早く旦那様のもとに行きたいので、今日から本気出す。
かつて経験したものとは全く違う朝を迎えたアイリスはベランダに出ると、5年前のこの日には既に居なかった自分の居城からの景色を感慨深く眺めた。
「5年前の今日この時、私は旦那様に拐われガデュリオンへ向かっている所だったわ。
だから当時のファルナウスのお城の様子は知り得なかったけど、お城には残されたガデュリオンの兵士に捕らえられた父がいたのよね…その後の父の安否について、旦那様は詳しく教えて下さらなかったけど。」
今回そのような事は起こらず、いつもと同じ平和な朝を迎えたワケだが、当時敵の侵攻真っ只中、目の前に居る娘の心配もせずにマーガレットに執心だった父王が、今何も知らずに「のほほん」としている事にアイリスは苛立ちが募った。
ので、5年前までは毎朝侍女が部屋に起こしに来て身支度をするまでベッドでおしとやかに待っていたアイリスだったのだが、今日からは自ら早く起きてベルで侍女を部屋に呼び、普段より1時間以上早くに着替えを済ませた。
今まで、アイリス王女が自らこの様に積極的な行動を起こす事は無く、呼ばれた侍女たちも困惑した表情を見せた。
「ごめんなさいね、急に呼び付けたりして。
でも、これからはこの時間に来てちょうだい。」
━━どういう事?普段はぼんやり、ベッドに腰掛けて私たちが来るのを待っていたのに━━
困惑顔の侍女たちが、互いの顔を見て目配せしながら、そんな声なき会話を交わすのを見てアイリスはクスリと笑った。
「わたくし、今日から『いつもの私』に戻りますわ。」
侍女たちにとっての『いつもの私』とは明らかに違うアイリスは、着替えが済むと離れた場所に控えていたヤハールを傍に呼んだ。
「ヤハール、まずは父の寝室に行くわよ。」
「はい、姫様。」
自らの意思で城内を自由に歩く行為は、アイリスには初めての事だ。
かつてのアイリスは、自身の生活に必要な決まった場所にしか行った事が無い。
生まれ育った城でありながら、この場にはアイリスの知らない未知の場所が数多くある。
初めて見るアイリスの突飛な行動に侍女たちが「え、陛下の寝室に?」「そんな、私たちがお叱りを受けるわ!」とワタワタと慌てふためき出した。
が、アイリスは侍女たちを気にも留めず、ヤハールを従えてさっさと部屋を出た。
部屋の中では、まだ侍女たちが何かを言い合っている。
「僕、ガデュリオン以外のお城の探検は初めてです。
なんだかワクワクしますね。」
「やだわヤハール、ガデュリオンは大陸一の大国よ。
そんな大国の立派なお城を、こんな小国の小さなお城と比較しては駄目よ。」
胸を反らせ、フフンと鼻高々と誇らしげに語るアイリスに、ヤハールが「え」と真顔で一歩引いた。
「生まれ育ったお城を引き合いに出して、ガデュリオンのお城を褒めちぎらないで下さいよ。
そもそも、なんで姫様が偉そうにしてるんですか。」
「それは私があのガデュリオン城の皇妃…」
「あ、言わなくてもいいです。質問じゃないので。」
そんなやり取りをしながら国王の寝室に辿り着いた二人は、ドアの前に立つ二人の近衛騎士の顔を見た。
昨夜、あの地下道で見た8人の中に居た顔だ。
アイリスは姿勢を正し、近衛騎士に告げる。
「朝のご挨拶に参りました。
お父様へのお目通りをお願い致します。」
「王女殿下と言えど、それはなりません。
陛下は誰にも寝室への入室をお許しになっておりませんので。」
アイリスは一瞬目を丸くして、思わずヤハールと顔を合わせた。
━━あら、意外にもしっかりと近衛騎士の仕事をしているのね。
でも5年前の夜、お父様の寝室に近衛騎士は居なかったから私は寝室に入れたのよね。
そう、5年前も昨夜同様にあなた達はお父様の寝室を無断で離れるに留まらず、敵を城内に入れようとしていたのよね…
反逆の罪に問われてもおかしくは無いのよ。━━
「うん、そんな人が正しい理屈で私を止めてるとか考えたら何だかイラッとしたわ。
ねぇ、あなた達。
昨夜起こり得た事について、わたくしが白銀の騎士から何も聞いてないとでも思っているの?」
昨夜、ガデュリオンに拐わせるはずだった王女の口から出た『白銀の騎士』は、二人に昨夜の出来事を思い出させた。
未遂に終わったとは言え国を裏切った賊として、白銀の騎士を証人に罪状を突き付ける事も出来るとの王女直々の宣告にも似て、二人を震え上がらせた。
二人はアイリスに道を開けるようにドアの両端に移動し、深い礼をした姿勢で小さく震え始めた。
王太女の告発により国賊となれば、おそらく処刑はまぬがれない。
そうなれば王太女よりは発言力の低いマーガレット王女の自分達への庇護がどこまで通用するかも分からない。
そう考えてしまったのだろう。
アイリスは近衛騎士たちの顔色から不安を読み取り、声を掛けた。
「安心なさい。
このように、わたくしの行く道を開け、あなた達が遮らないのであれば、わたくし昨夜の事を告発するつもりはありませんわ。」
━━この先、私は旦那様のもとに行くためにガンガン動いて行くわ。それを邪魔する時は容赦しないから!━━
アイリスのそんな本音を読んだヤハールが「コッワ」と呟く。
近衛騎士に向けニコと微笑んだアイリスは観音開きとなった父王の寝室のドアノブに両の手を掛けると、ノックもせずにバン!と勢い良くその扉を開いた。
「おはようございます、お父様!
