第1話 ユリカ様
可愛いものが好きだった。
カメオのついたベロアのリボンとか、サテンレースとかアンティークな手鏡とか…お嬢様みたいな世界観に、小さい頃から心惹かれていた。
朝5時45分。
桐谷ユリカの小さい洗面台に並ぶのは、ドラストで値下げされていたプチプラコスメと、160°に温められた古いストレートアイロン。
まだ夢の世界にいる弟たちと、毎日遅くまで働いている母を気遣って、なるべく音を出さないようにユリカは身支度を整える。
築40年のこの部屋は狭い。部屋の仕切りはほとんどないし、音は筒抜けのうっすい壁ときたもんだ。プライバシーへの配慮なんて微塵もない。
前髪は根本から綺麗に巻いてスプレーで固める。あとの髪は縦に巻き下ろし。
……そうだ。今日はこのカチューシャをつけてみようか。
最近の100均のヘアアクセは優秀だなと、ユリカは心の中でほくそ笑んだ。
先生にバレない程度に薄く施した化粧。
───今日も私は、私が好きな《お嬢様》。
鏡の前でニコリといつもの令嬢スマイルを決め、まだ眠っている家族に心の中で行ってきますをしてからユリカは扉を開けた。
すっかりイカれた蝶番がいつも通り耳障りな音を立てる。
錆びついた階段を降り、早朝の太陽の光がユリカの明るい瞳に真っ直ぐに差し込む。
そう、お察しの通り、桐谷家は超がつくほどの貧困家庭。
有名大学に入り、大手企業に就職して家族にいつか裕福な生活をさせたい思いで、元々そんなに頭の良くなかったユリカは必死に勉強した。
その甲斐あって、彼女はこの地域ではそれなりに名の知れた中堅以上の公立高校に合格。
家から電車で40分。決して近いとは言えない距離。
────家が貧乏でも、心持ちと見た目だけはせめて、小さい頃から憧れていたお嬢様でいたい。
それが、桐谷ユリカのモットー。
『まもなく、一番線に電車がまいります。黄色い線の内側に……』
電車がだんだんと速度を落としてホームに停車する。風を受けてユリカのセーラーの襟がはためいた。
扉が開き、彼女はいつもの定位置に腰掛ける。
この40分間を無駄にするわけにはいかない。
いつものように彼女はスクールバッグから単語帳を取り出す。
───と。
「っ、ぎゃっははははっ!!お前マジかよ、キモっ!」
「きっしょw」
「ちょ、バカ声出けぇよw」
車両連結部の扉が開き、治安の悪そうな男子高校生たちが入ってきた。
好き放題に気崩された学ラン。ユリカの高校の学生だ。
こちらへ向かって歩いてくる、輩然とした見た目の彼ら。
車内にまばらにいる人々の瞳には、明らかに怪訝そうな色が浮かんでいる。
気にせずユリカは再び単語帳に目を落とした。
彼らがユリカの前を通り過ぎる一瞬、恐る恐る彼女は目線を上げる。
……が、びっくりしてまた咄嗟に目線を戻した。
────その集団の、後ろの方で笑っていた金髪の男と目が合った…気がした。
『次は、宝田。宝田です。お出口は左側です』
この沿線で一番大きな駅に着き、扉が開いた瞬間、ごった返しそうなくらい大量の人が乗ってきた。
不良の集団は、隣の車両に移動したらしくいつのまにか消えている。
彼らの若干きつい香水の香りが、まだほんの少しユリカの眼前に残っていた。




