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29.久々の一人寝

「今週は、陛下の訪いはないそうです」

 一日の疲れを入浴で癒し、キーラが用意してくれた果実水で喉を潤すラリーサに、カルロッタが告げる。

「あら。今週は、皆様の元へ通われるのね。しばらく、私が独占してしまっていたから」

 〝皆様には申し訳ないと思っていたの。よかったわ〟と微笑んだラリーサに、カルロッタが呆れの混じった溜息をつく。

「本当に、リーサ様は陛下の御寵愛を求めてはおられないのですね」

 〝あんなに仲がよろしいのに〟と不可解そうに首を傾げたカルロッタへ、ラリーサは〝仲が良いと寵愛は必ずしもイコールではないでしょう?〟と微苦笑を浮かべる。

「しばらくは、寝台をのびのびと使えるわねぇ」

 ぐぅっと伸びをしたラリーサの少し湿り気を帯びた髪を緩く三つ編みに束ねながら、マルファが〝また、そのようなことを……〟と溜息をつく。

「陛下の前でそのような発言はしないでくださいね」

 窘めるマルファに、ラリーサは〝さすがに、言わないわ〟と小さく唇を尖らせる。


 成婚の儀を終えてから、半月ほどが経つ。その間、アリスタルフは毎夜ラリーサの元を訪れていた。もちろん、毎回熱を交ぜていたというわけではなし、隣に自分以外のぬくもりがあることで眠りが浅くなるという性質ではないけれど、たまには一人寝もしたいではないか。


「一応、ミハイル様からいつ誰の元へ通うか書かれたものを頂きましたけれど」

 〝ご覧になりますか?〟と問うてきたカルロッタへ、ラリーサは〝必要ないわ〟と首を横に振る。

「ミハイル様へ、今後、そのようは報告は不要だと伝えておいてくれる?」

 ラリーサの指示に、カルロッタが〝畏まりました〟と目礼する。アリスタルフが偏りなく妃の元へ通うことは、後宮の安寧のためには必要なことだし、いつどの妃の元へ通おうがラリーサには興味がない。それに、興味がなくとも、その手の話は何故か耳に入ってくるものなのだ。

 マルファに髪を結ってもらい、就寝の準備は整った。だが、まだ寝るには少し時間が早い。ここ最近は、アリスタルフと今後のことについて話し合いをすることが多かったのだけれど、さて――久々に得た一人時間をどう過ごそうか。図書室から借りてきた本を読むのもいいし、途中となっている刺繍を進めるのもいいかもしれない。果実水を飲みながら、ラリーサは思案する。そして、空いたグラスをキーラへ渡すと、マルファとカルロッタへ視線を向けて〝イサーク様へ御手紙をしたためたいから、便箋を用意してちょうだい〟と微笑んだ。


◆◆◆


 〝はぁ……〟と、アリスタルフは一つ深い溜息をつく。頭が重い。ヴェールに囲われた寝台の中で、アリスタルフをうっそり瞳を細める。仰向けに寝転がるアリスタルフの左肩にはべったりとジャンナがくっつき、すぅすぅと規則正しい寝息を立てている。しっとりと汗に湿った緩いウェーブのかかったブロンドの髪は白いシーツの上に流れ、細い二本の腕がアリスタルフの腕に絡みつく。伝わってくる体温が気になって、眠れない。それに、ジャンナが好んでつける香水の強い香りがアリスタルフの頭をさらに重くした。

 元々、妃の元へ通うことを〝億劫だ〟と思っていた。回数を熟すうちに、この〝眠れない時間〟の過ごし方にも慣れたと思っていたのだが――夜明けまでの時間が殊更長く感じる。〝リーサの元ならば、眠れるのに……〟と考えてしまえば、すぐにでもこの寝台から抜け出したくなった。今週はラリーサ以外の妃の元へ通うことになっている。一週間――碌な睡眠がとれないのかと思えば、その思いはさらに強くなる。

