第4話 唐突な優しいお兄ちゃん説
やらかした、とユリカは己の情けなさを恥じた。
今日の7限あったうちの3つの授業を睡眠に費やしてしまった。と言っても、クラスの男子達のように完全に爆睡していたわけではなく、所々意識が飛んでいただけ、だが。
今日も恵は部活。1人で死んだような目つきをしながらロッカーからローファーを取り出す。
「疲れてる?」
はっ、として後ろを向くと、誠太が立っていた。
相変わらず妙に似合っているバスケ部のユニフォームを見てユリカは言う。
「島津くん、部活は?」
「今休憩中。水買いに来た」
ああ…とユリカが大して興味なさげに呟くと、少し揶揄うような微笑みで彼が続ける。
「随分とお疲れのようですね、ユリカ様。
今日めっちゃガックンガックンしてたけど」
「うぐ…ちょっとね。
昨日遅くまで起きてたから…」
昨夜はコンビニのバイトが終わり、帰宅して諸々のことをしていたら珍しく日付を越してしまったのだ。
もっとも、彼はおそらくユリカの夜更かしは勉強のためだと思ったのだろう。
「何気にテストも近づいてるしね。
俺もそろそろ真面目にやんなきゃなぁ」
喋りながら腕を上げて気持ち良そうに伸びをする。
(真面目にやんなくてもあんたは十分すぎるほど頭がいいのよ!むしろこれ以上真面目にやるな!!)
…と心の中で盛大なツッコミを入れる。
「あ、ごめんね、呼び止めちゃって。電車とか大丈夫?」
「…そうね、そろそろ行こうかな。
お気遣いどうも」
下手したらユリカ以上にハイスペックなこの好青年に、微笑みを顔に貼り付けたまま若干の皮肉を込めて返す。
ローファーを履いたユリカが歩き出す。
「明日ノート貸すよ」
不意に放たれたその言葉に、思わず彼女は振り返る。
「ノート抜けてるところあるでしょ。
たまには姫も、人に頼ってもいいんじゃない?」
その場に立ったまま、労うような優しい顔でひらりとユリカに手を振った。
…どうやら本人も「王子と姫」の「王子」の部分が自分であることを自覚しているようだ。
「そうね。…じゃあ、ありがたく頂戴させて頂くわ。
王子のお心遣い」
今度の彼女の言葉に、皮肉は込められていなかった。
巻き上がるような風が、地面に残った桜の花びらをふわりと舞い上がらせる。
本物の貴族のような気品を纏った美しい2人の優しい笑顔が、抜けるような青空の中にそっと溶けて…
────…
────なんて優雅なお話をしている場合ではなかった。
「ヤバいヤバいヤバい!!」
駅までの道を全力で走る。商店街の合間を風のように駆け抜けて大通りを曲がる。
校門を抜けたあたりで、思ったより時間がないことにハッと気がついたのだ。
この電車を逃せば次は30分後。ユリカにとって30分のロスは非常に大きい。
大きな道路の信号に運よく引っ掛からなかった時点で、ユリカは勝ちを確信した。
駅前のスーパーの横で上がりきった息を整える。
なんとはなしに顔を上げてみると、夕方の買い出しに来た主婦達がいつもより多い気がした。
ベビーカーを押しながら、またあるいはまだ小さな子供の手を引きながらそれぞれスーパーへ入っていく。
オールバックになった前髪をスマホのインカメを鏡にして丁寧に整え直し、多少の落ち着きを取り戻した後、勝ち誇った笑みを浮かべながら悠々と駅の方へ歩き出そうと思った、その時。
スーパーの年季の入った自動ドアが開く。
ほんの少しの間の後、スーパーの中から4歳ほどの小さな男の子がまだ微妙におぼつかない足どりでてくてくと歩いてきた。
まるで世界の全てに絶望したかのような表情を見るに、親とはぐれてしまったことが容易に想像できる。
スマホのロック画面を見る。全力疾走の賜物か時間にはまだ余裕がある。
(…いや、でも…まだ迷子って決まったわけじゃないし…)
彼女の心に若干の躊躇いが生じる。
変に声をかけて何か勘違いされても面倒だと思ってしまったのだ。
その、ほんの一瞬の間だった。
「…あ」
その姿を視認した瞬間、ユリカはなんとなくスーパーのそばの街路樹の影に身を隠した。
ボタンが全て開け放たれた学ラン。割と長身。
何と言っても、悪目立ちしすぎているその金髪。
「あれは、古賀…くん」
何故かやたら堂々としたオーラを醸し出している彼に、謎の風格のようなものを感じて勝手に敬称を付け足してしまう。
道ゆく人たちに時々、多分心地良くはなさそうな視線を向けられつつも彼はまっすぐとこちらへ歩いてくる。
いや、正確にはその男の子の元へ。
(!!何をするつもりなの!?)
いかに噂と言えども、火の無いところに煙は立たない。実際、噂は嫌いなユリカだがだからと言って彼を信じる道理はない。
無垢で小さな少年に何か手を出すようならば背中を蹴ってでも止めてやろうと、ユリカの元々強い正義感に火がつきかけたその時。
古賀が涼しげな表情を崩さないまま、膝を折って男の子に声を掛ける。何も言っているのかは聞こえない。
男の子が絶望の面持ちのまま懸命に何か話していた。
その口が動くたびに、つぶらな瞳からみるみる大粒の涙がこぼれ落ちていく。
あっ、と思って一歩近づく。
しかし。
また何やら数ターン言葉を交わし、だんだんと男の子の表情が晴れやかなものになっていく。
最後に古賀が何か言ったあと、男の子が涙目のまま笑顔で頷いた。
「お兄ちゃんありがと」
───男の子の声が、初めてユリカの耳に入る。
その時、古賀の端正な双眸が優しげな形に細められたのをユリカは確かに見た。
2人がスーパーの中に消えていく。
一緒に親を探しに行ってあげたんだと気がつくのに、時間がかかる。
ユリカはしばらく呆然と口を開けたまま街路樹の側に立ち尽くしていた。
「……不良男が、笑った…?」
あんなにガラの悪そうな男が…
いや違うでしょと、心の中で毎度の如くツッコむ。そんなことじゃない、大事なことは。
「…あっ!電車!」
また時間を忘れていたユリカは、地面に置いていたスクールバッグを抱えるようにして改札まで慌てて走り出す。
なんだか凄く良いものを見た気がする、と思った。
改札を急いで通って階段を駆け下り、既にホームに停車し発車の音楽を響かせていた電車に何とか滑り込む。
あの不器用そうなぎこちない微笑を思い出すと、理由もわからず何となく嬉しい気持ちになった。




