は、もちろんといった感じでフル無視される。
広い大通りを、結構なスピードで走り抜ける。
恐怖のあまりユリカが後ろで全力で叫んでいる間に、一駅分、二駅分とどんどん進んでいく。
「どこに行くんですか!?」
「え!?なに!?」
「だからぁ!どこ行くの!?」
エンジンの音と周りの車の音で声がかき消される。
ユリカの問いに彼は前を向いたまま、
「超楽しいトコロ!」
と答えた。
ユリカの頭の中に、よからぬ想像図が浮かぶ。
学年の問題児不良集団の1人が言う“超楽しいトコロ”……
しかもこの方角的に、彼らが向かっているのはおそらくこの辺で1番大きな繁華街──……
「じゃーん!」
「……は?」
目の前の建物を、とっておきのプレゼントかのように紹介され、彼女はその場に立ち尽くす。
やっと辿り着いた場所は、全国チェーンの、よくあるゲームセンターの大きな看板の前。
ガラス扉の向こうに大量のクレーンゲームが光を放っている。
こちらの反応を期待しているような2人の方を向く。
「……まさか私がゲームセンターに来たことがないとでも思ってらっしゃるの?」
「思って、らっしゃったけど……えっ、違うの!?」
「ナメんな!ゲーセンくらい来たことあるわ!」
と叫んだが、ユリカはハッと自分のキャラ設定を思い出す。とりあえず、一つ咳払いをした。
「オイー!誰だよ、うちの五十鈴ちゃんの無礼をお詫びするためにはゲーセンがいいとか言ったヤツ!」
おい岳!と、短髪の方へ顔を向ける。どうやら、ユリカの微細なキャラ崩壊など微塵も気に留めていないらしい。
「俺じゃない。朝日でしょ、確か」
「どこ行ったの?アイツ」
「知らない。どうせまた音ゲーのとこにいるんじゃないの」
知らない名前がポンポン出てきた。
ええっと、この短髪の人が岳で……この、あまり背の高くない茶髪の方も、前に名前を聞いた気がするが……忘れた。
で、朝日サンは誰ですか?
「まぁまぁ!とりあえず入りましょーよ!
五十鈴っちのとんでもないご無礼のお詫びに、俺がクレーンゲームでなんでも好きなもの取ってあげっから!」
「別にいらないです!ってか、帰ります、帰して!」
「あ、一個までね。俺今、給料日前でビンボーだから」
「なら節約しなさいよ。……あーっ!じゃなくって!」
「五十鈴なら今日はバイトで帰ったらしいから、気にしなくてダイジョーブ!」
コイツ、人の話聞けよ!
押されてゲームセンターの中に入る。
他校の生徒がたくさんいる。が、明らかにガラの悪そうな見た目の男2人と、優等生を体現したような見た目のユリカ。その異質さに何人かに二度見され、ユリカは気まずさを感じる。
耳がおかしくなりそうな爆音と目がチカチカしそうな光。
久しぶりのこのゲームセンター特有の感覚に、懐かしさで身体の奥が沸き立つような感覚がして、俄かに気持ちが高揚する。
茶髪男は誰かを探して、ほの暗い店内をきょろきょろと見渡す。
「あっ、いたー!朝日ー!」
音ゲーコーナーの隅にて探していた人物を視界に捉えると、彼は幼い子供のように駆け寄っていく。
その様子は、彼の小さい体格も相まって桐谷家の弟たちを想起させた。
当の朝日は、大きな輪状の音ゲーのプレイに夢中のようで、全く相手にしていない。顔色ひとつ変えずに、手袋をした手で、中心の液晶画面の周りの板を無心で叩いている。
「修斗、朝日の邪魔しちゃダメだよ。
またブチギレさせちゃう」
「えっ、ブチギレ?」
思わずユリカが口を挟む。
───駐輪場の時といい今日といい、何が起きても顔色ひとつ変えません!という風貌のこの人が?
