愚かなる婚約者。
息を切らせて部屋に飛び込んで来たマーガレットは、オーリの手にある宝石の入った箱を見て、顔からサァっと血の気を引かせた。
そして震える手の平をオーリに差し向ける。
「それは、わたくしの物よ。
さぁ、返してちょうだい。」
オーリに向け、強張った顔の筋肉を動かし無理矢理柔らかな笑顔を造って見せたマーガレットに対し、アイリスは微笑を浮かべながらゆるゆると首を振った。
「違いますわ、お姉様。
それは国庫のお金で購入した物。
ですから国の物、ひいては国民のための物です。
お姉様の物ではございません。」
「お父様が、わたくしに贈って下さったのよ!
わたくしの物だわ!」
マーガレットは焦ったように自身の胸に手を当て、「この私の物」だと主張を強めた。
が、アイリスは涼やかな笑顔を絶やさないまま、マーガレットに答えを返す。
「いいえ。
有事の際に使えるようにと国庫のお金で購入し、お父様がわたくし達に預けて下さった物です。
あ、わたくしもお父様からお預かりした大切なお人形を水害で苦しむ国民のために差し出すつもりでしてよ。」
ね?と同意を求めるようにアイリスはマーガレットに向け首を横に傾けた。
その態度に苛立ちが頂点に達したマーガレットから笑顔が消え失せる。
「何を言ってるの!!!
貴女のお人形とわたくしの宝石じゃ、価値が全然違うのよ!!!」
焦りから取り繕う余裕も無くなったのか、いつも笑顔を絶やさず柔らかな雰囲気を持つマーガレットが、初めて人前で声を荒げた。
財務府に居る皆から「え?」「まさかマーガレット様が」と困惑の声が上がる。
マーガレットの迫力に気圧されたオーリが宝石箱を持つ手をマーガレットに向け一歩近付こうとしたが、それを遮るようにヤハールがオーリの前に立った。
「あらあら、そんなに高価な物でしたの?
でしたらなおさら、国民の皆様のお役に立てないといけませんわよね。」
激昂するマーガレットに対して怯む様子は一切無いアイリスは、クスと微笑を浮かべながら財務府の者達に命令を下す。
「王太女として命じます。
その宝石を支援物資の支払いに充てなさい。
今すぐです。」
「待て!待つんだアイリス!!その宝石は駄目だ!」
唐突に会話に割ってカミル王子に対し、アイリスはあからさまに「部外者は引っ込んでろ」と言いたげな冷めた目線を向けた。
ヤハールは気付いたが、カミル王子本人はアイリスの冷ややかな視線に気付いてない模様。
カミル王子の中でのアイリスは、まだ自分に懐く幼く可愛らしい婚約者なのかも知れない。
カミル王子はアイリスの肩にポンと手を置き、兄が妹を優しくたしなめる様な口調で言った。
「その宝石は、来月我が国で開かれる夜会に出席する際にマーガレットが身に着ける大切な宝飾品なんだ。
我が父に、挨拶をする際にマーガレットが王女としての立場を皆に知らしめるための物でもある。
だからそれを今、失うワケにはいかないんだ。
分かるね?アイリス。」
━━━━…こいつ、頭、悪っっ━━━━
婚約者を差し置いて、違う女性をパーティーにエスコートする事をさも当然のように言ってのけるカミル王子に対し、アイリスだけではなく、この部屋に居る皆がカミル王子の言葉にそう感じた事だろう。
マーガレットでさえ、「余計な事を」と言わんばかりの顔をした。
そして、昨夜の事件の本来の行く末を知っていたアイリスとヤハールの胸中では、さらに違う感情も渦巻く。
本来ならば今、アイリスはガデュリオン皇国に拐われており、既にこの城には居ない。
よって、カミル王子は新しいパートナーとしてマーガレットを紹介するべく隣国でのパーティーに二人で参加する。
そういう予定が、もう既に立てられていた事なのだと改めて知ったのだ。
「やっぱりね」とは思っていても、やはり腹は立つ。
アイリスは、肩に置かれたカミル王子の手を汚物のようにパンッと強く払い除け、なおかつカミル王子の手があった肩を埃を払うように何度も指先で払った。
「カミル王子様、わたくし、そのような催しがある事を何も聞いておりませんけど?
なぜ、お義父様となる国王陛下へのご挨拶が、婚約者のわたくしではなく、お姉様が致しますの?
