10.出立
翌朝。
正確にはわからないが、おれの体感ではおそらく午前六時くらいだろうか。
地球と同じで、空には太陽がひとつ。夜の空にも月がひとつ。
ちゃんと星も見えるから、ここも惑星なのだろう。
説明書や設定資料にも記載されていなかったから、なんて名前なのかは知らないが。
酸素も重力も、体感は地球と全く同じ。
けれど、おそらく地球ではない。
多分、もうちょっと小さい。
なら、なんで重力が地球と同じなのかは不思議だが、きっと魔法だろうな。
魔法の八つの属性の中に、『場』という重さを変える魔法もあるし。
もしくは創造主の御業だろうか。
世界を平面的に見ると、中央に海にうかぶ大きな大陸があって、それを中央大陸と呼ぶ。
そして、その左上と左下、右上と右下にいくつかの小さな大陸や島がある。
おれたちがいま住んでいる村があるロディマス王国は、中央大陸のおおよそ真ん中あたりに位置していて、魔族が住む暗黒大陸は左上にある小さな大陸だ。
暦は、太陽暦とだいたい同じ。一年が三百六十日。
おれたちが住むこのロディマス王国では、王国建国歴という名称になる。
一年は十二か月で、一か月は全部三十日。一日は二十四時間。
もとが日本でつくられたゲームなんだから、その方が都合がよかったんだろう。
おれにとっても、わかりやすくて非常に助かる。
時計も町に行けばあるが、巨大なやつだ。置時計や腕時計は、まだこの世界にはない。
おれが午前六時ごろだと思ったのは、本当になんとなくだった。
おれを含め、村の多くの人たちが村長の家の前に集まっていた。
これから村を出るマリンとアーサーの見送りのためだ。
でも、ジャックはやっぱり来ていなかった。
なにやら事情があるらしいが、ちゃんと話してはくれなかったな。
仕方ない。ジャックの分も合わせて、しっかりとふたりを見送ろう。
昨日はマリンが返事を保留にしていたが、アーサーと一緒に行くのを断ることはないはずだ。
家族との別れは辛いと思うが、この時のためにも、おれは勇者ごっこをしていたのだ。
おれは勇者ごっこの中で、勇者と聖女はいずれ魔王を倒すために、この村から旅立たねばならないと何度も言いつづけた。
それは両親や大切な人たちを守るために、どうしても必要なことなのだと。
だから、からだも心も成長したいまなら、家族との別れがいかに辛くとも、それに耐えて旅立ってくれるはずだ。
アーサーも隣で支えてくれるだろうしな。
村長の家の前には伯爵家の馬車と、それから鞍を置いた馬が数頭並んでいる。
おそらく子供たちは馬車で、ゴードンや騎士たちは馬で移動するのだろう。
馬車のそばには、ロゼッタ、ジョセフ、ゴードンが立っていて、ちょっと距離を置いたところでマリンが両親と向き合い、そこからさらに距離を置いて、アーサーが育ての親の司祭と向かい合っていた。
おれはその光景を他の村人たちと一緒に、少し離れた場所から見守っていた。
「からだに気をつけてね」
マリンの母親のキャシーが、ぎゅっと娘を抱きしめる。
マリンによく似た綺麗な顔に、愛しさと誇らしさ、離別の悲しみ──それらが入りまじった表情をうかべて。
「うん。お母さんとお父さんも」
「次に会う時は、本物の聖女さまだな。けれど、無理をするんじゃないぞ」
マリンの父親のマットが、優しく娘の頭を撫でる。
その顔には穏やかな笑みがうかんでいたが、愛娘との別れの悲しみを、努力で潜めているようすだった。
「うん。わかってる」
マリンは両目にいっぱいの涙を溜めながら、ふたりから離れた。
「いってらっしゃい」
「うん。いってきます」
最後に、泣くのを精いっぱい堪えて微笑む。
それから、両親に背を向けて歩きだしたかと思うと、きょろきょろと周りを見回した。
その視線は、見送りにきた人々の中をさまよって、
「──!」
目的のものを見つけられたのか、ずんずんとおれのほうへ歩いてくる。
すぐ目の前にやってきたマリンに、これまで言葉にできなかった思いを込めて、おれは笑顔を向けた。
現実世界で会えた推しは、やっぱり最高に可愛かった。
これまで一緒に過ごせて、おれは幸せだったよ。
推しに心いっぱいの感謝を伝えたかったが、多分気持ち悪がられるだろうから、やめておこう。
これでもう会えないかもしれないが、きっとアーサーがお前を幸せにしてくれると信じている。
「今日でお別れだな。頑張ってこ──」
おれが激励の言葉を言おうとすると、突然、マリンに手を引かれた。
そのまま、ロゼッタたちの方へ連行される。
「お、おい! なんだよ!」
予期しなかったマリンの行動に、おれはうろたえてしまった。
にしても、マリンと手をつなぐなんて何年ぶりだろうか。
はじめて手を触れた時なんて、舞い上がって一日中うかれていたっけな。
いまはなぜか、胸の奥が痛んだ。
「わ、わたしたちがいなくなったら、あんたがかわいそうじゃない! きっと、凄く寂しくて、凄く泣いちゃうじゃない!」
おれの手をとって先を歩くマリンの顔は、おれからは見えない。
「だ、だからね、一緒に連れてってあげるわよ! ほら、わたしって優しいでしょ! 聖女になるんだもの! あんたそう言ったじゃない!」
「ああ。その通りだ。お前は誰よりも優しくて、凄い力を持った立派な聖女になるんだ。もうおれの出番は終わったんだよ。これからはアーサーと新しい仲間のみんなが、お前と一緒に行ってくれるからさ」
昨日の出来事でおれは痛感した。
Aランクの魔獣に、なすすべなく殺されかけた。
アーサーとマリンがいなければ、おれは間違いなく死んでいた。
もうおれは、ふたりには必要ない。
「なによそれ! 意味わかんないわよ!」
「おれがついて行っても、もうお前たちの力にはなれない。おれは、お前たちと違ってモブなんだから」
「だから、意味わかんないって言ってんでしょ!」
一体、なんでそんなにおれを連れていきたがるんだ?
