前編 扇の的
ちゃぷん、ちゃぷんという波の音が聞こえる。
那須与一はその音を聞こえないようにしたが、やめてしまった。
逆に、波にゆだねた方が、舟の上の扇の揺らぎを見切れると思った。
それよりも、春の海はつめたい。
吹く風はあたたかく感じるが、海水はつめたい。
だからむしろ、そのつめたさを考えないようにする。
「南無八幡大菩薩」
与一は矢を番える。
狙うは、あの平家の舟の上。
ゆらゆらと揺れる、かかげられた扇。
「今」
揺らぎが読めた。
弓手の親指の先に扇を捉える。
ひょうと射ると、矢は海の上を飛んで行き、扇の柄に当たった。
扇は海に落ち、波間をただよい、流れていく。
「おお」
与一の後方、浜にいる源氏の兵は、喝采の声を上げる。
扇の舟の向こう、平家の水軍は、ため息をもらした。
時に、元暦二年二月二十日(一一八五年三月二十三日)。
世にいう、屋島の戦いの最高潮である。
「それにしても」
与一は思う。
大将の源義経に命じられ、舟の上で踊る平家の武者を射たあとのことだった。
与一は危惧の念を抱いた。
「このような扇の的を射ている場合なのか」
と。
*
一ノ谷の戦いにより、源氏は平家を西国へと追いやった。
しかし平家は、讃岐の屋島に加え、長門の彦島にも拠点を築き、瀬戸内海の東と西を扼し、着実に京をめざしていた。
「平家、侮れぬ。討伐すべし」
これを憂慮した源氏の棟梁・源頼朝は、さらなる攻勢を期して、弟の義経を大将とした平家討伐を後白河法皇に奏請していた。
さらに、梶原景時を摂津と美作の惣追捕使に任じた。また、与一のような武士たちを義経の下につけ、義経を中心とした討伐軍を組織した。
ところがこの時、伊勢に潜伏していた平家の叛乱が勃発(三日平氏の乱)。
義経は、その乱にかかりきりになってしまった。
「やむを得ぬ」
頼朝は別の弟・範頼に、山陽道を通って長門の彦島に拠る平知盛(平家の棟梁・宗盛の弟)を討つよう命じた。
「彦島の方の拠点はまだ新しい。付け入る隙もある。しかし、九州を抑えているのが厄介だ。いいか範頼、ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、まず九州を取れ。しかるのちに彦島を討て」
こうして範頼は遠征軍を率いて長門に至るが、そこで兵糧不足に陥り、立ち往生してしまう。
この時、養和の飢饉という大飢饉が発生しており、特に西国には――米がなかった。