説明して頂きたいわ。」
「い、いや、それは…あ、アイリスはまだ幼いから…だから代わりにマーガレットが…」
しどろもどろになりながら、カミル王子の目線が助けを求めるようにマーガレットへと向く。
だが、マーガレットの中にも余計な事を口にしたカミル王子への苛立ちがあり、助け舟を出す気にもならない。
みっともなく冷や汗をかくカミル王子と、いつになく険しい表情のマーガレットを見たアイリスは、少しばかり気が晴れたとふぅッと溜め息を吐いた。
「………ま、好きになさればよろしいわ。
わたくし、カミル王子様との婚約を解消をお父様にお願いして来た所ですの。
ですので、カミル様はお姉様とご婚約なさればよろしいかと。
お姉様とカミル王子様、とてもお似合いですわよ。」
アイリスは、目の前の王女二人と隣国の王子、三人のやり取りを見て呆然と立ち尽くすオーリの手から宝石の箱を受け取った。
「オーリはすぐに東の領地に支援の要請と支払いの報告を。
宝石はわたくしが預かっておき、東の領地の使者の方が来られたら直接お渡ししますわね。」
アイリスは財務府の入り口に立ち、呆然と立ち尽くす皆に向けてにこやかに微笑んだ。
「それでは皆さま、ご機嫌よう。」
「あ、アイリス!待て…!婚約を解消だと!?」
宝石の箱を胸に抱いたアイリスが部屋を出ようと扉をくぐろうとした瞬間、カミル王子の手がアイリスに向かって伸びた。
その手は先ほどの様に肩に置かれるためでも、腕を掴むためでも無かった━━が
目的の場所に到達する直前にヤハールの手の平の壁により遮られた。
「カミル王子殿下、いくら貴方様が姫様の婚約者であろうと、これは許される行為ではありませんよ。
……姫様の御髪御髪を掴もうとするなど。」
「ッッッ…奴隷風情が…」
苦々しい顔をしたカミル王子がヤハールをきつく睨みつける。
遮られて宙に孤立した手の平を胸の前に持ってきたカミル王子は、悔しげにその手を強く握った。
拳となったカミル王子の手には、アイリスの長い髪が一本絡みついていた。
ヤハールは不快そうな表情でそれを見る。
「ありがとうヤハール。
でもこれで婚約解消に至る理由がひとつ増えたわ。」
「なぜだ!なぜアイリスは、そんな急に変わってしまったんだ!?
いつだってアイリスは、僕やマーガレットに意見したりなどせずに甘えていたじゃないか!」
カミル王子は、アイリスに訴えるように問い掛けた。
アイリスは床に視線を落とし、呆れと諦めを含んだ小さな溜め息をつく。
━━この人は…
従順だった事を甘えていたと解釈するのね…━━
何も知らなかった過去の自分のままならば、自分が従順だと思われている事に疑問さえ持たなかっただろう。
可愛がられていると信じて疑わず、マーガレット王女とカミル王子の言うがままになっていたのだろう。
当時はそれを普通に受け入れていたし、自分はそれを不幸だと思った事もなかった。
アイリスは頭の中で自身が経験した過去を反芻した。
姉と婚約者に裏切られた結果、心身共に強くなった今の自分がある。
だからと言って、感謝などするはずも無い。
「…昨夜の事は…わたくしには、とても恐ろしい出来事でした。」
財務府の皆が「昨夜の事?」と不思議そうな表情をする。
昨夜の事件は実行に至らず、アイリスや近衛騎士たち、そしてガデュリオン襲撃とアイリス誘拐を計画したマーガレットとカミル王子しか知らない。
寝室に居た所、侵入者に拐われかけ、そこを謎の白銀騎士に助けられた。
それはアイリスが作った嘘なのだが、マーガレットとカミル王子にアイリスは、そう話してある。
「その不安を解決するための訴えを「皆が不安になるからするな」とおっしゃいましたわね。
わたくしの不安は置き去りにして面倒事を隠した。
そんなお姉様とカミル王子様に、わたくしが甘えたいなんて思うワケが無いでしょう?」
黙り込むカミル王子にニコリとあからさまな作り笑いを浮かべ、部屋の皆に向け浅く一礼するとアイリスはヤハールと共に財務府の部屋を出た。
扉を閉め、辺りに人の目や聞き耳を立てられている様子が無い事を確認した二人はボソッと小さな小さな声で会話を始める。
「カミル王子様、婚約解消を受け入れますかね。」
「受け入れたくはないでしょうね。
カミル王子は隣国の王に言われて、この国を都合よく動かせるようにするための駒として、私の王配に選ばれたのですもの。」
「なのにマーガレット王女にそそのかされたのか、姫様と国王を排除して自分がこの国の王になり、マーガレット王女を妻にする事にした…んですよね。
まぁ、考えが浅い。」
「そうね、当時は気付かなかったけど…
カミル様は頭がよろしくないみたいみたいね。
今は、私の誘拐が上手くいかなかった上に婚約解消を言い渡されたなんて父王に言ったら、どんなに責められるかって考えてるでしょうね。」
ヤハールは「へー」と関心なさ気な投げやりな返事をした。
アイリスもヤハールも、カミル王子なんかにかまけている時間は無い。
5年先の悲劇を回避するため一刻も早くガデュリオンに向かわなければならない。
「姫様の行き当たりばったりな行動も慎んで貰わないと…数日前と違い過ぎる姫様は、あまりにも目立ち過ぎてます。
人の目が集まれば行動しにくくなりますよ。」
「頭では分かっているのよ…でも当時を思い出すと腹が立って…自重出来ないとゆーか…。
まぁ、いざとなれば書き置きを残して城を出て自分の足でガデュリオンに向かうわ。」
「そんな「ちょっと家出する」みたいに簡単に言わないで下さいよ。
一国の王女が城から居なくなるなんて、国全土を巻き込んで騒ぎになりますよ。」
ぶすっと不貞腐れ顔になったアイリスに肩をすくめ両手を上げ「やれやれ」というジェスチャーをしたヤハールは、クスリと笑みを浮かべ小声で囁く。
「まぁその時は当然、お供しますけどね。」




