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中編 逆櫓の松

「こうなれば、僕が出るしかないね」


 渡辺津にある、ひときわ大きな、松の下。

 そこで源義経は、そううそぶいた。

 敵将・伊藤忠清は逃(のが)したものの、三日平氏の乱を鎮圧した時のことである。彼は、那須与一を伴って摂津(せっつ)・渡辺津(わたなべのつ)に赴(おもむ)き、摂津惣追捕使(せっつそうついぶし)の梶原景時に、屋島へ向かう旨告げた。

 景時は難色を示した。


「三日平氏の乱は収めたものの、敵将は捕えていません。だというのに、京畿(けいき)を離れるのはいかがなものかと」


「仕方ないじゃない、このままじゃ源氏は負けるよ」


 景時は言葉に詰まった。

 たしかに範頼の遠征は捗々(はかばか)しくない。

 撤退もささやかれている。


「範頼の兄上も頑張ってるけどね、食えなきゃ退(しりぞ)くしかない。退(しりぞ)いたら、平家はかさにかかるよ」


 彦島の平知盛は名将の誉(ほま)れ高い。

 その知盛が、撤退する範頼軍の後背を襲ったらどうなるか。


「源氏は負ける。大敗するだろうね」


 義経は肩をすくめる。

 ひるがえって、京畿の方は、三日平氏の乱はひ(・)と(・)ま(・)ず(・)鎮圧した。敵将は逃(のが)したが、それでも小康状態と言える。


「だから景時、今だ」


 今こそ、京畿の源氏の兵を用いて、屋島を叩くべきと義経は言う。

 しかも今、屋島の平家は伊予を攻めるために、三千もの兵を出しており、残りの兵は千しかいない。


「それは」


 景時も好機だと思ったが、それでも頼朝の言葉を思い出し、このような賭けはやめるべきと唱えた。


「頼朝どのは、短兵急なのはひかえよとおっしゃってますが」


「それは全体的な話。今この時においては、拙速は巧遅に勝るよ」


 埒(らち)が明かない。

 そう思った景時は、一計を案じた。


「ではこうしましょう。平家とは水軍で戦うことになりましょう。そこで、舟に逆櫓(さかろ)をつけるのです」


 逆櫓とは、通常、舟のうしろについている櫓を、前にもつけて、舟の移動を逆(さか)しまに、うしろと前を逆にしても使えるようにするものである。

 景時は、平家の水軍に対抗するため、渡辺津にある源氏水軍百四十五艘全てに、それをつけようというのである。


「論外だ、景時」


「なぜでござる。やってみなくてはわかりません」


「日にちがかかる。木材がいる。舟大工もだ。第一、その逆櫓を十全に使えるよう、水主(かこ)を鍛え直さなくては」


 そんなことは景時も百も承知だ。

 だが、頼朝は焦らず戦うよう言っていた。

 兵糧の問題はたしかにあるが、それはいずれ、鎌倉から米を送れば終わる。

 要は、現状維持することが大事。

 逆櫓なんぞ、そのための方便だ。


「埒が明かないね」


 こっちの台詞だ。

 思わず景時は叫びそうになった。


「もういいよ、景時」


 義経は立ち上がった。


「その逆櫓とやら、つけてかまわないよ。好きにするといい」


 でもねと言って、義経は笑った。


「兄上の逆を考えてみるといい、逆をね」


「逆とは?」


 しかし景時の反問に答えないまま、義経は行ってしまった。

 与一はあわてて、義経についていった。

 あとに残された景時は、何のことやらとしばし考えていたが、どうにも思いつかない。

 頭を振って、とにかく逆櫓をつける許しは得たので、それに向けて動こうとした。

 そこを。


「ち、父上」


 息子の景季(かげすえ)が、泡を喰った表情で走って来た。


「何だ」


 聞くと、義経が渡辺津(わたなべのつ)から出陣したという。

 しかも。


「たった五艘だと?」


 それでは百五十騎を乗せるのがせいぜいだ。

 そんな寡兵(かへい)で、義経は何をするつもりなのか。


「逆……」


 そこで景時は、おのが為(な)すべきことに気づいた。

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