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国会勢力確認

 午前五時。


 枕元の目覚まし時計が鳴る直前、政朝(まさとも)は目を覚ました。


 まだ薄暗い寝室で、ぼんやりと天井を見つめる。


 総理大臣に就任してから、朝まで一度も目を覚まさずに眠れた日はない。昨夜も睡眠時間は短かったが、不思議と身体は軽かった。


 政朝は胸元へ手を当てる。


「……いるんだよな?」


『いるに決まっておろう』


 頭の中へ少女の声が響いた。


「うわっ」


『そなたから確かめておいて、驚くでない』


 胸元から淡い光が漏れ出した。


 光は政朝の前で丸く集まり、黒いおかっぱ髪と古めかしい着物をまとった少女の姿へ変わる。


 サザレは宙に浮かんだまま、呆れた顔で政朝を見下ろしていた。


「昨夜、契約したばかりだというのに、慣れろっていう方が無理だろ」


「総理大臣になったことには、もう慣れたのか?」


「そっちはもっと慣れてない」


「ならば、驚くことが一つ増えたところで大差あるまい」


「あるよ」


 そう答えたところで、目覚まし時計が鳴り始めた。


 サザレは宙から手を伸ばし、目覚まし時計の上へ指を落とす。


 音が止まった。


「これは……便利だな」


「妾を目覚まし止め係にするつもりか?」


「毎朝頼もうとは思ってないよ」


「少しは思った顔をしておるぞ」


 政朝は視線を逸らし、布団を抜け出した。


 洗面所で顔を洗い、髪を整え、白いシャツへ袖を通す。


 鏡には政朝しか映っていない。


 だが、振り返れば、サザレが洗面台の横に立っている。


「やっぱり、鏡には映らないんだな」


「幽霊が鏡に映らぬことが、それほど珍しいか?」


「幽霊を見ること自体が珍しいんだよ」


「そなたは細かなことを気にするな」


「十分に大きなことだと思うけど」


 政朝はネクタイを締めながら、背後にいるサザレへ話しかける。


「公邸を出たら、また俺の中へ戻るんだよな?」


「うむ。外でも姿を現すことはできるが、そなたの近くに限られる。人目のある場所では、中におる方がよかろう」


「分かった。そうしてもらえると助かる。特に胃が」


「ただでさえ、頼りない総理だと思われておるからな。面倒だが、妾も気をつけよう」


「朝から傷口を広げるなよ」


 政朝が上着を羽織ると、サザレは小さく笑った。


 ◇


 身支度を終えた政朝は、公邸の食事室へ向かった。


 長い食卓の端に、朝食が用意されている。


 白米、焼き鮭、だし巻き卵、ほうれん草のおひたし、豆腐とワカメのみそ汁。


 公邸へ移り住んでから一週間ほどが経ったが、広い食事室で一人きりの朝食を取ることには、まだ慣れていなかった。


 政朝は椅子へ腰掛け、手を合わせる。


「いただきます」


 向かい側の椅子へ座ったサザレが、その様子を眺めていた。


「そなた、食事の前には手を合わせて挨拶するのだな」


「子供の頃からの習慣だよ」


「誰も見ておらぬのに、律儀なものだ」


「誰かに見せるためにやってるわけじゃないからな」


「そういうものか」


 政朝は焼き鮭を一口食べた。


 サザレの視線が、鮭へ向いていることに気づく。


「食べる?」


「妾は食事を必要とせぬ」


「必要かどうかじゃなくて、食べたいかどうか」


 サザレは少しだけ考えた。


「味は確かめてみたい」


「素直に食べたいって言えばいいのに」


「余計なことを申すな」


 サザレは配膳台に置かれていた予備の箸へ手を伸ばした。


 しかし、指先が箸をすり抜ける。


 サザレの動きが止まった。


「……今のは見なかったことにせよ」


「実体化を忘れたのか?」


「見なかったことにせよと言ったであろう」


 サザレは指先へ意識を集中させ、改めて箸をつかんだ。


 政朝の焼き鮭を小さくほぐし、口へ運ぶ。


「どう?」


「悪くない」


「もう少し感想はないのか?」


「そなたは食事番組の司会者か?」


 そう言いながらも、サザレはもう一口鮭を取った。


 政朝は皿を少しだけ彼女の方へ寄せる。


「誰かが入ってきたら、箸を置いてくれよ」


「分かっておる」


「箸だけ浮いていたら、公邸の幽霊が本当だって騒ぎになるからな」


「妾は実際にここにおるぞ」


「世間的には都市伝説レベルなんだよ」


「くっ、生きづらい世の中だな」


「お前、幽霊だろ」


 誰にも見えない少女と朝食を分け合っている。


 昨日までなら考えられなかった光景だったが、不思議と一人で食べるよりは落ち着いた。


 政朝はみそ汁を飲み、食卓の端に置かれていたタブレット端末を手に取った。


「朝から仕事か?」


「午前七時半に官邸へ入る。その前に、今の国会勢力を改めて確認しておきたいんだ」


「議席数なら、テレビでも時折見かけるな」


「政党の離合集散や選挙で、数字は変わるからね。ここ最近は大きな変化はないけど、こまめな情報のアップデートは必須だよ」


「妾も正確な数までは覚えておらぬ。そなたが話せ」


「俺も説明した方が頭に入るから、ちょうどいいよ」


 政朝は画面を横向きにした。


 衆議院と参議院の政党別議席数が、左右に並んで表示される。


「衆議院は四百六十五議席。参議院は二百四十八議席。政党は大まかに保守系、中道系、リベラル系に分けられる」


「大まかに、か」


「同じ党の中でも考えは違うし、政策によって賛否が変わることもあるからね」


「人間が集まっておる以上、名札一つで考えが揃うはずもないか」


「そういうこと」


 政朝は画面を指で動かした。


「まずは、俺が総裁を務める自由推進党からだ」


 ◇


「自由推進党は、衆議院二百八十三議席、参議院九十五議席。現在の与党第一党で、経済成長、安全保障、地方基盤の維持を重視する保守系政党だ」


「衆議院では単独過半数を持つ巨大政党。だが、その二百八十三人すべてが、そなたに従うわけではないか」


「……そのとおりだよ」


 政朝は箸を置いた。


 サザレはすでに、総理大臣指名選挙で自由推進党内から造反票が出たことを知っている。


「表向きは同じ党に属していても、そなたを総理と認めておらぬ者がいる。求心力の回復は大きな課題だな」


「そうだな。それに、汚職事件への対応を巡って党内の意見も割れている状況だ。関係した議員を厳しく処分すべきだという若手や中堅もいれば、捜査結果が出るまでは慎重に動くべきだというベテランもいる」


