第9話 選ばされる答え
答えを待つ沈黙が、やけに長く感じた。
視線は二つ。
逃げ場はない。
――選べ。
そう言われている。
でも。
選択肢が、どれも正しくない。
「……制限はする」
やっとのことで口を開く。
「でも、閉じこもるつもりはない」
言い切る。
どちらにも寄らない。
中途半端な答え。
それでも――
「線は引く」
自分で言った言葉を、繰り返す。
「外でも、中でも」
視線を、順番に向ける。
「それ以上は、進めない」
沈黙。
数秒。
やがて。
「……ふーん」
陽菜が、小さく息を吐いた。
不満そうな顔。
でも、否定はしない。
「じゃあさ」
腕を組む。
「私の前でも、それできるの?」
挑発だ。
分かりやすい。
「やる」
即答する。
ここで迷ったら終わる。
そう分かっていた。
「……そっか」
陽菜は少しだけ笑った。
けど、その笑みはどこか冷たい。
「じゃあ、見てるね」
静かに言う。
「どこまで持つか」
試す気だ。
完全に。
――やっぱり、そうなるか。
「いい判断ね」
横で、沙夜姉が言う。
その声は落ち着いている。
「完全な遮断は現実的じゃない」
冷静に分析している。
「でも」
少しだけ間を置く。
「その線、守りなさい」
視線が重なる。
「一度でも曖昧にしたら、終わるわよ」
脅しじゃない。
事実だ。
だからこそ、重い。
「……分かってる」
短く返す。
それ以上は、言葉にできない。
――
その夜。
自室に戻っても、落ち着かなかった。
ベッドに座って、天井を見る。
頭の中が整理できない。
外。
凛。
家。
陽菜と沙夜姉。
全部が同時に動いている。
しかも。
止める手段が、ほとんどない。
「……面倒すぎるだろ」
小さく呟く。
返事はない。
当たり前だ。
そのはずなのに。
「ほんとね」
すぐ後ろから声がした。
「――っ!?」
反射的に振り向く。
ドアの前。
沙夜姉が立っていた。
「……ノックしろよ」
「したわよ」
淡々と返す。
「聞こえなかっただけでしょ」
そういう問題じゃない。
「……何の用だ」
「確認よ」
部屋に入ってくる。
ドアが閉まる。
また、逃げ場がなくなる。
「さっきの話」
ゆっくりと近づく。
「本気?」
「……ああ」
視線を逸らさずに答える。
ここで揺れたら、終わる。
「そう」
小さく頷く。
そして。
「じゃあ」
さらに一歩、近づく。
手を伸ばせば届く距離。
「試しましょうか」
意味を理解する前に。
沙夜姉の手が、伸びた。
頬に触れる。
――来る。
分かっているのに。
避けられない。
接触。
それだけで。
空気が変わる。
思考が鈍る。
呼吸が浅くなる。
けど。
「……」
目を逸らさない。
離れない。
耐える。
「……いいわね」
小さく呟く。
そのまま、少しだけ指先に力が入る。
接触が深くなる。
――ここが線だ。
分かる。
ここを越えたら、終わる。
「……そこまでだ」
手を掴む。
強く。
それ以上進ませない。
距離を保つ。
視線を外さない。
「……」
沙夜姉は、しばらく黙っていた。
そのまま、じっとこちらを見る。
数秒。
やがて。
ふっと息を吐いた。
「合格」
小さく言う。
そのまま、手を引く。
接触が切れる。
空気が、元に戻る。
思考も、戻る。
「……テストかよ」
「当然でしょう?」
あっさりと返す。
「あなたが守れるかどうか」
ベッドの端に腰掛ける。
「守れないなら、強制するしかない」
さらっと言う。
怖いことを。
「……物騒だな」
「現実的よ」
視線が、こちらに向く。
「あなたが壊す側なんだから」
その言葉に、言い返せない。
事実だからだ。
「……凛はどうする」
話題を変える。
「止まらないぞ、あいつ」
「でしょうね」
あっさり頷く。
「だから」
少しだけ、声が低くなる。
「線を守り続けなさい」
それしかない、という言い方だった。
「相手が越えてきても?」
「越えさせないの」
即答。
「越えた時点で、終わる」
はっきりと言い切る。
「……簡単に言うな」
「簡単じゃないわよ」
少しだけ目を細める。
「でも、やるしかない」
その通りだ。
他に方法はない。
「……陽菜は」
聞く。
あいつは、もっと厄介だ。
「止めるわ」
迷いなく答える。
「あなたが揺れなければ、抑えられる」
「……逆に言えば」
「ええ」
言葉を引き継ぐ。
「揺れたら終わり」
沈黙。
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
「……寝るわ」
沙夜姉が立ち上がる。
ドアに向かう。
「おやすみ、湊」
「ああ」
短く返す。
ドアが開く。
そのまま出ていく――と思った瞬間。
「――あと一つ」
振り返らずに言う。
「凛」
その名前に、心臓が跳ねる。
「面白い子ね」
小さく笑う気配。
「壊れ方が、綺麗」
ぞくり、とした。
その評価。
完全に。
“同じ側”の視点だ。
「……何考えてる」
思わず聞く。
すると。
ほんの少しだけ、間があって。
「別に?」
軽く返す。
「ただ」
そのまま、ドアの向こうへ消える。
「壊れるなら、綺麗な方がいいでしょう?」
その一言だけ残して。
静かに、ドアが閉まった。
――
一人になった部屋で。
しばらく動けなかった。
考えたくないことが、多すぎる。
でも。
逃げられない。
このままいけば。
確実に、どこかで。
線は越えられる。
――そのとき。
止められるのか。
自分で。
そう思った瞬間。
スマホが震えた。
画面を見る。
通知。
【一ノ瀬 凛】
内容は、短かった。
『ねえ、明日も試していい?』
――来た。
完全に。
止まってない。
むしろ。
加速している。
画面を見たまま、しばらく動けなかった。
そして。
ゆっくりと息を吐く。
「……やるしかないか」
小さく呟く。
返事を打つ。
『駄目だ』
送信。
既読がつくのは、すぐだった。
そして。
次の返信。
『そっか。じゃあ、学校でね』
短い文。
でも。
そこに、引く気配はない。
むしろ。
楽しんでいる。
完全に。
――明日も、来る。
分かっている。
その上で。
どうするか。
答えは、もう決まっている。
――線を引く。
それしかない。




