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汚職処分

 午前七時四十二分。


 首相官邸の総理大臣執務室で、政朝(まさとも)は分厚い報告書を前にしていた。


 表紙には、『政治資金還付問題に関する党内調査報告書』と記されている。


 自由推進党の新総裁に選ばれたときから、政朝の前には常にこの問題があった。


 大崎(おおさき)善二(ぜんじ)前総理の辞任。


 内閣総辞職。


 党の支持率急落。


 総理大臣指名選挙における党内からの造反。


 政朝が経験してきた混乱の多くは、この政治資金問題から始まっている。


 新しい内閣を発足させても、過去の問題が消えるわけではない。


 自由推進党総裁となった政朝が、自ら処分を決めなければならなかった。


「あぁ……胃が痛い」


『今朝確認した議席数と、これから決める処分を結びつけて考えておるのだな』


 胸の内側から、サザレの声が響いた。


 机の左側には、朝食の際に確認した衆参両院の議席数をまとめた資料。


 右側には、処分対象となる議員の一覧が置かれている。


 政朝は先ほどから、その二つを何度も見比べていた。


「思考は読めないんじゃなかったのか?」


『読まずとも分かる。そなたは処分対象者の名を見るたびに、議席数の紙へ目を移しておるからな』


「顔だけじゃなくて、行動にも出てたか」


『そなたは隠し事に向いておらぬ』


「総理大臣として、それはどうなんだろうな……。日米首脳会談とか不安しかないんだが」


『さあな。少なくとも、妾に隠す必要はあるまい』


「それもそうか」


 政朝は執務室の扉へ目を向けた。


「部屋には誰も入ってこないようにしてあるから、出てきても大丈夫だよ」


 胸元から淡い光が漏れ出した。


 光は机の脇へ集まり、黒いおかっぱ髪と古めかしい着物をまとった少女の姿へ変わる。


 サザレは床へ降り立つと、政朝の隣から報告書を見下ろした。


「そなたが党の新しい総裁となった時から、背負わされておる問題だな」


「そうだ。党内からは、早く処分を決めろと言われてる。反対に、犯罪じゃないんだから、大きな処分は必要ないという人もいる」


「どちらも、自分に都合のよい結論を急いでおるだけに見えるな」


「なるほど、サザレはそう考えるのか。党の全員に聞かせたい言葉だな」


「皆に聞かせたいなら、そなたの口から直接伝えよ。そもそも処分とは、怒りを鎮めるために誰かを差し出すことではない。何が起きたのかを見極め、同じことを繰り返さぬために行うものだ」


