第14話 侍女の反乱
部屋に入って扉が閉まると、シェラは鍵をかけた。
内側からだ。
「……シェラ?」
「人払いは済ませてございます」
彼女は振り返った。
侍女服のままだった。髪もいつも通り結い上げてある。それなのに、目の前にいるのが別人に見えた。
背筋の伸び方が違う。
いや――背筋は最初から伸びていた。変わったのは、彼女が私を見る角度だ。
これまで、彼女は必ずわずかに視線を下げていた。侍女が主に対して取る角度で。
今は、まっすぐこちらを見ている。
「シェラ。あなたは」
「お尋ねしてもよろしいですか」
彼女は遮った。
「先ほど、庭で」
「……ええ」
「お笑いになりましたね」
私は、言葉に詰まった。
「侍女どもが騒いでおりました。妃殿下がお笑いになった、と。それはもう、大変な有様で」
「……騒ぐようなことでは」
「大変な有様でございました」
シェラの声は、平坦だった。
「わたくしは、それを厨房で聞きました。芋の皮を剥きながら」
そこで、彼女の手がわずかに震えた。
「――笑うなど」
・ ・ ・
「魔王様が」
その一言で、部屋の空気が変わった。
私は、動けなかった。
「……今」
「魔王様が、笑うなど」
シェラは、深く息を吸った。
そして、片膝をついた。
床に。侍女服のまま。エプロンが皺になるのも構わずに。
胸に手を当てて、頭を垂れた。
「――お許しください」
「シェラ」
「十五年、お探し申し上げました。焔獄の宮が落ちたあの日、気づいたときには、わたくしはこの世界の乞食の子でございました」
彼女は顔を上げなかった。
「四天王が一。灰塵のシェラハド」
・ ・ ・
私は、椅子に手をついた。
そうしないと、立っていられなかった。
シェラハド。
覚えている。当たり前だ。忘れるはずがない。
四天王の中でいちばん若く、いちばん口が悪く、いちばん私に忠実だった男。斥候と暗殺を束ね、私が眠るときは必ず扉の外にいた。
最後に見たのは、玉座の間だった。深淵の軍勢が城壁を越えたと報せが来て、私が単身で出ようとしたときだ。
彼は止めた。私は押しのけた。
それが最後だった。
「……シェラハド」
「はい」
「あなたは、男だったでしょう」
「……はい」
彼女は、はっきりと言った。
「転生術というものは、そこまで面倒を見てくれぬようでございます」
・ ・ ・
私は、椅子に沈み込んだ。
――他にも、いた。
その事実が、頭の中で何度も跳ね返った。
私は自分が転生者だと知っている。それは十七年、揺るぎない前提だった。けれど「他にも転生した者がいるかもしれない」とは、ただの一度も考えなかった。
考えなかった理由は、たぶん、単純だ。
考えたら、探してしまうからだ。
「シェラ。……シェラで、いいのね」
「はい。今生の名でございます」
「なぜ、すぐに名乗らなかったの」
「お嬢様が、覚えておられるか分からなかったからです」
彼女は膝をついたまま答えた。
「もしお忘れであったなら、忘れたままがよろしい。前世の部下が現れて何になりましょう。わたくしは、ただお傍にいられればそれでよかった」
「……では、なぜ今」
「お笑いになったからです」
・ ・ ・
シェラが立ち上がった。
侍女の礼ではなかった。武人の立ち方だった。
「魔王様」
「その呼び方は」
「魔王様」
繰り返された。
「お尋ね申し上げます。あなた様は、何をなさっておいでですか」
私は、答えられなかった。
「茶器の持ち方を習っておられる。歩き方を直しておられる。微笑みの練習をなさっている。異国の男に飼われて、菓子をもらって、庭で笑っておられる」
一語ずつ、刃のようだった。
「あなた様は、焔獄の魔王ヴェルギアであらせられる」
「……シェラ」
「大陸の三分の一を統べられた。勇者を退けられた。深淵の軍勢を単騎で受けられた。そのあなた様が」
彼女の声が、初めて震えた。
「――なぜ、こんな腑抜けた真似を」
・ ・ ・
私は、立ち上がった。
そして、言った。
「私はもう、魔王じゃない」
シェラの表情が、止まった。
「今の私はヴィオレット・ノクスハイム。アーデルハイドの公爵令嬢で、レーヴェンハルトの皇太子妃候補で、器も割れば笑いもする、ただの十七の娘です」
「――そのようなもの」
「そのようなものに、なりたかったの」
言葉が、勝手に出てきた。
「前世で、私は一度も笑わなかった。笑い方を知らなかった。恋も、菓子も、庭も、全部知らなかった。知る暇がなかったのではなくて、知ってはいけないと思っていた」
