第18話 聖女の託宣
封を切ったのは、アルヴィス様だった。
「私が読む。……構わないか」
「はい」
朝食の間に、四人がいた。私とアルヴィス様。壁際にガイル。扉の脇にシェラ。
彼は書面を広げ、しばらく黙って目を走らせた。
そして、言った。
「――くだらん」
初めて聞く声だった。
「アルヴィス様?」
「読み上げる。腹が立ったら止めてくれ」
・ ・ ・
「『聖教会アーデルハイド管区、大司教バルドウィンより、レーヴェンハルト帝国皇太子アルヴィス殿下へ』」
大司教。
聞き覚えのない名だった。あの夜の司祭は、もっと下の位のはずだ。
「『先般、貴国が我が国より連れ出されたヴィオレット・ノクスハイムなる女につき、看過し難き事実が判明いたしました』」
「……はい」
「『聖女候補ミナ・レンフィールドに、繰り返し託宣が下されております。曰く、かの女は人の身に非ず。曰く、かの女は大いなる災いを大陸にもたらす』」
私は、フォークを置いた。
「『我らは貴国の主権を尊重するものでありますが、事は一国の問題に留まりません。つきましては、かの女の身柄を聖教会に引き渡し、審問に付されたく』」
ガイルが、低く唸った。
「『応じられぬ場合、教会は大陸全土の信徒に向け、レーヴェンハルト帝国が災厄を庇護せる国であることを告知せざるを得ません』」
アルヴィス様は、そこで書面を置いた。
「――以上だ」
・ ・ ・
「殿下」
ガイルが一歩前に出た。
「これは、脅しでございます」
「そうだな」
「教会が大陸中の信徒を煽れば、交易に響きます。北の三国は教会の影響が濃い。港が締まれば」
「締まればいい」
彼は即答した。
「三年は持つ。その間に別の航路を開く。ガイル、東方の商会に人をやれ」
「……はっ」
「それと、この文面を写して各国の宮廷に回せ。原文のままでいい」
「原文を、でありますか」
「読んだ者は考える。『次は自分の国か』と」
ガイルが、深く礼をして出ていった。
私は、その背中を見送った。
そして、口を開いた。
「アルヴィス様」
「うん」
「わたくしが、行けば」
「駄目だ」
「ですが、これは帝国に何の利も――」
「ヴィオレット」
彼は書面を折りたたんだ。
「この文書には、決定的な嘘がひとつある」
「嘘」
「『審問に付されたく』の部分だ」
彼は言った。
「教会に審問という手続きはない。あるのは糾問だけだ。あれは結論の決まった儀式で、二百年の記録で無罪が出たことは一度もない」
私は、息を呑んだ。
「あなたを渡すことは、火に薪をくべることと同じだ。話が違う」
・ ・ ・
「……大司教バルドウィンとは」
「アーデルハイド管区の長だ」
彼は答えた。
「野心家だ、と聞いている。管区の格上げを二十年望んでいて、そのために目に見える功績を欲しがっている。異端の摘発は、教会でいちばん手っ取り早い出世の道だ」
「では、あの方は」
「あなたに興味はないだろう」
彼は言った。
「必要なのは『災厄を退けた大司教』という肩書だけだ」
私は、俯いた。
「……では、ミナさんは」
彼は答えなかった。
しばらくして、静かに言った。
「使われている」
・ ・ ・
――アーデルハイド王国、聖都ヴェレント。
わたしは、聖堂の奥の間で膝をついていた。
石の床が冷たい。もう三時間になる。
「よろしい。もう一度、初めから」
バルドウィン猊下の声が、頭上から降ってくる。
「昨夜、あなたが見た夢を」
「――炎です」
わたしは答えた。
「空が赤く、地が燃えて」
「うむ」
「人が逃げていて、誰も逃げきれなくて」
「うむ」
「その中心に、あの女が立っていました」
「――そこだ」
猊下が、指を鳴らした。
「そこを、こう直しなさい。『その中心に、人ならざるものが立っていた』と」
わたしは、顔を上げた。
「……あの女です」
「同じことだ」
「同じでは、ありません」
「ミナ」
猊下は、微笑んだ。
とても優しい微笑みだった。この五年、わたしを飢えから救い、読み書きを教え、聖女候補の座に引き上げてくれた人の微笑みだった。
「あなたの言葉は、あなただけのものではない。神の言葉として大陸に届くのだ」
「はい」
「ならば、届く形に整えねばならない。『あの女』では、私怨に聞こえる」
「……」
「あなたは、私怨で語っているのかね」
わたしは、口を閉じた。
「いいえ、猊下」
