第11話 強さが美徳の国
国境を越えた瞬間、景色が変わった。
比喩ではない。本当に変わったのだ。
アーデルハイド側は、なだらかな麦畑がどこまでも続いていた。それが石造りの関を抜けた途端、急に土地が起伏を持ち始めた。丘の稜線に沿って街道が走り、その両脇に、等間隔で何かが立っている。
「あれは、何ですか」
「石碑だ」
アルヴィス様が窓の外へ顎をしゃくった。
「戦死者の名を刻んである。この街道は、二百年前に帝国が北方の連合軍を退けた戦場だ」
「二百年前の名を、今も」
「毎年、削り直している。名は消えないほうがいい」
私は窓に額を寄せた。
石碑には花も供物もなかった。ただ名前と、その下に短い一行だけが刻まれている。遠目には読めなかったが、たぶん、その者が何をしたのかが書いてあるのだろう。
アーデルハイドの霊廟には、聖教会の紋章と祈りの言葉が刻まれる。誰が何をしたかは書かれない。すべては神の御業とされるからだ。
――違う国に来たのだ、と思った。
・ ・ ・
道中の宿場で、私は妙なことに気づいた。
人が、寄ってくる。
アーデルハイドでは逆だった。私が通ると人垣が割れた。誰も目を合わせず、視界の端で私を追い、通り過ぎてから囁いた。
ここでは、寄ってくる。
「なあ、あんたかい」
宿の主人らしき大男が、朝から堂々と話しかけてきた。
「街道の化け物を、一撃で片づけたっていう」
「……ええと」
「うちの息子が騎士団におってな。昨夜の早馬で報せが来た。首から上を消し飛ばしたって聞いたが、本当かい」
私は答えに窮した。
背後で、若い騎士が誇らしげに胸を張っている。
「本当です! 私はこの目で見ました!」
「おい、余計なことを――」
「あの角二対の大物です。甲板持ちの。あれを一秒です、一秒!」
「一秒だと?」
宿の主人が目を剥いた。
そして、次の瞬間には手を打ち鳴らしていた。
「はっはあ! そりゃあいい! 皇太子殿下も、とんでもねえのを連れて帰るじゃねえか!」
「おい親父、それは不敬だぞ」
「うるせえ、俺は殿下の祖父様に槍で殴られた口だ」
宿場の朝が、たちまち騒がしくなった。
・ ・ ・
やがて、こういうことが毎日になった。
行く先々で人が寄ってくる。子どもが袖を引く。老人が「見せてくれ」と手を出す。私が困っていると、シェラが無言で間に入って追い払い、その隙にまた別の方向から人が来る。
四日目の朝、幼い女の子が私の前に立ちはだかった。
六つか七つだろうか。頬に泥がついている。
「おねえちゃん」
「……はい」
「つよいの?」
私は言葉に詰まった。
強いか。
強い。二度の生を通して、たぶん、いちばん強い。それは自慢ではなく、ただの事実だ。
けれど、その事実を口にしたことは一度もない。今世では特に。強い令嬢など、いてはならないからだ。
「……強いです」
言ってから、身構えた。
女の子は目を丸くして、それから、ぱっと笑った。
「すごい! わたしもつよくなりたい!」
「え」
「おかあさんが言ってた。つよいひとは、こわがらなくていいんだって」
女の子は言うだけ言うと、走って母親のところへ戻っていった。母親が私に会釈をして、頭を下げた。
私は、その場に立ち尽くしていた。
・ ・ ・
「アルヴィス様」
その日の昼、私は馬車の中で口を開いた。
「この国では、皆さん、ああなのですか」
「ああ、とは」
「強さを、隠さないのですか」
「隠す理由がない」
彼は書類から顔を上げた。
「帝国では、強い者は名乗る。名乗らないほうが失礼にあたる。相手がどれほどの者か分からないと、こちらも礼の払いようがないからな」
「……名乗る」
「あなたも、そのうち名乗ることになる」
「わたくしが」
「宮に入れば、必ず誰かが試しに来る」
彼はさらりと言った。
「決闘の申し込みだ。年に十や二十は来る。私も皇太子になるまでに四十七回受けた」
「四十七回」
「断ってもいいのだが、断ると弱いと思われる。弱いと思われると、面倒が増える」
「……勝たれたのですか」
「四十七回とも」
私は言葉を失った。
・ ・ ・
その夜、宿の部屋でシェラが荷を解きながら言った。
「お嬢様。この国は、少々異常です」
「そうかしら」
「強さのみを価値としております。強者が敬われ、弱者は数に入らない。剣呑な作法です」
「……そうね」
私は寝台に腰かけて、天井を見上げた。
「でも、シェラ」
「はい」
「わたくしは今日、初めて」
言いかけて、言葉を探した。
「初めて、人前で『強い』と言いました」
シェラの手が止まった。
「言ってみて、何も起こりませんでした。誰も泣きませんでした。誰も、後ずさりませんでした」
