マスメディア
自由推進党本部の大会議室には、百人を超える報道関係者が詰めかけていた。
会場前方には新聞社や通信社、テレビ局の記者たちが並び、その後方と左右に設けられた撮影スペースには、大型のテレビカメラが隙間なく据えられている。
壇上に立った卯月政朝へ、無数のレンズが向けられていた。
つい数日前まで、記者に囲まれるといっても、多くて十人程度だった。
ところが今は、顔を少し動かすたびに何十台ものカメラが追いかけてくる。
ここでくしゃみでもすれば、今夜のニュースで繰り返し放送されるかもしれない。
そう考えた瞬間、鼻の奥がむずむずし始めた。
政朝は意識を別の場所へ向けようと、演台の上に置かれた資料へ目を落とした。
「――以上が、新内閣の基本方針です」
どうにか用意された原稿を読み終える。
緊張で喉はからからに乾いていたが、ここは我慢だ。質疑応答が始まる前に慌てて水を飲み、手でも震わせようものなら、マスコミ達の餌食になってしまう。
会場の脇に立つ官房長官の申界麗が、政朝にだけ分かるほど小さくうなずいた。
失敗はしていない。
少なくとも、今のところは。
司会役の党職員が立ち上がった。
「それでは、ただいまより質疑応答に移ります。質問のある方は、社名とお名前を述べてからお願いいたします」
一斉に手が上がった。
あまりの勢いに、政朝はわずかに身を引いた。
これだけの人数が、自分に聞きたいことを持っている。
総理大臣とは、ずいぶん人気のある職業らしい。
もっとも、その大半は好意的な質問ではないだろうが。
「では、前列の方」
指名された男性記者が立ち上がる。
「中央新報の倉橋です。発表された新閣僚について伺います。今回発表された閣僚は経験豊富な議員が多く、ベテラン中心という印象を受けます。せっかく総理が三十一歳という若さで就任されたにもかかわらず、内閣全体としてはフレッシュさに欠けるのではないでしょうか」
最初から来た。
政朝は表情を崩さないよう努めながら、心の中で胃を押さえた。
この質問は想定されている。
自身の政策秘書である後藤守三をはじめ、二人の公設秘書たちと事前に回答を用意していた。
「国民の皆様が、新鮮なフレッシュ野菜を一日も早く食べたいと思われる気持ちは、よく分かります」
会場が静まり返った。
麗がわずかに眉を動かした。
政朝は一瞬、回答を誤ったかもしれないと思いながらも、ここで止まる方が危険だと判断して話を続ける。
「しかし、良い野菜を育てるためには、しっかりとした土壌が必要です。新内閣では、経験やノウハウという栄養を十分に蓄えたベテランの方々に、各省庁を支えていただきます」
数人の記者が、急いでキーボードを叩き始める。
「その一方で、副大臣や政務官には、中堅・若手議員を積極的に任命する予定です。経験豊富な閣僚の下で次の世代を育てながら、内閣全体として新しい発想を取り入れていきたいと考えています」
「総理ご自身は、野菜でいえば何に当たるのでしょうか」
別の記者から声が飛んだ。
会場に小さな笑いが広がる。
想定外の追撃だった。
「……まだ、土から出たばかりの新芽でしょうか。種類不明の」
今度は、はっきりと笑いが起きた。
笑われたのか、笑わせたのかは分からない。
だが険しかった会場の空気が、わずかに和らいだ。
「次の方」
「東都通信の三田です。昨日夜に党役員人事が発表されてから、まだ半日ほどしか経過していません。党役員や閣僚の人事については、総理ご自身が以前から構想されていたのでしょうか」
政朝は一度だけ息を整えた。
これは答え方を誤れば、「井上幹事長の言いなり」という批判に直結する。
「党役員人事については、総裁選挙に臨む段階から、私の中で構想を固めていました」
これは嘘ではない。
最終的に決定する前に、井上から多くの助言を受けてはいたが。
「閣僚人事については、私一人の考えだけで決めたものではありません。井上幹事長をはじめ、党の重役や関係者から幅広く意見を聞き、その上で私が判断しました」
