宿屋
扉を開けると、カランコロンという可愛らしい音が鳴った。
中は暖かみのある木目調で、まるでログハウスのような内装。外はレンガ造りだったのに変な感じがする。
入ってすぐ右には食堂のようなスペースがあり、奥には厨房。左側には階段があり、二階もあるようだった。
おそらく二階に宿泊用の部屋がいくつかあるのだろう。
階段の奥にも扉があり、かなり広い空間だった。
すでにゼノの姿はなく、代わりに厨房から年配の女性が顔を出した。
「あらベクター、おかえりなさい」
「ただいま、ばあちゃん」
「そちらのお嬢さんは? お客様かい?」
「いや、実はさっき――」
ベクターの家族だろう。白髪混じりの髪の毛を全部後ろでお団子に括っている年配の女性。目元はベクターそっくりのタレ目で、優しそうな雰囲気。
ばあちゃんと呼んでいたから、二人の祖母にあたるのかもしれない。
ベクターは私と出会った経緯を話してくれて、ここに連れてきたと説明してくれた。
「そうだったの。大変だったわね」
「初めまして。赤坂莉子と申します。リコと呼んでください。お忙しい時に突然お邪魔してすみません。お世話になります」
「あらあらあら。礼儀正しくて良い子じゃないの。リコちゃんね。私はジェーン。気軽にジェーンって呼んでくれていいわ」
「ジェーンさん。お世話になります。よろしくお願いします」
「ふふ、孫が増えたみたいで嬉しいわあ。あ、疲れたでしょう? 部屋を用意するから少し待っててね」
「はい。ありがとうございます」
ジェーンさんは、私のような見ず知らずの人間を温かく迎え入れてくれた。
「厨房の奥にいるのがじいちゃんだよ。じいちゃん! リコちゃんに挨拶して!」
「あー?」
ベクターの声にのそのそと歩いてきた白髪の初老の男性は、
「おやおや。ベクターの恋人かい?」
なんて言ってきて。どちらかというとゼノに似ている少し鋭い目元が、笑うとふわりと細くなる。ジェーンさんもだけど、とっても優しいのがわかる。
「違うよ。さっき魔獣に襲われてるところを助けたリコちゃん。行くあてが無いみたいだからとりあえず連れてきたんだ。しばらく面倒見てあげてほしくて」
「そうか。リコちゃん、初めまして。わしはトーデンだ」
「トーデンさん。お世話になります。よろしくお願いします」
「よろしく」
トーデンさんと握手を交わしていると、ジェーンさんが
「リコちゃん。部屋の用意ができたから案内するわ」
と呼んでくれて、ジェーンさんについて階段の向こうの扉をくぐった。
どうやらこちらは居住スペースのようで、宿屋とは別でキッチンや二階に繋がる階段がある。
「あの、お部屋は宿屋の方ではないんでしょうか。こちらは皆さんのお家なのでは……」
「そうなの。実は今日はありがたいことに宿屋の方が満室でね。でもこっちに一部屋余ってたからちょうど良かったわ。遠慮なく使ってね」
後ろから着いてきてくれていたベクターは、
「僕もゼノも元々そのつもりだから安心して。お金も取るつもりないから」
私を安心させるように微笑んでくれる。
「それはさすがに……」
だけどお金は払わせてほしい。とは思うものの、そういえばこの世界での通貨なんて知らないと気が付く。
仕事中の事故だったから、リュックはおろか、財布もスマホすらも持っていない。
「ん? どうかした?」
「ううん。お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとうベクター。ジェーンさん」
「いいのよ。じゃあ、お部屋に行きましょうね」
二人に頭を下げてから、一緒に階段を登る。
階段を登ってすぐにベクターの部屋があり、その隣はどうやらゼノの部屋のよう。私は二人の向かいにあるお部屋らしい。
「じゃあ僕も着替えてくるから。またあとでね」
「うん」
ひらひらとベクターに手を振ると、ジェーンさんの案内で部屋に入る。
