15 魂の行方
「オベルガイア…やれ」
不審者より一つの命令が下される。空気中の禍々しい『異素』が一気に変質する。
『異素』が自身で変化することはなく、変化するとすればそれは『異素』に影響を及ぼす『異元』が変わったという事。つまり、異変の元はオベルガイアにあった。
花蓮達が逆鱗に触れさせた事により、白から濃い赤色に染まった皮膚が、さらに浄化されたように薄い緑へと変化していく。そして、緑色をした血管のような薄い管が体中に浮かび上がる。
身体の中心にいくほど太くなっていくそれが、丁度背中のあたりで集合するように徐々に隆起していく。
何本も生えていた触手はどこかにしまわれたのか完全に姿を消し、同様に体中を覆う強酸の液体も役目を終えたかのように乾き、消失していた。
オベルガイアの背に、数多あった触手の代わりに出現したのは大きな腕とも見えるモノだった。
というのも、その腕にあたる太い茎のような、柱のようなそれが、関節よろしく途中で折れているのだ。それに先端には指のような、五つの薄い花弁がついており手のひらの部分は口にも見える穴がぽっかりと開いている。
その大きな腕の根元から、新たに触手が生える。だが今までのものとは大きく異なり、六、七本あるそれらは皆一様に同じ形態をとっていた。
大きな柱が発光し始めるにつれて、触手も呼応するように淡い緑色を帯びていく。少し膨らんでいる先端の方はひと際強く光っており、その触手が花蓮を捉えようとしたその時、事は起こった。
「ッ!?引け、オベルガイア!」
「もう遅いッ!」
突如、地面から現れた先端の二枚の植物の刃がハサミのように触手を切り取り、先程まで力なく横たわっていた花蓮がバッと起き上がる。
次いで跳躍力を生むことの出来る『災害種子』を成長させ、バネを用いてジャンプするようにすぐさま距離をとった。
「よ、っと…大丈夫?翔璃君」
「……ああ、おかげ様でな。すまない、助かった」
「こういう時はありがとうでしょ、馬鹿」
霧の状態から戻る翔璃。花蓮が自分の『異跡』を用いて触手から逃れた時にはもう既に彼の傷は癒され、霧になっていた。花蓮もまた同様に腹の傷は癒え、空いた穴は塞がっている。
「女の子のお腹傷つけるとか本ッ当ありえないんだけど……アレがなかったら一体どうなっていたことやら…」
「全くだな…やはり事前に仕込んでおいて正解だったという事か」
あれだけの傷を受けておきながら、何故二人が無事なのかという疑問は一瞬で解決した。
まず不審者は地面にいくつかあったか、あるいは花蓮自身が携帯していたいくつかの『災害種子』に強い『異元』を『異元感知』で感じ取っていたからだ。
何かの切り札か、それか強力な効果を持つ植物なのだろうと気には留めていたがまさか前者で、自身を回復させるためのものだったとは想定していなかった。
元来、種子とはエネルギーの塊。花蓮はそれを『異元』の器として活用し、元々貯めておいた自身の『異元』を身体に注入して組織の回復を促したのだ。
翔璃もあらかじめ自分の『異元』を花蓮の『災害種子』に閉じ込めてもらっていた。
「…ここまでしぶといとは。ますます感嘆……いや、期待してしまうな」
「貴方、何を企んでいるかは知らないけどね!そう簡単にはいかないのよ、ウチの生徒会のツートップは!」
びしっと言ってやる花蓮だったが内心は穏やかではない。実際隠してあった奥の手も使ってしまったし、次はないだろう。
そも、相手が高度の『異元感知』を持っている時点で自分たちが何をしようとするかバレやすい傾向にある。
同じ手は効きにくく、かといって有効な『災害種子』の残弾も限られている。翔璃の体力もかなり削られているし正直ジリ貧。助けてください早く!と冷や汗が流れっぱなしだった。
だが、
「…確かに、簡単にはいかなかったな…もう抵抗されても面倒だ。オベルガイアもこの形態にしてしまった事だし」
ついに時間切れのブザーが鳴る。
「……そうだな、お前たちには褒美をやろう。俺の『異跡』の真髄を、ほんの少し見せるとするか」
ゾッ!!っと全身の毛が逆立った気がした。一気に血の気が引いていく。
原因は当然、目の前の男。今ならあのオベルガイアが雑魚に見える、そう一瞬思ってしまう程に強烈な『異元』。意識が飛ばなかったのが奇跡なくらいのモノだった。
「な……ッ、こ、こんなの……ありえない……ッ」
「こんな『異元』、あってたまるか…ッ!」
立っているだけで精いっぱい。もはや質量すら感じるあまりの強大さに頭が真っ白になる。
その空間に存在しているだけで何らかの『圧』を感じる。不審者からの圧倒的な『異元』で変化をきたした『異素』が空間を埋め尽くした時に、地獄が始まった。
「『空間召喚』」
刹那、文字通り世界が変わった。
視界が真っ赤に染まる。立ち込める灼熱の空気。所々周りに見える光が、超高温で溶かされてる岩石だと気づくのはたっぷり数秒を費やした。
今、花蓮達がいるのは大きな岩石の上。その周りは全て溶岩の海だった。
「何が……か、ァ…ッ!?」
「うぐ…ぅッ!」
そこは1千度以上の世界。当然何もかもが危険である。
