表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/16

第15話 夜会デビュー

夜会の支度は、無言で進んだ。


シェラは、いつも通りに働いた。湯浴みの支度をして、髪を結い、宝飾を選び、私の背後で紐を締めた。


手際は完璧だった。前世の話など、一度も出なかった。


「……シェラ」


「はい」


「その、昨日の」


「本日の装いは、深紅にいたしました」


彼女は鏡越しに言った。


「帝国の色でございます。旧貴族派は、他国から来た娘が帝国の色を纏うことを不遜と取るでしょう。ですが、遠慮した色を選べば、それはそれで侮られます」


「……そうね」


「侮られるくらいなら、不遜と言われた方がよろしい」


私は鏡の中の彼女を見た。


彼女は目を合わせず、髪飾りを挿していた。


「シェラは、わたくしに戦えと言っているのね」


「いいえ」


彼女の手が止まった。


「勝たれよ、と申し上げております」


・   ・   ・


大広間の扉が開いた。


音楽が止まった。


数百の視線が、一斉にこちらを向いた。


――ああ、これは、あの夜と同じだ。


婚約破棄の夜。数百の目に見られた、あの感覚。


けれど、違うところもあった。


あの夜、彼らは私を怖れていた。ここでは、誰も怖れていない。


代わりに、測っている。


「――ヴィオレット・ノクスハイム嬢」


侍従の声が響いた。


私は、マルグリット夫人に叩き込まれた形で、裾を摘まみ、膝を折った。


敗者の礼ではない、新しい礼だ。


大広間が、しんとした。


・   ・   ・


最初に近づいてきたのは、白髪を撫でつけた初老の男だった。


「これはこれは。お噂はかねがね」


上等な仕立ての礼服。胸に古い意匠の徽章。


「グレンツ侯爵と申します。帝国貴族院の末席を汚しております」


末席、という言葉が嘘であることは、周囲の者の位置取りで分かった。彼の背後に十数人が扇形に控えている。


「アーデルハイドより、ようこそ」


「お招きに預かり、光栄に存じます」


「いやいや。しかし驚きました。殿下が突然お発ちになったかと思えば、たった五日で妃候補を連れてお戻りとは」


侯爵は、扇のように両手を広げた。


「よほど、名高いご令嬢なのでしょうな」


「――名高い、と申しますと」


「ええ。それはもう」


彼は微笑んだ。


「アーデルハイドの卒業パーティにて、随分と華々しい夜を過ごされたとか」


周囲から、抑えた笑いが起こった。


・   ・   ・


私は、表情を変えなかった。


変えられなかった、というのが正確だ。


――知っている。


この人たちは、あの夜のことを知っている。当然だ。国が違っても、貴族の噂は早い。まして皇太子妃候補ともなれば、調べない方が怠慢だ。


「……ご存じでしたか」


「多少は」


侯爵は目を細めた。


「婚約破棄。聖女候補への迫害。処刑寸前」


一語ずつ、丁寧に置かれた。


「それに――なんでしたかな。ああ、そうだ」


彼は、心底おかしそうに言った。


「『この女は魔王です』でしたか」


・   ・   ・


笑いが、広がった。


さざ波のような笑いだった。悪意というより、上等な余興を見る顔だった。


「聖女候補というのは、随分と詩をお作りになる」


「教会の教育はそういうものなのでしょう」


「魔王とは。いや、失礼。近頃の子どもは寝物語を真に受ける」


私は、立っていた。


指先が冷たかった。


――笑われている。


私の罪が、余興として。


数万の焼けた背中が、この大広間では、上等な笑い話として消費されている。


否定してほしいわけではない。信じてほしいわけでもない。


けれど。


――笑わないでほしい。


そう思った瞬間、自分でも驚いた。


私は、怒っていた。


「侯爵閣下」


自分の声が、低く響いた。


近くにいた令嬢が、小さく息を呑んだ。


「その話は」


「おや、お気に障りましたか」


「――いいえ」


私は、口角を上げた。


マルグリット夫人に十一人の侍女を犠牲にして習った、あの微笑みを。


グレンツ侯爵の顔から、笑いが消えた。


「ご存じの通りでございます」


・   ・   ・


沈黙が落ちた。


侯爵は、しばらく私を見ていた。


それから、扇を閉じるように両手を下ろした。


「……なるほど」


声の温度が変わっていた。


「これは、失礼を申し上げた。ですが、ヴィオレット嬢。ひとつだけ、お尋ねしてもよろしいか」


「どうぞ」


「あなたは、何ができますか」


大広間の空気が張り詰めた。


――これが本題か。


「我が帝国は、血筋を尊びません。爵位も、出自も、他国の令嬢という肩書も、ここでは一片の値打ちもない」


侯爵の声は、もう笑っていなかった。


「問うのはただ一つ。何ができるか。それだけです」


「侯爵閣下」