わたくし、お願いがあって参りましたの!」
「なっなな、なんだ!いきなり!
あ、アイリスか!?」
5年前に、暗い中で父の身を案じて訪れた時は全く気が付かなかったが、明るい朝陽の射しの入る中で見た父の寝室はあまりにも予想外で━━
アイリスは思わず鼻で笑ってしまった。
「決まった時間に限られた侍女しか部屋に入れないと聞いておりましたが、はぁあ、こういう事ですか。」
天蓋付きの大きなベッドの、ベッドヘッドの裏の壁には、マーガレット王女の肖像画が飾られていた。
しかもカーテンで隠せる様な仕様になっている模様。
アイリスと共に不敬にも国王の部屋にシレッと入ったヤハールは、マーガレット王女の肖像画を見て「あーはいはい」と頷いた。
「これ、可愛い愛娘の姿を描いた肖像画ではありませんね。
こちらを見つめるような瞳と長いまつ毛、何かを語りかけるかの様に僅かに開いた艶やかな唇。
何より胸…デコルテが強調され過ぎて、この描き方は「少女」というより「成熟した女性」ですよね。
まるで、恋人を想って描いた絵の様に見えます。」
「だから、そういう事なんでしょう?」
アイリスは、呆れを含んだ嘲笑の眼差しを父王に向けた。
アイリスから、その様な眼差しを初めて向けられた国王は取り繕う様に焦りの表情を見せる。
「お願いがあると言っていたな!なんだ、
新しい人形か!?最上級の物を用意しよう!」
アイリスはニコリと微笑みながら首を傾げた。
目だけは笑っていない。
そんなアイリスを見たヤハールの心情を言葉に表すならば、姫様が怒り心頭だ!ど、どうしよう!的な「あわわワワワ」だ。
「お父様ァ…この期に及んで、まだわたくしを人形好きな大きな人形扱いですの?
この際だから言いますけど、わたくしはお願いではなく宣言しに参ったのですわ。
これよりわたくしは、自らの行動によってファルナウス国の事を知っていきます。
最終的にはファルナウスから出て、ガデュリオン皇国に行く方法を知りたいので、他国との国交などから交通の手段などを…。」
「何だと!?なぜガデュリオン皇国に行きたがる!
あの国は野蛮な皇帝が治める危険な国だ!近付いてはならん!
関心を持つべきではない!
授業でも、そう習っているだろう!」
そう言えば、そんな風に聞いていたな…とアイリスは5年前に受けた授業内容を振り返る。
そもそも他国についてはカミル王子の隣国以外、どれも悪く言われていたような気も。
「ガデュリオン皇国からファルナウスには何度か使者が来ていたはずよ。
それを無視し続け、臭い物には蓋をして見なかった事にした結果が、お姉様画策によるファルナウス王国の滅亡なのよね…
それにしても旦那様を無視し続けるなんて、やっぱり昨夜滅びていた方が良かったんじゃないかしら。こんな国。」
「5年前は無血開城でしたもんね。
被害が無いならば確かに…。
でも、後にこの国がカミル王子とマーガレット王女のモノになるのも何か腹立たしくてイヤですよねぇ。」
「確かにねぇ」とアイリスとヤハールは顔を見合わせ、国王の前でコソコソと話を続ける。
「カミル王子…あ、思い出した、それもお願いに来たのだったわ。
お父様、カミル王子様との婚約は破棄させて下さい。」
「いきなり何なんだ!