漂う空気は吸い込むだけで喉を焼き、肌を焦がす。髪の端は発火し始め、眼球が一瞬で干からび視力が失われる。ゴポゴポと音を立てて、発光しながら彼女たちの足元近くを流れる溶岩は一滴触れただけで取り返しのつかない事になる。
当然、『異元展開』で身体強化し、尚且つ精神体である彼女たちは通常ならばこのような環境でも対応しうるのだが、問題は不審者によって汚染された空気中の『異素』だった。
「この世界のある場所を召喚したのはいいが……俺の『異元』のせいで少々影響が強くなってしまったか」
『空間召喚』。
召喚系の『異跡』において、最上位の一つとされるモノ。芯一から名前だけ聞いたことがあった二人だが、いざ目の当たりにし、これ程の威力だとは想像すらしていなかった。
不審者の彼が召喚するのはいわば『環境』そのもの。本来、人間や動植物が適応すべき絶対的な上位互換を彼は自ら思うままに設定できるのだ。
彼が行うのはあくまで召喚であるため、小世界の創造といえば少し異なるが、それに近いものはあるだろう。
『異怪』を召喚したのも根本的には同じ『異跡』の仕様である。元々召喚する『異怪』に召喚するマーカーをつけていたか、あるいはその『異怪』の巣やら群れやらがいる空間を丸ごと召喚したか。
不審者の場合、前者がランクが高い『異怪』、後者がランクの低い『異怪』で使い分けていた。
そう二人が感づく間もなく、業火に身を焼かれるような感覚が全身を苛み続ける。瞼を開けようにも開ければ灼熱の空気が眼球の機能を奪い、声を出そうにも口を開けば同じく喉が熱でやられてしまう。
こんなにも自分たちは空気に依存しているのかと自覚すると同時、それがたちまち害になるとこんなにも影響があるのかと身をもって実感した。
あまりの痛みに目の端に涙が溜まる。全身を苛む灼熱は肌を余すとこなく蹂躙し、特に手の端や鼻の先などは被害が甚大だ。ヒリヒリするとかそういうレベルではなく、いわば超高温の石や火で加工している途中の鉄を直に当てられているような感覚。粘膜も焼き切られ、完全に身体の全防衛機能が意味を成さなくなっている。
ダメだと分かっていながらも身体から力が抜ける。下は天然のフライパン。自分たちが焼き色のついた肉塊に成り下がる未来を予期しながらも花蓮達は耐えきれず、地面に崩れ落ちた。
「う……ぐ、ぅ…ッ」
「うぅ…、ゲホッ、っは……ぁッ」
蓄積されたダメージに思わず声が漏れる。彼女達は身を焼かれる覚悟をしていたが、丁度倒れる直前、花蓮達の周りだけ空間が校庭に戻っていた。
それにより自分たちが焼肉にならずに済んだのは幸いだったが、蓄積されたダメージは馬鹿にならなかった。
「……二人とも、まだ息はあるようだな」
パチン、と彼が指を鳴らすと元々存在しなかったかのように残りの溶岩地帯の空間が空気に溶ける。全身に火傷を負った二人はかなり重症だが、かろうじてまだ存命してはいる。
実際、不審者ほどの『召喚士』でもこの二人をこの状態にするのに少し手間がかかったのと加減の調整が難しかったのはあった。思ったよりしぶとく、また期待できるのも事実。オベルガイアの準備も万全。
これでようやく、パズルのピースが作れるというもの。
「……少し時間が押しているが、今度こそ始めよう」
不審者がオベルガイアに視線を投げる。それに呼応するかのようにオベルガイアの全身がひと際薄緑色に輝き、活性化してく。蛍光塗料でも塗ったかのような淡い輝きを見せる細い触手が二人を掴み、天高く掲げた。
次いで、動きがあったのは背に生えた大きな柱。花弁の様な形の先端部分からまた新たに小さな触手が二本生える。それは徐々に伸びていき、二人の顔に向かっていく。
今この瞬間から、悪夢と呼ばれる運命の流転が始まる。
「がッ…ぼ……ッ!?」
その小さな触手が二人の顔に到達したかと思うと、先端部分がガバッと拡張し花蓮と翔璃の顔を飲み込む。触手の内部は液状になっており、二人の口から空気が漏れる。
否、漏れ出したのは空気だけではなかった。空気に混じって、何か青白いような塊が口から伸びる。それが見えた瞬間、今まで少しの抵抗を見せていた二人の腕と足は完全に脱力し、だらんと垂れた。
「ついに、始まったか……魂の交換が」
目を細め、呟く不審者。
十分な量の青白い塊が彼女らの口からとれたとオベルガイアが認識すると、小さい方の触手を顔から引き離した。それと同時に、三本目、四本目の新しい触手が再び二人の顔に近づく。
完全に意識を失っている二人から抜け出た青白い塊が、ゆらゆらと不規則に揺れながらまだ糸を引くように口から伸びているそこに、新たに追加した三、四本目の触手が付着した。
オベルガイアの背の柱から生える、計四本の触手が魂の交換を行う中で、段階は最終フェーズに移行する。
最初の二本が花蓮と翔璃から彼女ら自身の魂を引き離す役割。後から追加された二本は新しい魂を二人に埋め込むためのモノ。当然、三本目と四本目には別の魂があらかじめ入っている。
そして抜き出した魂の根元に新しく交換する魂を接続したら概ね完了。後は未練がましく元の身体にこびり付いている彼女らの魂の線を、オベルガイアの大釜で切り取れば完全に魂の交換は終了する。
