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後編 屋島の戦い

 義経の出陣は二月十六日の夜のことで、その夜のうちに阿波(あわ)の勝浦に至る。この行程は通常三日かかるが、義経は四時間で到達し、そのまま阿波の平家の牙城、桜間城を落とす。

 落とした翌日には讃岐へと入り、夜通しで屋島をめざし、早朝には屋島を望む砂浜に至った。

 今日(こんにち)、屋島と四国はつながっている。しかしこの時点で屋島は島――海を隔てた島だった。


「土地の者に話を聞いてきてくれ」


 義経の扈従(こじゅう)の弁慶が、見かけた漁師に話を聞くと、潮が引いた時には、屋島とは陸続きになることがわかった。


「でかした」


 さらにもうすぐ干潮と知り、喜んだ義経は、漁師に褒美を与えるとして家に案内させた。

 漁師の家は、当然ながら漁師たちの村にある。


「じゃ、燃やすか」


 義経はおもむろにその漁師の家に――村に火をつけた。

 漁師たちが抗議すると、義経は冷笑した。


「褒美を与えると言ったろう。褒美で新しい家を作れ」


 ぼうぼうと燃える家々。

 義経は源氏の白旗を掲げさせた。


「われこそは源九郎義経、屋島の平家ども、いざ尋常に勝負せよ」


 これに屋島の平家の棟梁・平宗盛(たいらのむねもり)は、火と旗に、すわ源氏の大軍かと動揺する。

 ところが、物見の報告によると、そのような大軍ではなく百五十騎ほどの小勢だと言う。

 これを聞いた宗盛は、伊予に向かった三千の兵に戻るように命じ、義経とは、対峙するのみで戦わぬようにした。

 つまりは時間稼ぎに出た。


「好都合だ」


 平家の反応からそれを察した義経は、そうつぶやいた。

 そのつぶやきを、たまたま近くにいた与一は聞いていた。


「寡兵なればこそ、速戦即決では。なのに、なぜ時間を稼がれて好都合なのか」


 そのうち、平家の舟が一艘やって来て、扇を掲げた。

 与一はそれを射るよう命じられ……。


*


 ……扇の的を射落とした与一は、その流れる扇が見えなくなった頃に、陸(おか)に上がった。

 その時ふと、義経がこうして屋島を強襲したのは、もしかして、長門にいる範頼の掩護(えんご)するためではないかと思った。

 そう告げると、「それもある」と義経は返して来た。


「与一は見る目があるじゃないか。さすが、遠弓(とおゆみ)を当てるだけはあるね」


 与一はそれほどでもないと答えたが、よく考えると遠弓はかかわりがないように思える。


「かかわりあるさ」


 義経は言った。


「遠くを見る姿勢。それはいろんなものに通じる。だけどこのいくさは、ちょっとちがう」


 もう少し近くを見てごらん、と義経は微笑んだ。

 春風のような微笑みだった。


*


 屋島の平家は次に、義経軍のいる砂浜がある、八栗(やくり)半島を北から回り込み、志度という土地から上陸した。

 義経の後背を突こうとする作戦である。

 これを読んだ義経は、早速に志度に向かい、逆撃に出た。

 この時与一は、留守居役として屋島を望む砂浜にいた。

 それは見張り役も兼ねていたため、与一は、海上の屋島をじっと見ていた。

 春の風はあたたかだった。

 その風を浴びながら、与一は砂浜にいるおのれ自身を、上から俯瞰(ふかん)しているような感覚に襲われた。

 その感覚の中で。


「あ」


 与一は、義経の言わんとしたことが理解できた気がした。

 そのため、視線を向けた。

 東へ。

 視線の先に――水平線に、何かの黒い点が見えた。

 点はいくつもいくつも増えていき、それらが船団だとわかるようになった時。


「白旗だ! 源氏の」


 それは、梶原景時率いる、源氏側の水軍であった。

 景時は、義経が出陣したあと、渡辺津に残された一四〇艘すべてを引き連れて出陣した。

 寡兵(かへい)の義経とちがい、早いとは言えなかったが、それでも義経がこうして屋島を攻めている間に、姿をあらわすことができた。


*


「逆……」


 景時はひとりごちた。

 頼朝がゆっくりと制すよう指示していた。

 なら、その逆をするのなら、どうすればいいか。


「屋島の平家を速やかに倒すには、か」


 義経は行動で示した。

 少数で四国に渡り、最速で屋島を攻めた。

 屋島の平家とて、愚かではない。

 義経の兵が少ないと知れば、守りに徹し、扇の的のような見世物(パフォーマンス)をして、時間を稼ごうとする。

 伊予に向かわせた三千の兵を戻す時間を。

 だがその隙に、こうして景時率いる、一四〇艘もの大船団が屋島に近づけば。


「……もう退(しりぞ)くしかないだろうね」


 ちょうど砂浜に戻って来た義経は笑った。

 まるで、春の海のように、あたたかに感じて、その実(じつ)、つめたい笑みであった。


【了】

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