プロローグ
国会を舞台にした作品です。
首相公邸には幽霊が出るという伝説(?)から着想を得て作成しました。
少しでも国会に興味を持つ人が増えてくれれば良いと思って書いてます。
「あぁ……胃が痛い」
自由推進党本部の総裁室で、卯月政朝は机の上に広げられた組閣案を見つめていた。
内閣官房長官、外務大臣、財務大臣、防衛大臣――。
これから日本の行方を左右する閣僚たちの名前が、白い紙の上に整然と並んでいる。
もっとも、そのほとんどを選んだのは政朝ではない。
自由推進党幹事長、井上剛。
党内で「影の総理大臣」とまで呼ばれる大ベテランが、派閥間の均衡や国会運営、世論への影響まで計算して作り上げた人事案だった。
政朝が自ら提案した名前は、片手で数えられるほどしかない。
「若すぎる」
「経験がない」
「党の操り人形だ」
史上最年少となる三十一歳の総理大臣に対し、国民から向けられた疑念を払拭するため、閣僚には実務経験の豊富なベテランが並べられていた。
理屈は分かる。
当選二回の若者を支えるには、それ相応の経験を持つ人間が必要だ。政朝自身、この顔触れを見て安心している部分もある。
しかし、だからこそ大きな矛盾が生じていた。
自由推進党は、所属議員による大規模な汚職事件で国民の信頼を失った。
その印象を一変させるため、「新しい政治」の象徴として政朝が総理大臣に起用されたはずだった。
ところが、ふたを開けてみれば、政朝を取り囲むのは長年党と政権を支えてきた見慣れた顔ばかりである。
野党がこの点を見逃すはずがない。
『若い総理を看板に掲げただけではないのか』
『結局、中身は何も変わっていないのではないか』
『卯月総理に人事を決める権限はあったのか』
国会で浴びせられるであろう質問が、まだ聞いてもいないのに頭の中で次々と再生される。
政朝は胃のあたりを押さえた。
「あぁ……さっきより痛くなってきた」
机の正面に置かれたテレビでは、政治評論家が新内閣の顔触れを予想していた。
画面の隅には、先ほど国会で行われた総理大臣指名選挙の映像が小さく映っている。
自由推進党は衆議院で単独過半数を有していたが、汚職事件の影響で党内には造反の動きがあった。連立を組む維風の会も、一枚岩ではなかった。
結果は、政朝の勝利。
ただし、圧勝とは程遠い。
無効票や造反票が相次ぎ、最後まで結果が読めない薄氷の勝利だった。
自分の名前が読み上げられた瞬間、議場では与党席から拍手が起きた。
だが政朝には、その拍手が祝福よりも、逃げ道を塞ぐ音に聞こえた。
自分が日本の内閣総理大臣になる。
その事実は、今もまだ現実味を伴っていない。
政朝は再び組閣案へ視線を落とした。
最上段に近い位置に、見慣れた名前がある。
内閣官房長官――申界麗。
宮城県第二区選出。当選二回、三十歳。
頭の回転が速く、弁舌にも優れ、その美貌も相まって国民からの人気は高い。政朝より一歳若いにもかかわらず、政治家としての評価は彼女の方がはるかに上だった。
本来であれば、自由推進党の新しい顔として、麗が総理候補に選ばれていてもおかしくなかった。
だが麗は、今回の汚職事件を起こした議員が所属していた派閥に籍を置いていた。
本人が事件に関与していないことは明らかだったが、党の再生を掲げる総理候補としては、その経歴が問題視された。
その結果、彼女ではなく、派閥に属していなかった政朝が選ばれた。
そして井上は、麗を内閣の要である官房長官に据えた。
若い総理を、若く人気のある官房長官が支える。
表向きの印象は悪くない。
だが、これも政朝自身が決めた人事ではなかった。
組閣案を見れば見るほど、これは本当に卯月政朝の内閣なのだろうかという疑問が膨らんでいく。
総理大臣は卯月政朝。
人事を決めたのは井上剛。
党内を動かすのも井上剛。
国会対策を仕切るのも井上剛。
事実上の井上政権。
そう呼ばれても、政朝には否定する材料がほとんどなかった。
「操り人形、か……」
机の端に置いていたスマートフォンを手に取ると、ニュースサイトの見出しが目に入った。
『若き新総理は党刷新の切り札か、重鎮の傀儡か』
『卯月政権、実権は井上幹事長との見方』
『国民不在の看板替え――野党各党が一斉批判』
政朝は静かに画面を伏せた。
書かれていることは腹立たしい。
しかし、間違っているとも言い切れなかった。
総理になることを望んだわけではない。
党総裁選への出馬を決めたのも、周囲から強く求められたからだ。組閣案も、井上が用意したものをほぼそのまま受け入れた。
国民が抱く「党の操り人形ではないか」という懸念は、もっともだった。
では、自分は何のためにここにいるのだろう。
若いというだけで選ばれた、党の看板。
汚職事件への批判をかわすために置かれた、都合のいい飾り。
そんな考えが、胃の痛みとともに胸の奥へ沈んでいく。
そのとき、テレビから緊張した声が響いた。
『ただいま入った情報です。卯月新内閣の閣僚名簿が固まりました』
画面下部に赤い速報テロップが流れる。
『官房長官に申界麗氏』
『外務大臣に――』
『財務大臣に――』
廊下の向こうでも、慌ただしく人が行き交う気配がした。
記者会見の準備が整ったのだろう。
間もなく政朝は、国民の前で新内閣の顔触れと、その方針を説明しなければならない。
井上が作った組閣案を、自分の言葉で。
政朝は机の引き出しから胃薬を取り出した。
慣れた手つきで蓋を開けると、錠剤を口へ放り込み、ペットボトルの水で一気に流し込む。
「……行くしかないか」
誰に聞かせるでもなく呟き、ネクタイを整える。
扉の向こうには、無数のカメラと記者たちが待っている。
期待、疑念、批判、失望。
そのすべてを受け止めることが、今日から自分の仕事になる。
政朝は一度だけ深く息を吸い、自由推進党本部の総裁室を出た。
このときの彼は、まだ知らなかった。
自分を待ち受けているのが、国会や世論だけではないことを。
そして数日後、首相公邸で出会う少女が、自らの運命を大きく変えることを。
色々と調べて書いてますが、変なところあったら申し訳ございません。