新たに接続された魂は新しい宿主を見つけ、そこを次の居場所と認識する。その工程に少々時間がかかるが、時期終わる。
新しい魂との相性、個体差があるため一概に時間は何分とは言えないが相性の良し悪しは先程の戦闘でオベルガイアも理解していだろう。故に、オベルガイアが持つ中で最も二人に相性のいい魂が摘出される。
そして、新たに追加され二本の触手の中にある別の魂と、花蓮達の魂がついに同化し始めた。
「締めだ。やれ、オベルガイア」
不審者の声に行動で返事をするオベルガイア。戦闘中には扱われなかった、上半身についている二対の大釜が動く。
花蓮と翔璃の口から続いている細く、青白い線を刈り取るべく、折り畳んであったそれらを大きく振りかぶる。
あとは振り下ろすだけ。重力に身を任せればいいだけの至極簡単な話。
だが、オベルガイアは身動き一つとれないでいた。その原因は彼の一声。
『待 て』
どこからとなく聞こえる特大の『異元』が乗ったその声は、容赦なくオベルガイアの行動を縛った。
「…誰だ、最後の最後で……ッ!」
不審者の眉根が寄る。彼の『異元感知』を以ってしても感じ取れなかった『異跡』。それもオベルガイアをも縛る超強力なもの。
「そりゃ気づかねェだろうよ、そもそも別の次元から来てんだからよォ」
「全く…ルダも一筋縄ではいかなかったな。ランクは…そうだな、高く見積もってⅨあたりか」
ピシ、と空間にヒビが入る。徐々にその割れ目は大きくなり、ついに『G,1』の蹴りでガシャァアンと軽快な音を立てて瓦解した。
ひび割れた風景の向こうには『G,1』、校長、祓間の三人。深い奈落のような闇が奥に広がっている空間から、彼らは本当の次元へと足を踏み入れる。
そして、どさっと何かが落ちる音がした。『G,1』の足元には一匹の『異怪』が。
見た目は、一言で言えばツチノコに近いものだった。色は黄色より少し暗い山吹色。背にはその色に混じって独特な模様が描かれており、全長はおよそ五十センチほど。尻尾がその三分の一を占めており、長い舌を出してキュウと目を回している。
「まさか、ルダの正体がこんなちんちくだったとはなァ」
「…馬鹿な、幼生とはいえあのルダから脱出しただと……?」
困惑の色を隠せない不審者。それに対し得意げな笑みを薄く広げる『G,1』。
「おうよォ、ったく相変わらず大変だったぜ…コイツの身体から出るのはよ」
○○○
時は少し前に遡る。
校長、『G,1』、そして祓間は現在、無我夢中で学校の廊下を走っていた。それも後ろに大量の『異怪』を引き連れて。
学校の教師である校長という立場故、廊下を走るという行為は非常に彼の精神上宜しくないのだが今は時と場合だ。
だが、それは明確な理由があってからこその例外であって、今のように何も理由を聞かされず排除できる敵をひっつけてただひたすら走るというのは、彼にとっては何とも不毛な話であった。
「おい、『G,1』!何故私たちがあんな雑魚共相手に背を向けねばならんのだ!」
「まァまァ、落ち着けってェ旦那。俺が今の状況下で意味のない行動をとると思ってんのかァ?」
む、とそう言われ口を閉じる校長。今までの腐れ縁の中で、確かにコイツの行動には例え身勝手と思われても実は意味のある事が多い。何だかんだ、『G,1』も先の事を色々と考えているらしい。
「それにな、今『異元』を消費するのは得策とは言えねェ。後々どっち道必要になるからな。特にお前は節約しとけ」
「……それはいいが、少なくとも今我々がどこに向かっているのかは教えてもらおうか」
「…ん?いや知らんが」
「……………」
一瞬でも気を許した自分が馬鹿だった、と校長は頭を抱える。そうだった、こういう事をたまにするから未だにコイツは全面的には信用できないのだ、と再度認識を改める校長。
明らかに失望した彼の顔を見て、何の落ち度が俺にあるんだと言わんばかりに疑問符を頭に浮かべている『G,1』は走りながら言葉を加える。
「…何を誤解しているかはさておき、取りあえず俺はきちんと目的を持って走ってるぜ?今重要なのは、俺たちがどれだけ『異怪』を引き付けているかだ……もうそろそろ、いいんじゃねェか」
目をつけられてる『異怪』の数はざっと三十匹程度。それらが群を成して一斉に向かってきている。だが、それらは全員ランクはそう高くはない。高くてもⅣあたりがちらほらいるくらいだ。
勿論、校長たち一行は今廊下を走っている訳であって、その全部が全部お行儀よく彼らの後ろに並んでいる訳ではない。窓の外からこちらの様子をうかがっている者、先回りして攻撃の機会を待っている者、等を含めての三十匹だった。
「………、どういう事だ」
「…あの、ここはルダという何かの体内、という事で宜しいですか?」
校長と『G,1』の会話に祓間が割って入る。体力的にも周りの『異素』の濃度的にも生身では相当危険なため、彼は『G,1』が作った結界の中に未だ納まっていた(布一枚を纏っただけの体育座りで)。
その結界も自立歩行型とは少し異なるが、『異怪』に追い付かれないよう今も凄まじい速度で走る校長と『G,1』の跡をぴったりとついてくるよう宙を浮いている。
