ベクターとゼノ
……一体、何が起こったの……?
目の前の光景が信じられなくて、私はしばらく言葉を失っていた。
「無事か!?」
「え!? あ、はい……」
私を助けてくれたのは、二人組の男の人だった。
「てめぇ死にたいのか!?」
「そん……あの……」
そんなわけないのに、恐怖から腰が抜けてしまった私はうまく受け答えもできず立ち上がることもできず、その場で狼狽えることしかできない。
「ゼノ。この子はたった今魔獣に襲われかけたんだ。これ以上追い詰めてやるなよ」
「……チッ」
「ゼノ」
「っ……ベクターは甘すぎなんだよ」
ゼノと呼ばれた彼は、耳にかかるほどの長さの茶髪をワシワシと掻きむしりながら獣の方へと身体を向けた。
「怖かっただろ。大丈夫かい?」
「は、い」
「怪我は?」
「ありません……」
「そうか、良かった」
ベクターと呼ばれた彼は、同じ色の少し長い髪の毛を後ろで括っていて、どこか優しそうな雰囲気と声色。
「立てるかい?」
「……それが……腰が抜けてしまったみたいで……」
「じゃあ、少しごめんね」
言うが早いか、ベクターさんは私を横抱きにしたかと思うとすぐに坂道の草の上に下ろしてくれた。
たった数秒の短い時間だったものの、慣れない横抱きに心臓はバクバクと音を立てる。
「濡れちゃってるね。ちょっと借りても良い?」
「は、い。でも、どうして」
「見てて」
ほんの少し広角を上げると、彼は私の靴と靴下に何やら呟きながら手をかざす。すると、ぼんやりとした光が広がりすぐに消えた。
「はい。乾いたよ」
「……え!?」
驚きながら確認すると、さっきまでびしょ濡れだったはずなのにどちらも綺麗に乾いていて。
どういうこと!?何が起こったの!?
信じられなくて彼の顔と靴を見比べると、
「そんなに驚くこと? ただ風魔法で乾かしただけだよ」
と言われて言葉を失った。
魔法……? 魔法って、あの魔法……? え? どういうこと……?
呆然と瞬きを繰り返すだけの私に、彼は少し困惑したように首を傾げる。
しかしそれを遮るようにゼノさんが
「ベクター、核も取ったしそろそろ行くぞ」
と面倒くさそうな表情で声をかけてきた。
「あぁ、ありがとう」
「お前も。いつまで座り込んでんだ」
「え……?」
「ここは危ねぇ。いつまた魔獣が出てきてもおかしくねぇぞ。今は運良く俺たちが通りがかったから良かったものを。このままここで死ぬつもりか?」
……それは、いやだ。フルフルと首を横に振ると、
「はぁ。仕方ねぇから街まで送ってやる。さすがにもう立ち上がれるだろ。早くしろ」
顎でクイっと立ち上がるように指示されて頷いた。
「弟がごめんね。言葉たらずなだけで、君をこのまま置いていったらまた魔獣に襲われるんじゃないかって心配してるだけだから。素直じゃないんだ」
「弟さん? 兄弟なんですか?」
「あぁ。僕が兄のベクター。弟はゼノ。四つ歳が離れてるんだ」
「そうなんですね……」
魔法が使えるというお兄さんのベクターさん。そして、私を心配してくれているらしい弟さんの、ゼノさん。まるで外国人みたいな名前に、数回呟くように言葉にすると、ベクターさんは微笑んで頷いてくれた。
「ベクターさん、ゼノさん。私は赤坂莉子です。お礼が遅くなってすみません。助けてくださってありがとうございました」
「リコちゃんか。珍しい名前だね」
「礼はいいから早く行くぞ」
ベクターさんはにこやかだけどゼノさんはすぐに私から目を逸らして進もうとしてしまう。
怒らせてしまったかな……。
立ち上がった私より頭ひとつ分身長が高い二人を見上げる。
ベクターさんは鼻が高くて口角がきゅっと上がっていて。それでいて目尻の下がった優しそうなお顔。
対してゼノさんはキリッとした目元に固く結んだような唇。同じように鼻が高くて、少し鋭さを感じるお顔。
瞳の色は二人とも綺麗な青色で、すごく美形の兄弟だ。ただ、美形と言っても系統の違うかっこよさだと思った。
そんな二人はシャツとは形容し難い重そうな服とズボンを履いていて、ゼノさんの腰には剣のようなものがぶら下がっている。
ベクターさんの魔法といい、ゼノさんの剣といい、二人の容姿や名前といい。本当にここは一体どこなんだろう。私の身に、一体何が起こったのだろう。
「……ベクター、リコの服もどうにかしてやれ。汚れてる」
先を行こうとするゼノさんは、ふと足を止めたかと思うとベクターさんにそう言って。
「はいはい、わかってるよ。リコちゃん、ちょっとごめんね。じっとしてて」
ベクターさんは呆れたようにすぐに私の服に手を当てて。あっという間に光に包まれたかと思うと、さっきまであった砂汚れや泥汚れが綺麗に消えていてまた驚いた。
「終わったか? じゃあ行くぞ」
ゼノさんの声に我に返り、慌てて後を追った。
*
私、赤坂莉子は日本に生まれたごくごく普通の二十一歳だ。専門学校を卒業して上京。保育士として毎日たくさんの子どもたちに囲まれながら仕事をしていた。
後輩もできて、可愛い子どもたちに"リコせんせい"と呼ばれて慕ってもらって。着実に経験を積み重ねている途中だった。
事故に遭ったのも、今みたいに天気が良くて雲ひとつない青空が広がっている日だった。
保育園近くの公園も楽しいけれど、せっかくならと少し離れた公園へお散歩ついでに遊びに行った帰り。
たっぷり遊んで疲れ切った子どもたちを連れて園へと戻る途中、事故に遭ってしまったのだった。
あの森の中にいた経緯をざっくりと二人に話していると、二人が眉を顰めて私を見下ろす。
「じゃあ、あの森の中で気を失ってたってこと?」
「はい。どういうわけか、車に撥ねられたはずなのに次に目が覚めたらあの森の中に……」
「クルマ? なんだそれ」
「えぇ……?」
その言葉に思わずゼノさんを見上げた。
まさかとは思ったけど、車を知らない……?