胸の奥が熱かった。
「今度こそ、と思ったの。今度こそ、普通の女の子として――」
「では」
シェラが遮った。
「では、わたくしどもは何だったのですか」
・ ・ ・
部屋が、静かになった。
「あなた様は、我々に守られてあの場所におられました。我々は、あなた様がそこに立っておられることが正しいと信じて死にました」
彼女の目が、赤かった。
「そのあなた様が、今になって『あれは間違いだった』とおっしゃる」
「シェラ、私はそんな――」
「同じことでございます」
彼女は言った。
「あなた様が今の生をよしとなさるということは、あの生を否とすることです。ならば我々の死は、何のためのものだったのですか」
私は、何も言えなかった。
――そうだ。
そうなのだ。
私は、自分の罪のことばかり考えていた。焼いた数のことを、償えないことを、赦されてはいけないことを。
その罪の下に、ついてきた者たちがいた。
彼らは私を信じていた。私が正しいと信じて、私のために死んだ。
私が「間違っていた」と言うたびに、その死が、無意味になる。
「……ごめんなさい」
「謝罪など、いりませぬ」
シェラは目を伏せた。
「わたくしは、ただ」
彼女は、言葉を探した。
長い時間、探して、結局こう言った。
「――ただ、あなた様に、あの頃のあなた様でいてほしいのです」
・ ・ ・
私たちは、しばらく黙っていた。
窓の外で、日が傾いていた。
「シェラ」
「はい」
「私は、あなたの願いを叶えられない」
彼女の肩が、わずかに動いた。
「けれど、あなたを失いたくない。それは本当です」
「……」
「だから、時間をください。私はまだ、自分がどうしたいのか分かっていないの」
シェラは、長く息を吐いた。
そして、久しぶりに侍女の礼をした。角度をわずかに下げた、あの礼だ。
「畏まりました」
「……ありがとう」
「ですが、お嬢様」
彼女は顔を上げた。
「ひとつだけ、申し上げておきます」
・ ・ ・
「わたくしは、この十五年で、方々を調べました」
シェラの声が、また平坦に戻っていた。
報告をする者の声だった。
「巻き込まれた者が他にもいるかもしれぬ。そう考えて、噂を追いました。異様に強い子ども。年に似合わぬことを語る子ども。そういう話を、大陸中から集めました」
私は、息を詰めた。
「そして、この国に来て、確かめたことがございます」
「……何を」
「レーヴェンハルト帝国皇太子、アルヴィス・レーヴェンハルト」
心臓が、跳ねた。
「あの男は、継承権の最も低い妾腹の生まれでございました。それが十五年で、兄五人を退けて皇太子となった。武でも、政でも、誰も追いつけなかった」
「……ええ」
「異常です」
シェラは断じた。
「そこまでは、まだよい。稀有な才の者はおります。問題は、そこではございません」
彼女は一歩、私に近づいた。
「あの男は、帝国の情報網を私的に動かしております。それも即位の遥か前から」
「何のために」
「――人を、探しておりました」
私の指先が、冷えた。
「大陸中に人を放ち、こういう条件で報告を上げさせておりました。『幼少にして異常に強い子ども』」
シェラは言った。
「開始は、十五年前」
「……」
「あの男が、四つの歳のときでございます」
第14話までお読みいただき、ありがとうございます!
今回は、これまでずっと「侍女」として隣にいたシェラの正体が明らかになりました。
彼女はヴィオレットの幸せを願っていないわけではありません。
ただ、十五年間探し続け、ようやく再会できた主が、かつての魔王ではなく「普通の女の子」になろうとしている姿を、どうしても受け入れられなかったのです。
前世で命を懸けて仕えた者だからこそ抱える葛藤。
そしてヴィオレットもまた、「罪」だけでなく、「自分を信じて命を預けてくれた者たち」と向き合わなければならないことに気づき始めます。
そして、最後の一文。
「開始は、十五年前。あの男が、四つの歳のときでございます。」
ここで物語は、新たな謎へ進みます。
アルヴィスは、なぜ四歳で「転生者」を探し始めたのか。
そして彼は、本当に何者なのか。
次回から、少しずつその核心へ近づいていきます。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです✧*。◝(*'▿'*)◜✧*。