「数は多いが、一つの方向へ進んでおるわけではないのだな」


「長く政権を担ってきた党だから、所属する議員の考え方も幅広いんだ。保守色の強い人もいれば、社会保障を重視する穏健派もいる。派閥や支持団体の違いもある」


「大きくなりすぎた船か。多くの者を乗せられるが、進む向きを決めるのに時間がかかる」


「船長が俺なのも問題だけどね」


「自覚はあるのだな」


「あるから胃が痛いんだよ」


 サザレが小さく笑った。


「そして、自由推進党と協力関係にあるのが日本維風の会。衆議院二十二議席、参議院二十五議席。党首は辰雲(たつぐも)亮治(りょうじ)さんだ」


「そなたの内閣には、閣僚を出さなかった党だな」


「ああ。政権への協力関係は維持しているけど、今回は入閣せず、閣外から支える形になった。地方分権や行政改革、歳出削減を重視していて、安全保障では自由推進党と近い」


「政権から離れず、汚職事件からは距離を置いたか」


「そう見られてる」


「悪くない位置だ。そなたの政権が持ち直せば、協力した成果を主張できる。危うくなれば、一歩引くこともできる」


「辰雲さんが、そこまで計算しているかは分からないけど」


「本人が考えておらずとも、党には党の事情がある。支持者や所属議員を守らねばならぬのであろう?」


「まあ、そうだな」


 自由推進党と維風の会を合わせると、衆議院は三百五議席になる。


 過半数を大きく上回る数字だ。


「衆議院だけを見れば、ずいぶん強く見えるな」


「全員がまとまっていればね」


「先ほどの話に戻るか」


「ああ。今の政権にとっては、野党だけじゃなく、与党内をまとめられるかも重要なんだ」


 政朝は参議院の数字を示した。


「参議院では、自由推進党が九十五、維風の会が二十五。合わせて百二十議席」


「過半数は百二十五。五議席足りぬ」


「計算が速いな」


「妾を何だと思っておる」


()()()してる幽霊」


「間違ってはおらぬが、褒められた気はせぬな」


 サザレは少し不満そうな顔をした。


「参議院では、法案ごとにほかの党の協力を得る必要がある。ただ、不足している五票だけを集めればいいわけじゃない」


「法案が変われば、賛成する者も変わるからか」


「ああ。その場しのぎで五票を得ても、次に続くとは限らない」


「ならば、五票を探すより、話を続けられる相手を探す方がよいな」


「簡単に言うなよ」


「簡単だとは申しておらぬ。そなたが難しい顔をしておるから、考えを述べただけだ」


「顔に出てた?」


「出ておる」


 政朝は無意識に眉間へ手を当てた。


「協力を得られそうな保守系政党の一つが、保守の羅針盤。衆議院一議席、参議院六議席。党首は寅本(とらもと)由来(ゆら)さんだ」


「確か、伝統や国防を重視する党であったな」


「知ってるのか?」


「テレビで見た。言葉の強い女だ」


「自由推進党より保守色が強くて、妥協を嫌う。協力を得るには、向こうの政策を政府案へ反映する必要がある」


「受け入れれば、足りぬ五議席は補える」


「でも、向こうへ寄りすぎれば、自由推進党内の穏健派や維風の会が反発する」


「一人を喜ばせれば、別の者が機嫌を損ねるか」


「政治は大体そうだよ」


「便利な言葉だな」


「自分でもそう思う」


 政朝は次の党を表示した。


「回帰の党。衆議院二十八議席、参議院二議席。党首は巾子(こじ)将臣(まさおみ)さん。これも保守系の野党だ」


「何に回帰するのだ?」


「昔の制度や社会の形を再導入しよう、という主張が強い。国のあり方や教育、家族制度について、かなり独自色がある」


「自由推進党とは近いのか?」


「政策による。安全保障では近い部分があるけど、自由推進党の支持基盤と衝突するものも多い。何より、うちを『腐敗した偽物の保守』と批判している」


「仲が悪いのだな」


「ものすごく簡単に言えば」


 ◇


 政朝はだし巻き卵を一口食べ、中道系政党の一覧を開いた。


「次は中道系。まず直球民主党。衆議院三十六議席、参議院十九議席。党首は馬場(ばば)泰一郎(たいいちろう)さん」


「直球とは、また分かりやすい名だ」


「現実的な政策を正面から訴える、という意味らしい。社会保障や経済政策では柔軟で、安全保障についても極端な立場を取らない」


「与党に協力する可能性は?」


「ある。特に参議院では、直球民主党が賛成すれば法案は通しやすい。ただし、何でも反対する党ではない分、政府案に問題があれば具体的な修正を求めてくる」


「まともではないか」


「まともだからこそ、ごまかしが利かないんだよ」


 政朝は次の党を指で示した。


「新党ゼロベース。衆議院八議席、参議院六議席。党首は戌塚(いぬづか)直人(なおと)さん。既存の制度や既得権益を前提にせず、一から見直すことを掲げている。戌塚さんを初め、若い議員が多くて、インターネット上での人気も高い」