「お、何だ…あーっと、名前なんだっけお前」
「祓間です。あと結界?に入らせてもらってありがとうございます」
「あぁ、うん…いや、それはいいんだがよォ、何か勘付いたか」
「…まぁ、憶測のようなものですが。結論から言って、今我々を狙っている怪物たちは体内の防衛機構のようなものではないのか、と。例えば、血液中の白血球の様な役割などではないのでしょうか」
「……ほォ?その根拠は」
『G,1』の口端がニヤリと釣り上がる。彼の問いに対し、祓間は少し間をあけてから答えた。
「これも推測の域ですが…先程、お二人は空間にできる謎の歪み……『鳴動』、でしたか。それらを次々と切り抜けていったからだと思います。それがうまく作動せず、体内で害を成す我々を削除できなかった。故にこの身体の主は次の策として、怪物たちを呼び出したのかと。そう仮定すれば、『鳴動』と呼ばれていたモノがなくなった後、急激に怪物が増え、こちらを執拗に付け狙ってくるのも頷けます」
これには校長も舌を巻いた。いや、彼も内心気づきかけてはいたのだが焦りと不安が的確な思考を邪魔していたのだ。
それを抜きにしても、彼にとって何もかもが未知な世界で、ここまで冷静に要素を分析し予測につなげる事が出来るのは素直に驚嘆に値する。それもかなり筋が通っているときた。
教え子の危機から来る焦りで前が見えなくなりつつあった校長には、冷水を浴びるいい機会となった。
「…合格だ、祓間とやら。八割正解!その眼鏡は伊達じゃないようだなァ」
「…伊達ですけど」
「いや伊達だったのかよ」
(割とどうでもいい)衝撃の事実に若干出かかっていた言葉を引っ込める校長。堅実そうな彼が何故、と思考がよぎるが今は関係ない。ゴホン、と咳ばらいをし気を取り直す。
「……残りの二割、というのは『鳴動』が『召喚異跡』だという事だな、『G,1』」
「お、祓間に妬いてやっと冷静になったか、マーちゃん」
「……妬いてはないが。ああも何度も直で見ていれば誰だって気づくだろう」
そう、あの歪み…『鳴動』は大規模な『召喚異跡』の前兆。アレに飲み込まれたが最後、自分を含めた空間ごと別の場所へ強制的に移動させられてしまうという事だ。
厄介なのは、どこに移動…召喚されてしまうのか、という話。それこそ出口のない部屋のような所に行ってしまえば詰み。
また、『異怪』が大量にいるところのド真ん中というのも避けたいし、ここが体内と言うのであれば消化器官系統の場所は行った瞬間にBADEND直通コースになってしまう。
今走っているこの廊下も、見てくれがそうなだけで実際は全く異なる場所なのだ、と『G,1』は言う。
もう既にここが体内だというのなら、我々がどこを走っていようと安心できる場所はない、と校長は眉を顰める。
つまり、我々だけならまだしも子供たちが心配なのだ。彼らは訓練をさせているが、このようなイレギュラーに無事に対応できるかと言われれば自信を持ってはい、とは言えない。通信方法もない今、この広い校舎の中で合流できているかも怪しい。時間もかなり経ってしまっている。我々ですら翻弄されているのだから、まだ幼いあの子達が気がかりでならない……
「ォーい、マーちゃん?…オイ、マーズさんよォ!」
「…ッ、ああ……すまない。少し考え事をしていたようだ」
「おォ~い…しっかりしてくれェってンだ……、で、だ。そろそろだ。この辺でどっか…、こう、広い場所はねェのか?コイツら一掃できそうな感じの」
「広い場所…?ああ、それなら、というかこの場所がまだ私の記憶通りの校舎ならば、そこを左に曲がって真っ直ぐの場所にエントランスホールがある」
割と近年に設立された我が校の、無駄に凝っており広いエントランスホール。その広さなら十分なはずだ。
「よッしゃ、なら飛ばすぞ!あんま時間がないっぽいしなァ!」
ギュン!と『G,1』が速度を上げる。その前傾姿勢で走る姿は寧ろ、飛んでいると言った方が近いかもしれない。自身に結界をかけ、走る事によって受ける空気抵抗を極限まで少なくしているのだ。
しかし、校長もそれに追いつけない程鈍ってはいない。足腰あたりの『異元展開』を最大限に強化し、一駆けで数メートルを跳躍するような脚力を得る。
祓間もエントランスホールに入るのは既に慣れつつあるが、何度見てもこの学校のエントランスホールは少々目を奪われる。要は凝りすぎている、という点においてだ。
白をモチーフにした壁とディティールが細かい階段は清潔感を醸し、所々に置いてあるオブジェは初代校長の趣味なのか遺品なのか、妙に高級感がある。吹き抜けのようになっている造りは広々とした空間を感じるのに持って来いであるし、それらが見事に調和し、成す雰囲気はどこかの屋敷か城でもあるかの様な豪華さで映えていた。
このままこの造りに感嘆の息を漏らしていたい、そう思っていた。
ただ、明らかにこの場所に似つかわしくない異色を放つ奴らがいなければ良かったものの、と。
「…醜悪ですね。実に」
「……そう思うか?奴らの姿も数秒後には塵になっている。ある意味見納め時だぞ」
校長が返事を返す頃には、集まっていた『異怪』の運命は定まっていた。
