第2話 王子と姫
登校完了時刻は8時30分。今日も余裕を持って自分のクラスへ行き、自分の席へ着席する。
ふと窓の外に目をやると、まだ陸上部が校庭を走っている。
春の大会が近いらしい。どの運動部も毎日朝練に勤しんでいる。
ユリカは、本当は運動が好きだった。
だけど部活をやる時間なんてない。お金だってない。そんな時間があるならばバイトをした方が有意義だ。
その方が、家族の為に…
「ユリカ様っ、おっはよ!」
「ひゃぁ」
ばん、と肩を勢いよく叩かれて素っ頓狂な声を漏らす。
「…メグ。その呼び方やめてって言ったでしょ」
ユリカの前の席にスクールバッグを置くと、城崎恵は綺麗に並んだ歯を見せて慇懃に笑う。
そういえば、と思い出したようにユリカはカバンから一冊の青いノートを取り出す。
「昨日の公欠の分のノート、取っておいたよ」
「うわーっ、助かる〜!マジでありがとう!」
神の恵みを受け取るかのように、深々と礼を言う恵。彼女の大袈裟な動きに合わせてポニーテールがブンブン揺れる。
「どうだった?大会」
「そりゃもちろん、余裕余裕の大勝利ですよ!…まぁ、何回かヤバそうな時はあったんだけどね」
へへ、とはにかんで竹刀を振る真似をしてみせる。
「全く。メグの有り余る元気と言ったら…初対面の瞬間と変わらないね。長く一緒にいるとこっちが疲れるくらい」
ユリカの頭に、去年の入学式の映像が浮かぶ。
「おはよう、桐谷さん」
「あ、島津くん。おはよう」
登校してきた隣の席の島津誠太が、恵の手に渡ったユリカのノートをチラリと覗き込む。
「うわ、見やすいノートだな。字も綺麗だし。
さすがユリカ様」
そう言って、垂れ目がちな目を三日月のように細める。
朝っぱらから爽やかな笑顔を不意打ちでぶつけられ、面食らったのはユリカの方だった。
──島津誠太。
通称王子。バスケ部。
文武両道。ずば抜けたルックスとバランスの取れたスタイル。
おまけに非の打ち所がない穏やかな人格…
そんな誠太と、どこかエキゾチックな顔立ちも相まって上品さ溢れるユリカ。
学年の関わりのない人間たちが勝手に誠太とユリカのことを「王子と姫」なんて言って盛り上がっていることを、ユリカは知らない。
…恵が誠太のことが気になっているらしいことは、鈍感なユリカでも何となく気づいていたが。
ホームルーム開始のチャイムと同時に担任の谷口が入ってくる。
「お前ら席つけ〜」
生徒たちがばたばたと各々の席に散っていく中、ユリカはぼーっと誠太の横顔を見つめていた。
(鼻高っ。まつ毛長っ。私より長いじゃん、どーなってんの…?
Eラインも完璧だし。本物の王子様ってまさにこの人のことなのでは…)
細く開け放たれた窓から入ってきた風に、磨かれたような彼の少し伸びた黒髪が、柔らかく揺れる。
ふと前を向いていたはずの誠太の瞳が動いて、ユリカの目線とかち合う。
気まずさを感じるよりも前に、慌ててユリカは目線を教卓にやった。
「今日は5、6限に体育館で視力検査があるから、メガネ持ってるヤツは忘れずに持ってけよ。委員長は誘導ヨロシクな。
あとはー…」
谷口が手元のバインダーを捲る。
「…ああ、そうそう」
打って変わって声が低くなる。
「昨日、体育館倉庫の鍵が壊されて、金属バットが数本盗まれたらしい。
お前ら、なんか知ってるか?」
突然降ってきた物騒な話題に、クラスがざわつく。
「えー知ってる?」とか「怖っ」とか「お前じゃね?w」とか。
みんなの表情は、他人事の出来事を前にしてどこか楽しそうに見える。
──すると。
「古賀じゃね」
「どうせ古賀くんたちでしょ」
そんな声が、クラスの至る所から漏れる。
──コガくん…。
「…って、誰だっけ」
「ユリカって寝たらすーぐ忘れちゃうよねぇ」
ユリカの呟きをキャッチした地獄耳の恵は、スマホで何やら操作している。
「…あ、あった。コレコレ。
この人。古賀くん」
ずいっとスマホをユリカの眼前に突き出す。
他クラスの去年の体育祭の写真だ。
恵の指先でズームされたのは、無愛想な表情に似合わずピースをする金髪の男子。…若干カメラから目線が外れている、気もする。
「…なんかこの人見たことある気がする」
「そりゃそーでしょ!古賀五十鈴って言ったらこの学年一の問題児ヤンキー!超有名人じゃん!」
「いやそーいう意味じゃなくて。なんかもっと…最近に…」
うーん何だっけな…とユリカが記憶をほじくり始めた時、ホームルーム終了のチャイムが鳴り、みんなが席から立ち上がる。