自分で口にしながら、胸の奥に小さな痛みが走った。
どこまでが自分の判断だったのか。
その問いに明確な答えを出せないことを、政朝自身が一番よく分かっている。
「また、連立政権を組む維風の会にも、入閣を打診しました」
「発表された閣僚の中に維風の会所属の人物は見当たりませんが、これは維風の会側が入閣を拒否したということでしょうか」
「今回は、党として閣外から協力するとのお返事をいただいています。今後も政権運営において、緊密に連携してまいります」
実際には、維風の会の辰雲亮治党首から、もう少し率直な言葉を伝えられていた。
『今の自由推進党内閣に加われば、こちらまで汚職の泥をかぶることになる』
これを会見でそのまま口にするわけにはいかない。
何がなんでも、絶対に。
「続いて、日の出テレビの方」
指名された女性記者が立ち上がった。
「日の出テレビの藤沢です。新内閣において、卯月政権のキーパーソンとなる閣僚はどなたでしょうか」
政朝は少しだけ考えるような間を置いた。
「閣僚全員が、それぞれの分野におけるキーパーソンです」
まずは無難な回答を返す。
「その上で、あえて一人を挙げるとすれば、申界官房長官です」
カメラが一斉に麗へ向けられた。
彼女は表情を変えることなく、まっすぐ正面を見ている。
「日の出テレビさんは以前、申界長官に密着取材をされていましたね」
「はい」
「それならば、よくご存じだと思います。彼女は若手でありながら、中堅やベテランの議員に対しても、必要であれば堂々と意見を述べます」
政朝は横目で麗を見た。
堂々と意見を述べる、というのは穏当な表現だった。
実際には、相手が派閥の長であろうと、論理に穴があれば容赦なく突き刺す。
政朝も過去に何度か、笑顔のまま逃げ道を塞がれたことがある。
「彼女の豪胆さと行動力は、党や政権の枠を超えて、日本を前に進める原動力になると考えています」
麗が政朝の方へ視線を向けた。
ほんの一瞬だけ、意外そうな表情をしたように見えた。
だが次の瞬間には、いつもの冷静な顔に戻っていた。
「総理は、申界官房長官に政権運営の実務を任せるということでしょうか」
「任せきりにするつもりはありません」
政朝は即座に答えた。
「私が責任を持って判断します。そのために必要な情報を集め、政府内を調整し、時には私に厳しい意見を述べてもらう。それが官房長官の役割だと考えています」
今の答えは、用意されたものではなかった。
自分の口から自然に出た言葉だった。
麗は何も言わなかったが、わずかに口元を緩めた。
次に指名されたのは、日本放送営団の政治部記者だった。
「放送営団の江田です。今回の総理指名選挙は、与党内からも造反票が出るなど、非常に厳しい結果となりました。国民の信を改めて問うため、早期の衆議院解散は視野に入っていますか」
会場の空気が再び張り詰める。
解散。
総理大臣だけが持つ、衆議院議員全員の首を一度に切る権限。
政朝自身、その言葉を現実のものとして受け止め切れていなかった。
「現時点で、早期の衆議院解散は考えていません」
記者たちの指が動く。
「まずは汚職事件によって失われた政治への信頼を取り戻し、国民生活を安定させることが最優先です。政権として果たすべき仕事を果たさないまま選挙に入ることは、適切ではないと考えています」
「支持率が低迷した場合でも、解散しないのでしょうか」
「仮定の質問にはお答えできません。ただ、支持率のために政治をするつもりはありません」
言い切った直後、政朝は少し後悔した。
ずいぶん立派なことを口にしてしまった。
明日の新聞に大きく載せられたら、逃げられなくなる。
総理大臣の発言とは、口から出た瞬間に自分を縛る鎖になるらしい。
「次の質問をお願いします」
「世界経済新聞の小野です。アメリカのアーノルド・デイヴィット・ポーカー大統領は、かねてより日本に厳しい姿勢を示しています。早期に首脳会談を行う予定はありますか」
ポーカー大統領。
その名前が出た瞬間、政朝は胃の痛みが一段階強くなったような気がした。