「私の姪も、妃候補に名を連ねておりました。あれは十四で北方の砦を守り、二十で三度戦場に立った。剣も政も一流です。あれを差し置いて、あなたが選ばれた」


彼は言った。


「その理由を、この場の全員が知りたがっております」


・   ・   ・


「――ならば、私が答えよう」


声が、広間の反対側から響いた。


人垣が割れた。


アルヴィス様が歩いてくる。皇太子の正装だ。黒と金。あの夜と同じ、誰も見ない歩き方で。


「殿下」


グレンツ侯爵が頭を下げた。


「出過ぎたことを申しました」


「いや、正当な問いだ。帝国の作法に適っている」


彼は私の隣に立った。


そして、大広間を見渡した。


「諸君。ひとつ、正しておきたいことがある」


・   ・   ・


「私は、この令嬢を、憐れみで連れてきたのではない」


彼の声は大きくなかった。


それなのに、隅々まで届いた。


「政略でもない。アーデルハイドは小国で、この婚姻から帝国が得るものは何もない。むしろ私は、東の関税と二個師団と今年の穀物を差し出した」


どよめきが起きた。


「――正気ですか、殿下」


「安いと思っている」


彼は即答した。


「諸君が今、笑い話にしていたあの夜のことだが。私はあの場にいた。噂ではない。この目で見て、この耳で聞いた」


大広間が、静まり返った。


「聖女候補の告発を、私は一言残らず聞いた。そして、その上で彼女を選んだ」


彼は私を見た。


「私は、彼女の何ひとつを知らずに手を伸ばしたわけではない。知った上で、欲しかった」


――やめて。


私は俯いた。顔が熱かった。


こんなに大勢の前で。


「そして、問いへの答えだが」


彼は続けた。


「彼女に何ができるか、だったな」


・   ・   ・


「五日前、帰路で魔獣の群れに遭った。灰狼四十、それに甲板持ちの大型が一体」


騎士の何人かが、姿勢を正した。


「大型は私が受けるつもりだった。三十秒はかかったと思う」


彼は淡々と述べた。


「彼女は、一秒だった」


ざわめきが走った。


「首の付け根の一点を、正確に抜いた。しかも余波の向きを制御し、こちらに一片も飛ばしていない。ガイル、相違ないか」


「――相違ございません」


広間の後方から、太い声が返った。


「小官も、生涯であのような一撃を見たのは初めてでございます」


ざわめきが、大きくなった。


グレンツ侯爵の目が、変わった。


測る目から、別の何かへ。


「殿下。それは……真実でありますか」


「私は、彼女のことで嘘は言わない」


アルヴィス様は言った。


「――そして、これは私の私見だが」


彼は少しだけ声を落とした。


「この大広間にいる全員が同時にかかっても、彼女には届かないだろう」


・   ・   ・


静寂が、落ちた。


私は、俯いたまま動けなかった。


言ってしまった。


この人は、言ってしまった。


帝国は武力至上主義の国だ。強さこそが最高の美徳。ならば今の言葉は、称賛であると同時に、この場の全員への挑戦状でもある。


案の定だった。


「――お待ちください」


若い声が、人垣を割った。


・   ・   ・


進み出たのは、二十歳そこそこの青年だった。


背が高く、鍛えられた身体つきをしている。灰色の髪を短く刈り込み、正装の上からでも肩の筋が分かった。


グレンツ侯爵が眉をひそめた。


「ディーク。下がりなさい」


「叔父上。恐れながら」


青年は膝をつかなかった。


「殿下。ただ今のお言葉、帝国貴族として聞き流すわけには参りません」


「ほう」


「この場の全員が同時にかかっても届かぬ、と仰せられた。であれば、我々は皆、婦人一人に劣ると宣言されたに等しい」


彼は姿勢を正した。


「――帝国の作法に則り、確かめさせていただきたく」


ざわめきが、波のように広がった。


青年は、私を見た。


敵意はなかった。憎しみもなかった。若い、まっすぐな目だった。


そして、深く礼をした。


「ディーク・グレンツと申します。帝国騎士団第三隊、隊長を務めております」


彼は言った。


「ヴィオレット・ノクスハイム嬢。決闘を、申し込みます」

第15話もお読みいただき、ありがとうございました!


ついにヴィオレットの夜会デビューとなりました。

帝国流の「実力で示せ」という価値観が、ここで本格的に姿を現しましたね。


そしてラストは、まさかの正式な決闘の申し込み。

帝国では決闘は名誉ある文化ですが、ヴィオレット本人にとっては「そんなつもりじゃなかったのに……」という状況です(笑)。


次回はいよいよ、この物語最初の決闘回。

ヴィオレットが帝国貴族たちに何を見せるのか、ぜひ楽しみにしていただけたら嬉しいです!


それでは、また次のお話でお会いしましょう!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