「さァて……じゃあ大掃除といきますかァ…」
現在、彼らは挟み撃ちにされていた。後ろから追ってくる三十匹は下らない大量の『異怪』。
加えて、エントランスホールの方にも比較的体躯の大きい、ランクが高い『異怪』達が待ち伏せしていた。
「あァ、こっちにもいるのかよ……面倒クセェな、纏めるか」
刹那、後ろを阻んでいた『異怪』達が消えた。『G,1』の結界で広い方のエントランスホールに瞬間的に全員移動させられたのだ。
合わせて五十匹は超えそうな大量の『異怪』がその空間を埋め尽くし、右往左往している姿は正しく百鬼夜行。醜悪な『異元』を持つ彼らから来る、こみ上げる不快感は計り知れない。
だが、
「はい、ほなサイナラっと」
グシャッ!!!と。
何かが潰れるような、裂けるような、何百個のハサミで同時に何かを切ったような、そんな音。
『G,1』がスッと空に手を添えると同時、五十以上の『異怪』達は文字通り塵になっていた。
「…うっわ~……」
「…まぁ、気持ちは分かるがね、祓間君」
もうすごいとか、何とか、そういう次元を超えていた。中には数匹、ランクⅤもⅥもいたであろうに、それが一秒とかからず、蝋燭の火でも消すかのように一瞬で命を散らされていた。
「……全く。正直な話、私はコイツだけは敵にしたくはないと思っているよ。早く死ねばいいとも思っているがね」
「えェン!?今もしかして遠回しに俺の事褒めてくれたのォン!?いやァそんな褒めても何も出ねェよォンげっへっへェ」
「……貴様の耳と脳は大規模な手術が必要らしいな…」
結界とは、いわば固有の空間である。そこにどんな『異元』を流すか、またその量、質によって結界としての『異跡』の効果は変わってくる。
また結界士には、普通の『異跡』使いとは異なり、複数の種類の『異元』が存在している。それを組みあわせて初めて、多種多様な効果を持つ『結界』を作り出すことが出来る。
ことこの『G,1』に至っては、その規模は規格外と言っていい。普通では考えられない数の『異元』を持ち、それを組み合わせる事により『出来ないことはない一歩手前』の域にすら達しているだろう。
勿論、彼にも得手不得手はあるがしかし、出来ないと苦手だけど出来る、は雲泥の差である。
先程の結界も、ミクロ単位の斬撃が結界内で繰り広げられていた。外がダメなら中から。斬撃がダメなら必要に応じミクロ単位の爆破。それらが数万回、数億回コンマ数秒の間に行われていた。
「さーてェ、こっからが問題だが……っと、早速きたな、ルダの奴め」
大量の『異怪』が駆除されて間もなく、『鳴動』と似たような揺れが校長たちを襲う。だが、この『鳴動』は明らかに今までのモノとは違っていた。
「これは……ッ!?」
エントランスが崩れていく。否、世界そのものが崩れていくかのように、所々風景に真っ黒な穴が開いていく。
さらに特異なのは、振動によって崩れた瓦礫が重力に逆らっているかのように上に向かって浮遊していく事だ。重力場が乱れているのか、本来と逆になっているため、校長たちも例外なくその引力にさらされていた。
「オイ…どうなっている、『G,1』………ッ、全く、奴は何処に…!?」
周囲を見渡すが、すぐにでも見つけられそうな身長190センチ超えの巨漢の姿は何処にもない。校長もなんとかその場に留まろうと『異元展開』の強度を上げる。
だが、答えはすぐ上から降ってきた。
「あ~れェ~~」
「…………は?」
声の方を振り返ると、みるみる小さくなっていく『G,1』と祓間の姿が。必死に耐えているこちらをあざ笑うかのようにその場に身を任せている。
「何やってんだァ、早くこっちこォォォぃ」
「いや、何故だ!別の場所に召喚されてしまうぞ!」
「それが次の段階なんだよォォン」
中々言う事を聞かない年増を何とか結界を用いて自分たちの側に無理矢理移動させる『G,1』。
「そりゃ俺だって溶解液とかで溶かされるのはまっぴらゴメンですしィ?この場合は大丈夫だ」
「……ルダの知識がない手前、貴様に意見するのは愚行だな……」
「そゆこと♪…さ、そろそろ外に出るぞ、こっからが正念場だ」
何ッ、と校長が詳細を確認する間もなく周囲が『召喚異跡』の光に包まれていく。
そして、召喚された先はまさしく奈落であった。
否、と校長たちは瞬時に気づく。奈落のように見えるのは、自分たちが高所に召喚されたから。先が何も見えないのは、周囲が暗黒であるから。
しかし、『異元感知』を持つ校長と『G,1』はすぐ傍にある巨大な気配を感じ取っていた。
「………『G,1』、コイツが……」
「あァ、ルダの本体だ」
暗闇のせいもあるが、まず何より巨大すぎて全貌が見えない。体格差で言えば200対1くらいのモノ。純粋に高さのみで比べても、400メートルは下らない。
落下しながら、校長はルダを観察する。次第に目が闇に慣れてきたのか、容姿の一部がぼんやりと見えてくる。
まず、見えたのは下顎らしきものだった。そこから三つの大きな舌が垂れ、その舌の上にはざらざらした突起物がいくつも生えている。そしてもう少し視点を上にずらすと、今度見えるのはギョロリとした大きな目。