「若さが武器か。そなたとは、支持する者が重なりそうだな」


「支持層は被ってるね。向こうは自由推進党の長期政権そのものを既得権益だと批判してる。俺が若いからって、協力しやすいわけじゃない」


「それならむしろ、そなたが成果を上げると困るかもしれぬな」


「俺が?」


「古い政党では政治を変えられぬと訴えておるのに、その古い政党から若い総理が現れ、政治を変えてしまえば都合が悪い」


「なるほど……」


「反対に、そなたが失敗すれば、若さだけでは古い党を変えられぬ。自分達のような若者が多い政党が政権を担うべきだと主張できる」


「俺が成果を出さないと、勢いづくわけか」


「そなたも、自分が何を成し遂げたかを国民へ伝えればよい。黙っておれば、ほかの者が好きなように語るぞ」


「それは覚えておく」


 ◇


 政朝は白米を一口食べ、今度はリベラル系政党を表示した。


「最大の政党は連帯民主党。衆議院七十三議席、参議院七十一議席。党首は未岡(みおか)昭彦(あきひこ)さん。現在の野党第一党だ」


「汚職事件とワレナンバーカードの機能拡張を追及しておる党だな」


「ああ。社会保障、人権、労働政策を重視していて、自由推進党とは多くの政策で対立している」


「未岡は、政府の資料を細かく読み込む男であったな」


「よく見てるな」


「そなたよりは、落ち着いて見ておったからな」


「俺は追及される側だから、落ち着いていられないんだよ」


 政朝は予算委員会で未岡から質問される場面を想像した。


 無意識に胃の辺りへ手を当てる。


「また痛むのか?」


「あぁ……胃が痛い」


「まだ何も聞かれておらぬぞ」


「想像だからこそ、いくらでも悪い展開を考えられるんだよ」


「難儀な性格だな」


「自覚はある」


 政朝は小さく息を吐いた。


「未岡さんは演説がうまくて、政府資料の矛盾を細かく突いてくる。曖昧な答弁じゃ逃げられない」


「そなたが恐れるべきは、未岡の話術ではなかろう」


「じゃあ、何だよ」


「未岡の指摘が正しいかどうかだ。正しいことを言われておるなら、言葉だけで逃げても仕方あるまい」


「もう少し優しく言えない?」


「妾はそなたの機嫌を取るために契約したのではない」


「そうだったな……」


 政朝は次の政党へ画面を動かした。


「社会人民連合。衆議院はゼロ、参議院三議席。党首は大酉(おおとり)信子(のぶこ)さん。平和主義や社会福祉、少数者の権利を重視している」


「議席は少ないが、長く活動してきた党だな」


「ああ。支持団体もあるし、政府への批判も強い」


「ならば、議席数だけで軽く見てはならぬ。国会で票を動かせずとも、人の考えを動かすことはできる」


「そのとおりだよ」


「次は?」


「日本共有党。衆議院十議席、参議院十二議席。党首は牛越(うしごえ)佳代子(かよこ)さん。大企業や富裕層への課税を強めて、福祉を拡充するべきだと主張している」


「自由推進党とは、経済政策で対立するな」


「ああ。でも、政治資金の透明化や汚職追及については、政府側も聞くべき意見がある」


「敵対する党の意見でも認めるのだな」


「敵じゃない。同じ国会議員だ」


 サザレがわずかに笑った。


「その考えは忘れるでないぞ」


「どうして?」


「敵ならば、倒せば終わる。だが政治では、今日争った相手とも、明日には話さねばならぬ」


「……確かに」


「そなたが実際にできるかは知らぬがな」


「一言多いよ」


 政朝は最後のリベラル系政党を表示した。