「幽霊とはいえ、幼女の口から出ると複雑な気持ちになるな」


「見た目だけで妾を幼子扱いするでない」


 不満そうに眉を寄せるサザレを横目に、政朝は報告書の最初のページを開いた。


「問題になっているのは、自由推進党内の政策集団が開いていた政治資金パーティーだ」


 政治資金パーティーでは、支援者や企業関係者などにパーティー券を購入してもらい、その売り上げを政治活動に使う。


 今回問題となった政策集団では、所属議員一人一人に、何枚のパーティー券を販売するかという目標が割り当てられていた。


「例えば、ある議員に百枚の販売目標が与えられたとする。その議員が百二十枚売れば、目標を二十枚上回るだろ?」


「うむ」


「すると政策集団は、上回った二十枚分の売り上げの一部を、その議員の政治団体へ戻していた」


「多く売った者ほど、多くの金を受け取れる仕組みか」


「そういうこと」


 政策集団から議員側への送金は、すべて銀行口座を通して行われていた。


 支払った政策集団側も、受け取った議員側も、政治資金収支報告書へ金額を記載している。


 党の調査と法律顧問の確認では、不記載や虚偽記載は見つかっていない。


 議員が個人的な買い物や生活費に使った形跡もなかった。


 企業や団体から、政策上の便宜を図る見返りとして金を受け取った事実も確認されていない。


 現時点では、刑事責任を問われるような違法行為は確認されていなかった。


「金を受け取った事実そのものは、帳簿に記されておるのだな」


「うん。今回の問題は、金額を書かなかったとか、個人的に使い込んだという事件じゃない」


「ならば、隠しておったのは金の存在ではなく、その意味か」


 サザレは、すでに問題の本質を捉えていた。


「そのとおりだよ」


 自由推進党は三年前、パーティー券の販売成績に応じて所属議員へ資金を戻す制度を廃止すると発表していた。


 金集めを議員同士で競わせ、不透明な資金配分につながるという批判を受けたためだ。


 ところが、実際には制度がなくなっていなかった。


「以前は、販売目標を超えた分を『還付金』という名前で支払っていた。廃止を発表した後は、同じ金を『政策研究活動費』という名前で支払うようになったんだ」


「表向きは、政策について調べたり、資料を作ったりするための金ということか」


「そう。でも、議員が実際にどんな政策を研究したかは、金額に関係なかった」


「実際の金額は、政策を研究した量ではなく、パーティー券を売った数で決まっておったというわけか」


「そのとおり」


 パーティー券を多く売った議員には、多額の政策研究活動費が支払われていた。


 販売目標を超えなかった議員には、支払われていない。


 廃止を発表した後、『還付金』という名称だけは確かに変わった。


 しかし、資金を受け取るための条件も、支給額を決める計算方法も、以前の還付制度と同じだった。


「廃止したと公表した仕組みを、別の名で覆い隠し、そのまま続けておったのだな」


「そういうことになる。収支報告書に金額は書いてある。でも、それを読んだだけでは、パーティー券の販売成績に応じて支払われた金だとは分からない」


「帳簿の形は整えながら、国民には実態を見えにくくしたか」


 サザレの声に冷たさが混じった。


「しかも、問題が発覚した後、関係議員は『パーティー券の販売とは関係のない活動費だった』と説明してる」


「金額が販売数によって決まることを知りながらか?」


「八人全員が知っていた」


「ならば、言葉を取り繕っただけであろう」


「本人たちは、政策研究活動費という正式な名称で受け取ったから、還付金ではないと思っていたと説明してる」


「名を変えれば、中身まで別のものになるわけではない」


「俺もそう思う」


「法に触れぬとしても、清廉とはほど遠いな」


 政朝は処分対象者の一覧を開いた。


「関係した国会議員は八人。大崎内閣で大臣を務めていた二人と、ほかの議員六人だ」


 サザレは一覧の上に並ぶ二人の名前へ目を向けた。


「この二人は以前の閣僚か」


「ああ。大崎前総理の辞任で内閣が総辞職したから、今はもう閣僚じゃない。ただ、国会議員としては残っている」


 二人は大崎内閣で大臣を務める一方、自由推進党の政治改革本部でも中心的な役割を担っていた。


 党の記者会見では還付制度の廃止を説明し、国会で政治資金に対する姿勢を問われた際にも、制度はすでに廃止されたと答えている。


 その一方で、二人の政治団体には、名称を変えた還付金が支払われ続けていた。


「制度を改めたと国民へ説明した者が、自らは同じ仕組みから金を受け取っておったのか」


「そうだ」


「本人たちは、政策研究活動費と還付金が同じものだとは認識していなかったと言ってる」


「そなたは、その説明で責任を免れられると思うか?」


「思わない」


 政朝は二人の名前へ指を置いた。


「この二人は除名する。自由推進党から党籍を剥奪して、議員辞職も勧告する」


「妥当だな」


 サザレは迷わず答えた。


「制度を廃止したと国民へ説明する立場にありながら、同じ仕組みから資金を受け取っていた。知っておったなら国民を欺いたことになり、知らなかったのなら、自らが説明した制度すら把握していなかったことになる」