邪魔者がいなくなって、アーサーとふたりになれるんだぞ?
そこで、はっとする。
(そうか!)
おれは天啓を得たかのように、ひらめいた
(アーサーとふたりだけだと、恥ずかしいんだな!)
好きな人とふたりだけだと、恥ずかしくて挙動不審になってしまう。
わかる。かつてはおれもそうだった。
普段はアーサーと自然に接していたと思うが、そうか、おれもいたからなのか。
「わかったぞ! お前の気持ちが!」
「な、なによ!」
おれの声に驚いたのか、マリンがびくりと身を震わせる。
「お前、アーサーとふたりだけだと、恥ずかしいんだな?」
「はあ?」
途端に、マリンの額に癇癪筋があらわれた。
しまった。本人に直接言ってしまっては、余計に恥ずかしかったか。
「す、すまん! 正解がわかったから、つい!」
「なっ──なにがっ! 正解なのよっ!」
「どうしたの?」
ふたりでおかしなやりとりをしてると、アーサーがおれたちのもとに駆け寄ってきた。
司祭との別れは、もう済ませたようだ。
「えっと、その……」
おれは、改めてマリンの顔を見つめた。
マリンは怒っているような、それでいて不安そうな、複雑な表情をうかべている。
(そうだよな……)
目の前でいま、推しが困っている。
なら、当然助けなきゃな。
おれがこの世界でなによりしたいことは、それなんだ。
「……おれも、ふたりについていこうかなと思ってさ」
モブが魔王軍との戦いで役に立てることはない。
だけど、推しの恋の手伝いくらいなら、少しは役に立てるかもしれない。
恋愛経験はないが、アーサーのことならよくわかっているし、この先にあらわれるマリンの恋のライバルたちのこともよく知っているからな。
まったくもって不純な動機かもしれないが、マリンとアーサーには最高に幸せになってほしいのだ。
「本当に?]
ぱっと、アーサーに花のような笑顔が咲く。
女顔のアーサーがそんな顔をすると、まるで大輪の花が咲いたかのようだった。
「よかったぁ。ぼく、本当はロブにも一緒に来てほしかったんだ。けど、困らせたくなくて……ロブが一緒に来てくれたら、とっても嬉しい。ね、マリン?」
「そ、そうね! そんなに一緒に来たいなら、連れっていってあげるわよ!」
そう言ったマリンの顔も、嬉しそうに見えた。
推しの喜ぶ顔。
そのための行動に、間違いなんてなかろう。
ふたりに連れられて、おれはロゼッタたちの前に立った。
「ロブにも、一緒に来てもらってもかまいませんか?」
アーサーがロゼッタにたずねる。
「え、ええ……」
ロゼッタが戸惑いながら、あいまいに頷く。
名前もちゃんと覚えられないようなモブを連れていくことは、彼女、ひいては伯爵家にとってなんの利益にもならないだろう。
だが、大して不利益になるわけでもない……無駄飯食らいがくっついてくるのは、不利益か。
よし。雑用係を申し出よう。
ロゼッタが少しの間まごついていると、意外なところから声が上がる。
「姉上」
声の主はジョセフだ。
「彼も連れていきましょう」
銀縁眼鏡をくいっと上げて言う。
陽光がレンズに反射して、その瞳は見えない。
「……そうですね。あなたが言うなら、そうしましょう」
ロゼッタが、弟の言に従って許可をくれる。
うん? ロゼッタはブラコンなのか?
それとも、このジョセフには特別ななにかがあるのか?
「おそらく、彼は私たちの役に立ってくれますよ。ええ。とても役にね」
ジョセフが真顔でそうのたまう。
ずいぶん含みのあるもの言いだが、どうしてだか、こいつの言葉や所作が、妙にしっくりとくる。
「それでは、みなさま。そろそろ出発しましょう」
ゴードンがそう告げて、子供たちは馬車に乗り込み、ゴードンと騎士たちは馬にまたがる。
勢いに任せてふたりについていくことになったが、持っていきたいものも特にないので、手ぶらでも別にいいだろう。
「では、出発!」
ゴードンの号令と共に、一行が動き出す。
そこで、あっと気付いた。
そういえばおれは、自分の両親に別れを告げていなかった。
おれはすぐに馬車の窓から身を乗り出す。
おれと一緒に村長の家にアーサーたちの見送りにきていたため、父親と母親の姿もそこにあった。
「とーさーん! かーさーん! おれもー、いってきまーす!」
ふたりは苦笑をうかべながらも小さく手を振って、なにも言わずにおれを見送ってくれた。
いきなりで申し訳ないと思ったが、ふたりの反応がちょっと淡泊なのは、もしかしたらこうなることも予想していたんだろうか?
確かなことはわからないが、仮にそうだとしてもやっぱり申し訳ない。
向こうに着いたら、真っ先に手紙を書こうと思う。
あっ! ふたりとも、文字読めないや……。




