熱
——目が覚めた時、身体が重くて異様に熱く感じた。
「っ……」
あれ……、私、どうして。
厨房にいたはずなのに、いつ部屋に戻ったの……?
身体を起こしてみると、頭の方から何か落ちたような音がして横に目を向ける。すると、濡れたタオルが落ちていて。どうやら、私の額に乗っていたようだ。
だけど、辺りを見渡すものの誰の姿もない。
「あれ、そういえばゼノは……」
そう呟いて初めて、眠る前の出来事を思い出してみるみるうちに赤面した。
私っ……ゼノに抱きついてっ……!?恥ずかしすぎる……!
だけど、久しぶりに夢を見ずにぐっすり眠れたのか、なんだか顔が軽いような気もする。
もしかしたら、私が怖いと言ったから、ずっとそばにいてくれたのだろうか。
「ゼノに……お礼言わなきゃ……」
そう思って立ち上がるけれど、途端に立ちくらみがしてその場に崩れ落ちる。
「っ……」
その音が響いてしまったのか、扉の向こうから足音が聞こえたと思ったら。
「リコ! 大丈夫か!?」
ゼノがやってきて、座り込むようにしている私を横抱きにして持ち上げる。
「なっ……ゼノ、おろしてっ……」
「言われなくてもおろすっつーの。こら暴れんな。じっとしてろ!」
「だって……!」
恥ずかしすぎて足をジタバタしていたものの、ゼノは文句を言いながらも優しくベッドに降ろしてくれる。
「あ、ありがとう……」
お礼を言うと、
「……どうだ、少しは眠れたか」
ぶっきらぼうにそう聞いてくるから頷くと、
「そうか。じゃあ今粥持ってくるから待ってろ」
と言って部屋を出ていこうとするから、その背中を止めて。
「私も、お弁当作らないと」
とまた立ちあがろうとすると、ゼノが
「あぁ!?」
と心底呆れたように凄んでくるからヒュッと喉が鳴った。
「お前! 自分の状況わかってんのか!?」
「え……」
「お前今熱あんだよ! 気付いてねぇのか! だから無理しすぎなんだっていつも言ってるだろーが! 今日は弁当は休み! つーかしばらく休み! 宿泊客にも予約してた客にもそう伝えてる! お前が気に病まねぇように次回優先的に泊まれるようにしてるから安心してそこで寝とけ! 迷惑はかけてもいいけどこれ以上心配かけさせんじゃねーよバーカ!」
「……」
一息にそう叫んでから部屋の扉を強めに閉めていったゼノ。
圧倒されて瞬きを繰り返すだけの私は、もう一度濡れたタオルを見て。
「……もしかして、そばにいてくれただけじゃなくて、看病してくれてたの……?」
目の下にクマができていたゼノを見たら、たまらなくなって手で顔を覆った。
その後、なぜかゼノは戻ってこなくて、代わりにベクターがお粥を持ってやってきた。
「あれ、ゼノは?」
「なんか拗ねちゃっててね。代わりに持ってきたんだけどいやじゃなかった?」
「ううん。ありがとう。ベクターにも心配かけてごめんね」
「気にしないで。リコちゃんはいつも頑張りすぎなんだから。少しは休んだほうがいいよ」
「……ありがとう」
ベクターはお粥を小皿に取り分けてくれて、
「食べられる? 食べさせてあげようか?」
なんて言ってきて。
「自分で食べられる!」
恥ずかしさのあまりそう声が大きくなってしまった私にケラケラと笑いながら、ベクターがお皿とスプーンを渡してくれて自分で食べ始める。
ジェーンさんの手作りだろうか。卵がたっぷり入ったお粥は、お母さんの味を思い出させるような優しい味だった。
……お母さん、元気かなあ。
一口食べ進めるたびにまた涙が滲み、ベクターが微笑みながら私の目尻をそっと布巾で拭ってくれる。
「どうかした? おいしくない?」
「ううんっ……すっごくおいしい。なんか、お母さんの味に似てるなって思って……」
「そっか。これはばあちゃんが作ってくれたんだ。リコちゃんのお母さんの味と似てるって知ったら、ばあちゃん喜ぶだろうなあ」
あっという間に完食して、お腹がいっぱいになった頃。
「……リコ。じいちゃんがりんごも食えって」
「ゼノ」
「あれ、ゼノ来たんだ? リコちゃんに怒ってたんじゃなかったの?」