そこは八畳ほどのスペースで、ベッドと小さなテーブル。ドレッサーのように鏡もついていて、大きなクローゼットが一つ。とても落ち着く空間だった。
「夕飯ができたら呼ぶわね。それまでゆっくり休んでて」
「はい。ありがとうございます」
「いやあねえ、もっと楽に話してくれていいのよ?」
ジェーンさんはそう言って笑いながら部屋を出ていく。私はようやく一息つけたような気がして、ベッドに座るとそのまま横になった。
たくさん歩いたからか、足が棒のように痛む。元々目が覚めた時から全身が痛かったけれど、今は慣れたのか痛みを通り越してしまったのか、足以外はただひたすらだるく感じる。
目を閉じるとこのまま眠ってしまいそうで、ひとまず天井を見つめながら今の状況を整理することにした。
――多分、私はあの事故で一度死んでしまった。そして、どういうわけかこの世界で再び生きることになった。
「……改めて言葉にしたら余計に意味わかんないや……」
こんなこと、一体誰が信じるというのか。
車に轢かれたはずなのに目に見える怪我はない。いや痛いは痛いんだけども。最初は事故に遭ったことすら夢かとも思ったけど、あの記憶を思い出したら夢だとは思えない。あれは多分、いや絶対、現実だった。
そして今ここにいることも……多分、現実。
ここは死後の世界なのだろうか。それにしてはリアリティが過ぎるし、普通に生活してるいる人ばかりだ。
じゃあここは天国? 地獄?……どちらも当てはまらないような気がして、唇を噛む。
胸に手を当てれば、心臓が規則正しく動いているのがわかる。やっぱり、私は生きているみたいだ。
……正直、今の状況が怖くてたまらない。
これからの自分がどうなるのか、怖くてたまらない。
そう考えながらどれくらいの時間が経っただろうか。ふと、部屋の扉がノックされている音がして思考の渦から抜け出す。
「……はい」
返事をすると、向こうから
「リコちゃん? そろそろ夕飯だから一緒に行こう」
とベクターの声が聞こえた。
返事をしつつ立ち上がり、部屋を出るとゼノの姿もあり、
「行くぞ」
ぶっきらぼうだけど待っていてくれたようで頷く。
階段を降りた先にもダイニングらしきテーブルはあるものの、二人は宿屋の方へと向かうから首を傾げた。
「お家の方じゃないの?」
「ん? あぁ。いつもは家の方なんだけど、今日は宿屋が満室だからばあちゃんもじいちゃんも手が空かないんだ。だから今日はこっち。人も多いけど気にしないでいいからね」
「うん、わかった」
ベクターの言う通り食堂は混雑していて、たくさんの人がこの宿屋に泊まっているのをようやく実感する。
「よぉベクター! ゼノ! 今日も大活躍だったって聞いたぞ!」
「ははっ、そんなことないよ」
同じ冒険者なのだろうか。ベクターとゼノに絡み始めた大柄な男性に、ベクターは愛想良く答えているけれどゼノは鬱陶しそうに無視して席についている。
「リコ、早くここ座れ」
「う、うん」
ゼノに促されるまま隣に腰掛けると、少しして私の向かいにベクターが座った。
「リコちゃん。お部屋は気に入ってくれたかい?」
「はい。とっても」
「それは良かった。今ご飯も用意するからねえ、そのまま待ってなさい」
「はい」
ジェーンさんが他の席に料理を置いた帰りに話しかけてくれて、返事をするとパタパタと厨房へと戻っていく。
「この宿屋はジェーンさんとトーデンさんの二人で切り盛りしているの?」
その姿を見つめながら聞いてみると、意外にも隣のゼノが返事をしてくれた。
「あぁ。ギルドに近いから、昔から冒険者がたくさん泊まりに来るんだ。大変だろうけど、二人ともこの仕事が好きらしくてずっとやってるよ」
「そうなんだ……」
確かに、ここから見える二人は慌ただしく動いているけれどすごく生き生きしていて楽しそうだ。
「でも、やっぱりこのお客さんの数を二人で捌くのは大変だね」
「まぁ、手が空いてる時は俺たちも手伝おうとするんだけどね。でも、じいちゃんもばあちゃんも嫌がるんだよ」
