22.祝いの宴➂
「アリスタルフ陛下。御挨拶させていただいてもよろしいしょうか?」
人好きのする笑みを浮かべて近づいてきた青年に、アリスタルフはほんの少し警戒を交えた笑みを浮かべて〝もちろんだ〟と答える。
「一昨日の成婚の儀は、とても素晴らしいものでしたね。ラリーサ陛下がこれほど美しい方だとは。いやはや、アリスタルフ陛下が羨ましい」
にこやかな笑みの中、探るようにラリーサへ視線を向けた青年に、ラリーサはにこやかに微笑むと〝まぁ。お上手ですねぇ〟と返す。
「リーサを褒めてくれるのは嬉しいが、そのようなことを言って。夫婦仲が悪くなっても、私のせいにしないでくれよ」
〝後ろで、ガリーナ姉上が睨んでいる〟と軽口を交えたアリスタルフに、己の背後を振り返った青年――シュマーコフ公爵家の嫡男であり、皇太后が産んだ皇女を妻に持つカミッロ・シュマーコフが、優しく瞳を細めて〝もちろん、私にとっては君が最高の女性だよ〟と己の妻に手を伸ばす。
「妻とともに改めてご挨拶させていただきます」
妻――アリスタルフの腹違いの姉であるガリーナの手をとり、カミッロが改めて礼をとる。それに倣い、少々不満そうではあるがカーテシーをしたガリーナがじっとりとラリーサのドレスに視線を巡らせた。
「……〝后〟が身に着けるには、些か地味なのではなくて?」
第一声がそれかと突っ込みたくなる物言いだが、皇太后の娘でヴェネジクトの姉であるならば、この態度も頷けるというものか。そんな妻の態度に、カミッロは苦笑を浮かべるだけで咎めることはない。ガリーナを妻に迎えいれていることからわかるように、シュマーコフ公爵家は〝皇太后派〟〝第四皇子派〟だ。この程度のことならば、特にフォローを入れることはないと思っているのだろう。
「あら。そうですか?先ほど、シュマーコフ公爵には褒めていただいたのですよ。私、髪も瞳の色も黒でしょう?あまり派手な意匠は似合わなくて」
〝ガリーナ様のように、なんでも似合う容姿であったら、よかったのですけれど〟と微笑んだラリーサに、ガリーナが僅かに頬を引きつらせる。単に容姿を褒めただけのようにも取れるし、〝そんな派手なドレス。私には無理〟という意味にもとれる。どう取られてもよいと思って口に出した言葉だが、どうやら後者にとったらしい。
「このドレスは、私が贈ったんだ。地味だろうか?布も刺繍の糸もレースも最上級の物を使って作らせたのだが」
「私は気に入っていますよ。ダンスの時に、ふわりと軽やかにスカートが揺れるのです。私、鏡の前で何度も回ってしまいましたわ」
コロコロと笑ったラリーサに、アリスタルフが〝私にも見せてくれ〟と己の腕に添えられているラリーサの手をとり頭上へ持ち上げる。
「あら。ふふふ」
楽し気に、くるりとその場でターンして見せたラリーサを、アリスタルフが〝美しいな〟と褒める。
「この後のダンスが楽しみだ」
「私も、陛下と踊るのが楽しみです」
互いに視線を合わせて微笑み合う二人に、ガリーナの眉根の皺が僅かに深くなる。
「カミッロは、いつまで帝都にいるんだ?普段は、領地にいるのだろう?」
ラリーサの手を己の腕へと戻したアリスタルフが、カミッロに問う。
「しばらくは滞在したいと思います。妻にとっても、久々の帝都ですし」
カミッロは、皇宮に詰める父・シュマーコフ公爵に代わり、領地運営をしている。その妻であるガリーナも、東部にあるシュマーコフ領で過ごしているのだ。
「このような時でないと、母上や兄上とゆっくりお話が出来ませんから」
〝このまま帝都にいたい〟という思いが言葉の節々から滲み出ている。そんなガリーナに、カミッロは微苦笑を浮かべるだけで何も言わない。少し話をしただけで、ガリーナの気の強さは理解した。カミッロにとって、皇女であるガリーナを妻に迎えているというだけで利があるのだろうし、余計な波風は立てなくないのかもしれない。〝外に、妾を囲ってそうね〟などと失礼なことを考えながら、ラリーサは〝ならば〟と強請るようにアリスタルフの顔を見上げた。
「私、かねがね皇族の皆様と顔合わせの場を設けていただきたいと思っておりましたの」