十七年、私は自分の一部を隠して生きてきた。うまく隠せた試しはなく、そのたびに謝ってきた。私は謝るのが上手になった。侍女に、令嬢に、婚約者に、両親に。
謝らなくていい場所が、この世にあると思っていなかった。
「……もし」
私は続けた。
「もし、わたくしがここにいてもよいのだとしたら」
シェラは、何も言わなかった。
しばらくして、彼女は静かに言った。
「お嬢様は、お優しすぎます」
「え」
「いえ。何でもございません」
彼女は荷解きに戻った。
背中が、少しだけ強張っているように見えた。
・ ・ ・
五日目の午後、帝都が見えた。
丘を越えた瞬間、視界が開けた。
思わず、息を呑んだ。
――大きい。
アーデルハイドの王都の、たぶん十倍はある。城壁が地平線の左右へ伸びて端が見えない。その内側にびっしりと屋根が詰まり、幾筋もの煙が上がっている。中央に、黒い岩の塊のような城が座っていた。
尖塔がない。
それが、いちばん奇妙だった。アーデルハイドの王城には聖教会の尖塔が三本立っていて、鐘が時を告げる。ここにはそれがない。
「教会は」
「ない」
アルヴィス様が答えた。
「帝都に聖教会の施設はひとつもない。三代前に全部追い出した」
「追い出した」
「神の代理人を名乗る者に、剣を持たぬまま人を裁かせるのは危険だ、と当時の皇帝が判断した。以来、教会は帝国を敵とみなしている」
私は、彼の横顔を見た。
あの夜、断罪の場にいた白い法衣の司祭を思い出した。
――あるいは、ノクスハイム公爵家そのものについても、審議が必要かと。
あの目には、憎しみも正義感もなかった。手駒をひとつ動かす程度の。
「アルヴィス様」
「うん」
「あの夜、わたくしを連れ出したのは」
「教会の手が届かない場所へ移すのが、いちばん早かった」
彼は静かに言った。
「あなたを守る方法は他にもあった。だが、どれも時間がかかる。時間をかければ、あなたが傷つく」
私は、何も言えなくなった。
・ ・ ・
城門が近づいてきた。
黒い岩を削り出した巨大な門だ。装飾がほとんどない。あるのは、扉の中央に刻まれた一行だけだった。
私はそれを読んだ。
「強き者が、弱き者の盾となれ」
「……建国の言葉だ」
アルヴィス様が言った。
「強さを誇るための国ではない。強さを、使うための国だ。……ということになっている。実際には誇りたがる馬鹿も多いが」
私は、その一行から目を離せなかった。
強き者が、弱き者の盾となれ。
前世の私は、強かった。
そして、盾ではなかった。
――もし、あのとき。
もし、この一行を知っていたら、私は違う生き方をしただろうか。
……いや。
しなかったと思う。誰かに教わって変われるほど、私は柔らかくなかった。だから今、こうしてここにいる。
「ヴィオレット嬢」
「……はい」
「顔色が悪い」
「大丈夫です」
「そうか」
彼はそれ以上聞かなかった。
代わりに、掛け布を私の膝に載せ直した。
・ ・ ・
門が開いた。
軋みひとつない、静かな開き方だった。あれだけの質量が音もなく動くということは、内側で相当な数の人間か、あるいは魔術が働いている。
光が差し込んだ。
そして、内側に並んでいたものが見えた。
――人だ。
門の内側、石畳の左右に、びっしりと人が並んでいた。
騎士ではない。着ている物からして、貴族だ。それも位の高い。数は五十を下らない。全員が、こちらを見ていた。
歓声はなかった。
誰ひとり、笑っていなかった。
宿場の主人も、袖を引く子どもも、名を名乗れと言う作法も、ここにはなかった。
あるのは、値踏みだけだった。
上から下まで、無遠慮に、私を測る視線。
私は背筋を伸ばした。
――ああ、そうか。
歓迎されていたのは、街道までだったのだ。
今回もお読みいただき、ありがとうございました♪(≧∇≦)
今回、いよいよレーヴェンハルト帝国へ入りました。
ヴィオレットにとっては、これまで「隠さなければならなかった強さ」が、当たり前のように受け入れられる世界です。
一方で、帝都に着いた途端、空気が一変したことにも気づかれた方が多いかもしれません。
街道では歓迎されていたヴィオレットですが、帝都で彼女を待っているのは、また別の人たちです。
「強さが美徳」という価値観は、この国の大きな特徴ですが、それだけで全てがうまくいくほど、帝国も単純な場所ではありません。
ここから物語は、帝都を舞台に大きく動き始めます。
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次回もよろしくお願いいたしますね✨️