何者かに操られているのか定かではないが、その目はいくらか正気を失った色をしていた。校長らが体内を冒した不純物だと認識したのか、ルダは焦点が合った途端にギャオオオオオッ!!っと咆哮する。
耳をつんざくようなそれに顔をしかめながら、一喝。
『静 ま れ !』
瞬間、ピタッと先程の爆音が嘘のように鳴りやんだ。巨体な分、制するのにコストがかかるのか、かなりごっそりと『異元』を持っていかれる校長。
「くっ、寄る年波には勝てんか……」
「ま、今のお前にゃ上出来だァ!オラ、一気に決めるぜェ!」
出来た隙を無駄にはせんと、自らに結界をかけ、一気にルダの顔の前まで浮上する『G,1』。そして即座に、特大の結界をルダの顔全体を覆うように展開した。
「…これで暫くおねんねしてなァ」
ボンッ!!っと何かが破裂するような音がしたかと思うと、ルダの身体から力が抜ける。一言で言えば、麻酔。
厳密には、幾つもの『異跡』を複合させた精神的な作用を働かせるいわば幻術のような結界だが、相手を眠らせる、という結論だけみれば麻酔と置き換えても支障はないだろう。
「……いい判断だな」
「そりゃどうもォ。こんな面倒臭いヤツと戦ってる時間ねェしな…余裕ならあるんだが」
ズダン!と地面へ降り立つ校長たち。彼らくらいの年季の入った『異元展開』なら数百メートルの高さからの落下だって受け身なしで降り立つ事ができる。
そして、超巨大ビル倒壊もさながらの轟音を立てながら倒れ伏すルダ……の、筈だったのだが、その体躯は急激に縮んでいき、挙句の果てには両手で収まる程の小さい『異怪』に成り下がっていた。
「オイオイ…マジかよ」
「……この感じは、ルダが小さくなったのではなく、我々が大きくなった…いや、元の大きさに戻った、というべきかな」
ルダという『異怪』の発見も困難な訳であった。岩の影にでも容易に隠れられる上、気づかないうちに自分たちのサイズを縮められ、永遠に体内を彷徨わせられては報告の仕様もない。
「まァ何となく察しはついていたが……まさか本当に幼生だったとはなァ。このサイズは初めて見たぜ…成体だったらさっきの幻覚結界も効いてないんだが」
「……ともあれ、これで解決したわけだが……、ここからどうやって出ればいいのだ」
………、と沈黙が続く。ルダを倒しても辺りは暗黒のまま。変化が起きる気配すらない。
「…おい、『G,1』。当然ここから先も手はあるのだろうな。何も言わんからさっさと行動に移せ」
「……え~っとォ、ソウダナー、どうするんだったっけかなァ~………」
「…………」
「あっ、痛い。視線が痛いよマーちゃんマジで」
『G,1』もここがどこだかははっきりとは分からなかった。ただ、『元の世界とは完全に隔離された、次元の異なる亜空間』というのは何となく察しが付く。
あらゆる外部の干渉を阻害し、隔離する。さらに予測して言うなれば、ここはルダの巣のようなものではないか、と。
「……はぁ、全く。貴様ばかりに責任を問うても仕方あるまい。よくよく考えれば知識不足で何も出来ない私の方が責はあるというモノ。ここから先は私が何とかしよう」
やだ…マーちゃんオトナ……!と目をキラキラさせながら感動する『G,1』。美少女は何をしても可愛くなるというが、それをおっさんに置き換えるとこうも残念になってしまうのか、と傍から悟る祓間であるが、自分ももうおっさんに差し掛かりそうな年である事をどうやら彼も忘れているようだった。
「ではまずルダを起こす」
「おう…ってちょいちょォい!折角俺が眠らせたんですけどォ!?」
「大丈夫だ、私の『異跡』を甘く見てもらっては困る」
小さくなった途端子供の爬虫類のような愛らしさが顔を見せるが、そんな事は校長にとってはどうでもいい。合理主義を掲げる彼にとって、感情に縛られる事はまずないと言っていい。
『おい、起きろ』
声を浴びた瞬間、ルダはゆっくりと瞼を開ける。『G,1』がかけた幻覚がまだ抜けてないのか、意識は朦朧としているようだ。
『ここから出たいのだ。お前にとっても我々がここにいても邪魔だろう、出口を教えてくれるか』
ぼーっとした眼で校長を見据える。そして数刻経つと、のそのそと明後日の方向へ動きだした。校長たちもその後に続く。
「…なンだ、子供だからなのかァ?」
「さて…ですが、教育者の端くれとしては微笑ましい光景ではありますね」
祓間の仏頂面も少しばかり緩む。少し進むに連れ、チラ、チラときちんと後をついてきているか確認を取っているルダの子供。柄でもない、まるで子犬のようなそれは一同の空気を和ませた。
『ここなのか』
こくん、とルダは頷く。ここまで素直に案内してくれるとは『G,1』はおろか『異跡』で命令している校長さえも予想していなかった。
『……ありがとう』
校長はかがみ、ルダの頭をそっと撫でる。撫でられるという行為をされるのに慣れていないのか、されるがままにしているが、その顔はどこか嬉しそうで――
「そしてチョップ」
ギュッ!?とルダは白目を向く。突然の出来事にルダは勿論、周りにいた『G,1』や祓間も目を見開いていた。
「…良し」