「……うるせぇな。入るぞ」
またゼノをからかうベクターだったけれど、ゼノはムスッとしながらも部屋に入ってきて。
「ほら、りんご。つーかなんだ、ベクター。お前リコのこと泣かせたのか?」
「ちがっ……」
「ばあちゃんのお粥がね、リコちゃんのお母さんの味に似てるんだって。それで泣いちゃったから慰めてたところ」
「……そうか」
頷くと、ゼノも黙ってしまい沈黙が訪れる。
受け取ったりんごを一口かじって食べると、ゆっくりと口を開いた。
「私ね、母子家庭で育ったの」
「……そうだったのか」
「うん。お母さんと、五つ年下の弟。お父さんは早くに亡くなっちゃって、ずっと三人家族だった」
小さい頃の思い出は、いつもお母さんと弟が一緒だった。
お母さんは、私と同じ保育士をしていた。お父さんが亡くなってからは、保育士をしながらパートを掛け持ちしていたことも知っている。
すごく忙しくて大変だったと思う。だけど、お父さんがいないことで金銭的なことを気にさせたくないと言って、仕事をしながらもたくさんの経験を積ませてくれた。
行きたいと言えば遠くでも旅行に連れていってくれたし、習い事もなんでもさせてくれた。誕生日やクリスマスは盛大にお祝いしてくれて、ホールケーキを自分で焼いてくれて。
学生時代のお弁当は必ずキャラ弁を作ってくれて、おかずの数も多くて持っていくのが自慢だった。
毎日帰りが遅くて、寂しくなかったと言えば嘘になる。だけど、お母さんは一度も弱音なんて吐かなかったし、つらいところや大変なところは絶対に私たちには見せなかったから、私も頑張ろうと自然と思えた。
自分から弟の世話をするようになって、晩ご飯はできるかぎり毎日私が作るようになって。
少しでもお母さんの負担を減らしたくて、弟のお風呂や寝かしつけまで、自然と私がやっていた。
お母さんはものすごく感謝してくれて、たくさん抱きしめてくれて。
それでもたまに風邪を引いてしまうと、お母さんに仕事を休ませてしまうのが心苦しくて。
そんな時に食べる、お母さんが作ってくれたたまご粥。それが本当においしかったのを覚えている。
「自然とお母さんと同じ職業を目指してて。お母さん、すごく喜んでくれたの。弟も、お姉ちゃんにぴったりだって言ってくれて。嬉しかった」
「そうだったんだね。リコちゃんにも弟がいたのかあ」
「うん。隼人っていうの。隼人は、いつも私にべったりで、どこに行くにも私の後ろをついて回るくらいだったんだよ」
「リコちゃんのこと、きっと大好きだったんだね」
隼人は、まだ高校生だった。私とお母さんを楽させてあげるんだと言って、勉強を必死に頑張って国立大の医学部を目指していた。
そんな矢先の事故で、お母さんにも隼人にも、つらい経験をさせてしまったと思う。
「でも、多分二人ならわかってくれると思うんだよね」
「なにを?」
「私が、事故に遭って死んでしまったこと」
「……」
黙ってしまった二人に微笑むと、お母さんと隼人の顔を思い浮かべた。
私にとって、お母さんは憧れの存在で。お母さんは、いつでもどんな時でも子どもたちのことを一番に考えて仕事をしていた。
そんなお母さんだから、私が子どもたちを守ったことは褒めてくれるはず。きっと、よくやったって。そう言ってくれたはずなんだ。
隼人も、私がそんなお母さんに憧れていたのを知っているから。
二人は、私が間違ってないって。よく頑張ったねって。そう言ってくれていると思う。
「僕たちは両親を亡くして残された側だから、正直リコちゃんの気持ちは完全には理解できない」
「……うん」
「でも、リコちゃんのお母さんとハヤトくんにとって、リコちゃんはヒーローみたいにかっこよく見えていたと思うよ」
「……ベクター」
「だって、僕たちにとっての両親がそうだったからね」
グッと拳を握りしめるゼノと、そんなゼノをちらりと見ながらもその肩に手を回して教えてくれるベクター。
そうだ、二人もご両親を亡くしているんだった。
私、失礼なことを……。
「失礼なこと言ったとか思ってんじゃねぇだろうな?」
