第19話 シルバー・ストロベリー 齢27
「スズランテープと〜、養生テープと〜……あとなんだっけ」
「リボンと画用紙ね」
「あーそう、それ!」
脳の容量が少ないことに定評のある修斗は、下駄箱からスニーカーを取ると、いつも通り雑に置いて足を突っ込む。
「しっかし、まさかマジでメイド喫茶やるとはねぇ。しかも五十鈴がメイドのコスプレするとか……くははっ、可哀想なことしちまったかな」
そんなことを言っておきながら、喉奥で笑った修斗に反省の色は全く見えない。むしろより一層活き活きとしているようにも見える。
前を歩いていた同じクラスの女子たちが数人、振り返って岳に手を振る。
「がっくーん!説得してくれてありがとー!」
「あー、ハイハイ」
片手をポケットに入れたまま、岳はのそりと手を振り返した。スクールバッグのキーホルダーを揺らして走り去っていく女子たちの背中を見送りながら、朝日はボソリと呟く。
「本人はだいぶ嫌がってたけど」
「そーゆーお前だってノリノリだったくせに!」
修斗が調子よく肩に回した腕を、素早く振り解く。
──────下校時刻を知らせるチャイムが校舎から響き渡った時、ふと正門付近に停車する一台の黒塗りの外車が、彼らの目に飛び込んだ。
周囲にいる下校途中の生徒たちもその異様な存在に気がついているようで、お互い顔を見合わせ、不思議そうに首を傾げてその車を避けて歩いている。
異質な雰囲気をなんとなく感じ取った3人が無言でその車の前を通りがかった瞬間、後部座席の窓が音もなく滑らかに下がる。
──────銀色の髪をした人物が、窓から顔を覗かせた。
小作りな鼻と、主張しすぎない口元が醸し出すどこか華奢で繊細な雰囲気も相まって、性別を断定することが難しい。
口角をきゅっと上げたその人物は、掛けていたサングラスを徐に外した。
顕になったのは、琥珀色に光る、賢そうな瞳。
「……誰?」
疑問を呈した修斗に呼応するように、目の前の人物は口を開き、真っ白な歯を覗かせて笑った。
「やあやあやあ高校生諸君!元気にしてるかい?」
「っ、えっ!?男っ!?」
特別低いわけでもない、が、彼から発せられた声は紛れもなく成人男性の声だった。
サングラスを指先で回し、呆然と立ち尽くす3人を一瞥しながら男は続ける。
「君たち、五十鈴のお友達?」
「そーですけど、それが何か?」
突然の訪問にこれっぽっちも悪びれていない様子で満足げに頷く男に、岳は疑念たっぷりといった様子で答えた。
「いやいや〜、突然ごめんね。俺、五十鈴の昔からの知り合いでさ。こないだこっちの方に帰ってきたんだけど……
五十鈴の最近の様子について、詳しく聞かせて欲しいんだよね。
ちょっと付き合ってもらえる?」
肚の内を隠したようなその目を閉じて、親しげな笑顔になる。
「ほわぁ、すっげぇ。カッケー車ァ……」
「生憎っすけど、知らない人についてっちゃダメって小学生ん時教わったんすよね」
既に男の手中に取り込まれていそうな修斗の頭を軽く殴り、岳は低い声で言う。口元こそ笑っているものの、瞳は不信感でいっぱいだった。
んー、どうしよっかな、と男は唇を突き出して顎に指を当てる。
「あ、そうだ。じゃあファミレスにしよう。
なんでも好きなの頼んでいいよ☆」
「なんでもっ!?」
分かりやすく目を輝かせた修斗のお腹が大きな音で鳴った。
男は上品な笑顔を顔に貼り付けたまま言う。
「うん、何でも。今日はぜーんぶお兄さんが奢ってあげるよ☆」
「マジすか!!あざーっす!」
「んーんー。素直でいい子だねぇ、君は。なんだかトイプードルみたいで可愛い♡」
『奢り』という甘美な響きにすっかり魅せられた修斗のふわふわした茶髪を、男は愛犬にするみたいに撫で回す。
「おい、修斗……!」
とうとう岳が声を荒げた。
「ファミレス……」
そんな彼の横で朝日が小声で呟く。
「ん?」
「ファミレス、行くならココに連れてって。
俺の好きなゲームとコラボしてるから」
初対面の人間にも全く動じず、いつものテンション感で男にスマホの画面を突き出した。
「どれどれ……ああ、繁華街の通りのとこね。
いいよ、車乗せてってあげるから」
「テメーら買収されてんじゃねえよ!」
「さぁ、そこの短髪くんはどうする?」
不意に男が、目を細めて微笑んだまま岳を見た。