「よろしい。もう一度」
・ ・ ・
わたしには、前世の記憶がある。
聖剣の勇者ミリア。
十九で剣を取って、二十三で死んだ。
死に方は覚えている。忘れられるはずがない。あれは十五年たっても、目を閉じれば全部そこにある。
焔獄の宮の、大階段だった。
ガロン先輩が先に飛び込んだ。二十八の、槍使いだった。故郷に妹が三人いて、遠征のたびに土産を買って帰る人だった。
彼は一瞬で消えた。
痛がる暇もなかったと思う。それだけが救いだ。
リコが泣きながら杖を掲げた。十六だった。わたしより三つ下で、わたしのことを姉さんと呼んだ。
その子も、消えた。
神官のセドは最後まで詠唱を続けた。あの人はわたしたちを一人でも生かそうとして、結界を張り直し続けて、それでも間に合わなかった。
わたしは走った。
聖剣を抜いて、階段を駆け上がって、あと十歩というところで。
見た。
紅い瞳が、わたしを見下ろしていた。
何の感情もなかった。憎しみも、愉悦も、なかった。
面倒な虫を払う目だった。
――それが、いちばん、許せない。
・ ・ ・
わたしの聖なる力は、魔王の魔力に反応する。
前世からそうだった。魔王の領域に入ると、指先が痺れて、胸の奥が鳴る。だから居場所が分かった。だから討ちに行けた。
十五年、この世界で一度も鳴らなかった。
鳴らないまま、わたしは男爵家の末娘として育ち、教会に拾われ、聖女候補と呼ばれるようになった。夢は毎晩見た。見るたびに、あの目を思い出した。
そして、去年の春。
王立学園の廊下で、すれ違った。
全身が、鳴った。
膝が抜けて、その場に崩れそうになった。壁に手をついて、必死に息を整えて、顔を上げて――
黒髪。
紅い瞳。
こちらを見ていた。
・ ・ ・
あの女は、わたしに気づかなかった。
一年間、一度も気づかなかった。
階段で会ったときも、髪飾りを壊したときも、渡り廊下で見下ろされたときも。
あの女はわたしを覚えていなかった。
わたしの一行を焼いた日のことを、覚えてすらいなかった。
だから、言ったのだ。
あの夜、あの会場で。誰にも信じられないと知りながら。
――この女は、数万を焼き殺した魔王です。
あの女の顔から、血の気が引いた。
思い出したのだ、と分かった。
それで、じゅうぶんだった。
十五年、それだけが欲しかった。
・ ・ ・
「――ミナ」
猊下の声で、わたしは我に返った。
「はい」
「帝国は、応じぬだろう」
「……はい」
「よい。応じぬことこそが望みだ」
猊下は、羊皮紙を巻き上げた。
「彼らが拒めば、我らは大陸に告知できる。帝国は災厄を匿った、と」
「猊下」
「なんだね」
「あの女は」
わたしは、床を見つめた。
「あの女は、罰を受けますか」
猊下は、わたしの頭に手を置いた。
温かい手だった。
「必ず」
・ ・ ・
その夜、わたしは自室の寝台で膝を抱えていた。
窓の外に月が出ていた。
猊下は、わたしの言葉を直す。毎回、少しずつ。
「あの女」は「人ならざるもの」になり、「炎の夢」は「神託」になり、「わたしが見た」は「神が示された」になる。
そのたびに、少しずつ、遠くなる。
ガロン先輩の名前が。リコの声が。セドの詠唱が。
――違う。
わたしが討ちたいのは、災厄じゃない。
わたしが討ちたいのは、あの女だ。あの、面倒な虫を払う目をした、あの女だ。三人の名前を、覚えてすらいなかった、あの。
わたしは、膝に額を押しつけた。
そして、月に向かって呟いた。
「――わたしは、間違えていない」
第18話をお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、元勇者であるミナ側の視点でした。
前世のヴィオレットにより生を閉じた勇者。
恨みをもつことは正当なことでしょう。
今世で復讐をしたくなる想いも、当然といえるかもしれません。
しかし、彼女はこの物語において本当に「悪」なのか、それとも――。
同じ出来事でも、立場が変われば見える景色も変わります。
ミナの立場にも注目してみてくださいね。
そしていよいよ、教会という大きな勢力が動き始めました。
ヴィオレット、アルヴィス、ミナ。
それぞれの想いが少しずつ交差し、物語は新たな局面へ進んでいきます。
次回も、ぜひお付き合いいただけると嬉しいです!
それでは、第19話でまたお会いしましょう✨️




