喧嘩
*
「な、なに……?」
「……泣いたわけではなさそうだな」
「泣いてなんかないよ……」
「ならいい。そこ座れよ」
「うん……」
なぜかゼノの部屋に迎え入れられた私は、また椅子に座ってゼノと向かい合っている。
……どうしてこんなことに。
そう思うけれど、逃げ道はない。
「……」
「……あの、ゼノ?」
「なんだ?」
「何か用があって呼んだんじゃないの?」
「……いや、別に用があったわけじゃねぇよ」
「そ、そうなの?」
じゃあなんで呼んだの……!
気持ちを自覚した後に二人きりになるのはほとんど初めてで、緊張で口から心臓が飛び出してしまいそう。
今までどうやってゼノと会話してたっけ。どんな風に話していたっけ……!?
内心パニックになりつつも、顔に出さないように必死に取り繕う。
「……ベクターと何話してたんだよ」
「え?」
「んだよ、やっぱり俺には言えないことかよ……」
「……」
やっぱりって言われても! 言えるわけないじゃん! ゼノのことを相談してました、なんて言えるわけないよ……。
だけど、無言を違う意味での肯定だと受け取ったゼノは
「そうだよな。ベクターに比べたら、俺は頼りないからな」
と苛立ちを隠しきれない様子で呟く。
「ちがっ……そうじゃないよ。そうじゃないけど」
「けど? でも俺には言えないんだろ? どうせ俺はベクターに比べたら相談相手にもなれねぇくらい頼りねぇよ。あーあ。二人で仲良く内緒話かよ。馬鹿みてぇだな。もうやめた。部屋戻れよ」
吐き捨てるような言葉に、胸がちくりと痛む。
……なんで、そんなこと。
「……んで」
「あ?」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないのよ!」
パーン!と。乾いた音が響いたのと、ゼノが目を丸くしたのは同時だったと思う。
ジンジンとする手のひら。荒くなる呼吸。
……初めて自分の手でしたビンタは、酷く痛くて。
「言えるわけないじゃん。ゼノのこと相談してたんだから。それを何? 俺が頼りない? 誰がそんなこと言ったの? 内緒話かよって? だったら何? 全部を話さなきゃいけないの? ベクターに相談するのがそんなに悪いこと?」
「……リ、コ」
「自分で呼んどいて、ほしい答えが出なかったら帰れって? ふざけないでよ! 人のことなんだと思ってんの!? 八つ当たりしないでよ!」
叫ぶだけ叫んでいるうちに、自分が泣いていることに気がついて袖で雑に拭く。
呆然としているゼノを置いて、私はそのまま部屋を飛び出す。
自分の部屋に戻ろうと思ったけど、今戻ったら眠っているアンナちゃんを起こしてしまうかもしれない。
そう思ったら、どうしていいかわからなくなって。
逃げるように宿屋の外へと走っていった。
*
夜も更けて、すっかり闇に染まった空。
今日も満点の星空が広がっているけれど、それを見て綺麗だと思う心の余裕はなかった。
……ゼノに、ビンタしてしまった。それも、八つ当たりするなと言っておいて私が八つ当たりしてしまった。
「私……最低だ……」
何をやっているんだろう。
ゼノに八つ当たりしたって、どうしようもないのに。
謝りに行かなきゃいけないのはわかっているけれど、今ゼノに会ってしまったら、全部ぶちまけてしまいそうで怖い。
当てもなく歩いていった先は、広場。
ベンチに腰掛け、空を見上げる。
自分でも、どうしてあんなに怒ってしまったのかわからない。
ただ、気が付いたら手が動いていた。
多分、許せなかったんだ。ゼノが、自分でゼノの評価を下げたことを。
私にとって、ゼノはヒーローそのものだ。だから、頼りないなんて言ったことが許せなかった。
言葉にしてしまえば答えは簡単で。でも、もう少し頭を冷やしたい。
天を見上げながら目を閉じていると、どこかから足音が聞こえてくるような気がした。
「——コ! リコ! どこだ!」
「……ゼノ?」
「リコ! ……リコ!」
ゆっくりと目を開けると、次の瞬間ガバッと抱きしめられて驚く。
「……っ」
「リコ! 良かった! どっかいなくなったと思って、俺っ……」
「……探しに来てくれたの?」
「当たり前だろ!」
ぎゅうぎゅうに締め付けられるような腕の力に、目を丸くしてしまう。
……ビンタまでしたのに、探しに来てくれたの?
謝らないと。そう思った瞬間、
「……ごめん。リコ。言い過ぎた」
ゼノが先に謝ってくるから、戸惑ってしまう。
「なんでゼノが謝るのっ。謝らなきゃいけないのは、私の方なのに」
「いや、俺が悪い。つまんねぇ嫉妬して、八つ当たりした。殴られて当然だ。本当、ごめん」
ゼノの身体が震えている。それに気付いて、そっとゼノの背中に手を回した。
「……私もごめん。言い過ぎたし、ビンタはさすがにやりすぎだったって反省してる」
「ビ……?」
どうやらビンタという言葉はこの世界には無いようだ。
それに少し笑ってしまって、すぐに口を結ぶ。
「叩いてごめんなさい。……痛かったよね?」
身体を離してゼノの頬に手を添えれば、
「……いや、おかげで目が覚めた」
ゼノはそれに擦り寄るように目を閉じた。
「……嫉妬って?」
「……お前がベクターばっかりに頼るから……」
「ベクターばっかりじゃないよ……」
なんなら、ベクターに名指しで頼ったのは今日が初めてだよ。
「むしろ私は、いつもゼノにばっかり頼ってたよ。気付いてなかったの?」
ベクターにも珍しいって言われたくらいなのに。
「……俺は必要ないみたいに言われた気がして悔しかったんだよ」
「そんなわけないじゃん。ゼノはいつでも私のヒーローだよ。必要ないわけじゃないし、頼りなくもない。いつも助けてくれる、かっこいい私のヒーローだよ」
「っ……ごめんな。リコのこと傷つけた」
「ううん、私もごめんね。ちゃんとゼノの気持ち聞かないまま叩いたりして」
ゼノはハッとして一度私の身体を離してから、私に怪我がないか全身をチェックしてきて。
「そうだ、無事か? 怪我とかは?」
「ふふ、してないよ。ここで頭冷やしてただけだもん」
「そっか……良かった」
前髪をくしゃりとしてため息をつくゼノは、もう一度私を見て安心したように微笑んだ。