元軍人にして、元有名ギャンブラー。
相手の動揺を見抜くことに長け、外交交渉さえ賭け事のように楽しむ人物だと聞いている。
しかも日本を嫌っていることを、公の場で隠そうともしない。
「ポーカー大統領とは、可能な限り早くお会いしたいと考えています。具体的な日程については、現在、両政府間で調整を進めています」
「総理は、ポーカー大統領と対等に交渉できるとお考えですか」
会場がざわめいた。
ずいぶん直接的な質問だった。
政朝は答えようとして、ほんの一瞬だけ言葉を失った。
対等に交渉できるのか。
そんなものは、こちらが聞きたい。
だが、総理大臣が「自信がありません」と言うわけにはいかない。
「外交は、年齢や経歴の長さを競うものではありません」
政朝は、ゆっくりと言葉を選んだ。
「日本の立場を明確に伝え、相手の主張を聞き、互いの利益が重なる場所を探す。そのために必要な準備をした上で、大統領と向き合いたいと考えています」
「勝算はありますか」
「外交を勝ち負けだけで考えるべきではありません」
そこで一度言葉を切る。
「ただし、日本の国益を賭けのチップにするつもりはありません」
どよめきが起きた。
何人かの記者が手元の端末から顔を上げる。
麗も、今度は明らかに政朝を見ていた。
大統領の元ギャンブラーという経歴ではなく、「ポーカー」という姓に掛けた発言だと受け取られたのだろう。
政朝自身は、口に出すまでそんなつもりはなかった。
また余計なことを言ったかもしれない。
「時間となりましたので、質疑応答を終了いたします」
司会者が会見を打ち切る。
記者たちはなおも手を挙げ、質問を投げかけてきた。
「総理、井上幹事長の影響力については!」
「汚職議員の処分はいつ決定するのですか!」
「ポーカー大統領への発言は、挑発ではありませんか!」
政朝は演台から一歩下がり、頭を下げた。
まぶしい照明の中、シャッター音が絶え間なく響き続ける。
会見場を出たところで、麗が隣に並んだ。
「新鮮なフレッシュ野菜、ですか」
「そこから指摘する?」
「新鮮とフレッシュは、意味が重複しています」
「会見が終わって最初に言うことがそれなのか……」
「それから、土から出たばかりの新芽は、総理として少々頼りなく聞こえます。しかも種類不明」
「自分でも言ってから気づいたよ」
麗は足を止めず、淡々と続ける。
「ただ、ポーカー大統領への発言は悪くありませんでした」
「日本の国益を賭けのチップにしない、ってやつ?」
「今夜のニュースでは、そこだけ何度も使われるでしょうね」
政朝の足が止まった。
「……挑発だと思われないかな」
「思われるでしょう」
「訂正した方がいい?」
「今さら訂正すれば、弱腰だと思われます」
「じゃあ、どうすれば」
「堂々としていてください。少なくとも、人前では」
それだけ告げると、麗は秘書官たちの待つ廊下の先へ歩いていった。
政朝は一人、その背中を見送った。
堂々としていろと言われても、簡単にできるなら苦労はしない。
ポケットから胃薬の容器を取り出す。
先ほど飲んだばかりだが、効いている気配はまるでなかった。
「あぁ……胃が痛い」
その日の夜、各局のニュース番組では、政朝の記者会見が繰り返し報じられた。
『日本の国益を、賭けのチップにするつもりはありません』
自宅のテレビでその映像を見た国民の反応は、賛否に分かれた。
若いのに威勢がいい。
外交を甘く見ている。
意外と話せる総理かもしれない。
誰かに言わされているだけだ。
だが、その発言を海の向こうで聞いていた人物は、口元に楽しげな笑みを浮かべていた。
アメリカ合衆国大統領、アーノルド・デイヴィット・ポーカー。
彼は執務机の上に一枚のトランプを置き、画面に映る若き日本国総理大臣を見つめた。
「新しいプレイヤーか」
置かれたカードは、スペードのジャックだった。
「せいぜい、楽しませてくれよ」
アメリカ大統領の名前と設定を考えるのに丸一日かかりました。
結構いいキャラクターになったと思います。