確かにさっき森を抜け出したのだけれど、目の前には広い草原のような畦道が広がっている。遠くにはたくさんの山が見えており、車どころか人にも出会っていない。
田舎の人の方が車生活のはず。それなのに知らないなんて。それとも、ここってやっぱり外国? え、私パスポート持ってないのにどうやって来たの? 外国ならなんで日本語が通じてるの?
考えながらも、やはり轢かれたはずなのに全く怪我をしていないことが不思議で仕方ない。
痛みは残っているし、さっきまでは忘れてしまっていたけれど、轢かれた時の記憶はちゃんと残っている。
ということは、私はやっぱり一度死んでしまったのではないだろうか。どういう経緯かはわからないけれど、怪我はなくなっており命は助かったのか戻ったのか、何故かこうして生きている。
……じゃあ子どもたちは?あの子たちは無事なの?
また頭の中でパニックになっていると、
「おいリコ」
ゼノさんに呼ばれてハッと我に帰る。
「よくわかんねぇけど、お前があそこにいた経緯は今はいい。それより、これからどうするんだ」
「あ……」
「一応街までは送ってやるが、行くあてはあるのか?」
「……わかりません」
下を向いて呟くと、ゼノさんは大きくため息をついた。
「ゼノ」
そんなゼノさんを嗜めるように呼んだベクターさんは、
「リコちゃん。実はリコちゃんが今着ている服も履いている靴も僕らは見たことがないんだ。出身はどこか聞いてもいい?」
と優しく聞いてくれて泣きそうになる。
「日本の、東京です」
「ニホン……トーキョー……? ごめん、聞いたことのない国だ」
日本を知らない……? オリンピックもやってて、日本が誇る漫画もアニメも食事も世界中に知れ渡っている先進国のはずなのに?
「あの……ここは一体どこなんですか?」
「はぁ? ここはリーベル王国だろうが」
「リー……ベル?」
そんな国の名前、一度も聞いたことがない。
王国ということは、イギリスみたいに王様や女王様がいるということで。有名な国なら世界史に疎い私でも知っているはず。
もしかして私が知らない小さな国なのだろうか。でも、それ以上に彼らが日本を知らないというのがやはり信じられない。
「そんなことも知らずに、本当にお前どこから来たんだ?」
そんなの、私が知りたい。
本当に、一体ここはどこなんだろう。
今いる場所がわかれば何か帰る手がかりになると思っていたけれど、むしろ聞けば聞くほど困惑が増すばかりでどうすれば良いのかがわからない。
そんな私に、ベクターさんは
「ひとまずうちに来なよ」
と言ってくれて顔を上げた。
「はぁ、ベクター。お前は本当にお人好しがすぎる」
「仕方ないだろう。ニホンなんて聞いたこともないし、リコちゃんだって気が動転しているみたいだ。まずは落ち着いて休む必要があるだろう」
「あ、あの。でもご迷惑なのでは……」
二人のお家だなんて、他のご家族もいるだろうし絶対に迷惑だろう。そう思って遠慮しようと思ったけれど。
「大丈夫。行くあてもないんだろう? 僕たちの家、今向かっているベルン伯爵領で宿屋をやっているんだ。部屋も余ってるから安心していいよ」
「宿屋……伯爵……」
まるでファンタジーの世界に迷い込んだような言葉に驚いているうちに、お二人のお家へお邪魔することが決まってしまい。
「じゃあ、行こうか」
ベクターさんに促されて、私はまた足を進めたのだった。