「いや良し、じゃなくね!?流石に俺も今のは感じるモノがあったぜェ!?」
「校長…実は貴方は中々に鬼畜なのかもしれない…」
二人が驚くのとは正反対に、これが普通だろう、と冷めた目をしながら校長は先程ルダが指した空間を調べる。
「…何だ貴様ら、敵に同情でもしていたというのか?……それにな、いくら可愛いからって見た目に惑わされてはいかん。一時の誘惑に負け、飼う事になってもそれからが大変なのだ。命の責任をきちんと自覚し、持ち続けr」
「あーー、ハイハイ分かりましたよォ!一回始まるとコイツのお小言は昔っから止まらねェからなァ!」
ぐるぐると頭上に星を回しているルダをよそに、『G,1』がいつまでも続きそうな校長の一人弁論大会を止める。
「……実はちょっと飼ってみたいとか思ってたりしませんよね?校長」
デフォルトがジト目の祓間ではあるが、さらに目を細めて校長に問う。
「…そんなことはない。絶対にだ」
「もうさっき自分で可愛いとか言ってた時点でお前の負けだ、マーズさんよォ」
利用価値を見いだせなくなった敵は本来は始末するところをチョップで留めたのも頷ける。だからといってあのいい雰囲気を即座にぶち壊していくのはどうかと思う『G,1』ではあったが。
しかし、直後にルダのおかげで緩んでいた空気が一気に変わる。この空間の主が倒されたためか、より向こう側の状況、『異素』の様子が感じ取れるようになっていた。
明らかに花蓮たちのものではない、空間の向こうから届く異質な『異元』。すぐさま間違いなく危険信号であると察する。
「…オイ、今のは…」
「…急ぐぞ、嫌な予感がする…!」
○○○
「…という訳だ。そこの二人、今すぐ放してもらおうか」
「……」
不審者は沈黙を守る。どうやら『異元感知』を用いてこちらの出方を窺っているらしい。
傍らのオベルガイアは未だ校長の『異跡』に縛られている。あれ程巨大で、且つ力を持っているにも関わらず尚、その拘束が解けないでいるのは校長の『異跡』が強力であるが故だろう。
「…ふむ、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだが……この状態のオベルガイアをこうも容易く縛り上げるとは。流石に強力な『異跡』だな、マーズ…、いや、今は名を変えてるんだったかな」
「御託はいい……さっさと生徒たちを解放しろ!」
声を荒げる校長。通常の会話であっても、『異元展開』時の彼の『異元』が乗ったそれはもはや一種の威嚇、時に命令にさえ成りうる。
「おーこえェ怖ェ。覚えときな祓間とやら。コイツはなるべくキレさせない方がいいってなァ」
「はぁ…」
どの口が言ってるんだ、という言葉は今は外に出さない方が賢明であろうと祓間は自制する。
「解放しろ……か、それは出来ない相談だな。今は見ての通り、大事な儀式の最終段階でね。邪魔されると困るのだが」
「何…ッ、貴様、その子達に今まで何をしていた!」
力なく触手で縛られている花蓮達を見て、一層眉間に刻まれるしわが深くなる校長。彼女らは『異跡』を行使するにあたり、校長たちが訓練させた生徒の中でもトップランクの技量と質を持っていた。
だが、目の前にいる不審者は無傷で花蓮たちを無力化している。その事から少なくとも彼はかなりの手練れである事が窺える。
「少しばかり暴れたので、おとなしくさせただけだが…何、命までは取らないさ。彼らは貴重なサンプルだからな」
「サンプル、だと…?」
何とも物騒な単語に困惑する校長。事を考慮し、今まで耐えてきた彼の堪忍袋の緒が切れる前に動いたのは『G,1』だった。
「『束縛結界:封式・異元』」
彼の右手のグローブが発光すると同時、ヴォン!と青白い四角推が不審者を包む。その四角推の面から次々と同色の鎖が発射され、彼をがんじがらめにする。
「……話てるとこ悪ィが、拘束させてもらうぜェ…、怪しすぎだ、お前さん。何故テメェの異元が感じられねェ」
「…ほう」
一瞬のうちに自らの動き、『異元』の生成さえ封印された不審者。だが、その表情に焦りの色は見えない。
校長も違和感は確かに感じていた。彼らレベルの『異元感知』になると不審者の発する『異元』がどこか胡散臭く感じられる。要するに彼は、自らの『異元』に工作をしているのだ。
だが、と校長は思案する。『G,1』の言った『感じられない』とはどういう事だろうか?確かに彼からは『異元』は感じられ、先程『異跡』を使った痕跡も見受けられるというのに。
「そこに気づくとは……流石、結界士最強の一角と呼ばれるまであるな……ガ、…いや、『G,1』だったか」
「……ッ、テメェ。どこまで…」
『G,1』の顔色が変わる。普段おちゃらけている彼が滅多に見せない、苦虫を噛み潰したような表情。
だが、それも意に介さず不審者は言葉を繋げる。
「…時間がない。残念ながらお前たちが出てきた時点でタイムリミットだ。それに魂を出したまま、という状態も素体に良くない。早々に終わらせてもらうぞ」
瞬間、不審者が消える。ガシャン!と彼を縛っていた筈の鎖が地に落ちる頃には、『G,1』の結界をいとも容易く抜け、オベルガイアに向かって歩いていた。
「何ッ!!?」