「ピアスがイチ、ニ、サン、シ……おお、いいねぇ、不良って感じで。五十鈴と違って地毛のままなのはこだわり?」
そんなやる気のない低レベルの煽りは岳の耳には入らない。焦れるように、眉を寄せた。
やがて。
「……コイツらが行くなら」
大きく息を吐きながら言いきった。
「よーし。じゃ、決まりだね」
熟考の末に彼が出した回答を聞いて、男は何度か軽く頷いた後、申し分なしといったような面持ちで得意げに口の端を吊り上げた。
──────────
いつもの面子で何度たむろしたかわからない、お馴染みの繁華街前のファミレス。この系列の店では1番大きいこの店舗に、朗らかな入店音が鳴った。
「いらっしゃいませ〜。何名様で……す、か」
入り口に立った集団が視界に入った瞬間、若い女性の店員の語尾はみるみる萎んでいく。
「4人です」
身体も表情も硬直した彼女に飄々とした笑顔で伝達事項を伝える、この謎の銀色の髪の男。
初めて立っている姿を見たが、岳よりも少し上背がある。
岳自身、平均よりだいぶ身長は高い方ではあるが、程よく筋肉のついた細身の身体とシンプルに仕立てられた純白のスーツのラインで、この男のシルエットはより一層際立って見える。
「えーっとまずはぁ、ポテトとー、ドリンクバーとー、ハンバーグとー……何コレっ、限定苺モリモリパフェだって!!俺コレも食べる!」
席に着くなり早々にメニューを広げた修斗は、今季の目玉商品を目ざとく見つけると早速タッチパネルに入力していく。
「食える分だけにしとけよ」
隣で岳が諫める。
「あれ、修斗じゃん!」
急に名前を呼ばれて、彼が振り返る。
その人物を認識すると、修斗は弾かれたように笑顔になって手を振り返した。
「あ、やっほ〜!久しぶり!」
ブレザーを着た他校の男子生徒3人は、修斗の前の椅子に腰掛ける異質な男を認めるなり、
「えっ……え、どちら様……?」
と恐る恐る聞いた。
「謎の銀髪おにーさん!なんかさっき校門の前?で知り合った!」
目の前で、何か企みでもありそうな含みのある微笑を浮かべるこの男を、岳はじっと見つめてみる。
全身から白銀のオーラを放つこの男。
子連れの夫婦や近隣の高校に通う学生たちで賑わう店内の中では、確かに良くも悪くも人々の目線を引いていた。
修斗からタッチパネルをひったくった朝日が、一心不乱に何かを探し始めた。
普段眠そうに半開きになった瞳がこじ開けるように見開かれているものだから、何かと思って岳は横からパネルを覗き込む。
「数量限定……ランダム缶バッジ……あ、あった。ねえ岳、一緒にこれ食べよ」
「何だこれ……って、デカっ。高っ!」
「ああ、値段なら気にしなくていいから。
男子高校生は育ち盛りだからね。好きなだけ好きなモン食べたらいいさ」
頬杖をついていた男は、ドリンクバーコーナーから持ってきたブラックコーヒーを優雅に傾けた。
「やったーーーっ!おにーさん、あざっす!!」
「あの。失礼っすけど、あなたは何者なんですか?さっき五十鈴の知り合いって……」
コーヒーカップに唇をつけたまま、睫毛の影の落ちた瞳をゆっくりと細める。
「ああ、まあ……彼とはちょっと、家族ぐるみで付き合いが長くてね」
静かな声と、胸の中を落とし込んだような微笑みから発せられる圧によって、岳にはこれ以上の質問をする気が湧かなくなった。
聞きたいことを飲み込んだ彼は、届いたポテトにケチャップを大量に付けて、1本丸々口に放り込む。
「ハイハイ、質問です!おにーさん名前なんて言うの?何歳?独身?」
おい、と岳は前のめりになった修斗の袖を掴む。
「ッ、アッハハハ!君ぃ、いいね面白い。
俺のことはまあ、イチゴって呼んでくれればいいよ。27歳。絶賛独り身謳歌中」
肩を震わせて、男は心底楽しそうに笑った。
岳は狐に摘まれた気分である。
正直、年齢詐称にしか見えない。あまりにも顔が若すぎる。まあそんなこと、彼には口が裂けても言えそうになかったが。
「なんすかそれ?果物の苺じゃん!本名?」
「半分」
有無を言わせない落ち着いた微笑み。なんだか岳には、どんな読心術を使ってもこの男の心の内を読める気がしなかった。
「イチゴさんってお金持ちなの?さっきの車超高そーだったし、運転してくれてた人も敬語だったし!」
この男は、遠慮というものを知らないのだろうか?
