第6話 コーラくらい飲んだことあります
「なあ」
古賀の疑いが晴れ、コンビニから出た時、もう太陽はほとんど沈みかけていた。
オレンジ色の夕陽が、辺りを染めている。
振り向くと、眩しいくらいの夕陽の光を正面から受けた彼が、またいつもみたいな涼しい目をして立っていた。
────ちょっと来いと言われて、言われるがままに、コンビニから見えるくらいの、少し離れた自動販売機に連れて行かれる。
小銭を入れる音と、ピッ、という聞き慣れた電子音。
ガコン、と飲み物が落ちた音。
「借りは返した」
と言って、彼はコーラをユリカの眼前に突き出す。
「はぁ?
借りって……さっきのことなら別に気にしなくていいから」
そう言うと、一拍空けて古賀が口の端を釣り上げる。
「あー、そう。炭酸とか飲めないんだ。
気強そうな顔してんのに。子供舌」
コイツ……
ユリカはコーラをひったくるようにして受け取る。
補充されたばかりなのだろう、絶妙に温い。
古賀はペットボトルの蓋を開ける。
プシュ、と炭酸が抜ける音。コーラを勢いよく喉に流し込むと、彼の喉仏が上下する。
「あなたの駅って、ここの一つ前なのね」
「違う。
あんなヤツに家バレしたくないからテキトーなこと言っただけ」
あんなヤツ、とは当然さっきの濡れ衣を着せてきたあの男のことだ。
良かった、家近くないんだとユリカはこっそり胸を撫で下ろす。
「じゃあ、どの辺り住んでるの?」
「言わない」
よく知りもしない同じ学年の人間に俺の家の場所教える義務なんてねえだろ、の意味を含ませたその言葉に、「あ、そうですか……」とだけ返した。
世間話でもして会話を広げようと努力したこっちの気持ちも少しは察してほしいものだ。
「……アンタに一個聞くけど」
そんなことよりといった様子で、蓋を閉めながら古賀が尋ねる。
「何でさっき、俺が万引きなんてするはずないって言ったんだよ。
何の根拠があんの」
別に怒っている口調ではないが、地声が低いことと言葉選びが相まって、ちょっと責められているように感じる。
それに身長差で、強制的に見下ろされる形になっていることもそれに拍車をかけているのだろう。
「……それは……」
ユリカはコーラを両手に持ったまま返答に詰まる。
すると古賀が、
「……てか、アンタはなんなんだよ」
と言った。
これにはすかさずユリカも、
「こっちの台詞ですそれは!」
と返す。
古賀は少し考えるように長い睫毛を伏せたあと、すぐに目を上げた。
「……ああ、アレか。
財閥の娘で?何だっけ、あの……
ユリカ様」
……だっけ?と付け加えた。
揶揄うように彼が静かに笑うと、両耳のシンプルな銀のピアスがチカッ、と光る。
意外と一つずつしかつけないんだ、などと考える。
いつのまにか周りに付けられたその設定も嫌いじゃない。
故にすぐに否定できずに、ここまで盛られまくって挙げ句にこんな周りに興味なさそうな不良男にまで知られる始末だ。
観念したユリカはため息混じりに口を開く。
「──見てたの。あなたのこと」
太陽の方向を真っ直ぐ見ていた古賀の目線が、ゆるりと隣のユリカに向けられる。
「……はぁ?」
彼のその怪訝そうな反応で、ユリカは今の自分の言葉には語弊があったと気づく。
焦りのあまり手からペットボトルが滑り、そのままアスファルトに落下する。
「いやっ、あのっ、違くて!
その、ついさっきあなたが駅前のスーパーのところで迷子の男の子を助けたところを見かけたの!
偶然よ、偶然!超偶然!」
弁解しながら、コロコロ転がりかけたコーラを拾う。
事実を伝えようと、偶然、の部分を強調しすぎたことが却って仇となったらしい。
「うわー、キモ」
という言葉だけ降ってくる。
────心外だ……!