「え……」
「俺たちとリコは違うだろ。同じように考える必要はない」
「……うん。ありがとう」
心を読まれているようで驚きつつも、その気遣いがありがたかった。
「最近ね、すごく嫌な夢を見るの」
「……それは、どんな?」
「私が事故に遭って死んだ日の夢」
「っ……リコ」
「あの時、車……そうだな、馬車みたいなものって言った方がわかりやすいかな。それが曲がり角のところですごい速さで私たちに迫ってきてね。それで咄嗟に子どもたちを庇うように守ったら、私が轢かれたの」
子どもたちを守って事故に遭って死んで、この世界にやってきた。それは伝えていたけれど、はっきりと事故の内容や自分のことを話すのはこれが初めてかもしれない。
二人は、私の話に言葉を失いながらも最後まで聞いてくれた。
事故の詳細、子どもたちの安否が不安なこと。トアくんを助けてからというもの、その時の夢を毎日見てしまって眠れないこと。夢を見るたびに、自分の心がすり減り壊れていきそうな気持ちになること。いつしか眠るのが怖くてたまらなくなってしまったこと。そうして限界が来てしまったこと。
「そうだったのか……」
「それはつらかったね」
二人とも、私の話を聞いて何度も頷いてくれて。
「リコちゃんは本当に頑張りすぎだよ。そんなつらい経験をしたのに、黙って一人で耐えてたんだね」
ベクターが頭を撫でてくれて、その優しく大きな手が触れるたびになんだかくすぐったい気持ちになる。
「あれほど無理すんなって言ったのに、ずっと我慢してんじゃねーよ。俺でもベクターでも、誰でもいいからそういうことはちゃんと相談しろ。誰も迷惑になんて思わないから」
ゼノはそう言ってくれて、私も反省して頷く。
そしてゼノは少し考えた後、何かを思いついたように
「しばらくベントウは休みにするけど、これからは定休日を用意したらどうだ?」
と、思いもよらないことを提案してくれた。
「え、定休日?」
「あぁ。それか作り置きにして前の晩に売るとか。お前の保護魔法、かなり日数が持つんだろ?」
「それは、うん。そうみたいだけど、でも作り置きを売るのは……」
「リコの気持ちもわかるけど、リコにだって休みは必要だろ。ばあちゃんもじいちゃんも忙しい時は休み休みやってたり交代で仕事したりしてる。でもリコは基本一人でやってるだろ? 今後もこれが続いたら、また倒れるかもしれない」
確かに、それはそうかもしれない。
だけど、いくら保護魔法が効いているからと言っても、やっぱり出来立てを渡したいという気持ちがある。
「まぁ、本当にそうするかどうかはリコ次第だけどよ。たとえば、作り置きでも良ければ少し安くしてみるとか。基本は朝作るけど、おにぎりは作り置きも用意して毎日売れるようにしておいて、弁当の方は定休日を設けるとか。それなら宿屋の客は少し偏るかもしれないけど、ばあちゃんとじいちゃんも少し休めるかもしれないし。アンナが手伝ったりすればやっていけるんじゃねぇか?」
「……うん、それはアリかも」
「だろ? リコは放っといたらすぐ無理するからそれくらいがちょうど良いと思うんだよな」
今まで、とにかく頑張ってこの家族に恩返しをすることしか考えていなかった。私がお弁当作りを頑張ることで、宿屋にとってもプラスになる。そうしたら良い恩返しになるから。そう思っていた。
だけど、それは私のただの自己満足だったのかもしれない。
「ゼノの意見には一理あるね。ばあちゃんとじいちゃんも心配してるし、アンナもリコちゃんの手伝いをしたいけどどうしたらいいかわからない感じだし。作り置きがあれば、アンナでも受け渡しができるからね」
ベクターも同じ意見のようで、私も頷く。
「うん。そうしてみようかな。でも、作り置きも定休日も冒険者の人たちは受け入れてくれるかな……」
「大丈夫だって。みんなリコが頑張ってるの知ってるし。わかってくれるから」
二人がそう言ってくれるなら。そうしてみようかな。
こうして、やり方を少しずつ変えてみることにしたのだった。