「レッドホットジャパン。衆議院一議席、参議院三議席。党首は巳蛇槌(みだづち)ジャスミンさん。街頭活動や動画配信を重視して、格差是正や反権力を強く訴えている」


「議席数よりも、国会の外で声を広げる党か」


「そう。支持者の熱量が高くて、短い動画一つで答弁の印象が変わることもある」


「言葉の一部だけを切り取られるのだな」


「全部が悪意のあるものじゃないけど、前後まで見てもらえるとは限らない」


「ならば、一言一言を考えて話さねばならぬ」


「そんなことを考えてたら、何も言えなくなりそうだ」


「何も考えずに話すよりはよい」


「あぁ……胃が痛い」


「それは考えずとも言えるのだな」


 政朝は返す言葉を失った。


 ◇


 最後に、政朝は無所属の会を表示した。


「衆議院三議席、参議院六議席。政党には所属していないけど、国会活動で協力する議員の集まりだ。考え方は一人ずつ違う」


「ならば、九議席を一つの勢力として数えるべきではないな」


「ああ。法案によってはまとまって動くこともあるけど、基本的には個別に考える必要がある。参議院では与党が過半数に五議席足りないから、この人たちの判断も重要になってくるよ」


「党の命令でまとめて動かせぬ分、一人ずつ話さねばならぬか」


「簡単な相手じゃないってことだな」


「簡単な相手など、どこにもおらぬようだ」


「本当にね」


 政朝はタブレットを食卓へ置いた。


 画面には、十一の政党・会派と、その議席数が並んでいる。


「これで全部だ」


「今の議席数と党首、それぞれの立場は分かった」


「俺の説明、必要だった?」


「妾は長く人間を見てきた。だが、現在の議席数や、新しく生まれた政党の事情まで、何もせず知ることができるわけではない」


 サザレは画面から政朝へ視線を移す。


「そなたが今の事実を伝え、妾はそこから見えるものを話す。最後にどう動くかは、そなたが決める。それでよいのであろう?」


「ああ」


「ならば、今後も正確な情報を妾へ伝えよ。間違った話を基に、正しい助言はできぬからな」


「責任重大だな」


「総理大臣なのであろう?」


「あぁ……胃が痛い」


「その言葉は、もう聞き飽きたぞ」


 食事室の時計を見ると、官邸へ向かう時間が近づいていた。


 政朝は残っていた白米を口へ運び、みそ汁を飲み干した。


 タブレット端末の画面を消し、鞄へ収める。


「そろそろ行かないと」


「うむ」


 サザレは椅子から下り、政朝の前へ立った。


 その身体が淡い光に包まれる。


「官邸では、必要なときだけ話しかけてくれよ」


「分かっておる。それよりも、妾へ返事をするときは、声に出すでないぞ」


「分かってるよ」


「今も声に出しておるではないか」


「あ……」


 サザレは呆れた顔をしたまま、光となって政朝の胸元へ吸い込まれた。


『先が思いやられるな』


 政朝は反射的に口を開きかけ、慌てて閉じる。


『今度はできたではないか』


 頭の中で、サザレが楽しそうに笑った。


 政朝は鞄を手に取り、食事室を後にする。


 議席数だけなら、画面を見れば分かる。


 だが、同じ数字でも、見る者の立場によって意味は変わる。


 総理大臣となった今、政朝が向き合わなければならないのは、並んだ数字そのものではない。


 その数字の後ろにいる、一人一人の人間だった。

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