「それはどうして?」
「俺たちが冒険者としての任務に集中できるようにだろ」
「……なるほど」
二人を見つめながら困ったように笑うベクターと、当たり前のことのように水を飲みながら二人をチラリと見るゼノ。
ジェーンさんもトーデンさんもすごく若く見えるけれど、おじいちゃんとおばあちゃんなわけで。
体力的にも大変なことは多いだろうなと思うと、初対面の私ですら少し心配になる。
きっと、ベクターとゼノはもっと心配しながらももどかしい気持ちを抱えているんだろう。
そう思っているうちにジェーンさんがご飯を持ってきてくれた。
一人分のお盆の上には焼いた魚と白米、そしてサラダとスープが乗っていた。
「おいしそう」
この世界にもお米があるんだ。違う世界だとわかった時にお米なんて二度と食べられないかもも思っていたから驚いた。つやつやと一粒一粒が光っている白米に、ごくりと喉が鳴る。
「さ、温かいうちに召し上がれ」
「いただきます」
手を合わせると、ベクターとゼノが首を傾げながらこちらを見てきて。
この世界にはいただきますという挨拶は存在しないのだろうか。
視線を感じながらもスプーンを持ち、スープを一口。
鳥の出汁だろうか。黄金色のスープに卵のようなものが入っていて、とてもホッとする味。
「おいしい……」
お魚もふっくら焼けていて、塩胡椒の加減も絶妙でおいしい。醤油がほしいところではあるけれど、お米が進む優しいお味。
和食に近い料理に日本を思い出し、食べる手が止まらない。
気が付けば食べながら涙を流してしまっていた。
「リコちゃん!?」
「っ、リコ!?」
私が泣いていることに気が付いた二人が、慌てて食べていたご飯を飲み込んで私の涙を拭ってくれる。
「どうした? やっぱどっか怪我してた? 痛むところある?」
「腹痛いのか? なんだ、なんかあったのか?」
怪我をしていないかと立ち上がって私の肩に手を添えるベクターと、眉を顰めながら狼狽えるゼノ。
「なんだ、二人とも若い姉ちゃん泣かしてんのか!? どうした姉ちゃん! こいつらにいじめられたのか!?」
そして私たちの様子を見て周りにいた他のお客さんたちも集まってきてしまい、二人が私を泣かせたと責められてしまう。
「ちっ、違いますっ……違うんです。あの、おいしくて……」
「おいしくて?」
「うん。……おいしくて、故郷の味と似てるの。それで、思い出したら、なんか勝手に……ごめんなさいっ」
必死に弁解すると、みんなホッとしたように息を吐いてくれて。
「なんだよ姉ちゃんびっくりさせんなよ。でも確かにここのメシは美味いよな!」
「わかる! ばあちゃんとじいちゃんの料理は絶品だからな!」
「このメシがあるから泊まりに来てるまであるよな」
気が付けばみんなでジェーンさんとトーデンさんのご飯がいかにおいしいかを語り始める会になってしまい、困惑しつつもいつのまにか涙は引っ込む。
「ごめんねリコちゃん。周りうるさくて」
「ううん。私の方こそごめんなさい。急に泣いたりして」
慌てて涙を拭くと、ゼノがその手を取って自分の服の袖口で優しく拭いてくれる。
「そんな雑に拭いたら腫れるだろ、ちょっとじっとしてろ」
「っ……」
急に距離が近くてドクンと高鳴る胸。だけどすぐにベクターがゼノの腕を引っ張る。
「ゼノ。お前帰ってきてから着替えてないだろ。血生臭い匂いリコちゃんに嗅がせるなよ。こういう時はハンカチ渡すんだよ」
「……悪い」
バツが悪そうなゼノと、私にハンカチを渡してくれるベクター。
「ううん、気にしないで」
二人の優しさが嬉しくて、ハンカチを受け取ってすぐに目元をそっと拭った。
「ゼノもベクターもありがとう」
「どういたしまして。ほらリコちゃん、食べよう」
「うん」
二人に微笑みながらお礼を告げ、残りのご飯を食べ進める。
やはり和食に似ている味にほろりと涙がこぼれそうになったものの、これ以上心配をかけるわけにはいかないと必死に堪えた。