「あぁ。確かに、そうだな。ならば、食事の場を設けよう。ガリーナ姉上もぜひいらしてください。公爵家へ降嫁したとはいえ、私の姉であることには変わりないのですから」
〝アクサナ姉上にも声をかけますよ〟と続けたアリスタルフが、カミッロに〝いつまで帝都に滞在するか、後で教えてくれ〟と告げる。それに〝仰せのままに〟と頷いて、カミッロは少々ご機嫌斜めのガリーナを伴ってその場を離れていった。
「私のことが気に入らないようですねぇ」
「ガリーナ姉上は、俺の全てが気に入らないだけだ。リーサだからというわけではないさ」
ゆったりと踵を返したアリスタルフが、〝これで、とりあえず、憂鬱な身内との挨拶は終わったな〟と小さく息をつく。
「あとは、ネストル兄上を紹介したいんだが……」
〝ミハイルが出席の返事がきたと言っていたから、どこかにいるはずなんだ〟と、アリスタルフがそれとなくホール内に視線を巡らせる。
「こういう華やかな場が苦手な方だからなぁ」
〝俺もだが〟と息をつき、アリスタルフはしばし考え込んだ後〝……いるとしたら、あそこか〟と呟く。そして、ラリーサの腕を引くと〝少し、休もうか〟と言って足をバルコニーの方へ向けた。
◆◆◆
「おや。主役が抜け出してきていいのかい?」
バルコニーには先客がいた。アリスタルフよりくすんだ色をした銀色の長い髪を緩く一つで束ね、薄いレンズの片眼鏡をつけた男性が柔らかく瞳を細める。
「それはこっちのセリフですよ」
〝いい歳なのですから、かくれんぼはやめてください〟と苦笑したアリスタルフに、その男性――先々帝の第二皇子であるネストルは、〝こういう場は苦手なんだよ〟と微苦笑を浮かべる。
「だが、そうだね。ここに逃げ込む前に、挨拶はすべきだった。無礼を謝罪致します」
そう言って、ネストルがラリーサに向けて腰を折る。
「気にしておりません。ちょうど、私も一息つきたかったところですし」
〝私たちも飲み物をいただきませんか?〟と微笑んだラリーサに、アリスタルフが〝あぁ、気づかなくてすまない〟と告げ、バルコニーとホールを繋ぐガラス扉の向こう側に控えているミハイルの名を呼んだ。
「俺とリーサ、あと兄上にも、何か飲み物を持ってきてくれ」
「承知いたしました。ネストル殿下は、今お飲みになっているものと同じでよろしいですか?」
「なんでも構わないよ。アルと、ラリーサ妃と同じもので」
ネストルの言葉を受けて、ミハイルが一礼してその場を離れていく。
「……もしかしたら、兄上は来て下さらないかと思っていました」
口元を緩めたアリスタルフに、ネストルが〝お前の成婚式でなければ、欠席しただろうね〟と肩を竦める。
「昔も今も、皇宮は窮屈で煩わしいばかりだ。……お前を残してさっさと逃げた私を、怒っているかい?」
冗談交じりの声音で問うたネストルに、アリスタルフが〝いいえ〟と首を横に振ろうとし――〝そうですね。少しだけ〟と苦笑する。
ネストルは、第五側妃の子だ。第一皇子と同じ年に生まれたこともあり、アリスタルフと同様に皇位からは遠い位置にいた皇子だ。先帝である長兄のスピリドンとの仲は良好で、先帝の御代では執務の補佐をしていたくらいだ。政務を回す能力は高く、人を見る目も確かだ。だが、ネストルはスピリドンの葬儀が終わるとすぐに一切の国務から手を引き、直轄地にある別宮に引き籠った。
アリスタルフとしては、ネストルに政務を手伝ってもらえれば心強いと思っているのだが、本人にその気がないのに強要はしたくない。ネストルがギスギスとした皇宮の空気を嫌っているのも知っているから、なおさらだ。
「……ご家族は元気ですか?ヴァレリーとイヴァンは、一緒に来ていないのですか?」
アリスタルフが、甥たち――ネストルの二人の息子の名を口にする。
「連れてくるつもりはなかったんだが。ルフィナやイサークに会いたいと強請られて、連れてきた」
「あぁ、あの二人とも仲がよかったですからね」
先帝の遺児である皇女と皇子の顔を思い浮かべてアリスタルフが小さく頷いたところに、ミハイルがグラスが3つ乗ったトレイを手に戻ってくる。
「お待たせいたしました」
「それほど待っていないよ。ありがとう」
アリスタルフとラリーサがグラスを手に取るのを待って、ネストルが開いたグラスをトレイの上に乗せ、変わりに新しいグラスを持つ。
