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31.青空教室

イサーク殿下とラリーサの出会い。

「あら。皆で集まって、何をしているのですか?」

 皇宮の中庭で、久々に再会した従兄弟――ヴァレリーとイヴァンと図書室で借りてきた本を広げて芝生に寝そべっていたイザークは、突として掛けられた柔らかな声に勢いよく顔を上げた。

「あ、リーサ様」

 イサークと同じく顔を上げたヴァレリーとイヴァンが、慌てて立ち上がり服についた芝生を払うとペコリと頭を下げる。二人が口にした〝リーサ様〟という呼び名に、イサークは目の前に佇む美しい人が叔父の――己の父に代わり皇帝となったアリスタルフの后であることを知る。まだ5歳のイサークは、公式の場に顔を出すことはない。ゆえに、アリスタルフが后を迎えたということは乳母伝いに知っていたが、ラリーサの顔を見るのは初めてだった。

 ぽかんと口を開けて見上げてくるイサークへ、ラリーサがにっこりと微笑みかけてくる。

「イサーク殿下でいらっしゃいますか?」

 ラリーサの尋ねに、ハッと我に返ったように瞳を瞬かせたイサークが、あたふたと立ち上がった。

「は、はい。あの……ラリーサへいかで、いらっしゃいますか?」

 伺うように上目遣いでラリーサを見つめるイサークに、ラリーサは〝はい〟と首を縦に振るとイサークと視線の高さを揃えるようにその場に膝をついてくれる。

「初めてお目にかかります。ラリーサと申します。リーサと呼んでくださいな。アル様が顔繫ぎをして下さる前に、出会ってしまいましたわね」

 そう言って〝ふふふ〟と笑みを深めたラリーサを、イサークは〝きれいなひと〟だと思った。

 トリーフォン帝国では珍しい艶やかな黒髪に、漆黒の瞳。柔らかで優しい弧を描く双眸の中に己の顔が映っていることに気づいて、イサークはなんだか恥ずかしくなってしまい顔を俯ける。

「本を読んでいたのですか?」

 中庭の芝生の上に広げられた数冊の本へ視線を向け、ラリーサが三人へ問う。それに答えたのは、一番年上のヴァレリーだ。

「あ、はい。イサークから、学習が遅れていると聞いて……。僕やイヴァンが教えてあげられる部分があればと思いまして」

 〝図書室から何冊か本を借りてきたのです〟と続けたヴァレリーに、ラリーサが〝まぁ。素敵なこと〟と笑みを深める。

「私、これから〝帝国史〟の講義を受けに参りますの。もしよろしければ、皆様も一緒にいかがですか?。教師は、アル様がつけて下さったルッティネン先生です」

「ルッティネンせんせいですか?ぼ、ぼく、まえに、おしえていただいてました!」

 ぱっと顔を上げたイサークが、瞳をキラキラと煌めかせる。

「そういえば、ルッティネン先生は、以前、エルモライ様の教師を務めていたのでしたね。エルモライ様の教師を外れたからと、アル様が私につけてくださいましたの」

 〝お互いに見知っているのでしたら、大丈夫かしら〟と告げたラリーサが、ゆっくりと立ち上がる。

「どうでしょう?一緒に行きませんか?」

 そう言って差し出されたレースの手袋に包まれた手は、細くで綺麗だった。イサークは、差し出された手とラリーサの優しい顔を何度か見やった後、恐る恐るその手に己の手を重ねる。きゅっと優しく握られた手から伝わってくるぬくもりが、今は離れて暮らす母と少し似ていて、ほんの少し淋しい気持ちになる。

「ふふふ。よかった。一人で学ぶのはつまらなかったのです。ヴァシリーとイヴァンも一緒に行きましょう」

 にこりと二人へ微笑みかけたラリーサに、二人が〝もちろんです〟と首を縦に振る。自分よりも親し気にラリーサと言葉を交わす二人がなんだか羨ましくて、イサークは小さく唇を尖らせると足元へ視線を落とす。そんなイサークへ優しい眼差しを向けていたラリーサが、イサークたちが芝生に広げていた本を侍女たちが片付け出したのに気づき、〝あ、そうだわ〟と声を溢す。

