06.覚醒
森の奥深く。おれたちが辿り着いた場所では、すでに戦闘がはじまっていた。
いや、正しくは終わろうとしていた。
「ロゼッタお嬢さまを……」
重傷を負った騎士姿の男が、木に背中を預けて座り込み、呻くように言う。
すかさずマリンがそのそばに駆け寄り、魔法で治療を開始する。
おれとアーサーのほうは、その場にいた一頭の魔獣に目が釘付けになっていた。
おれたちの視線の先には、超巨大な白蛇がいた。
(Aランクの魔獣、カオスサーペント……)
ばかみたいな大きさだが、その他に異形の部分は見当たらない。
全長は、おそらく二十メートルはあろうか。
前世を合わせても、これほど巨大な生物を直に見たのは、はじめてだ。
辺りはかなりひらけており、馬車らしきものの残骸があちこちに散らばっていて、さらには幾人かの鎧をまとった騎士たちの姿もあった。
騎士たちはみな地面に倒れ伏しており、まだ息があるのかどうかも、ここからではわからない。
「ロブ、あれを見て」
剣を構えたアーサーが、ある場所におれの目を向けさせる。
「あれは……」
カオスサーペントの異常に太い首に持ち上げられた巨大な頭部、そのちょうど真下あたりに人が倒れている。
品のいいドレスを身にまとった、貴族令嬢と思しき少女である。
その人物を、おれはよく知っている。
(やっぱりそうなんだな。まだ、もう少し時間があると……思ったよりも、はやかったな……)
覚悟はしていたが、寂しい気持ちになる。
(おれたちの……いや、おれの日常は過ぎ去った。これはモブのおれが、勇者の物語に関わる最後の場面だな)
気を引き締め、おれはアーサーとともに臨戦態勢をとる。
「アーサー、おれがあの魔獣の気を引き付ける。先ずはあの女の子を助け出すんだ」
「わかった。ロブ、気を付けてね」
「ああ」
おれはあえてその目につくよう、カオスサーペントのそばまで走っていく。
間近で見ると、生物とは思えないほどの大きさである。
手慣れた動作で、走りながら地面の石を拾い上げる。
そして、すぐさまその石をカオスサーペントの顎をめがけて、全力で投げつけた。
カオスサーペントは避けることができず、石は直撃して頭部が大きくはね上がった。
「よし!」
投擲のスキルレベル6は伊達じゃない。
一撃は無理でも、これを何度となく続ければ、いずれ倒せるかもしれない。
Aランクの魔獣を相手にするのははじめてだったが、しっかりと手応えを感じた。
しかし、おれがちょっと気を抜いた瞬間に、
しゅるるる。
カオスサーペントの頭が、とんでもない速度でおれに迫ってきた。
「くっ!」
あまりのはやさに、おれは両腕を上げて防御姿勢をとるだけで精いっぱいだった。
もしも、カオスサーペントが口を開けておれをひと飲みにしていたら、そこでおれの二度目の人生は終わっていた。
だが、カオスサーペントはおれが与えたダメージをそのまま返すように、頭突きを食らわせてきた。
一トンを優に超える肉の塊をぶつけられ、おれのからだは勢いよくはね飛ばされた。
「ロブ!」
宙を舞いながら、アーサーの叫び声を聞いた。
せめて頭だけでも守ろうと、空中で懸命にからだを丸める。
その直後に、想像を絶する痛みが全身を駆け巡った。
地面に猛烈な勢いで叩きつけられたからだ。
「ぐぅ……あ……」
からだ中に広がる苦痛で、そのまま意識を失いそうになる。
(くそっ! 甘かったのか……このままじゃ、マリンとアーサーまでやられちまう……)
激しい後悔が押し寄せ、からだの痛みよりも強くおれの心を苛む。
(やり直しなんかきかないってのに……せめて、マリンとアーサーを逃がさないと……)
どれくらいの時間が経ったのかわからないが、そうやってなんとか意識を保っていると、すぐそばで土を踏みしめる音が聞こえた。
「だ、だめよ! だめ! だめ! いや! いやだ! いや! いや!」
つづいて聞こえてきたのは、マリンのひどくパニクった声だ。
「やだ……やだ……やだ……こんなの、やだよぉ……」
泣いているのか、言葉も途切れ途切れで、幼子のように拙くなっている。
(ああ……推しを泣かすなんて……おれはなんて、最低なやつなんだ……)
「マ……リ……ぐふっ!」
マリンをなぐさめようと声を無理やり出したところで、口から血が溢れた。
「ロブ! ひ、ヒーリング!」
マリンの両手が光を放ち、僅かに心地いい熱がおれを包む。
だが、いまのおれの状態は、レベル3のヒーリングでは治癒できないだろう。
おれ自身、すぐそばまで死が迫っているのをはっきりと感じていた。
不思議と恐怖はなかったが、強い心残りはあった。
「マ、リン……ア、アーサーと、一緒に……逃、げろ……」
最後の力を振り絞って声にする。
薄れゆく意識のなかで、マリンの絶叫が意味をなさずに通り過ぎていく。
「やだ! 絶対にやだ! ねぇ、誰か! 神さまでも精霊さまでも、なんでもいい! わたしにこの人を助けさせて! 他になにもいらないから! 代わりにわたしの命をあげるから! お願い! お願いします! やめて……この人は……この人だけは……だめ……」
その声は、おれにはただの耳鳴りにしかならなかったが、それにちゃんと答えたものがいた。
『エクストラスキル:聖女の無垢なる祈りを獲得しました』
完全に意識がなくなる寸前に、頭の中で、はじめて聞く誰かの声がこだまする。
「──ほ、ホーリーヒーリング!」
それから、朗々としたマリンの声が聞こえた。
途端に、からだが嘘みたいに楽になる。
意識がはっきりと覚醒し、おれは上体を起こした。
先ほどまでの耐えがたい激痛が、綺麗さっぱりとなくなっていた。
「……マリン、お前がやったのか?」
マリンは腰を抜かしたように地面に座り込んで、呆然とおれを見つめている。
「いや! いまはいい! それよりも!」
すぐさま立ち上がり、おれはアーサーの姿を探す。
アーサーはカオスサーペントを相手に、大奮闘していた。
迫りくるあぎとを跳躍して躱し、引き戻される頭部を、すばやく剣で斬り付ける。
それを何度も繰り返している。
(さすが未来の勇者。いまの時点で、Aランクとも戦えるなんてな。けど……)
おれが一瞬でやられたせいで、貴族令嬢はさっきの状態のままだった。
アーサーの剣はカオスサーペントに当たってはいるが、ほとんどダメージを与えられていないようだ。
Eランクの魔獣を易々と両断する剣も、Aランクが相手だとまるで通じないのか。
(なにか、打開策は……)
無意識に手を動かした時、こつんと指先が腰につけた革袋に当たった。
(そうか! これがあった!)