「久々の再会と、ラリーサ妃との出会いに……ということでいいのかな?」
ふふっと穏やかな笑みを浮かべたネストルのグラスに、微笑みを浮かべたアリスタルフとラリーサが軽くグラスをぶつける。それぞれ、一口アルコールに口に含み、誰ともなくホッと息を吐いた。
「……兄上は、いつまでこちらに?」
「出来るだけ早く戻りたいと思っているが……お前は許してくれるかな?」
「改めて、リーサと皇族との顔合わせをしようと思うのです。食事会を開こうかと。ルフィナとイサークも出席させようと思っているので、兄上もヴァレリーたちと出て下さい」
「家族との顔合わせか……あまり消化によくない食事会になりそうだ」
苦い笑みを浮かべて溜息をついたネストルに、ラリーサが〝まぁ〟と言ってクスクス笑う。
「では、せめて料理は最高のものをご用意しなくてはいけませんわね。アル様の専属シェフと相談してもよろしいでしょうか?」
〝お子様たちが食べられないものがありましたら、教えて下さいね〟とラリーサが笑みを深める。
「……あの者たちから標的にされるのは、あなただろうに。あえて顔合わせなどしなくてもいいのでは?」
心配そうにラリーサを見やったネストルに、ラリーサは〝ご心配痛み入ります〟と軽く膝を折る。
「ですが、私、肝は据わっている方ですの」
〝嫌味の十や二十程度で、気落ちするようなことはありません〟と笑い、ラリーサは〝あ、次は、アル様も一緒に悪口予想大会をするのでしたね〟とアリスタルフへ微笑みかける。
「悪口予想大会?」
困惑気味に眉根を寄せたネストルに、クククと喉を震わせながらアリスタルフが説明する。
「言われるであろう〝悪口〟を事前に予想して、いくつ当たったか競うのだそうだ。今夜の宴に挑むにあたり、リーサが侍女と競っている」
〝頼もしいでしょう?〟というようにラリーサに微笑みかけたアリスタルフに、ネストルが驚いたようにその双眸を瞬かせる。
「なるほど。ミハイルが絶賛するわけだ」
納得したように頷いたネストルに、ラリーサが〝あら。どんなことを言っていたのか気になりますね〟とチラリとミハイルが控えている方へ視線を向ける。
「アルには絶対に必要な方だと、力説していたよ」
「……いつの間に、ミハイルと話をしたのですか」
〝俺は、何も聞いてないぞ〟と小さく唇を尖らせたアリスタルフに、ネストルが〝宴の前に少し立ち話をしただけだよ〟と笑う。
「いいよ。食事会が開かれるまでは、帝都にいることにしよう。ヴァレリーたちも喜びそうだ」
〝妻も連れてくるべきだったかな〟と続けたネストルに、〝義理上は、嫌がるでしょう〟とアリスタルフが苦笑する。ネストルの妻は、男爵家の令嬢だ。皇族に嫁ぐには、些か地位は低い。だが、二人はひっそりと穏やかに愛を育み、そして思いを実らせた。
「帰る際は教えて下さい。義理上にお土産を用意しますから」
〝リーサ、一緒に選んでくれ〟と告げたアリスタルフに、ラリーサが〝喜んで〟と首を縦に振る。
そして、三人はグラスが空くまでの僅かな時間、おしゃべりを楽しむと、アリスタルフとラリーサはホールへ戻るため、ネストルは己の離宮へ戻るために、バルコニーを後にした。
宴の話は、次で終わりの予定。次はいよいよ、ジャンナ皇妃とバチバチします。
【ここまでに(名前が)登場したトリーフォン帝国の皇族】
・皇太后 ⇒ 先々帝の后。第3皇子、第4皇子、第2皇女の母。
・スピリドン ⇒ 先帝。先々帝の第1皇子。母は、第2皇妃。数年前に薨去。2人の遺児(ルフィナ皇女12歳、イサーク皇子5歳)有。
・ネストル ⇒ 先々帝の第2皇子。母は、第5側妃。既婚。2人の息子(ヴァレリー10歳、イヴァン7歳)有。30歳。
・アクサナ ⇒ 先々帝の第1皇女。母は、第1側妃。既婚。チェレプコフ辺境伯夫人。28歳。
・ガリーナ ⇒ 先々帝の第2皇女。母は、皇太后。既婚。シュマーコフ公爵家の嫡男の夫人。25歳。
・ヴェネジクト ⇒ 先々帝の第4皇子。母は、皇太后。既婚。子どもも何人かいる。23歳。
・アリーサ ⇒ 先々帝の第3皇女。母は、第3皇妃。アリスタルフの同腹の妹。イリダール王国へ嫁す。16歳。