「ん?」と、岳はポケットに両手を突っ込んだまま答える。
「そーだよ。静かに怒るの。1番怖いから、朝日が」
そう言って、眉を下げて笑った。
僅かに開いた口の隙間から、八重歯が一本覗く。
「……あのさ。五十鈴のことだけど。
あの子さぁ、口下手なんだよね。めっちゃ」
「……え?」
まるで、自分のちょっと出来の悪い弟のことを話すような柔らかい口調で岳は続ける。
「駐輪場でなんか色々言ったってのも……まぁその、きっと理由があるんだよ」
「理由……デスカ……」
ユリカがあまりにも棒読みで返事をしたので、岳は困ったように笑って後頭部を掻く。
「まぁそれはちょっと、本人から聞いてもらった方がいいかも」
「えっ?」
「ユリカ様ー!」
修斗が、クレーンゲーム台の前でユリカを呼んだ。
チカチカと光を放つクレーンゲームの間を通り抜けて歩いていく。
────それにしてもゲームセンターとか、ほんと久しぶりに来たな。
高校に入ってからは、バイトに勉強……弟たちのことも色々忙しく、放課後遊んだことなんて、ほとんどなかった。
「これ可愛くね?ユリカ様こーゆーの好きそう」
茶髪の───修斗が、目の前のクレーンゲームの台を指さした。
色とりどりの小さな動物のぬいぐるみたち。
「あ……みにかわだ。可愛い」
「だよなー。俺の姉ちゃんもコレめっちゃ集めてる」
保育園に通っている1番下の弟の光樹が最近みにかわにハマっているせいで、ユリカまでこの小さくて愛らしいキャラクターの虜になってしまった。
今も、スクバに一つつけている。
────弟たち、大丈夫かな?
あれ……何でだろう?
家のことをふと思い出した瞬間、何だか悪いことをしているような気分になってくる。
「おっし、じゃー、これにする?」
今だって、ここ市外だなとか、帰る時間どうしようとか、そもそもここからどうやって帰ったらいいんだろうとか、そんなことばかりが頭の片隅にモヤモヤと漂っている。
「任せとけって〜。500円以内に取ったりますわ!」
無意識に、奥歯をぐっと噛み締める。
────私って、なんでこうなんだろう。
昔っから変に生真面目な性格で、どうでもいいことあれこれ考えちゃって。
考えなしに楽しむことすらできないのかな。
「俺毎回思うんだけどさー、コレ絶対アームの力調整されてるよな。まじムカつくわ」
別に、好きでお嬢様キャラをやっているわけじゃない。
お嬢様みたいな雰囲気が好きだったことと、この根っからの律儀な性格が絶妙に噛み合ってしまったせいで、気がついたらそんなふうになってしまっていた。
本物のお嬢様は……お金持ちは、どんな生活をしているのだろう?
幼稚園から大学の附属の私立なのだろうか。
バイトとかは……当然しないか。
ああ、お金のことを少しでも悩まなくてもいいようになれたら……
────と。
「あーっ、クソ、ぜんっぜん取れねー……!」
修斗の苦戦する声で意識が我に返る。
どうやら彼はユリカが物思いに耽っている最中に、既に5回挑戦したらしい。
「あ、100円玉無くなった」
使い古された財布の小銭入れには、10円玉と1円玉だけが大量に入っている。
「両替してくるわ!」
「あ、いーよいーよ、そんな!申し訳ないし!」
自分の財布の中身と全く同じようなその状況に深い共感を感じて、彼を止めるも、
「いや、ちょっとここまで来たら引き下がれないというか……男のプライド?的な?」
台守っといて!と言って彼は意気揚々と近くの両替機へ向かう。
ユリカは台に目線をやる。
……うーん、取れるのか?これは。
素人目線でも正直、もう3、400円かけたところでとても取れるようには見えないが。
ヘアアクセやコスメ以外は徹底的に節約していくスタイルのユリカにとって、クレーンゲームに課金するのにはやはり抵抗がある。
その時。
「えっ、来てたの!?」
両替機の方から修斗の声がする。知り合いにでも会ったのだろうか。
「お前こそ、何でいるんだよ。今日バイトじゃねーの?」
最近何回も聞いた、低い声。
────……え?
まさか、と思い振り返る。
メダルゲームのバケツを手に持った、背の高い金髪男。
──── 一体、何度遭遇しなければならないんだ、野生の古賀五十鈴に……
前回からだいぶ時間が空いてしまったー
いつも読んでいただきありがとうございます!