 〝ダメ……だろうか。だが……〟と眉間に皺を寄せ、アリスタルフはジャイナを起こさぬように己の腕をジャンナの腕の中から取り戻すと、そろりと寝台から抜け出した。

「……誰かいるか?」

 扉の近くまで歩み寄り、声をかける。すぐに〝どうかなさいましたか?〟というジャンナの侍女の声が返ってきた。

「ミハイルを呼べ」

 端的に用件のみを伝える。すぐに〝陛下、どうなされました?〟というミハイルの声が聞こえ、アリスタルフは小さく息を吐くと一言〝戻る〟とだけ告げた。


 ミハイルと数人の護衛騎士を引き連れ、アリスタルフは後宮の廊下を進む。困惑するジャンナの侍女には、〝皇妃には、後程詫びの品を届けさせる〟とだけ告げてきた。ジャンナの機嫌取りは些か骨が折れるが、それよりも何よりも――……。

「……リーナの元へ行く」

 呟くように告げたアリスタルフに、僅かに瞳を大きくしたミハイルが苦笑を浮かべて〝では、先触れを……〟と告げる。

「今宵の不寝番に、リーサを起こさずとも良いと伝えろ」

 続けたアリスタルフに〝御意〟と目礼し、ミハイルが歩みを早める。アリスタルフの訪れを不寝番に伝えるために先に向かったミハイルの背を眺めながら、アリスタルフは自嘲めいた笑みを溢した。ただ寝るだけであるのなら、己の部屋へ戻ればいい。しかし、ラリーサの傍らの居心地の良さを――あのぬくもりの傍らが、一番よく眠れるのだということを知ってしまった。もしかしたら、己のはもう一人寝など出来ないのではないのだろうかと心の中で苦笑して、アリスタルフはほんの少しだけ歩く速度を速くした。


◆◆◆


 もぞりと、何かが布団の中に潜り込んできた気配に、ラリーサの眠りが浅くなる。ゆるゆると意識が浮上し、薄っすらと瞼を持ち上げたラリーサは、己が背後から何者かに抱きしめられていることを知る。何者とは言っても、ラリーサの寝台に入り込めるのは、アリスタルフだけなのだけれど……。

「……アル様?」

 寝ぼけ眼で背後を振り返ったラリーサの鼻先を香水の香りが掠める。その香の強さに思わず眉根に小さな皺を寄せてしまったラリーサに、アリスタルフが申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「……すまない。起こした」

「いえ……別に、それはよいのですけれど……」

 〝今週はいらっしゃらないと聞いていたのですが……〟と困ったように笑ったラリーサが、アリスタルフの腕の中でもぞもぞと体の向きを変える。

「何かあったのですか?」

 目元にかかったアリスタルフの前髪を指先で横へ流し、ラリーサがふわりと小さく欠伸を溢す。

「特には……何も、ない。ただ……」

 幼子が我儘を言うように口をへの字に歪めたアリスタルフが、ラリーサの胸元に顔を埋める。

「……実は……他の者の気配がすると眠れない」

 ポソリと呟かれた言葉に、ラリーサが僅かに目を見張る。

「……あの。では、私のところよりご自身のお部屋の方が眠れるのでは?」

 〝気づかなくてすみません〟と告げたラリーサに、アリスタルフが〝いや〟と首を横に振る。

「……なぜか、リーサは平気なんだ。むしろ……ここの方がよく眠れる」

 〝だから来た……〟とか細い声で呟いて、アリスタルフが一つ柔らかな息を吐く。あぁ、落ち着く。鼻先を埋めた胸元から香る柔らかな香りがゆるゆるとアリスタルフの眠気を刺激する。

「アル様?」

「……ん」

 ラリーサの呼び声に返された声は、すでに眠気を帯びている。ラリーサは〝あらあら、まぁ〟と小さく苦笑し、アリスタルフの頭を抱き締めるように腕の中に包み込む。アリスタルフから香る妃の残り香は、ラリーサの苦手な類のものだ。あまり強い香りが得意でなく、香りの種類によっては頭痛を発症するため、出来れば身を清めるか何かして匂いを流してから来てほしかったのが本音ではあるが……。

「今日のところは、仕方ないわねぇ」

 そう呟いて、ラリーサはすでにすぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立てているアリスタルフの髪へ〝おやすみなさいませ、アル様〟と唇を落とした。

翌朝、ジャンナ皇妃は怒り狂うと思われ……。

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