お前は、あんなにもカミル王子に懐いていたではないか! なのになぜ今、急に!」
「カミル王子様は、お姉様に首ったけですもの。
お姉様もまんざらでもないご様子ですし。
わたくし、頭もお尻も軽い方には興味ありませんの。」
「何だと!!カミル王子がマーガレットを!!」
思わぬ恋敵の出現に激昂したのか、喚き始めた国王を無視し、アイリスはヤハールと共に国王の寝室を出た。
出てからアイリスはふと、扉の前で考える。
「姫様、どうかなさいました?」
「いえ…お父様って、ここまで愚かな考え方をする人じゃなかったのだけれど…いつから、こうなってしまったのかしら…。
私が気付いてなかっただけ?」
「魅了の魔法の様な物を使われている…様子は無かったですよね。」
王の寝室を出た所で扉の両端に立つ近衛騎士に目を向けたアイリスは、そう言えば…とクスリと口元に笑みを浮かべた。
「お父様だけに留まらずだったわね。
年齢も立場も忘れさせるほど、男心を魅了する何かをを持っているのかも知れないわね。お姉様は。」
魔法というよりは魔性。
人心掌握に長けた才能を持っているならば、それはそれで凄い事かも知れない。
国の頂点に立っても、人々の支持を得て上手くやっていけるかも知れない。
少なくともカミル王子よりは。
「まぁいいわ、とりあえず城を探検しましょう!
私が行動するのを許されてなかった場所に、今の私が知りたい事があるはずよ。」
アイリスはヤハールを従え、意気揚々と城内を歩き始めた。
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「アイリス…!一体どこへ…!」
姉のマーガレットは、アイリスの侍女からアイリスが部屋を出て国王のもとに行ったと報告を受け、急いで国王の寝室へと向かった。
国王の寝室前に辿り着いた時、寝室からは国王の喚く声が聞こえ、何があったかと近衛騎士の二人に訊ねたら、アイリス王女殿下が部屋に入った後にそうなったと聞いた。
当のアイリスはと言えば、既に立ち去ったと聞いたマーガレットはアイリスの居場所を見失った。
「何なの…今まで、こんな事無かったのに…!
アイリスに何があったの!
急に人が変わったみたいに行動的になって…!」
普段のアイリスは、マーガレットとカミル王子の言葉を良く聞き、何の疑いもせずに言われた事に従う大人しい少女だった。
自らの意思で目的を持ち、部屋を出る事など無かったのだ。
「それが今朝から…いいえ、昨夜のガデュリオンの襲撃が失敗した辺りから急に…別人みたいになって…」
「おや、これはこれはマーガレット王女殿下、ご機嫌麗しゅうございます。」
アイリスを探していたマーガレットは絨毯敷きの廊下の曲がり角で、待ち伏せた様に不意に現れた老紳士の顔を見るとビクッと身を強張らせた。
「…ガデュリオン皇国の使者の方…。」
小柄で地味な姿の中年の従者を従えた大柄の老紳士は、髭を撫でながら穏やかに微笑んだ。
老紳士の笑顔に萎縮したマーガレットは、居心地悪そうに重ねた手の指先を動かす。
「あの…急いでますので手短に…」
「マーガレット王女殿下、ならば私も手短に。
昨夜の件につきまして、陛下は大変楽しみにしておりました。
その約束がいきなり反故となり、陛下は大変ご立腹であられます。
王女殿下の提案を持ち帰ったわたくしとしましても、大変、遺憾に思っております。
これらの責任を、どう取って下さいます?」
「責任!?昨夜な失敗はわたくしのせいではありませんわ!
昨夜は、思わぬ邪魔が入ったのです…!
正体不明の騎士の出現なんて…あんな事、起こるハズが無かったわ!」
「それは、そちらの都合です。
聞けば、優秀な複数人の近衛騎士が、たった一人の騎士にしてやられたのだとか。
なんと言う体たらく。恥を知るべきです。
遠方からガデュリオンの兵士達を遠征させ、ここまで来させたのです。
我々も手ぶらでは帰れません。」
先ほどまで笑んでいたガデュリオンの使者に厳しい言葉を掛けられたマーガレットは、言葉を詰まらせた。