『G,1』の目が見開かれる。一目見ただけでは判別できない未知数の力を持っているとは思っていたが、まさかこんなにも自然に世界で最高峰の結界をすり抜けるとは彼は考えもしていなかった。
『止 ま れ ! !』
校長もその異常性を察知したのか、即座に『異跡』を以って彼を制す。
しかし、元々何も障害がないかのように、それが当たり前のように、校長の命令に従う事もなくごく自然に歩を進める不審者。彼の絶対強制命令でも、不審者の歩みを止める事は出来なかった。
「何をしても無駄だ…あぁ、そのような顔をするのは分かるよ。俺の『異跡』を垣間見た輩は、皆決まって同じ顔をする…正直、見飽きたが」
チッ、と舌打ちをかましつつ立て続けに『G,1』が新たな結界を不審者に向け展開する。その結界は空間ごと消滅させるような、極めて危険な結界だが彼にはまたもや通じなかった。
彼の結界により地面が抉られているにも関わらず、まるで見えない場所に道があるかのように、消えた地面が元々あるかのように、宙を歩いている不審者。それを見て『G,1』は何か勘付く。
校長は確かに『異跡』を彼に使った。だが、『彼を捉えた』という感覚がまるでない。
虚空に命令しているようにも覚えるその錯覚が間違いでない事は、他でもない不審者の口から告げられた。
「もう察してはいると思うが……そうだな、答え合わせの時間にするとしよう。そも、俺は元からこの空間には存在していない」
「……何もないところには攻撃の仕様がねェってか。テメェの『異元』が感じられないのも、俺たちの『異跡』が届かないのもそういう理由か…クソったれめ」
不審者が校庭にいるように見えるのは彼が二重に空間を召喚しているからだ。
まず前提として、彼は校庭とは異なる、別の世界にいる。そして、自らの周りだけに校庭を『空間召喚』で召喚させ、その『校庭の世界を含んだ自分がいる元の空間』ごと、『空間召喚』で校庭に召喚しているのだ。
要は、不審者は二重のカプセルの中にいると言えばより良いだろう。外側のカプセルが不審者の元々いる校庭とは別の空間。そしてもう一つの、内側のカプセルの方が校庭の空間だ。
攻撃が通らないのは、その『不審者が元々いた空間』の壁、いわば外側のカプセルが邪魔をしているから。
その元々いる空間が見えないのは、その『壁』を極限まで薄くし、見えなくさせる細工を独自でさせているのだろう。
自分の『異元』を空間の外側に流すのも、『不審者は自分と同じ空間にいる』と錯覚させるフェイク。
翔璃の槍が通らなかったのも、校長や『G,1』の『異跡』が効かないのもそのはず。そもそも別の空間の壁に拒まれては話にならない。
最初に『G,1』が不審者の『異元』を感じられないと言ったのは、間接的に彼が同じ空間にいないことを悟った故であろう。
そして、不審者がどうにもならないならば、どうするか。
「……ッ!」
「もう遅い」
彼の手がオベルガイアに触れた時点で、全てが終わった。
オベルガイアに向けられた『G,1』の結界も、校長の『異跡』もほんの少しの差で出遅れた。
手が触れた事により、不審者の周りに展開されている空間がオベルガイアにも共有されたのか、『あらゆる『異跡』が効かない壁』の効果範囲が広がる。
「………そろそろか。やれるか?オベルガイア」
今のやりとりの中での時間経過ぶん、オベルガイアを縛っている、初めに校長がかけた『異跡』の効果が薄れてきている。
これからの手だしが出来なくなった今、残り数刻で振り上がっている鎌が下ろされるのは確定した。
「……や、めろ」
ぴくぴく、と大鎌が痙攣する。強制的にこわばらせていた筋肉が正常に動き出し、血流の流れが良くなり始める。
「やめろ…やめてくれ……!」
声が震え、膝を折る校長。目の前で生徒の魂が切り取られるのを、ただ見てることしか彼に出来ることはなく。
「……ようやくだ。これで、パズルのピースは完成した」
『やめろぉおおおおお!!!』
ザンッ、と。
蜘蛛糸のように細く、脆かった花蓮達の魂の線は完全に断ち切られた。
がくん、と力なく項垂れる二人。
「…魂の交換、完了」
そう言い残し、彼と傍の『異怪』は去っていく。
『G,1』が何か必死でしていた気がするが、あまりよく覚えていない。
校長……マーズのその日の記憶は、そこで句点を打つ事となる。
ただ、地面に散らばった硝子の欠片だけが、彼らを見取るかのように、その光景を映し続けていた。
花蓮「……えっ!?これで一章終わり!?私たちどうなってんのこれ!?死ぬ!?ってかもう死んでるよね!?普通魂抜かれたら死ぬよね!?…いやわかんないけど!!ところで、もうゴールしてもいいよね」
翔璃「やめろ…!そんな露骨に死亡フラグを建てるな!……ところで、別にアレを倒してしまってもかまわんのだろう?」
薫「わーっ!ちょいちょい!しょうりんまで乗っかっちゃダメだって!……ところで、薫、この戦い終わったら結婚するんだけど」
芯一「いやいや、皆さんシャレにならないから……というかここまで来たらむしろ、もう何も怖くない!」
『G,1』「……お前らそんな事言ってマジで死んでも知らねぇぞ俺」