「マリン!」
まだぼんやりとしているマリンに、顔を向ける。
「先に謝っとく! すまん!」
おれは革袋を手に取り、中から緩衝材に用いている布の端切れを取り出して捨てる。
そしてすぐに魔石の入った革袋を、投擲スキルの全力で、カオスサーペントの頭部へ投げつけた。
ドォン、と激しい爆発が起こる。
ぶつかった衝撃によって、魔石同士が反応したのだ。
ぐらりと、カオスサーペントの巨体が揺れる。
カオスサーペントの首から上を吹き飛ばすことをちょっと期待したが、残念ながらそこまでの威力はなかった。
けれど、それなりのダメージを与えることはできたようで、爬虫類特有の目が、ぐるんと裏返っている。
どうやら、意識を失っているようだ。
その隙に、おれはアーサーのもとへ駆け寄った。
「どうして来たの! いまのうちに、はやくマリンと逃げてよ!」
アーサーが悲痛な声で訴える。
(いまならマリンとアーサーを逃がしてやれる。これで……え……いや……これは……)
おれは自分の感覚に従って、その言葉を小さく唱えた。
ステータス、オープン。
(……そうか。そうだよな。勇者っていうのは、やっぱりこうでなきゃな!)
ゆっくりと両手を伸ばし、アーサーの左右の肩に置いて、落ち着かせる。
「なにを言ってんだよ。こんなところで勇者がやられたら、誰が魔王を倒すんだ?」
それに、お前が死んだらマリンがめちゃくちゃ悲しむぞ。
無論、おれもな。
「ぼくは……勇者なんかじゃないよ……本当はただのいくじなしなんだ……」
アーサーがおれから目を逸らす。
そんな短いやりとりの間に、カオスサーペントが意識を取り戻し、こちらを睨みつけてきた。
おれはそれを見返しながら、
「いいや、お前は間違いなく勇者だ。おれにはちゃんと見えている」
おれの目が、カオスサーペントからアーサーの青い瞳に移動する。
「だからお前は自分を信じるんだ」
そうだ。この瞬間にも、おれには見えている。
他の誰に見えなくとも、おれにはそれが、はっきりと見えている。
カオスサーペントがその目に憎悪を宿し、おれたちをひと飲みにすべく体勢を整える。
「でも!」
「いいか! おれはお前を信じてる! マリンもだ! お前は正真正銘の本当の勇者だってな! それともお前はおれたちを信じられないのか!」
おれはアーサーの肩をぐっと掴んででゆさぶった。
時間なんてもうほとんど残されていない。
必要なのは、アーサーがそれを信じることのみ。
「ロブ……」
アーサーは一瞬俯き、だがすぐにおれをまっすぐに見据える。
「信じるよ! これまでロブが言うことで間違ってたことなんてなかった! 捨て子だったぼくを! いらない子だったって言われてたぼくを! ロブとマリンは大切な友達だって言ってくれた! だから、信じる!」
アーサーのからだから、眩い光が発せられる。
よし! 来た!
「ロブとマリンがぼくを勇者だと信じてくれるなら! ぼくは本当の勇者になれる!」
おれはひとつ頷くと、アーサーから少し距離をとってそれに備えた。
『エクストラスキル:熾天剣を獲得しました』
おれの頭の中に声が響く。
それは、先ほど今際の際で聞いたものと、同じ声だった。
「これが、勇者の力……」
アーサーが呟く。
からだ中に力が漲っているようだ。
「何度も言ったろ? お前は本当に、勇者なんだよ」
「うん、そうだね。ロブ、ぼくを信じてくれてありがとう……」
その時カオスサーペントが、おれをはね飛ばした時以上の速度で襲いかかってきた。
「熾天剣──絶技、一閃炸裂」
アーサーがぼろぼろになったなまくらな剣を一振りすると、光の斬撃がカオスサーペントのからだを縦横無尽に走り回り、外から内からと引き裂いた。
Aランクの魔獣は、こうしてあっけなく絶命した。
幾百もの肉塊となったカオスサーペントの成れの果てが頭上から降ってくる中、おれは目の前に浮かんだアーサーのステータスウィンドウを見て、満面の笑みをうかべた。