岳の注意する気もいい加減失せてきた。
「んー?そんなことないよ。ただの会社員さ」
いつのまに食べていたのか、指先についたポテトの塩をおしぼりで軽く拭って答えた。
「え〜ゼッタイ嘘だぁ!」
「ホントホント。ホラ、見てよこの綺麗な瞳の純粋な輝きを」
修斗はストローを咥えて、メロンソーダをブクブク泡立たせながら笑う。
「お待たせいたしました〜」
オムライスとパスタ、ハンバーグ、それから修斗の苺パフェが到着した。
朝日は大きいリュックの中から、いそいそと大切そうにぬいぐるみを取り出す。
湯気をたてるオムライスとこのエメラルドグリーンの麺をしたパスタが、コラボ商品らしい。幸せそうな笑顔を滲ませながら、撮影会が開催された。
写真を撮り終えた朝日に、1人じゃ食べきれない、と言われたので、仕方なく岳はオムライスの皿を自分の目の前に置いた。大してお腹は空いていないが、卵とケチャップの香りに僅かばかり食欲がそそられる気がした。
「そうそう、俺の話なんかいいんだよ。
君たちをわざわざ招待したのは、五十鈴の話を聞かせてもらうためさ」
卵をスプーンで割ると、中からその姿を覗かせたのは、パスタと全く同じエメラルドグリーンのライス。喉元まで顔を出しかけていた食欲が、途端に引っ込んでいく気がした。
「あ、そーそー!五十鈴、今度の文化祭でメイド服着るんっすよ!」
イチゴが吹き出す。
良かった、もし今彼の口にコーヒーが入っていたら顔面に直撃するところだった、と岳は胸を撫で下ろす。
「なにそれ、誰が決めたの?まさか本人?アイツそういうキャラだっけ」
口角の上がりようから察するに、まだ余韻を引きずりまくったままである。
「違いますよォ。クラスの文化祭委員の女子たちとー、あと俺らで頑張って説得したんっすよ」
「へぇ。え、じゃあ何、五十鈴は仲良いの?その女の子たちと」
天井の明かりを受けて、明るい琥珀の瞳が更に爛々と輝く。
修斗は考えなしに口にハンバーグとご飯を詰め込みまくったせいで、何を言っているのかよく分からない。代わりに、岳が口を開く。
「いや、別に。多分、一言も喋ったことなかったっすね」
「五十鈴が1番仲良い女子はユリカ様だから」
ハンバーグを飲み込んだ修斗が言った。
「そう、それ!俺が1番聞きたかったのはそこ」
働く大人の風格はどこへやら、彼は役者よろしく指を突き出し前のめりになった。
「あの子、昔っから全く女っ気がないからさぁ。
何でだろーねぇ、結構綺麗な顔してるのに。おかしいと思わない?君たちも」
大人しく座り直して、頬杖をつきながら同意を求めるように岳たちを見上げた。
「五十鈴はそういうの、多分興味ない」
不味そうな色のパスタをちまちまフォークに巻き付けながら朝日が呟く。
「まぁ、でも……ユリカ様のことは嫌いじゃないだろうな、アイツも」
「そーそー!万年金欠、最強ビンボーアルバイター五十鈴くんは、ユリカ様に養ってもらえばいいんだよ」
えっ、待って、と修斗の言葉をイチゴは手で制す。
「万年金欠?ビンボー?」
きょとんと目を丸くしたまま、修斗はブロッコリーを一口齧る。
「え、あ、ハイ。あ、そーだ聞いてくださいよ。アイツの財布の中、いっつもレシートでぐっちゃぐちゃなんすよ!」
「ああ……そうかそうか、そういう感じね。うん……いいねいいね」