素早く湧き上がってくる怒りをぶつけるように、ユリカは勢いに任せてペットボトルの蓋を開ける。
────と。
ブシュウウウ、という音と共に、盛大に中のコーラがガスと共に吹き出す。
「ウワァア!!」
いつものお嬢様らしさはどこへやら。
彼女の見た目に見合わぬ慌てふためいた声に呼応するように、制服のスカートが、生温い液体で濡れていく。いつも汚れひとつないローファーに、ポタポタとコーラが垂れた。
ブッ、と隣で古賀が堪えるそぶりを微塵も見せずに、笑った。
ユリカは制服の上からポケットを触るも、何の感触もない。
……ハンカチ、忘れた。
砂糖の塊の液体で手がベトベトになりながら、彼女はしばしフリーズする。
ハンカチを忘れた、だなんてそんなの、ユリカのお嬢様プライドが許さないのだ。
それに今日は、本当にただ偶然忘れただけ。
でもまた偶然を強調すればきっとこの男は、「偶然、ねぇ」とか言ってニヤニヤしてくるに違いないと思った。
この男にこれ以上煽られるのも癪だ。ナメられるわけにもいかない。
「早く拭けば」
と笑いを含ませた声で一言。
明らかに他人事のような声色にまたブチギレたい気持ちが沸々と湧き上がってくるも、
「……イヤ、ソノ……」
と曖昧な返事を返す。
「てか普通、落としたばっかの炭酸開けるかよ」
この減らず口が、という忌まわしい気持ちを込めて黙って古賀を睨みつける。
妙に嬉々とした表情と夜空のように黒い瞳が、傾いた陽の光を受けて同じくらいに輝いている。
「……あ、そっか。箱入りのお嬢様は炭酸飲んだことないんだ。ナットク」
喋っている合間に、綺麗に並んだ歯が覗く。
────コイツ、人を煽ってる時が一番活き活きとしてやがる。
背も高いし、顔も小さい。改めて顔を見てみても、黙っていればそれなりに整った好青年に見える。
これが俗に言う残念なイケメンってやつか、と勝手にユリカは心の中で結論づけた。
……その時、頭の上に何か軽いものが置かれる。
──臙脂色の綺麗なハンカチだった。
確かにユリカの頭は、彼の手が届きやすい位置にある。
────もしかして、貸してくれたの……?
その思いにより、一見無作法な彼の仕草すらユリカの瞳には輝いて映り────……
「お前、トイレで手ェ洗い終わったあと服で拭くタイプだろ、絶対」
「失礼な!」
鼻で笑われたその瞬間、ユリカのときめきメーターは一瞬にしてマイナス方向に振り切れる。
ガン萎えなんですけど……と小声で一言呟いた。
とりあえず一言断って手を拭き、スカートに付いた水滴を拭き取る。紺色のスカートの生地が、水分を吸ったことにより濃紺に変わる。
……明日は夏服のスカートにしなくては。
「……あなたってなんか、ワルになりきれてないワルって感じがする」
その言葉を受け、ハッ、と古賀がわざとらしく吐き捨てた。
構わずユリカは続ける。
「金髪に染めちゃってるし、ピアスしてるしバイク乗ってるし。あーゆうヤバそうな人たちと付き合ってるけど……」
「アレは向こうから寄ってきやがったんだよ。
俺は最初っから嫌いだったし。アイツのこと」
「だからそういうことじゃなくてっ」
「あとコレ染めてねーし。ブリーチだし。
……あ、もしかして違い分かんな───」
「あーっ、もう、黙って!」
ホンットに、余計な一言が多すぎて反応に困らなさすぎる。
ある意味、気まずくならない相手と言えよう。
古賀が粗方制服を拭き終えたユリカの手からハンカチをひったくろうとしてきたため、
「いや、さすがに洗って返すから」
とハンカチを引っ込める。
古賀が面倒くさそうに前髪をかき上げた。
「別にいいって、そういうの」
傷んだ髪が、少し冷たくなってきた風に靡く。
「綺麗にして返すのはマナーでしょう」
「めんどくせぇ……」
何でこっちがめんどくさがられなきゃいけないの!と吠えると、あー、うぜー、と耳を塞ぐ。
無造作なセンター分けで顕になっている額をぽりぽり掻いた後、迷惑だと言わんばかりに渋々、「じゃーそれで」と呟いた。
コーラを全て飲み干した古賀が、自販機近くのゴミ箱にペットボトルを捨て、「帰る」と一言だけ告げて改札の方へ足を向けた。
ほっそりした長身の影が、道路に真っ直ぐ伸びる。
数歩歩いたあと、彼が少しだけこちらを振り返る。
「庇ってくれて、どーも」
血色のいい薄い唇が、その言葉の形に動いた。
煽り耐性レベル1のユリカ様。
次回、古賀くんとユリカ様の学園ライフスタート。