「私、いいことを思いつきました」

 笑みを深めて声を弾ませたラリーサが、背後に控える侍女の名を呼ぶ。

「キーラ。ルッティネン先生の元へ行って、講義の場を変えることは可能か聞いてきてちょうだい」

 ラリーサの指示に、キーラがにっこりと笑みを浮かべて〝畏まりました〟と頭を垂れる。

「場所は、〝中庭〟でよろしいでしょうか?」

 キーラの尋ねに、ラリーサが〝天気も良いですし、たまにはいいでしょう〟と朗らかに笑う。

「今日は、〝青空教室〟といたしましょう」

 コロコロと軽やかな笑声を零し、ラリーサが繋いでイサークの手を引いた。

「ちょうどよい木陰はないかしら?三人は、よい場所を知らない?」

 優雅に――それでいて楽し気に歩を進めるラリーサを囲むようにして歩きながら、イサークたちは〝どこがいいだろうか〟

と話し合いを始める。

「少し大きめの木の下がいいよね」

「あそこは、どうかな?」

 イヴァンが指さした木の下には、ラリーサと三人が円を描くように座っても十分な広さの木陰が作られている。そこにルッティネンが加わっても大丈夫だろう。

「いいとおもう」

 コクンとイサークが首を縦に振り、ラリーサが〝なら、そうしましょう〟と歩をその木陰の方へ向ける。

「リーサ様、芝生に敷物を敷きますか?」

 後ろから尋ねてきたカルロッタへ、ラリーサが〝必要ないです〟と笑顔で首を横に振った。

「私も、たまには芝生の感触を楽しみたいわ」

 〝天気のよい日に、芝生の上に転がるのは気持ちがいいものね〟と続けたラリーサに、イヴァンが〝リーサ様は、芝生に転がったことがあるのですか?〟と瞳を瞬かせる。

「子どもの頃ですよ。さすがに、今はしません」

 〝マルファたちに怒られてしまいます〟と笑うラリーサに、後ろから付き従ってくるマルファが含みのある溜息をついた。それを不思議そうに見やりながら、子どもたちはラリーサの腕を引くと、木陰の下――芝生の感触、風の通り、木漏れ日の当たり加減――全てが揃った一等いい場所へラリーサを案内した。

「まぁ。いい場所を譲っていただいて、ありがとうございます」

 示された場所にゆっくりと腰を下ろしたラリーサの周りに、子どもたちが集まる。そして、ラリーサの右隣にイサーク、左隣にイヴァン、その隣にヴァレリーという順に座り込む。

「ルッティネン先生は、いらしてくれるでしょうか?」

 皇宮の方を気にするヴァレリーに、ラリーサが〝皆が集まっていると知れば、いらっしゃると思いますよ〟と微笑んで見せる。

「ルッティネン先生は、厳しい方ですけれど、子どもが大好きな方だと思うのです」

 ラリーサの言葉に、ヴァレリーが〝そうなのですね〟と小さく安堵の息をつく。

「イサークは?ルッティネン先生は来てくれると思う?」

 イヴァンの尋ねに、イサークは〝どうだろ?〟と小さく首を傾げた後、〝でも、ぼく、ルッティネンせんせいのこと、すきです!〟と屈託ない笑みを浮かべる。

「僕も、一度、ルッティネン先生に教えを乞うてみたかったんだ」

「僕も!」

 声を弾ませたヴァレリーとイヴァンに、ラリーサが〝あらあら〟と嬉しそうに瞳を細める。

「ならば、次回から皆でルッティネン先生の講義を受けましょうか」

 ラリーサの提案に、三人が〝いいのですか?!〟と声を合わせる。

「もちろんです。先ほど言いましたでしょう?一人で講義を受けるのは、少し淋しいのですよ。アル様とネストル様には、私からお伝えしておきます」

 青空の下、〝楽しみですね〟と朗らかに笑ったラリーサの声に、〝はい!〟という三人の声が重なって響いた。

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