何かに同意したように何度も軽く頷く彼は、下がることを知らない口角を隠すように白い手で口元を覆う。そんなことをしても目の笑いようまでは隠せていないというのに。
「で?そのユリカちゃんとはどういう関係なの?ただのオトモダチ?」
─────ああ、そういうことか、と岳は目を細める。
そういうことが聞きたかっただけだったのかと、途端に腑に落ちた。逆にそういう分かりやすすぎる目的のほうが、かえって安心する。
カルピスを一口、口に含んでから岳は言う。
「いや、まあ……友だちなんじゃないっすか?多分」
「ユリカ様は〜、誰もが認める学年一のお嬢様で〜……あっ、めっちゃ美人すよ!んで、頭も良くて〜、えっと〜あと……あ、桐谷財閥の娘!」
「ん?」
と、イチゴは不意に深い声を出した。
「最近五十鈴、勉強教わってるんすよ!こないだのテスト、俺らでめっちゃ頑張ったけど赤点回避できな────」
「桐谷財閥……の、娘……」
構わず喋り続ける修斗の言葉に被せるように、彼は一層小さな声で呟いた。
まるで、何か小さな違和感を静かに訝しむように。
その様子を察した彼らがぴたりと静かになると、イチゴはハッ、と目を上げた。
「……ああ、ごめんごめん。それで?続きは?」
「もー、イチゴさんちゃんと聞いて!
え〜っと、どこまで話したっけ……あ、赤点の話だ!
五十鈴のヤツマジでバカすぎて、赤点四つも取ったんすよ!四つっすよ、四つ!俺よりバカ!
留年の危機すぎて、それをユリカ様が救ってくれるっていう話で〜──────……」
せっかくの苺のパフェは、スプーンを差されたまま。止まることのない熱弁に忙しい修斗に見向きもされていない。
1人の共通の人物について盛り上がっている彼らの熱気で、てっぺんに鎮座するバニラアイスの端っこが溶けて、グラスに真っ直ぐ線を引いた。
───────────
「……御上会長、遅いです。会議始まってしまいますよ」
運転席の若い男性の咎める声には、些か疲労の色が滲み出ていた。
「いや〜、ごめんごめん。でもまた志木ちゃんが飛ばしてくれれば間に合うでしょ?」
後部座席に乗り込んだイチゴは、1ミリたりとも反省の色が見えない様子でシートベルトを締める。
「……法定速度は遵守しますからね」
ため息混じりの声と共に、車が発進した。
シルバーのネクタイを軽く緩めた御上は、ひと仕事終えたような顔で、家々の隙間から伸びる赤い夕日を眺めた。
狼の瞳のような虹彩が、夕日を集めて一層耀く。
「しっかし、ホントに面白い話が聞けたなぁ」
じっくりと呟いた聡い男の顔には、ありありと『愉しい』と書かれている。
やり場に困る長すぎる足を組んでから、彼はノートパソコンを開いた。
「桐谷グループの一人娘の名前……『ユリカ』じゃなかった気がするんだよなぁ」
もう既に自分の中で出ている答えを骨までしっかりと味わい尽くすように、一言一句噛み締めて呟いた。
「俺の記憶違いかもしれないけどね」
誰に聞かせるわけでもなく、茶目っ気たっぷりに言う。
男子高校生相手に、今日は久しぶりに喋りすぎた。全く、このあといつもの重苦しい空気の会議が待っているというのに。もはや温度差で風邪をひきそうである。
乾きを潤すように、彼は軽く上唇を舐めた。
怪しい男に目をつけられてしまったユリカ。
大事にならないといいですね