「知っていても、知らなくても、あの二人は責任から逃れられない」


「うむ。国民へ説明する権限を与えられた者は、その言葉が事実であることにも責任を負わねばならぬ」


「ただ、党が議員辞職を命令することはできない。除名されても、本人が辞めなければ無所属議員として残れる」


「ならば、国民の前で説明させよ。地位に残るというのなら、なぜ残るのかを自ら語らせるべきだ」


「国会でも追及されるだろうな」


「それから逃れさせてはならぬ。党を追われたからといって、説明する責任まで消えるわけではない」


 政朝は二人の名前の横へ、議員辞職勧告と書き加えた。


 次に、残る六人の名前へ視線を移す。


「この六人には、離党勧告を出そうと思ってる」


「期限を定め、自ら党を離れるよう求めるのだな」


「うん。従わなければ、除名手続きへ移る」


「元閣僚の二人ほど重い立場ではなかった。ゆえに処分の段階を分けるのだな」


「そのつもりだ」


 六人も、パーティー券の販売実績によって支給額が決まることを知りながら、資金を受け取っていた。


 問題発覚後の説明も正確ではない。


 六人にも一連の問題に対する責任があり、政朝も彼らを党へ残すつもりはなかった。


「ただ、六人は制度の廃止を国民へ説明した立場でも、制度の運用を監督する立場でもなかった。元閣僚の二人と、まったく同じ処分にするのは違うと思う」


「責任の有無ではなく、責任の重さによって処分を分けるのは、妾も賛成だ」


「そう言ってもらえると助かるよ」


 サザレが肯定してくれたおかげか、ほんの僅かだが、気持ちが軽くなったのを政朝は感じた。


「ならば、その違いを曖昧にするでない。離党勧告だから責任が軽いのではなく、それぞれの立場に応じた処分であると、そなた自身が説明せよ」


「分かった。記者会見では、六人も処分対象であり、復党は認めないと明言する」


「党を離れれば終わりではない。六人にも、受け取った金と説明について、国民の前で責任を果たさせるべきだ」


「そこは元閣僚の二人と同じだな」


「うむ。処分の重さを分けても、事実を明らかにする責任まで分ける必要はない」


 政朝は八人の名前を見つめた。


 衆議院議員が六人。


 参議院議員が二人。


 全員が自由推進党を離れれば、衆議院の議席は二百八十三から二百七十七へ減る。


 参議院は九十五から九十三議席となる。


 日本維風の会の二十五議席を合わせても、参議院では百十八議席。


 過半数の百二十五議席まで、七議席足りない。


「朝食のときに確認した数字が、早くも変わるな。処分を行えば、参議院で不足する議席は五から七へ増える」


「そうなんだよな……。法案を成立させるには、直球民主党や保守の羅針盤、無所属議員との協議が、今まで以上に必要になる」


「それが、そなたの迷いか」


「正直に言えば、怖いよ」


 政朝は議席数の資料へ目を落とした。


「八人を処分すれば、その人たちを支持している地方組織や、同じ派閥の議員からも反発が出る。党内で俺に従わない人が、さらに増えるかもしれない」


「それでも、八人を党へ残すことはできぬのであろう?」


「そこは曲げられない」


「ならば、処分によって失うものだけでなく、処分しなかった場合に失うものを考えよ」


 サザレは議席数の資料ではなく、党内調査報告書へ手を置いた。


「そなたの党は、制度を廃止したと国民へ告げながら、名を変えて続けた。ここで新しい総裁まで処分をためらえば、自由推進党は何も変わらぬと思われる」


「俺が何を説明しても、今後は信じてもらえなくなるな」


「議席は交渉によって補えることもあろう。だが、一度失った信用を、同じように数えて取り戻すことはできぬ」


 政朝はゆっくりと頷いた。


「先ほど確認した七議席の不足は大きい。でも、汚職議員を残して失う信用は、七議席では済まない」


「その結論を、自分の言葉で国民へ伝えよ」


「そうする。これは俺が決める処分だからな」


 政朝は八人の処分案を、一つの書類へまとめた。


 元閣僚二人を除名し、議員辞職を勧告する。


 残る六人には離党を勧告し、従わなければ除名する。


 この処分によって、自由推進党は衆議院で六議席、参議院で二議席を失う。


 党内から強い反発が起こることも、法案を成立させるための交渉が、これまで以上に難しくなることも分かっていた。


 それでも、処分しないという選択肢はない。


 八人を党に残せば、失うものは議席では済まない。


 新しい総裁になっても、自由推進党は何も変わらない。


 そう国民に判断されれば、政朝がこれから何を語っても、その言葉は届かなくなる。


 政朝は処分案を見つめ、ゆっくりと息を吐いた。


「あぁ……胃が痛い」


「それでも、決めたのであろう?」


「決めたよ」


 声は大きくなかった。


 それでも、迷いだけはなかった。


 これは井上が用意した答えでも、党の重鎮に押しつけられた答えでもない。


 サザレの助言を受け、事実と向き合ったうえで、政朝自身が下した決断だった。


 八人を自由推進党から切り離す。


 その決断が党に何をもたらすのか、今の政朝にはまだ分からない。


 ただ一つ分かっているのは、ここで立ち止まるわけにはいかないということだけだった。

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